取り違えた価値
私たちはヘーゲル公爵家で何が起きたのかを、断片的に知らされることになりました。
直接その場に居合わせたわけではないにも関わらず、伝え聞く話だけでも情景がありありと浮かんできます。
それほどまでに、イライザ嬢の振る舞いは、彼女ならやりかねないと思わせるものでした。
公爵夫人は、突然訪れたイライザ嬢に、わざわざ直接お会いになったそうです。
通常、身分不相応な来訪であれば、使用人が代理で応対するだけで済ませます。
それにもかかわらず、応接間に通され、上質な紅茶を出され、夫人自らにこやかに出迎えてくださった。
それがイライザ嬢に「可能性がある」と受け取られてしまったのかもしれません。
使者は、そう語っていました。
「公爵夫人。本日はお時間をいただき、ありがとうございます。」
イライザ嬢は、やや大袈裟に深々と一礼したそうです。
その間にも、視線は部屋の調度や使用人の動きを値踏みするように巡っていたとか。
「まあ、ご丁寧に。エーデルシュタイン子爵家のお嬢さんでしたわね。」
夫人は名前を呼ばれませんでした。
それが、すでに一つの答えであったにも関わらず。
「はい。……実は、ぜひ公爵夫人にご提案したいことがありまして。」
紅茶に口もつけぬまま、イライザ嬢は切り出しました。
「公爵夫人は、リリアーナお姉様の事をとても可愛がっておられると聞きました。
『息子しかいないから、実の娘のよう』と。」
「ええ。確かに申しましたわ。」
夫人は静かに頷かれたそうです。
「でしたら、わたくしが、公爵夫人の娘になって差し上げたいのです。」
この時ばかりは一瞬、室内の時間が止まったようだった、と使者は言っていました。
あまりに自然に、あまりに疑いなく。
まるで当然の選択肢であるかのような顔で、イライザ嬢は言い切ったのです。
ヘーゲル公爵夫人は、驚いた様子も、怒った様子も見せられませんでした。
ただ、ほんのわずかに、視線を細められただけ。
「なるほど。では……あなたは我が家に何をもたらせるの?」
「え……?」
「貴族の縁組というのは契約です。
公爵家に利をもたらす存在なら、養女を取ることも吝かでないわ。」
優しい声音でしたが、そこには一切の甘さがありませんでした。
イライザ嬢は少し考えたあと、堂々と言い放ったそうです。
「わたくしは、リリアーナお姉様が王子妃になったら、代わりに侯爵家の養女に迎えられるはずだった存在です。
ですから、公爵令嬢としても十分ふさわしいかと存じます。」
多分に幻想を含んだ言葉でしたが、彼女なりに、自分の価値を示したつもりだったのでしょう。
ですが、それはあくまで“侯爵の姪”という立場があってこそのもの。
その価値は……すでに暴落していました。
ヘーゲル公爵夫人は、はっきりと微笑まれたそうです。
それは、拒絶の微笑でした。
「でも今、貴女のお家とエーデルシュタイン侯爵家は断絶しているでしょう?
その威光は、もう使えなくてよ。」
穏やかな口調でしたが、容赦なく核心を射抜く言葉でした。
「それで、貴女自身は、何ができるの?」
「わたくしは……」
今度こそ、イライザ嬢は言葉に詰まりました。
それも、無理はありません。
学業は平凡。
社交の実績は乏しく。
政治的な利点はむしろマイナス。
容姿だって……
どれ一つ、リリアーナお嬢様の足元にも及ばないのです。
「それが示せなければ、娘として迎えることはできませんわ。」
「……でも、お姉様ばかり……!」
思わず漏れたその叫びに、夫人の視線が、初めて冷たくなったといいます。
「リリアーナは貴女の姉ではないの。
それすら理解できないなら、公爵令嬢は務まらないわ。お家へ帰りなさい。」
それ以上、話すことはない。
そう告げるように、夫人は静かに立ち上がられ、部屋を後にされたそうです。
残されたイライザ嬢は憮然とした様子で屋敷を出て行ったと聞きました。
この話を受けて、エーデルシュタイン侯爵家では判断を早めました。
これ以上問題を起こされてはたまらない。
身柄を引き受け、即座に修道院へ送る。
そう決めて、子爵家へ連絡を入れたのですが、思いもよらぬ返答が返ってきたのです。
イライザ嬢は帰ってきていない、と。
ヘーゲル公爵家を辞したのを最後に、消息が途絶えているのです。
誰と会ったのか。
どこへ向かったのか。
何を考えていたのか。
──何一つ、分からないまま。




