ノートの活用
春の陽光がやわらかく差し込む午後、文芸部の部室は、穏やかな空気に包まれておりました。
部室中央では、ミレーユ嬢とテオ君が向かい合い、授業ノートの束を丁寧に突き合わせております。
名目こそ「文芸部」ですが、実際の活動内容は“学習支援チーム”の運営そのもの。
両家一門の子弟が残した過去問や優秀なノートを整理し、貸出用の目録を作っているのです。
「理数科目はこの方のノートを優先的に写しましょう。よくまとまっていますから。」
「試験前は貸出希望が殺到するでしょうから、複写はいくつあっても足りないかもしれませんね。」
どちらも地に足の着いた現実派。お二人が揃うと、空気が落ち着いて見えるのが不思議です。
一方、窓際の机ではエリカ嬢が、黙々と筆を走らせておられました。
彼女の手元には、昨年の一年生の授業ノート。複写作業の真っ只中です。かくいう私も、及ばずながらお手伝いをしております。
「はあ……“コピー機”が欲しい……。」
このようなエリカ嬢の独り言にも、すっかり慣れてしまいました。
他の部員達も、また便利な道具を夢想しているのだろう、ともはや誰も気に止めていません。
学習支援チームは、文芸部という表の顔を持ちつつ、着実にその活動を進めておりました。
その一方。
部室の片隅のソファには別世界のような空気が漂っておりました。
リリアーナお嬢様とユリウス様は紅茶を手に、目を輝かせながら語り合っておられます。
「勇者の活躍で魔王はいったん敗れた。けれど、それは束の間の平和に過ぎなかった……!
雌伏の時を経て、力を蓄えた魔王は復活を果たすのよ!」
「今度は勇者たちが“組織”として動く。個の力ではなく、絆の力で闇に立ち向かうんだ!」
魔王は誰のことか……などと考えるのは、野暮というものでしょう。
かの公爵令嬢が引き起こした騒動も、喉元を過ぎた今となってはお二人の妄想の糧。
……『パワーアップした魔王の復活』という言葉には少々胸騒ぎを覚えずにいられませんが。
「絆の力で闇に挑む……いい言葉ですね。
ユリウス様とリリアーナ様のお話も、記録しておけば一冊の本になるのでは?」
書類を束ねながら、テオ君が微笑みます。
「実はね、入学前から考えていたお話があるの。」
お嬢様がそう言われると、エリカ嬢が顔を上げました。
「あのノートのことですね。」
そう。入学前にお嬢様がユリウス様、エリカ嬢と共に作られた、まだ見ぬ学園への憧れを綴った“妄想学園ノート”です。
「せっかく作ったんだ。部の活動として仕上げよう。僕たちの長編小説だ!」
「いいわね!」
幼い頃から様々な物語で遊んできたお二人。
『物語を作る』側に立つ日が来ようとは、感慨深いものでございます。
かくして、部室に持ち込まれたお嬢様のノートでしたが……。
「……どうかしら?」
それを見せられたミレーユ嬢とテオ君は、言葉を失っておられました。
「もしかして……登場人物は、実在の方々では?」
「しかも悪役の描写が、妙に……生々しいですね。」
はい、まことにその通りでございます。
入学予定者名簿をもとに配役し、実際にお会いした印象まで踏まえて創作しているものですから。
発表などしようものなら、大騒動になるのは目に見えております。
「お名前だけでなく人物設定も少々変更した方がよいでしょうね。特に敵役は完全に別人として描き直すべきです。」とテオ君。
問題はそれだけではございません。
「内容を絞り込む必要がありそうですね。」
ミレーユ嬢のお言葉通り、このノートには恋愛、友情、冒険、陰謀……あらゆる要素が詰め込まれており、登場人物も数え切れぬほど。
一つの作品としてまとめるには、あまりに情報過多なのです。
「登場人物も同学年ばかりですし、学年をばらけさせるなどして少し整理した方がよろしいかもしれませんわ。」
名簿から作られた構成の弊害が、ここにも表れていました。
3人の溢れる情熱が詰まっているノートですが、世に出せる形とするには、前途多難のようです。
「使わない部分が出てしまうのか……。残念だな。」
「いいえ。たくさんアイデアがあるのですから、ここから物語を何冊も分けて作ればいいと思いますよ。」
テオ君の穏やかな言葉が、場の空気をやわらげました。
「そうですわ。まずは秋の学園祭に間に合うように第一作を仕上げて、来年、再来年と続けていきましょう。」
ミレーユ嬢の提案に、お嬢様とユリウス様は顔を見合わせ、声を弾ませます。
「シリーズ化! いい案ね!」
「第一巻は“始まりの章”だ。学園入学をきっかけに始まる物語にしよう!」
──こうして、文芸部の記念すべき第一作の創作活動が始まりました。
この三人の“妄想学園ノート”。
もちろんそのまま日の目を見ることはありませんでしたが、お嬢様達の在学中、文芸部の棚にはいつもそのノートがありました。
数多の作品の着想の源となったそのノートは、いつしか“マスターノート”と呼ばれ、部員からはそれはそれは大切に扱われたものです。
卒業後はエーデルシュタイン家の禁書庫に格納されたこのノート。
……百年以上の時を経て、書き手である侯爵夫妻の書簡と共に発見されたそれは、当時の歴史家たちを大混乱に陥れたそうです。




