エリカの怒り
授業が始まって二日目の夕刻。
リリアーナお嬢様は自室でお茶会の準備を進めておられました。
名目は親睦会ですが、実際には、エーデルシュタイン侯爵家とヘーゲル公爵家、両家一門の女子生徒による“緊急作法見直し会”でございます。
この二日間で、早くも学園中を駆け巡った公爵令嬢の恐怖支配の噂。
お嬢様は早くも対抗策を実行に移しておられたのです。
「所作の要点メモを配りましょう。高位貴族から見て“気になる癖”を具体的に伝えるのが効果的と存じますわ。」
提案したのはクラリッサ嬢。彼女はこの件に最も敏感でした。
なにしろ、標的は上級生にまで及びかねないというのです。
「廊下ですれ違う時、食堂で隣り合う時……まずは日常の所作ね。」
リリアーナお嬢様はティーカップを指でなぞりながら、思案の表情を浮かべます。
「お菓子より軽食を出すのはいかがでしょう。カトラリーの扱いも練習できますので。」
まるで作法研究会のような空気が流れ始めた、その時でした。
──ドンドンドンッ!
勢いよく叩かれる扉。
入ってきたのは、険しい顔をしたエリカ嬢。勢いよく頭を下げられました。
「リリアーナ様、わたくしは所作の指導では全くお役に立てませんが……!
一門の学力の底上げについて、ぜひ献策させてくださいませ!」
「まあ、構わないけれど……何かあったの?」
お嬢様が小首をかしげると、エリカ嬢は息を整え、一気に捲し立て始めました。
「今日の休み時間のことです!
カトリーナ様が突然教室に現れて、『殿下と同じクラスで学べることを光栄に思いなさい』と仰ったかと思うと──いきなり口頭試問を始められたんです!」
「まあ!」
「答えられなかった生徒に、『努力が足りない』『自覚がない』と……まだ授業で扱っていない内容でしたのに!
殿下がやんわり止められたのですが、『予習は当然』と一蹴されて……!」
その手は小刻みに震えておりました。
怒りと悔しさが、体全体から伝わってまいります。
「……予習が出来てなかった程度で人前で人格否定って、何なの!
もう、あれは……完全に──“パワハラ”ですわ!」
……最後の単語の意味は分かりかねましたが、熱量だけは痛いほど感じられました。
「明日までに、必ず策を持って参ります!」
そう言い残し、エリカ嬢は嵐のように去っていきました。
お嬢様はぽかんと口を開けておられます。
「……あのエリカが義憤に駆られるなんて、見直しましたわ。」
クラリッサ嬢は、どこか感慨深げです。
「マリー、様子を見てきてちょうだい。心配だわ。」
お嬢様のご命令を受け、私はお菓子を携えて、エリカ嬢の寮室へと向かうことになりました。
部屋を開けると、そこはまるで激情の渦でございました。
全身から怒りの気配を纏わせたエリカ嬢が、机にかじりつき、筆を走らせながらぶつぶつ独り言を漏らしておられます。
「予習で完璧なら授業なんていらねーんだよ!」
「サッサと止めろよ王子!テメーの婚約者だろ!」
「公爵令嬢だからって偉そうに説教すんなこのクソアマァッ!」
……個室で本当によろしゅうございました。
お手元の紙にはさぞ罵詈雑言がと思いきや、記されていたのは「学習支援制度(案)」と題された提案書。
・優秀なノートや過去問を両家で共有し、学習水準の底上げを図る。
・勉強会では進度を確認し、上級生が下級生を指導する。
・教材提供者や指導役を引き受けた者には褒賞を与える。
……。
お怒りのわりに驚くほど理性的な提案でございます。思わず息がもれました。
「ま、マリーさん……!?」
私の存在に気づいたエリカ嬢は慌てて立ち上がりました。
「エリカ様。お怒りはごもっともですが、ここは寮でございます。お声をお控えに。
お嬢様も、ご心配なさっておりましたよ。」
「はい……すみません。ありがとうございます。」
お茶を入れて差し上げると、彼女も少し落ち着きを取り戻したようです。
「自衛するというしかないというのがもどかしいです。でも、出来るだけのことは考えますから。」
その決意に、私は静かに頷きました。
翌日。
「素晴らしいわ、エリカ! “闇に立ち向かうため、皆の力を結集する”のね!」
提出された提案書を前に、お嬢様は感嘆の声を上げられました。
ジークフリート様からも、「新入生の提案とは思えぬ実効性だ」とお褒めの言葉を頂戴し、両家合同の“学習支援チーム”は正式に発足いたしました。
エリカ嬢の提案による協働的な学習体制は、特に成績が中〜下層の学生には抜群に効果がありました。両家の成績の平均点は一気に上昇。一門の学力の下支えに大きく貢献したのです。
そして、これを機にエリカ嬢の評価は一変します。
かつて“リリアーナ様のお気に入り”と陰口を叩かれていた彼女。
今や“リリアーナ様の右腕”として、その才覚を誰もが認める存在となりました。
「やっぱり、エリカはすごいの!わたくしの仲間選びに間違いはなかったわ!」
誰かがエリカ嬢を褒めるたび、リリアーナお嬢様は誇らしげに微笑まれていたものです。




