第三章 コミュ障陰キャぼっちでもライブはできますか? 第十五節
その雨は出会いを告げて
振り返った先にいた女は全身びしょ濡れだった
そういえばかすかに雨の音が聞こえる
ここは古いけど映画館で本来なら外の音はほとんど聞こえないはずだ それなのにかすかにでも雨音が聞こえるということはそれだけ雨の勢いが強いのだろう
女は濡れた髪を手で払いながら上着を脱いだ
「いやーすごい雨だね 近くに入れそうな建物がなかったから思わず飛び込んだけど邪魔してたらごめんね」
「別に… そう思うなら黙っていればいい」
そう言って自分は再びベースを手に取ったそしてまた弾き始める
周りに誰がいようと気にならなかった
ただ弾きたいように、やりたいようにやるだけだから他人なんて気にしない
そのつもりだったのに…
「うへー 下着まで濡れてるよ― びしょびしょだし… ついてないな…ほんと」
「やたらデカい独り言だな」
「え、聞こえてた!? 耳がいいんだね」
「お前の声がデカいだけだ 邪魔しないんじゃなかったのか?」
低く思いベースの音の中で女の声はやたら響いて聞こえてきたのだ
自分の世界に入り込んで弾いていたのに余計な雑音で邪魔が入りいらだった
「ごめん ごめん ふだんから大きな音の中で話すことが多いからさ…その癖かも」
「どんな環境だよ…」
「えへへ それよりなんか拭くもの持ってない?」
「あるわけないだろ」
悪びれることもなくにっこりとした笑顔で笑いながら要求してくる
その姿はいらだったままの龍弥の神経を更に逆なでした
「えーでもこのままだと風邪引いちゃうし… タオルとかないの?」
「あっても貸すわけないだろ」
たしかに鞄の中にタオルは入っている
けれど雨宿りと言って勝手に自分の領域を侵した女にそれを貸す義理はない
「えー そんな冷たいこと言わないでよ―」
「勝手に風邪でも引いてろ」
自分には関係ない
この女が風邪を引こうがどうなろうがそれはこの女の行動に伴った結果だ
だから自分は求められても何もしない…
これ以上関わりたくないから
このまま冷たい人間だと思って黙っていてほしかったなんならここから出て行ってほしかった
それなのに…
「もう そんなこと言うならここで脱いじゃうからね!」
そう言って女はシャツのボタンを外し始めた
「待て待て待て待て なに考えてんだ!?」
「なにって… とりあえず脱いで乾かさないとでしょ?」
「脱いだあとはどうするつもりだ!?」
「もちろんそのままだよ まあ真冬じゃないし裸でも凍死しないでしょ」
めちゃくちゃだ
タオルを貸してもらえないから脱ぐなんて裸のままでいたらどのみち風邪を引くのに…
この女、もしかしてアホなのか? あるいはバカか? もしかしたら天然というやつかもしれないがどのみちどうかしてる
大体、嫌がらせでも目の前に男がいる状態でこんなことするか普通?
「ほら」
「え、貸してくれるの? ありがとう!」
そう言って女はタオルを受け取って身体中を拭き始めた
「まったく、羞恥心とかないのか?」
「ん? まあ男の子の前だったらいいかなって… 女の子の前だと恥ずかしいけど…」
「普通、逆だろ…」
「んーまあそうかもね でも私って女の子のほうが好きだからさ… 恋人も女の子だし」
「……」
しれっととんでもないカミングアウトを受けて固まった
というか初対面の相手に話す内容じゃない…
ふだんは思ったことをそのまま口に出すことのほうが多いがさすがに黙ってしまう
「でもさすがに気を付けないとかもね 男の子とだと〇〇〇されちゃうかもだし(自主規制)」
「よく彼女ができたな…」
男子中学生以下の下ネタをさらっと口にして再び引いてしまう
「えー酷くない!? さすがに彼女の前ではこんなこと言わないよー キスもまだだし」
「あーはいはい そうかよ 服が乾いたらさっさと出ていけビッチ」
「もーさすがに傷つくよ! こう見えても純情なんだから!」
「自分で言わねーだろ 普通は」
ダメだ完全にこの女のペースに乗せられている
わざと雑に扱って早く出ていくようにしているのにまったく引こうとしなかった
その上雨音は聞こえなくなったが建物の性質上、完全に止んだかどうかがここからは分からなかった
「ところでなに弾いてたの?」
「…ベース」
一瞬、無視しようかとも思ったがそっちのほうが面倒なことになる気がしたのでやめた
「それは見たら分かるんだけど… 曲は?」
「適当に弾いてる」
「オリジナル!? すごい!」
無視したほうが楽だったかと思うほど食いついてくる
ベースなんてふだんはドラム以上に存在感の薄い楽器だ
そんな楽器にここまで興味を持つなんて普通じゃない
大体、形だけみればギターと間違われることだって多いわけで…
ふとここで嫌な考えが頭を過った… それは…
「私もバンドしてるんだよねー でもまだ全然でさ…」
この女がこちら側であること くしくもその予想は的中した
「……」
「急に黙り込んだけど… 大丈夫?」
「別に… いいから出て行ってくれないか 邪魔だ…」
他人と音楽の話をするのは嫌いだ
音楽への価値観は根底でずれているとそれだけで大きな論争を生む
昨今はSNS上での論争がほとんどだが現実での会話の中でもそれは発生する
そしてそれがきっかけで終わる人間関係は少なくない
ただのすれ違いや議論がふとしたコミュニケーションの間違いから絶縁を生む
龍弥はそんな場面を何度も見て、経験してきた
だからこそ音楽についての議論には抵抗感が強かった
「まあそうだね 雨も止んだみたいだし今日はこの辺で帰ろうかな」
「今日はってまた来るつもりか?」
「そうだよ?」
なぜそんなことを聞くのかと不思議そうな顔でこちらを見つめてきた
「次はギター持って来ようかな~ あ、でもアンプがないか…」
「……」
「ところでキミの根前は?」
「……なんでそんなことを聞く?」
普通じゃない女だ到底自分には理解できない理由かもしれないけどなぜか聞きたくなった
「だって キミと友達になりたいから」
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「言っておくが俺はお前とは友達になる気はない」
「それでも 私は聞きたいかな」
「…大倉龍弥だ」
そう答えたら彼女は満面の笑みで答えた
「……雅」
「…」
「それが私の名前だよ」
そう告げて彼女は劇場を後にした




