パン屋の客
みな子は何年ぶりかに早起きをして、パン屋に働きに行きました。
そして、おじさんがパンを作る手伝いをしました。
手伝いと言っても道具を揃えたり、片付けたり、言われたことをやるだけでした。
パン作りの基本的な作業に関わらせることは出来ない、という理由でした。
店に用意する複数のパンが焼き上がった頃には、陽が上っていました。
みなこはレジを叩き、焼きたてのパンを買いにくるお客様の対応をしました。
初めは声が上手く出ませんでしたが、おじさんに言われるまま話しているうち、レジで使う言葉についてはスラスラと喋れるようになっていました。
一通り、パンが売れてしまうと、おじさんはみな子のところにやって来ました。
「一度、帰っていいぞ。十時半には戻ってきてくれ」
みな子は言われる通り一度家に帰り、ご飯を食べ、部屋でゴロゴロした後に再びパン屋にやってきました。
「そろそろ、お昼にパンを食べるお客さんが買いにくるからな」
みな子はまたレジ打ちをします。
朝、いっぱい売れた食パンとは違って、チーズや野菜を乗せて焼いたような惣菜パンが売れていきます。
おじさん、いつの間に作ったんだろう。
考えるまでもなく、みな子が家で休んでいる間に作ったに決まっています。
棚に並べたパンが一通りなくなると、奥からおじさんがやってきました。
「残っているパンでよければ、持って帰って食べてもいいぞ。日持ちしないから、食べる分だけな。今度は四時になったら来てくれ」
みな子は言われた通り二つの惣菜パンを袋に入れて、家に持って帰りました。
家で食べてみると、客が買っていく理由がわかりました。
「パンて、美味しい」
みな子は昼寝をして、再びパン屋へ向かいました。
店に入る前から、すでに焼き上がる良い香りがしてきます。
店内は明るいし昨日きた時と、全然違う。
みな子はそう思いました。
店の奥から呼ばれて言ってみると、おばさんがいました。
足が痛いのか腰が痛いのか、椅子からは立てないと言っています。
「みな子ちゃんがきてくれたおかげで、お父さんやる気出したみたいで良かったわ。今日はずいぶん売れたから大変だろう?」
みな子は普通どれくらい売れているのか知らないので、気になりませんでした。
「後は追加でパンを焼くことはないから、売り切るだけだよ」
聞くとおじさんは、寝ているそうです。
朝のあの時間からパンを焼いていたので、当然だと思いました。
みな子は、一人で店番をすることになりました。
棚のパンを並べ替えたりしながら、待機していると、お客さんがやってきました。
お客さんは、髪が白い男の人でした。
パンが残っている棚を指差し、言いました。
「美味しいのはどれかね?」
みな子は店のパンを全て食べたわけではないので、首を傾げました。
食べてもいないのに『美味しそう』というだけで、このおじいさんに勧めるわけにもいかない。
かと言って、まだ全部食べたことありません、というのも言えない。
「黙っているということは、不味いってことか!?」
おじいさんは、強く怒った口調でそう言います。
みな子は困ってしまいました。
「もういい。ここからここまで、一個づつ包め。不味かったら返品しにくる」
「返品は……」
不味かったら、ということは食べかけているということだ。
そんなパンを返されても、どうにもならない。
「いくらだ」
みな子はレジの数値を読み上げます。
「不味いくせに高いな」
おじいさんはお金を払って帰っていきました。
白髪のおじいさんと入れ替わりに、腰の曲がったおばあさんが入ってきました。
「昼ごはんは、やっぱりパンじゃね」
もう昼という時間ではありません。早いご家庭なら、夕食をとるくらいの時間です。
すると、おばあさんがいきなり棚からバゲットを手掴みすると、かじりつきました。
「あっ、あの、お会計をしてから……」
いや、お会計をしても店内で食べられたら困る。みな子は、なんて言うか悩みました。
おばあさんは口が動きません。バゲットが硬くて食べられないのでしょう。
おばあさんはベッタリとよだれが付いたパンを、棚に戻しました。
悪質なユーチューバーみたいだ、とみな子は思いました。
戻されたパンが、他のパンとくっついていないか確認してから、そのパンを破棄しました。
そしてみな子は棚を綺麗に拭きました。
おばあさんは店内を一周すると、また同じ場所に戻ってきて、こう言いました。
「お昼ご飯は、やっぱりパンじゃね」
嫌な予感がしますが、止められません。
おばあさんは、再び棚のパンを手掴みすると、開けた口に突っ込みました。
「あっ!?」
やっぱりパンが硬くて噛みきれないため、顎や、パンを抑えている指によだれだけが垂れてきます。
おばあさんは、べちゃべちゃになったパンを棚に戻してしまいます。
みな子は、汚いパンをトングで掴むと、ゴミ箱に移しました。
おばあさんが、よたよたと店内を歩き回ると、再び最初の場所に戻ってしまいました。
「お昼ご飯は、やっぱりパンじゃね」
みな子は絶望気味におばあさんを見つめることしかできませんでした。
なんて言ったら分かってくれるんだろう……
「おばあちゃん。帰るよ」
「あんた、誰じゃ?」
「孫のダイスケだよ」
それはメガネをかけた男の子でした。
おばあさんの腕を引っ張ると、外へ連れだろそうとします。
「お昼ご飯は、やっぱりパンじゃね」
「おばあちゃん、忘れちゃったの? もうお昼ご飯は食べたんだよ」
「覚えているのじゃ、馬鹿者」
おばあちゃんは、そう言うと孫の手を叩きました。
そして今度は逆に、おばあちゃんが引っ張るようにして店を出ていきました。
みな子は、ほっとため息をつきました。
その時、店の外から中の様子を見ている子供がいました。
「?」
みな子と視線が合うと、その子供は隠れるようにどこかに行ってしまいました。
その子供と入れ替わるように、ちょっと前にパンを買って行ったおじいさんが戻ってきました。
買った時の袋を持っています。
レジ側にいるみな子に向かってやってくると、袋からパンを取り出しました。
歯型の付いたパンがレジに並びます。
「おい、やっぱり買ったパンは不味かったぞ。いや、美味い、不味いの前に、硬すぎて食べられん。返品するから金返せ」
「そんな……」
「返品に応じられないと言うのか」
みな子は、奥にいるパン屋のおばさんの顔を見つめます。
「返金して」
おばさんが言うように、みな子は返金しました。
「全く。ろくでもないパン屋だな」
出て行ったおじいさんが、強い力で店の扉を閉めます。
おきゃさんのいなくなった店内に、扉の鈴の音が鳴り響きます。
静かになった店内で、ゴミ箱へ破棄したパンを見ていると、ここまでの出来事を思い出し、みな子は涙が出てきました。
そして奥にいたパン屋のおばさんに、返品しにきたおじいさんと、支払いもせずパンをしゃぶってしまうおばあさんの件を詳しく説明しました。
おじいさんは頑固で有名なのだそうです。
今日は仕方がないけど、もし今度きたらおじさんを呼ぶようにと言われました。
おばあさんは、近所に住んでいる認知症の方だそうです。これまでも同じようなことがあったので、仕方がないと言ってくれました。
「けど…… 止められなくてごめんなさい」
「良いのよ。仕方ないこともあるの」
みな子は、その後も、閉店まで店番をして、その日の仕事を終えました。




