素直に好きと言ったもの勝ち 断罪された公爵令嬢を拾った辺境伯は恋に落ちる
「辺境領は、流刑地ではないのだが」
普段交流のない王子から手紙が届いたと思えば、王都で罪を犯した令嬢を送るからと、辺境領の修道院で監視と管理を命じるという内容だった。
一方的な文面には不愉快しか感じず、無意識に手紙を持つ手に力が入る。
王家の紋章が透かしに入った紙が軽い音を立てて歪むが、国王の玉璽があるならまだしも、第一王子のサインしか入れられていないのだ。
勅書のように大事に取り扱う必要はない。
とはいえ、王子の独断の証拠だと、すぐに冷静さを取り戻したラルフは息を吐いた。
「しかし、第一王子は何をやったんだ……?」
ラルフの父は、前国王とは兄弟の関係だ。
現国王と父は叔父と甥の関係にあたるが、仲が良い。
公的な場では臣下の立場を崩さないが、王都に向かう用事がある度に、子供であるラルフ達も共に呼ばれる程に親しくしていた。
辺境伯の第三子であるラルフも、八歳下の第一王子と親戚として何度も顔を合わせてきたが、やんちゃな兄二人に揉まれてきたラルフと、王室で大事に傅かれ、箱入りのように過ごしてきた第一王子とはあまり性格があわず、父と現国王程のような仲の良さは築けていなかった。
仲が良い父親達も、相性はあるから仕方が無いと思っているようで、そのことで特段何か言われたこともない。
その王子も、もう十八。先日、学園の卒業式があったと聞いている。
「ジョセフ、何か知っているか?」
ジョセフは今は側近をしているが、伯爵家の三男で、学園時代の悪友でもある。
彼は王宮の文官を目指していたところを、ラルフの必死の勧誘で辺境に来てもらった。
大らかな両親の育児方針に従い自由奔放に育った兄二人が家督を放りだしたために、ラルフは在学中に将来爵位を継ぐことが決まり、慌てて引き抜いたのだ。
ちなみに、両親は引退しているが元気ではいるし、領政は手伝ってくれる。
しかし、領主の仕事の一つでもある魔獣の討伐では、領主も前線に向かう必要があり、六十に片足をかけた体では流石に厳しいとラルフに領主の任を譲っていた。
手紙を見せつつ尋ねると、ジョセフはうわっという顔をしながらも口を開く。
「噂くらいしか知らないな。ラルフも聞いたことはあるだろう」
「うわさ……? ああ、あれか」
「そう、アレ」
二人きりなので、ジョセフも学生時代そのままの気楽な口調だ。
人前では口調を改めるし、友人に常に畏まられたくないと、頼んでそうしてもらっている。
ジョセフの言葉に、そういえばと耳にしたことがある噂を思い出す。
――第一王子が、学園で婚約者を蔑ろにして、男爵家の令嬢を寵愛している。
――婚約者の公爵令嬢は、身分を笠に着て、王子の寵愛を受ける男爵令嬢を苛烈なまでにいじめぬき王子の不興を買っている。
――公爵令嬢の性格の苛烈さに耐えかねた第一王子が、学園の卒業式で断罪して婚約破棄を行った。
辺境にいてさえ届いていた不穏な噂の数々は、誰かの悪意によるものだろうと気に留めることすらなかった。
隣国とも、魔獣の森とも境界を接する辺境において、貴族の通う学園の噂の真偽を確かめるなど、余程の暇がなければしようとも思わない。
王子の元婚約者の公爵令嬢と直接顔を合わせたことはないものの、婚約者教育を行っていた教育係達からの評価がよいと父を経由で耳にしていたのだ。
だから、公爵令嬢をことさら貶めるような噂は、はなから信じていなかった。
「公爵令嬢を貶めていたものがやけに多かったな」
「ご令嬢を邪魔に思った誰かがいたんだろうよ」
王族やその婚約者が学園に入ると騒がれるものだし、学園生活で少々羽目を外すくらい誰にでもあるだろう。
大人がしっかり見ているだろうし、親兄弟でもないラルフが気にする必要も無いと思っていたが、もう少し真面目に向き合うべきものだったらしい。
「面倒なことになりそうだ」
思わずそんな言葉がこぼれる。
王子の断罪などどうでもいいが、領地に送られてくるのは第一王子と同じ八歳年下のまだ学園を卒業したばかりのご令嬢だ。
国外追放としなかったのは、隣国に公爵令嬢の親族がおり、そちらからの苦情を恐れたのだろうか。
ご令嬢を勝手に辺境領へと追放されたバルチェル公爵の怒りを想像すると目眩がしてくる。
早く保護して、公爵には連絡を差し上げるべきだろう。
「バルチェル公爵家のご令嬢は、既に領内にいるのか」
「ご令嬢がいらしたという話は聞いていないが……、調べた方がいいのか」
「急いでほしい」
王都と辺境領は、馬車で十日の距離がある。
手紙よりも早く着いていたなんてことはないだろうが、領内で怪我でもされたら大事になるとジョセフを急かした。
バルチェル公爵令嬢らしきご令嬢が見つかったのは、手紙を受け取ってから五日も過ぎた後のことだった。
辺境伯領には、貴人を預かるような規模の修道院は一ヶ所だけしかない。
当然そこに送られるだろうと思っていたが、そちらに令嬢の姿はなく、あろうことか魔獣の森に近いひなびた村の教会に置きざりにされていた。
「申し訳ありません。修道院を探したのですが、修道院からは公爵令嬢など保護していないと言われ……見つけるのに時間がかかりました」
「全て、ご令嬢を保護してからだ」
対外モードで頭を下げるジョセフに、首を振る。
彼らが手を抜いたわけではないと知っているが、これは辺境伯領内だけの問題ではない。
令嬢に何かあれば、領内の監督不行き届きとしてラルフが責任を果たすべき問題にも発展する。
引退した父親にも報告はしており、既に王家の様子を探ってもらっていた。
だが、現在国王は隣国との会談で出かけており、その隙を突いての行動だということしかわかっていない。
「ご令嬢はどうしている。修道院に入りたくないのなら、こちらで保護することもできると伝えたのだろう」
「それが、村から出たくないと。迷惑をかけないようにするから、どうか放っておいてほしいとおっしゃって、その村から動こうとなさいません」
「放置など、できるわけないだろうに」
魔獣の森の側は、人が暮らせるほどに開けているとはいっても、奥の方から強い個体が出てくることもある。
その村も対策をこうじているだろうが、だからといっていつも全員が無事とは限らない。
己を捨てた第一王子への当てつけか、王家と血縁があり親しくしている辺境伯領の世話になりたくないのか、どちらかだと思うが、放置できる問題ではない。
「ご令嬢のいる村まではどのくらいだ」
「馬車で二日。馬なら、一日もあれば」
「わかった。なら、すぐに向かおう。ジョセフ、馬の用意を」
「ラルフ様!?」
驚いた顔を見せるジョセフに考えていなかったのかと首を傾げる。
「お前達では公爵家のご令嬢に無理強いはできないだろう。私が出るしかないと思うが」
「せめて、明日の朝のご出発を。今からでは途中で夜を明かすことになります。ご令嬢には護衛もつけておりますし……」
「それくらい構わん。それに、少し興味が出た」
辺境に送られ泣き暮らすだけの者なら、ラルフが保護するという言葉に素直に頷くだろう。
それを、辺鄙な村から出たくないなどと言うなんて。
(何を考えているんだ……?)
強い興味に突き動かされ、ラルフは馬を走らせていた。
その村に辿り着いたのは翌日の昼前のことだった。
村の周囲は丸太を縦に立てた柵で囲まれ、見た目に変わったところはない。
公爵令嬢が好んで残りたがるような場所には見えなかった。
一緒に来た従者に馬の世話を任せ、ジョセフと村の中に向かう。
無理をさせた従者には、世話が終われば休息を取るように言っていた。
教会に向かうと、扉越しに、穏やかで、どこか安心感を与えるような、柔らかな声が聞こえてくる。
ラルフの姿を見て、教会の扉の前に立つ護衛が頭を下げる。
急ぎ派遣した者達だったが、しっかり仕事をしてくれていたようだ。
邪魔をしないようにそっと扉を開けると、五、六人の子達囲まれて本を読み聞かせる若い女性がいた。
村人と同じような衣服をまとっているが、窓から差し込む日の光にきらめくような金色の髪に、知性を宿した翠玉の瞳は、声と同じ温もりをたたえて子供達を見つめていた。
子供達は後ろ姿しか見えないが、真剣に彼女の話を聞いているようだ。
(まるで、天の御使いが舞い降りたかのような……)
一瞬見とれていた自分に気が付き、ラルフは小さく息を呑む。
(私は、何を馬鹿なことを……)
動揺を抑えつつ、彼女の邪魔をしないよう気配を殺した。
子供達の興味を惹くためだろう。
彼女の語り口は抑揚を付け、感情を乗せている。
読んでいるのは、この国の建国神話を絵本にアレンジしたものだが、気が付くとラルフは聞き入っていた。
途中、教会の主であろう老牧師がやってきていたようだが、そのことにすら気が付かなかった。
令嬢が読み聞かせを終えたところで、牧師からは奥の部屋へと案内を受けたが、断って最後まで見守らせてもらう。
子供達を帰らせたところで、ようやく挨拶を交わした。
「この辺境伯領の領主をしているラルフだ」
「領主様自らお越しに……。私はこの村の牧師をしておりますビリーでございます」
「ビリー様に保護していただきました、バルチェル公爵家のブリジットと申します」
挨拶を行うと、ラルフは率直に要件を切り出した。
「それで、私が来た要件について、お二人はおわかりだと思うが」
「っ、ご迷惑を……。牧師様は関係ありません。私が、留まりたいと願ったのです」
「それが難しいというのは、貴女にも理解できるはずだ」
牧師は、その教義により、保護を求められれば、誰であれ受け入れる。
だから、視線を公爵令嬢に向けて言うと、はっとしたように頭を下げた。
その様子を見つめ、ラルフは自身の至らなさを噛みしめる。
卒業式という祝いの場で、よりにもよって最高位である王族に傷つけられた少女に、どうしてこのような物言いしかできないのか。
自身の不器用さに、奥歯を噛む。
だが、彼女がどういう理由でこの村への滞在を願おうと、いつ偶発的な事故が起きるかわからないこの地には置いておけない。
「バルチェル公爵令嬢が悪いとは思っていない。ただ、私の立場では貴女をここに放置できないのだ。貴女に万が一のことがないよう取り計らうためにも、我が屋敷に招待したい」
「……謹んで承ります」
そもそも、公爵令嬢がこんな場所に来ることになったことが、間違っている。
だが王子が悪いのだと直接言えば王族批判になってしまうし、余計な言葉は必要ないと、最低限の言葉で言うとさらに威圧的になってしまった。
辺境伯家が王家と親戚関係にあることは知っているだろうし、辺境伯であるラルフが直接迎えに来たからには、公爵令嬢でしかないブリジットに断ることはできないとわかっているのか、ブリジットは諦めたように頷いた。
「ビリー。公爵令嬢の保護、感謝する」
「いえ。私は神のお導きに従ったまでです」
後日、この村と教会に付け届けを忘れないようにと思いながら、これからの予定を告げる。
「馬車の手配をしている。明日、朝一番に出発の予定だ」
「かしこまりました」
馬車は近隣の町で手配した。
今日中にこの村に到着するはずだが、それから出発するとすぐに夜になってしまう。
「公爵令嬢。つらい境遇ながらも、我が領の子供達を気に掛けてくれたこと、礼を言う。護衛は付けたままにしておくので、出立まで心残りのないように過ごされよ」
驚いたようにエメラルドの瞳が見開き、少し表情を引き出せたことに満足して、教会を後にした。
その後、ブリジットは牧師と話した後、子供達にそれぞれ別れを告げに家々を回ったようだ。
短い間ながら、彼女の存在は村人達に好意的に受け入れられていたようで、彼女を遠い場所へ連れて行くラルフに時々恨めしげな視線が向くのに苦笑が零れる。
「だいぶ好かれているみたいだな」
「そうですね」
ジョセフはラルフを見て微笑ましげに頷いている。
護衛はつけているが、完全に目を離すことはできず、遠くから見守った。
領都までは、馬車に乗るのはブリジットのみ。
ラルフ自身は馬で来ていることもあるし、知らない男と長時間密室で過ごすのは負担が大きいだろうと思ってのことだった。
領都についた翌日の昼、ブリジットと面会の時間をとった。
「ゆっくり休めただろうか?」
「おかげさまでつつがなく過ごせております。私のために色々と手配してくださったと伺いました。ありがとうございます」
公爵令嬢を保護するからと、迎えに行っている間に侍女達に細々としたものを急ぎ揃えてもらっていた。
「すまないが、女性物には疎くてな。どれも間に合わせのものだ。まだ足りない物も多いだろう。体調に問題ないようなら、明日にでも商人を呼ぶから、必要な物はそこで揃えてほしい」
「感謝いたします。……あの、どうして、私を保護してくださったのですか?」
ブリジットからは心底不思議という雰囲気が滲んでいる。
警戒心が少し緩んだ翠緑の瞳に、少しは心を許してくれたのかと少しだけ砕けた調子で答えることにした。
「公爵家のご令嬢を魔の森の側にある村に放置はできないだろう。常識的に考えて」
そんなこと言われると思っていなかったのか、しきりと目を瞬かせる姿に笑みが零れた。
「ここは辺境。王都の噂は届いているが、噂に踊らされる者ばかりではない。そうだ。修道院ではなく、何故あの村にいたか、聞いて良いか」
尋ねたものの、別の者に王都の事情も探らせているので、答えが得られなくても構わなかった。
ブリジットは言いにくそうに口を開く。
「修道院に断られたのです」
「どうして?」
「それが……。最初は、修道院に連れて行かれたのですが、事前に連絡もなく、支度金もないのに、受け入れることができないと言われました。ならばと近くの村の教会にと、あの村に置いていかれました」
馬鹿かと口に出そうになり、慌てて飲み込む。
もちろん、ブリジットを修道院に放り込もうとした第一王子に向けてのものだ。
辺境領唯一の修道院は、俗世を離れたい貴族のためのものだ。
俗世との関わりを絶ち、しかし、それなりの暮らしを維持したいという金持ちのための場所だから事前に申請と、それなりの額の寄付金が必要だった。
断罪したとはいえ、令嬢を送るのならばそれなりに準備をしていると思っていたが――。
(随分と、無能に育ったようだ)
王家の王子達とは顔を合わせることはあれど、個人的に話をすることはほとんどない。
第一王子と不仲なため、弟王子達とも交流はなかった。
しかし、第一王子がこれほどに無能ならば、弟王子達も似たようなものかもしれない。
今後のことを考えておいたがいいかもしれないと、思わずこの国の未来に思いを馳せ、ブリジットに視線を向ける。
「……大変だっただろう」
「いえ……、最初はどうなるかと怖かったですが、村の皆様は親切でしたし、悪いことばかりではありませんでしたから」
見かけによらず気丈な様子に、このご令嬢も苦労していたのだろうと息を吐く。
「村を出たくなかった理由はなんだったのだろうか」
「……本当に、お迎えを信じていいのか判断できませんでした。あの時は運良く、優しい方の多い村に置き去りにされましたが、そのような幸運が続くとも思えませんでしたし。今度は、どうなるかと思うと怖くて……」
「……そうだろうな。気が付かず、申し訳なかった」
「いえ、私の方こそ。ただ捨て置いてくださればと思っていたのに、結果的に辺境伯様に足を運ばせることとなり、お手数をおかけしました」
「あなたの気にすることではない」
そう言うと、ブリジットは驚いた顔をしている。
確かに、無理矢理に元婚約者に馬車に乗せられ、あのような場所に置き去りにされたばかりだ。
王家とも関わりがある辺境伯からの申し出を彼女が信じることができなかったのも理解できる。
配慮が足りなかったのはこちらの方だった。
その顔を見つつ、伝えておこうと思ったことを口にする。
「この屋敷の敷地の中であれば、自由に過ごしてもらって問題ない。だが、外出は警備の観点から控えてもらいたい。ちなみに、バルチェル公爵には、ご令嬢を保護したと連絡をしている。今は返事を待っているところだ」
「父にも連絡をしていただいたのですね。感謝申し上げます」
ブリジットは覚悟を決めたようにラルフを見つめる。
「あの、辺境伯様は、私に対して、何かご命令を受けておられるのではないのですか?」
「私に命じることができるのは、国王陛下だけだ。そして、勅書は届いていない」
第一王子から何を言われてもラルフの庇護が変わることはないとブリジットには伝わったようだった。
なのに、何故か申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「……私は、学園の卒業式で犯罪者扱いでした。後から、辺境伯様の不利益になるかもしれません」
「心配は嬉しいが、学園を卒業したばかりのご令嬢を噂で判断して断罪するほど、私は落ちぶれていない。だから、何も気にすることはない」
「あっ、失礼なことを、申し訳ありません」
「いい。すぐには信用できないだろうしな」
馬鹿王子と一緒にするなと言うと、すぐに謝罪された。
年若い令嬢を怯えさせるような言い方しかできない自分に呆れながら、今度こそ安心させようと意識して微笑む。
「個人的な感想だが、少し話しただけで、ご令嬢は噂とはかけ離れた方だと思った。村で子供達に接する様子を見て、尚更噂を信じられなくなった。だから、まぁ、ひとまずここでの暮らしは休暇だと思って気楽に過ごすといい」
「……お世話になります」
本音をにじませると、ブリジットからは肩の力が抜ける。
その素直さを好ましく感じながら、ラルフはブリジットに部屋に戻るよう促した。
心配していたが、ブリジットは割合い気兼ねなく過ごしているようだ。
自ら招いたのだ。放置はよくないだろうと、お茶の時間と夕飯の時間を過ごすようにし、毎日顔を合わせているが日々健やかさを取り戻していく様子にほっとする。
それに、ブリジットと話すのは、ラルフにとっても気分転換となった。
彼女と話をする時間を取れるようにと、執務により集中するようになった。
今までも無駄に時間をかけていたつもりはなかったが、それでも日が暮れても執務室に残らねばならないほどの書類が残る日は確実に減っている。
その日、執務室にやってきたジョセフが、珍しくじっとラルフを見たかと思うとからかいの表情を浮かべて言う。
「最近浮かれてるよな」
「気のせいだろう」
ジョセフは「本当か?」と言いたげな様子だが、ラルフとしても自覚はある分、認めるわけにはいけなかった。
「そういえば、辺境伯家は自由恋愛推奨だったか」
「父にそういう意図はなかったらしいが、結果的にはそうなっているな」
ラルフには年の離れた兄が二人いるが、結局どちらも恋愛結婚だ。
跡取りとして育てられていた上の兄は、候爵家の一人娘に惚れて婿入りしていき、次兄は留学先で公女と結婚し、こちらも婿入りとなった。
だから三男であるラルフに領主が回ってきたのだが、政略結婚は組まれていない。
一応、何度かお見合いはしたが、婚約までは進まなかった。
在学中に爵位を継ぐことが決まり、女学生達の手のひら返しの対応を目の前で見せられて、そういったことに興味を無くした。
不意に、ジョセフが真面目な顔をして手にしていた書類を差しだした。
「ラルフ様。こちら、調べさせていた、王都の調査書です」
「確認しておこう」
手にしたそれは、ずしりとしていて、それなりの量があるようだった。
先にバルチェル公爵家からはブリジットの保護をしばらくお願いするという手紙を受け取っており、その際に、事情も書き連ねてあったから、概要は当初よりも把握している。
ただ、そこには公爵家の思惑も入っているだろうし、辺境伯家での調査も継続していた。
父から続報が届いたが、陛下と王妃は第一王子を処罰し、公爵令嬢に謝罪をと考えているようだ。
この資料で、後どれくらいの間、ブリジットを預かるのかが見えてくるだろう。
(公爵も、王都が静かになればご息女を手元に戻し、新たな婚約を整えられるだろうしな)
公爵が辺境伯領にブリジットを留めたままにしているのは、その方が噂から遠ざけられ彼女を守るのに丁度良いということと、瑕疵のない娘を辺境に追いやるなんてと王家に圧を掛けられるからだろう。
一方的にこちらを利用されているようではあるが、だからといってラルフも、今の状況でブリジットを王都へと送り返す気にはならないので、そこは構わなかった。
(戻すなら、全て落ち着き、汚名が晴れてからだ)
ぱらぱらと調査書をめくると、ブリジット自身の調査書と共に、王子とブリジットの婚約当初からの資料がまとめられている。
「よく調べたな」
「必要になりそうだと思いましたので」
どういう意味だと問いただそうとしたところで、庭の方からここ数日ですっかりと馴染んだ人の気配を感じた。
立ち上がり、窓辺に向かうと、ブリジットが庭で侍女と花を摘んでいる。
庭師もついているが、好んで自ら枝を切っているようだ。
公爵家のご令嬢ともあれば、庭師に命じればすぐに好きな花で花束くらいは作れるだろうに。
(そういえば、あの村でも子供達との触れ合いを嫌がる様子はなかったな)
自ら動くことを厭わないのだろう。
庭師にどう花を切るといいか聞いている姿が、なんだか眩しい。
そんなことを思いながら眺めていると、不意に背後から声が聞こえた。
「いつ頃ご婚約をお考えですか?」
「婚約も何も、そんな話は考えていない。気のせいだと言っただろう」
「……本気の本気ですか? バルチェル公爵がご息女をこちらに置いたままにされているのは、そういったことをお考えだからでしょう。障害は何もないはずです」
「彼女に悪いだろう。私のような年上の者など……。釣り合う者はもっといる。それに、彼女の方も私などにそのように見られるのは、不快かもしれん」
「は? 本気で言っておられます? もっと年の差があるご夫妻などいくらでもいらっしゃるでしょう」
目を丸くしたまま言葉を無くすジョセフに、溜息交じりに本音を零す。
「……本気だが、悪いか」
そう答えると、ジョセフが残念な者を見るかのような目でラルフを見て、深い息を吐いた。
「おい、なんでお前が溜息を吐く」
「いや、上司……、親友が初恋をこんなにこじらせるとは思わなかったもので」
「初恋も何も……」
違う、という言葉は、言えなかった。
信じられないという表情をしたままジョセフが言う。
「なんで口説かれないのか、本当に意味が分かりません。側で見ていて、脈もあると思いますが」
「それを信じて、彼女に嫌われたら立ち直れん」
「末期じゃないですか」
(それに、彼女には、私などよりもっといい人がいる)
身分違いの恋に迷った王子に婚約を解消されたことなど、瑕疵にはならない。
きっと求婚者が列を作る。
そこに、ラルフ自身が加わるつもりはないというだけで。
(幸せな姿を祈るくらいが、私に許されるせいぜいだ)
生まれた時から跡取りとして育てられた者達と違い、ラルフのそれは付け焼き刃だ。
領主になると決まってからも、なった後も必死で学んでいるが、社交は得意でない。
王族の親戚、そして父と国王が親しいということで、下駄を履かせてもらっているようなものだ。
つまりは、社交界で妻になる女性には苦労させることになる。
折角、自由になったのだ。
ラルフの側で苦労をさせたいとは思えなかった。
窓際から離れ、手にしたままの資料をめくると、最後に第一王子にくだされた沙汰が見えた。
――王位継承権及び王族籍の剥奪。断種のち、男爵令嬢と婚姻後、僻地開拓。
開拓で功績を挙げることができれば、男爵位くらいはいずれ与えられるかもしれない。
王子の行く末に興味は無かったが、書類に並ぶ文字に、もうすぐ別れの時が迫っていると言われた気がした。
招かれざる客の訪問を知らされたのは、午後のお茶の時間を終え、一日分の仕事の片付けをしている時だった。
「旦那様。第一王子殿下が来られております」
「なに? 先触れが届いたのか?」
執事が言うことの意味がわからず聞き返す。
「いえ、既にご到着され、現在、バルチェル公爵令嬢がご対応を。丁度、お庭の散策から帰ってこられるところで出会われてしまったと」
「なっ、それをすぐに言え」
執事から第一王子の訪問をが聞かされ、ラルフは玄関ホールまで急いだ。
ホールに近づくにつれ、第一王子の甲高い声がキャンキャン響いてくる。
「――なぜ言うことを聞けない! 早く王都へ戻るぞ!」
「ですから、お断りしますと申しております」
「なっ……。許してやると言っているのに、何が気に食わない! 王都に戻り婚約をやり直せば、お前も王妃に戻れるのだぞ」
「望んでおりません。お一人でお帰りください」
「なっ! 辺境領での暮らしがそんなに気に入ったのか。何もない田舎だろう? 王都の暮らしが恋しいはずだ」
「こちらに私を追い立てたのは殿下ではないですか。それに、この地を悪く言うのはやめてください! 優しい方ばかりの、よい場所です!」
それまで、冷静だったブリジットの声に感情が交ざる。
ラルフが気が付いたのだ。王子にも気が付いたのだろう。
「ふぅん、お前が声を荒げるとは珍しい……。もしや辺境伯にでも惚れたか?」
「なっ――、……今は私のことなど関係ありません!」
「まぁ、どちらでもいい。 命令だ。一緒に戻ってもらうぞ!」
「嫌です! 私は、あなたと共には戻りません!」
第一王子はブリジットに夢中で、近寄るラルフの存在に気が付かないようだった。
好都合だと、ホールの中にいる王子の元へと一気に距離を詰め、ブリジットに向かって伸ばした王子の手をひねり上げる。
「私の客人に、無礼な真似をするのはやめてもらおう」
「いっ――、痛い、やめろ! 私が誰か知っての狼藉か! 離せ!」
ブリジットへの視線を遮る位置に体を滑り込ませ、第一王子を見下ろした。
腕は掴んだままだ。
なんとか拘束をはずそうともがいているが、大事に守られ自ら戦いの場に立つことが無かった王子には難しいようだ。
王子は辺境までの旅程で自慢の容姿も薄汚れており、本人がまだ身に付ける王族の紋章入りの服がなければ屋敷に入ることすらできなかっただろう。
どうもがいても拘束が緩まないと知ったのか、王子がラルフを睨み付ける。
「このようなことをして、許されると思うなよ」
「廃嫡され、王族籍からも外された王子に何ができると?」
「なっ、どうしてそれを――」
「こちらに知らせが来る前に動こうと思ったのか。だが、遅かったようだな」
既に、ラルフと王子を囲むように、部下の騎士達が包囲していた。
ブリジットは侍女の手により、この場から安全な場所へと移動したようだ。
姿が見えないことを確認して、騎士に王子の拘束を指示する。
「王都から迎えが来るまで、地下牢に」
「なっ、私をそのような場所にいれるなど――」
「平民が領主の館に押し入り、私の客人に危害を加えようとしたのだ。その無礼をこの場で処断しなかったことを感謝しろ」
王族の着る服を身に付けているのだから、まだ完全に王族から除籍されたわけではないのだろう。
それでも、平民になることは決まっているし、処罰が与えられる前に逃げたのならば、いずれにしても罪人だ。
ブリジットを連れ去ろうとしていたことが腹立たしかったというのもある。
王子が騎士に運ばれていくのを見送り、ブリジットの安全を再度確認すると、後始末に奔走した。
翌日、ブリジットに経緯を教えるために時間を取った。
「昨日は危険な目に遭わせて申し訳なかった」
「いえ。侍女は私が直接対応する必要はないと止めてくださっていました。すぐに逃げるようにとも言ってくれたのですが、私を見て騒ぐ声があまりに響くものですから、話をしてみようと思ったのです」
「そうだったか。だが、極力、危ないことはしないでほしい」
「できるだけ、気を付けます」
ブリジットはしおらしく頭を下げているが、「もうしない」という返事ではなかったことが引っかかる。
どうしたものかと思いながら、王子の処遇を伝える。
「王子の迎えは近くまで来ているらしい。脱走を知って、すぐに追いかけたそうだ。明日にでも彼は王都へ送り帰されるだろう」
「そうですか……」
「長く婚約をしていたのだろう。もし言っておきたいことがあるなら、私が立ち会いの上でなら面会の時間を取ることもできる」
ブリジットは少し考えて首を振る。
「いいえ。薄情と思われるかもしれませんが、昨日の会話で十分です。婚約者だった時も、二人で会ってもいつも不機嫌そうで、個人的な会話を交わすことも、ほぼありませんでしたから……。昨日は、あの方の鬼気迫る様子に、何か変わられたのかと思って、話をしてみようと思っただけだったので……」
「それは……」
「婚約者と支え合う関係を築けなかったことに、私にも落ち度はあります。ですが、殿下も、私にそれをお望みでなかった。どうしたらよかったのか、今でもわかりません」
政略の色が強い婚約だと聞いていたし、交流も乏しかったと調査書も読んでいたが、それ程までに冷めた関係だったと聞いて少々驚く。
ジョセフの調査書にも不仲とは書かれていたが、ここまでとは思っていなかったのだ。
「私達のことに、辺境伯様を巻き込んでしまい申し訳ありません」
「あなたが気にすることではない」
「寛大なお言葉、感謝いたします」
目礼の後、ブリジットが不安げに口を開く。
「……もうすぐ、私も戻らねばならないのでしょうか」
「まだ、公爵から何も連絡は来ていない」
「ずっと、こちらに置いていただくわけには参りませんか?」
「もちろん可能だが、客人としてという意味だろうか?」
「いいえ。許されるならば、辺境伯様のお側に置いてほしいのです」
澄んだエメラルド色の瞳が真っ直ぐにラルフを見つめている。
不意に、昨日、王子にラルフへの好意を当てこすられても、ブリジットが否定しなかったことが思い出された。
「……王都に戻られた後のことを心配なさっているのなら、きっと大丈夫だと思いますよ。バルチェル公爵家のご威光は王家に次ぐでしょう。殿下が罰を受けられたと知って、公爵令嬢を悪く言う者はおりますまい」
「そのような心配はしていません! 私が、こちらに――辺境伯様のお側にいたいのです」
「何か、誤解をしておられますね」
「いいえ。私は二度も助けていただきました。それに、誠実で、領主として慕われる優しい方です」
「あなたを助けたのは、当然のことです」
「迎えに来ていただいた村で、おっしゃったお言葉が、嬉しかったのです。私は、せめてお世話になったお礼をと思って、子供達を集めて本を読み聞かせていただけなのに、それを感謝すると言ってくださったこと。子供達にお別れを言う時間も作ってくださって、優しい方だと思いました」
他意無く言った言葉を、そのように思われているなど、ラルフの方こそ驚きだった。
「……私の方こそ、あの時、幼い子達に本を読み聞かせるご令嬢のお姿に目を奪われましたよ」
「どうしてでしょう? 特別なことは、なかったと思いますが……」
不思議そうに首を傾けるブリジットに、ラルフは首を振る。
「通常ならば、そうかもしれません。ですが、あの時、ご令嬢は知らない土地に放りだされ、不安だったはずだ。なのに、自らの身に起こったことを嘆くでもなく、前を向いて進もうとする強さを感じました」
ラルフは、言葉を切って尋ねる。
「あなたの幸せを、この地で祈ることが正解だと思っていました。王都に戻れば、新しい出会いもあるかもしれません。あなたに尋ねるのは、これで最後にします。本当に、後悔はなさいませんか……?」
「出会うかもしれない方との将来など知りません。私は、辺境伯様の隣にいたいです。王都に戻れと言われるならば、一度はそういたしましょう。ですが、すぐにこちらに帰って参りますから」
「そこまでの覚悟なのですね。でしたら、私も遠慮はしない」
立ち上がってブリジットの側に行き、ラルフはその場で跪く。
ブリジットは、驚いたようにラルフを見つめている。
「苦難にあっても前を向くあなたの輝きに惹かれていた。後悔はさせない。私の全てを貴女に捧げる。代わりに、どうか、あなたを一番近くで守らせてほしい」
そっとブリジットの手を取り、その甲に唇を落とした。
ブリジットは、真っ赤になって固まっている。
「あの教会で目にした時から、私はあなたに恋していました」
ずるいという微かな声が聞こえたが、ラルフはただ笑みを深くし、ブリジットの答えを待つのだった。
最後までお読みくださりありがとうございました。
以下、宣伝です。
今年の冬にアンソロジーに収録された「籠の鳥は首枷の鬼神に愛を誓う」(電子のみ)が単話配信されます。
シーモア様では先行配信中で、他書店様でも9/10から公開が始まります。
ご興味のある方、読みにきてくださると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
試し読み → https://x.com/sorayo_i0415/status/1954351445173780502