風船犬
その日は朝からどんよりと雲がかかり、お昼になっても薄暗い日でした。
みな子は、お腹が空いたので自分の部屋を出て一階へとおりていきました。
「お母さん、何か食べたい」
呼んではみたものの、誰かいる様子はありません。
「お母さん?」
みな子のお父さんは朝から仕事でいません。本当に暗くなるまで帰ってないのです。
みな子は母の帰りを待ちましたが、おやつの時間になっても帰ってきません。
食べ物を買うために、みな子は外に出ることにしました。
今にも雨が降り出しそうで、雲が低くたれこめています。
グレーのスウェット上下を着て歩いていたみな子は、後ろからきた車にぶつかりそうになります。
「ちゃんと端を歩け!」
車の人は、わざわざ窓を開け、怒鳴ってから去っていきます。
みな子は思い出しました。
昔、みな子がバス停に向かって歩いていると、制服をきた女子学生が先に停留所に立っていました。
バス停の近くで車が減速するので、不思議に思って近づいていくと、車の運転手がみんなnその制服の女子を振り返っていたのです。
制服の女子は、みな子から見ても確かにかわいい子でした。
それと比べて私は……
「……私は怒鳴られるのね」
ようやくコンビニについて、食べたいものを買い終わると、みな子はもと来た道を戻っていました。
ふと、見ると生垣の葉が不自然に揺れているのに気づきました。
しばらくすると止まったので、そっとその横をすり抜けようとすると、再び動き出しました。
「えっ!?」
ガサガサと音がしたと思ったら、何かが飛び出してきました。
「犬?」
毛のない肌色をした犬のようなものが、みな子の足元で倒れました。
よく見ると、それはバルーンアートで作る『犬』でした。
ただ、カラフルなゴム風船ではなく、輪ゴムのような素っ気ない色であったため、風船だと気づかなかったのです。
みな子はそれを無視して通り過ぎようとします。
『待って! 助けてくれないの!?』
みな子は足を止めました。
まさか、風船が話すわけがない。
再び進もうとすると、また聞こえてきます。
『助けて、キミしかいないんだ』
やっぱりこの風船犬が言っている。
みな子はそう思いました。
けれど、みな子はこれまでの人生の中で、風船犬を助けたことはありません。
「無理だよ。私、助けたりしたことないもの」
『お願いだ!』
みな子は仕方なくその奇妙な風船犬を家に持って帰りました。
部屋に入ると、風船犬は言いました。
『この部屋にキラキラはないの?』
みな子は思いつくまま、風船犬に『キラキラ』と光るものを見せますが、犬は首を横に振るばかりです。
「……」
みな子は疲れて寝てしまいました。
その後、何日か風船犬も話さなくなってしまい、みな子はいつもの通り、部屋にこもる生活をしていました。
ある日、風船犬が立ち上がるとみな子に言いました。
『キミ、もしかして何もしていないの?』
みな子は、久々に話した風船犬を振り返ります。
「息をして、スマホしてるでしょ?」
風船犬はまた黙ってしまいました。
すると、突然動き出し、窓に上ると、カーテンを咥えて引っ張りました。
暗い部屋の中に、陽の光が差し込んできます。
「何するの!」
『あそこにパン屋さんがある。キミあそこで働いて、キラキラを集めてよ』
みな子は壁に手をつきながらよろよろと窓に近づき、犬が言った『パン屋』を見ました。
普通の民家の一階をパン屋にしている小さな店です。
確か、おじさんとおばさんで経営していて、店員を雇っているとは思えません。
『おばさんが、最近倒れて、人手が欲しいところだよ。言ってみればすぐに雇ってくれる』
「……やだ」
みな子はベッドに戻って、横になりました。
すると、風船犬は横になったみな子の顔の前に飛び下ります。
「な、何!?」
風船犬は突然、口を開いたのです。
ゴム風船が破裂した、というわけではありません。
みな子はその口を覗き込むと、風船とは思えない、リアルな牙を見つけました。
先端に触っただけでもケガしそうな歯です。
これに『噛みつかれる!』そう思うと、みな子は震えました。
『これが…… 見えるか? この邪悪な牙が…… 経過する時間の中で全身に広がっていく。最後、僕がどうなるのか、そして君がどうなるのか』
「……簡単に言って?」
『キラキラがないと、僕が悪魔の手先になってキミを食ってしまうというこだ。サイズが違って食べきれなくとも、死ぬぐらいまで切り刻んでしまうだろう。つまり、今のまま、何もしないでいると、キミは助からない』
みな子は混乱しています。
助けてくれと言ったり、助からないと言ったり。
ついには、自らが助かるために、この犬を助けなければならなくなっていたからです。
「……」
みな子は、立ち上がりました。
そしてさっきと同じグレーのスウェット上下のまま家を出ると、パン屋に入りました。
外が暗いのに、店は明かりをつけていません。
窓から入る、わずかな光で店内が見えている状況です。
そして店に誰がが入ってきたのに、何の反応もありませんでした。
みな子は呼びかけます。
「こんにちは……」
パンがのっているであろうトレイは、パンくずが散らばっているばかりで、買えるパンは数えるほどでした。
そもそもパン屋が『はやって』なければ、人を雇うこともできない。
みな子は、そう思って帰ろうとしました。
「お嬢さん、パンを買いに来たの?」
奥から声が聞こえてきました。
やさしい女性の声でした。
みな子は声のする方に進み、言葉を返します。
「いえ、店員になりたいんです」
「店員に!?」
「おばさんが倒れたと聞いたから……」
みな子は、ガタガタと物が崩れたような音を聞きました。
思い切って店の奥の扉を開けました。
「おばさん!?」
みな子は床に手をついて、うつ伏せに倒れているおばさんを見つけました。
おばさんに手を貸して、体を引き起こしました。
おばさんの息が整うと、話し始めます。
「ありがとうね。私が倒れたことはまだ誰も知らないと思っていたから、びっくりしてしまって」
「驚かせてすみません」
「いいのよ、それより、お店で働いてくれるって本当?」
みな子は頷きました。
「そんなにお給料出せないけどいい?」
みな子はどうせならいっぱい欲しかったのですが、風船犬のことが頭に浮かびました。
「大丈夫です」
「よかったわ。じゃあ、早速明日から来てもらえるかしら?」
みな子はうなずきました。
細かい時間のことや、服装のことを聞きました。
最後に連絡先を交換すると、みな子は家に帰りました。




