硬いパン
みな子は、パン屋で働き続けていました。
店のガラスを綺麗にしたせいか、SNS用に撮影したパンも綺麗に見えます。
ただ、まだSNSのフォロワーは増えていません。
塾からパンを買いにくる小学生が、何曜日に来るのか、などもわかってきました。
塾の生徒がもっとパン屋にくることで、売り上げアップが期待できることもわかりました。
みな子は、塾の生徒に買ってもらうために、ある作戦を考えました。
今日はそれを実践してみることにします。
夕方の勤務が始まると、おばさんに協力してもらって、お客さんに配るチラシを用意しました。
それにはパンの説明や宣伝だけではなく、パン屋のSNSに繋がるQRコードが書かれています。
パン屋に子供達がやってきて、パンを買って塾に戻っていきます。
みな子は店の様子を見ながら、外に出て塾の様子を伺います。
「きた!」
塾の帰りに生徒の父兄が、迎えにやってきていました。
生徒が出てくると、話をしながら帰っていきます。
みな子は、親と一緒に帰る生徒にチラシを配ります。
「よかったら、どうぞ」
母親はみな子のチラシを見ただけで、それ以外の反応がありません。
「あっ、パン屋のおねぇさん」
子供が言うと、母親はみな子の顔を見て軽く会釈します。
「塾の休憩の時に、買っていかれる生徒さんもいらっしゃるんです。勉強で頭が疲れるでしょうから、甘いパンの用意もありますよ」
母親は、子供の様子とみな子の言葉に、チラシを受け取ってくれました。
「さようなら」
そう言って去っていく生徒に、みな子は手を振ります。
すると、次の塾の生徒と親も、その次の生徒と親も、チラシをもらってくれました。
「パン屋のおねぇさんバイバイ」
「じゃあね」
目標以上にチラシを受け取ってもらい、みな子は満足しています。
親と帰っていく生徒を横目で見ながら、一人で帰っていく生徒がいました。
それはパン屋を外から覗いていた男の子でした。
みな子は声を掛けようとしましたが、あっという間に自転車に乗って走っていってしまいます。
「……」
親が迎えに来ない生徒はそれなりにいました。
しかし、そういう生徒は同じ方向へ帰る友達と一緒に帰っています。
みな子は、その子のことが気になりました。
パン屋を覗くのは、お腹が減っているのかしら。
一人なのはいじめられているのかしら。
親が迎えに来ないのは……
パン屋に戻ると、さっき塾でチラシを配った生徒と親が店内でパンをトレイに乗せていました。
「あの、このパンは……」
みな子は慌ててパンの説明しました。
夕飯としてパンを買う人や、明日の朝のためにパンを買いにくるお客さんが、次から次にやってきて、みな子はそのまま忙しく働きました。
ようやく勤務が終わって、残ったパンをいくつかもらって帰りました。
みな子は部屋に入ると、近づいてきた風船犬を見つめました。
だいぶ色が戻っている。
もしかしたら、ひと月の給料が出る前に風船犬はキラキラを取り戻すかもしれない。
みな子は嬉しくなりました。
翌日も、暇な時には外でチラシを配り、注意して店内を清潔に保ちました。
そんな毎日を、繰り返し繰り返し、根気よく続けました。
すると、ほんの少しずつですが、日々の売り上げは上がっていきました。
クレームおじいさんや、認知症のおばあちゃんの損失を考えても、プラスになっています。
「やった!」
みな子は、自分の部屋で小さくガッツポーズをしました。
近づいてくる風船犬を撫でていると、色が戻っていないのは、とうとう尻尾だけになりました。
「もう少しだね」
みな子はそう犬に話しかけます。
風船犬は嬉しそうに尻尾を振っています。
次の日も、その次の日も、みな子はパン屋で働きました。
自分のために、キラキラを失った風船犬のために。
パン屋から帰ってきて、風船犬を撫でていると、みな子は思いました。
「尻尾だけ色が戻らない」
見間違いではありません。
ここ数日、色々な角度から見直しましたが、尻尾にはずっと色がついていないのです。
パン屋での失敗はありません。
売り上げも、割合の多い少ないはありますが、ずっと増えています。
仲良くなったお客さんや、SNSのフォロワーも増えています。
みな子の気持ちだって、パン屋の仕事で充実していました。
それでも犬にキラキラが伝わらない。
みな子は、風船犬を抱え上げると、言いました。
「どうして尻尾に色が戻らないの?」
犬は抱き上げられた喜びに尻尾を振っているだけで、何も答えません。
「……」
みな子は考えました。
パン屋の仕事の中に何かヒントがあるに違いない。
何か忘れていないか。
出来てないことや、出来たら嬉しいこと。
お客さんに、してあげたら喜ぶこと。
考えながら、仕事をしていましたが、何もわかりません。
時間が過ぎていき、塾の子供たちが大勢パンを買いにやってきました。
楽しそうに会話をしながら、パンを選んでいきます。
みな子は、一人一人の会計をしていく時に、目の前に立った小学生を見て『ハッ』としました。
その子が、ずっと外からパン屋の中を覗いていた男の子だったからです。
「ありがとうございました……」
続けて何か言いたかったのですが、言葉になりませんでした。
なんだろう。
男の子の表情は、外で中を見つめていた時より、暗い気がします。
みな子は、思わずレジを操作して、男の子が何を買ったか調べました。
男の子は、このパン屋の中で一番安い『プチバゲット』を一つだけ買っていました。
みな子は思わず声に出していました。
「一つで足りるのかしら」
チョコがかかっているわけでも、クリームやフルーツが挟んであるわけでもありません。
他の小学生たちは、いかにも子供が『おやつ』に食べそうなものを買っていきます。
みな子は男の子に何かしてあげなければならない、そんな気がしました。
いく日かたち、再びその男の子がトレイを持って、みな子のところにきました。
やはり、同じ『プチバゲット』を一つのせています。
みな子は思い切って訊いてみます。
「これだけで足りる? バターとかジャムとか、つけてあげよっか?」
男の子は首を横に振ります。
「これでいい」
「……」
断られてしまうと、みな子にはそれ以上してあげることがありませんでした。
お会計をして、男の子は小さな硬いパンを持って店を出ていきます。
「あいつ、お金は持ってるんだよな」
「えっ?」
塾からやってきている別の小学生が、そう言いました。
「知ってるの?」
「あいつが開いたサイフを覗いたことあるもん」
みな子は、その後も塾の子達から話を聞き、情報を集めました。




