代わりの王子妃
学園が夏期休暇に入ったその日。
リリアーナお嬢様と私は、久方ぶりにエーデルシュタイン侯爵邸へと戻ってまいりました。
玄関先で出迎えた使用人たちは一斉に頭を下げ、お嬢様の帰還を喜びます。
「お帰りなさいませ、お嬢様。」
「ええ、皆も変わりなくて嬉しいわ。」
生まれ育った屋敷に小さな頃から慣れ親しんだ面々。お嬢様のお顔には、今まで張り詰めていたものが緩んだような柔らかさがありました。
旦那様と大奥様も、お嬢様の帰りを今か今かと待ちわびておられ、ほどなく談話室で家族水入らずの時間が設けられました。
「よく頑張ったな、リリアーナ。入学してから、何かと大変だったろう。」
「ありがとうございます、お父様。」
労いの言葉に、お嬢様の表情はほころびます。
大奥様も穏やかに頷かれました。
「ヴァルトハイム嬢の件でのあなたの対応、見事でしたよ。一門を守る姿勢がよく表れていました。」
お嬢様は照れたように笑われます。
悪役令嬢対策から始まったはずの取り組みは、いつしか実を結んでおりました。
一門の生徒たちの礼儀作法は目覚ましく向上し、学習支援チームの活動も功を奏して新入生の成績は底上げされています。
クラスは和やかで問題もなく、順調な学園生活の滑り出しと言ってよいでしょう。
しかし、そんな和やかな空気の中、侯爵はふと重く息を吐かれたのです。
「……だが、その見事さが、思わぬところから注目を集めてしまってな。」
お嬢様は瞬きをされます。
侯爵は視線を窓の向こうに移しながら、慎重に言葉を選ばれました。
「王家から、内々の打診があった。
“ヴァルトハイム公爵令嬢の代わりに、リリアーナを第二王子妃にどうか”と。」
「──!」
お嬢様の胸が、どくん、と鳴りました。
信じがたい話です。けれど旦那様の顔は冗談のかけらもなく、真剣そのものでした。
「もちろん即座に断った。
お前はこの家の一人娘だし、ユリウス君との婚約もある。
それに、カトリーナ嬢を押し退ける形になればヴァルトハイム家とも軋轢を生む。」
「……わたくしには、とても王子妃など務まりません。お父様が断ってくださって、本当に良かったです。」
そう答えるお嬢様の胸中には、カトリーナ嬢の姿がありました。
責務に心も体も縛り付けられていた“未来の王子妃”。
彼女が背負ってきたものが、どれほど重く、苦しいものであったかをお嬢様は十分理解されているのです。
侯爵はほっと息をつき、笑われました。
「よかった。正直、お前が王子妃になりたいと言い出したらどうしようかと思った。
昔はあんなにお姫様になりたいと駄々をこねていたのにな。」
「もう、お父様ったら。わたくし、もうそんな子供じゃありませんわ。」
お嬢様がふくれてみせると、大奥様がそっとお嬢様の手を包みました。
「リリアーナ、気に病まないでちょうだいね。
あくまで打診だけだったのですから。」
「ええ、おばあさま。」
そう答えながらも、お嬢様の胸の奥には、ちくりとした棘が残っていました。
“代わり”という言葉が、妙に重く響いたのです。
ご家族とのひとときが終わり、久方ぶりの屋敷の自室。
私が寮からの荷を解いている間も、お嬢様はベッドの上でごろりと寝転がり、天井を見上げておられました。
「ねえマリー。わたくしって、お姫様ごっこをたくさんしたでしょう?」
私への問いかけは、まるで独り言のようでした。
「はい。お小さい頃は、毎日のように。」
「あんなに憧れていたのに、いざ王家に嫁入りをと言われても、全然嬉しくなかったの。
わたくしは、カトリーナ様のようになれないわ。」
「現実は物語のようにまいりませんね。」
「ええ……。
あの方の教育も、王家の方針だったのでしょう?
そうしておきながら今さら代わりを探すだなんて。
カトリーナ様は今、どうしてらっしゃるのかしら。」
幼い頃に夢見た王族の華やかな世界。
その実像を知った今、その夢はほろ苦く胸に残るばかりでした。




