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闇の本体

「学園では毎日会っていたのに、なんだか久しぶりに感じるね、リリィ。」


 夏休みに入ってしばらくしたある日、エーデルシュタイン侯爵邸の客間にユリウス様が訪ねてこられました。

 窓から射し込む陽光は眩しく、庭の噴水の音が涼やかに響いています。

 入学以来、慌ただしい日々を過ごしていたリリアーナお嬢様にとって、婚約者とこうして過ごす時間は非常に懐かしいものでした。


 穏やかな空気が流れるお2人の間でも、今日ばかりは避けて通れぬ話題があります。

 王家からの、あの“打診”の件です。


「……とうとう、闇の本体が姿を現したね。君が依代にされなくてよかった。」


「ええ、本当に。危ういところだったわ。まさかジークお兄様も狙われていたなんて思わなかったけれど。」


 お二人が話す“闇の本体”とは、きっと“王家”そのもの。

 ヘーゲル家と王家との確執を聞かされた時、お嬢様は小刻みに震えておられました。

 忠義を都合よく使い潰し、感謝も報いもしない王と王妃。

 お嬢様が幼い頃より抱いていた、王族に対する淡い憧れの気持ちは、あの時完全に砕け散ったのでしょう。


「母上は激怒していたよ。十年前の繰り返しだからね。

『献身に感謝もない者を、これ以上調子づかせてはならない』だって。」


 十年前、王太子殿下が見つけた“真実の愛”は美談として語られ、背後にあった婚約破棄やそれに伴う犠牲に世間の目が向く事はありませんでした。

 それはヘーゲル公爵家をはじめとする関係者の誰もが、王家の面子を守るため、痛みに耐え、徹底して沈黙を守っていたからに他なりません。

 当時幼かった三男のユリウス様にすら、長男の婚約者変更を勘付かせなかった程です。



 しかし、今回は違います。


 王家の軽率な打診の話は、たちまち貴族社会に広まりました。

 そして同時に、十年前の“真実の愛”の裏事情も人々の噂にのぼるようになりました。

 ヘーゲル公爵夫人の怒りが、長く封じられていた真実を解き放ったのです。


「王都を覆っていた幻惑が、ついに解けたのね。」


「ああ。真実を知れば、もう誰も踊らされないよ。」


 当家が断った後も、王家は令嬢を持つ高位貴族家へ次々と打診をかけたと聞きます。

 ですが応える家はありませんでした。

 “国王一家のための国政”が、どれほど危ういかを、貴族たちはようやく学んだのです。



「……じゃあ、結局、殿下とカトリーナ様はこのままなのかしら。」


 お嬢様はポツリと呟くように仰いました。

 彼女の事を思えば、胸が痛むのも当然です。


「代わりのご令嬢が見つからなければ、そうなるだろうね。

……正直、カトリーナ嬢にとっては、その方が幸せかもしれない。」


「そこなのよね。」

 ユリウス様のお言葉に、お嬢様は静かに頷かれます。

 貴族令嬢にとって、縁付く先がないというのは死活問題。

 ですが、カトリーナ嬢が新たな婚約を結ぶのは絶望的と言わざるを得ません。

 本人に悪評がたち過ぎている、という理由はもちろんですが、貴族家としても縁を結びづらい事情があるのです。

 王家の“ご意向”通り彼女を娶ってしまって、王家から『あの家はいうことを聞いてくれる』と思われてしまっては、今後どんな無理難題を押し付けられるかわかりません。

 何処もヘーゲル家の二の舞にはなりたくないのです。



「我が家は現状維持でよかった、なんて軽々しく言えないわね。

これで終わる気がしないもの。」


 お嬢様は静かに目を伏せました。

 今回こそ当家は難を免れましたが、問題の根は何も解決していません。

 傲慢な王家が変わらない限り、悲劇はいずれまた繰り返されるでしょう。

 それに、娘を差し出したあげく切り捨てられたヴァルトハイム公爵家が、このまま沈黙しているとも思えません。



「そうだね。僕たちも力をつけないとな。

……闇に飲み込まれないように。」


「ええ。未来のエーデルシュタイン家を守らないとね。」

 夏の光が白く差し込む客間の中で、蝉の声が遠くに揺れています。

 軽々しく“討伐”とは言えない、強大な敵。

 それを前に、ふたりは静かに覚悟を分かち合うのでした。

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