8 革命のフルコース
コロッケ旋風が巻き起こってから数日後。店の経営は驚くほど安定し、私の懐…もとい、店の金庫には、生まれて初めて見るほどの銀貨が積み上がっていた。
「お父さん、市場へ行くわよ。今日は、新しい宝物を探しにね」
潤沢な資金は、新たな挑戦へのパスポートだ。私と父さんは、以前とは比べ物にならないほど軽い足取りで、活気あふれるアッシュフォード中央市場へと向かった。
以前は、いかに安い食材を見つけるかに心血を注いでいたが、今は違う。いかに既存のメニューを、至高の一品へと昇華させるか。そのための最高のパートナーを探すのが目的だ。
「まずは、ボア肉のブラッシュアップからね」
私たちは、なじみの肉屋へと向かう。以前は端切れ肉しか買えなかったが、今や一番良いロースの塊を堂々と注文できる。店の主人も「へい、旅人の食卓さん! いつもどうも!」と実に愛想が良い。現金収入、万歳だ。
肉を確保した足で、私は市場の隅々まで目を光らせ、【鑑定】スキルを乱れ撃ちしていく。
(肉を柔らかくして、旨みを引き出すもの……あった!)
果物を売る店の片隅に、無造作に置かれた、ゴツゴツとしたトゲだらけの果物を見つけた。見た目は、前世のパイナップルにそっくりだ。
(鑑定!)
【トゲナシアの実】:強烈な酸味と、独特の芳香を持つ。果肉に含まれる『パパイン酵素』はタンパク質を強力に分解する作用があり、硬い肉を驚くほど柔らかくする。生食すると舌が痺れるため、加工用として安価で取引される。
「これだわ……!」私は、宝物を見つけた探検家のような気分で、トゲナシアの実を数個購入した。
次に、ステーキの付け合わせを探す。
【緑の若芽】:春先にだけ採れるアスプの芽。ほのかな苦味とシャキシャキした食感が特徴。塩を振って焼くと、最高の酒のつまみになる。
【香りの根】:ニンニクに似た強い香りを持つ植物の根。薄く切って揚げると、香ばしいチップスになる。
完璧な脇役も見つかった。次は『温野菜の盛り合わせ』の革命よ。
「お母さんのための、新しい武器を探すわ」
私は野菜売り場を巡り、彩り豊かな野菜たちを鑑定していく。
(ただ茹でるだけじゃ、味が逃げる。野菜の甘みを最大限に引き出す方法は…そう、蒸すこと。そして、優しい味を含ませること)
【虹色ニンジン】:赤、黄、紫と色鮮やかなニンジン。それぞれ微妙に風味が異なり、蒸すことで最も甘みが引き立つ。
【森のしめじ】:カサの大きなきのこ。ラーナ油と香りの根で炒めると、香ばしい旨みが出る。
【鶏ガラ】:肉を取った後の鶏の骨。市場の隅で格安で売られている。これを香味野菜と煮込めば、極上のスープが取れる。
最後に、野菜につけて食べるディップソースの材料を探した。
(マヨネーズを作りたい。必要なのは、新鮮な卵、良質な油、そして上質な酸味……)
【シトラスベリー】:レモンのように強烈な酸味を持つ小さな果実。果汁を絞り、酢として利用される。
全てのピースが揃った。そして、今回の最大の目的である『二色の魔法ソース』の材料探しに取り掛かる。
デミグラスソース風のソースのためには、ボアの骨と町で一番人気の赤ワイン『ボルジア酒』、そして決め手となる甘味料。
【黒蜜糖】:サトウキビに似た植物の茎を煮詰めて作った、黒くて粘度の高い砂糖。強いコクと、独特の苦味がある。
トマトソース風のためには、酸味の強い赤い果実。
【リコピンカ】:真っ赤な見た目の果実。酸味が非常に強く、生食はされない。煮込むことで酸味が旨みに変わり、美しい色のソースになる。
最後に、パン屋に立ち寄った。店の奥、ガラスケースの中に、ふわりと白く輝くパンが鎮座している。『白パン』だ。その隣で、私たちのための硬い『黒パン』が、まるで平民の悲哀を象徴しているかのように、どっしりと構えている。
「おねえちゃん、あれ、おいしいのかなあ……」
いつの間にか、私に同行していたラーラが、ガラスケースに顔を押し付けんばかりにして、白パンをうっとりと見つめていた。
「たべてみたいなあ……」
その小さな呟きが、私の胸にちくりと刺さった。
「ラーラ」私は妹の頭を優しく撫でた。
「いつか、必ず、あの白パンよりもっと美味しいパンを、私たちが作って、毎日食べられるようにしてあげる。だから、もう少しだけ、この黒パンで我慢してね」
「うん!」
ラーラは、満面の笑みで頷いた。その笑顔を守るためなら、私はなんだってできる。
◇
それから二週間。『旅人の食卓』は、昼はコロッケ専門店として大繁盛し、閉店後は私たちの極秘開発ラボと化した。毎晩厨房で、新しい試作品が作られ、それが私たちの夕食となった。
「お父さん! そのステーキ、まだ焼きすぎよ! 表面はカリッと、中は美しいロゼ色を目指すの!」
「お母さん!その野菜、蒸し時間が長すぎるわ! 虹色ニンジンの歯ごたえが死んでしまう!」
「ユーユこそ、ソースの味見ばっかりして、眉間にしわが寄ってるわよ!」
厨房では、そんな声が飛び交う。特に、母さんは「温野菜の盛り合わせ」の改良に、人が変わったように打ち込んでいた。私が教えた「蒸す」「スープで煮る」「ソテーする」という新しい調理法に、最初は戸惑っていた母さんだったが、日に日にその才能を開花させていった。
「ねえ、ユーユ。この鶏のスープに、少しだけ香りの根を入れたら、もっと深みが出ないかしら?」
「この森のしめじは、こっちのハーブと合わせた方が香りが立つ気がするわ」
母さんの中から、次々とアイデアが溢れ出してくる。その目は、かつての疲れ切った母親のものではなく、新しい味を創造する料理人の目だった。
その間も、私とラーラの学校生活は続く。あからさまな暴力は鳴りを潜めたが、遠巻きに投げかけられる陰口は続いていた。ラーラが時折、悲しそうな顔で俯くたびに、私の心の中の復讐の炎は、静かに、しかし激しく燃え上がった。
(今に見ていろ、お前たち。本当の価値とは何か、本当の力とは何かを、骨の髄まで教えてあげるわ)
そして、ついに、全ての試作品が、私の納得のいくレベルに到達した。
その夜、閉店後の『旅人の食卓』に、特別なゲスト、ジョーおじさんを招いた。
「さあ、始めましょうか。新生『旅人の食卓』、お披露目会よ」
まず、母さんが緊張した面持ちで、一皿の大皿を運んできた。それは、もはや「温野菜の盛り合わせ」とは呼べない、芸術品のような一皿だった。
「新作、『大地の恵みの彩りプレート』です」
皿の上には、色とりどりの野菜が美しく配置されている。蒸されて艶々と輝く虹色ニンジン、鶏のスープの香りをまとったカブナ、香ばしくソテーされた森のしめじ。そして、中央には、卵とラーナ油とシトラスベリーで作った、白いクリーム状のソースが添えられていた。
「なんだこれは! ただの茹で野菜じゃないぞ!」
ジョーおじさんは、まず虹色ニンジンを口に運び、目を見開いた。
「甘い! 味が濃い! 野菜ってのは、こんなに甘いものだったのか! こっちの葉っぱは、ただの塩味じゃない、深い滋味がある! そして、この白いクリームのようなものは何だ!? 卵のコクと爽やかな酸味が、野菜の味を何倍にも引き立てている! これだけで一つの完璧な料理だ!」
その言葉に、母さんの目から、静かに一筋の涙がこぼれた。自分の仕事が認められた喜びに、彼女は小さく震えていた。
次に、父さんが、胸を張ってメインディッシュを運んできた。【熟成ボアのジューシーステーキ】だ。
鉄板の上で、ジュウジュウと音を立てる分厚い肉塊。ナイフを入れる前から、その柔らかさが伝わってくる。ジョーおじさんは、その一切れを口に運び、ゆっくりと咀嚼した。そして、天を仰いだ。
「硬くて臭いのが当たり前だった、あのボア肉が……なぜだ!? なぜ、こんなにも柔らかいのだ!? 歯が、いらないだと……!? 噛むほどに、野性味あふれる赤身の濃厚な旨みが、口の中で大爆発を起こす! トゲトゲの果実の酸味が、余計な脂っこさを完全に消し去り、純粋な旨みの奔流だけを舌の上に残していく!」
父さんの顔が、料理人としての誇りと喜びに、真っ赤に染まっている。
そして、いよいよ真打ちの登場だ。私が、二つの小さな器をテーブルに置いた。【二色の魔法ソース】だ。
「ジョーおじさん。まず、この黒いソースを、ステーキにかけてみて」
彼は、言われた通り、漆黒のソースをとろりとステーキにかけた。その一口を食べた瞬間、彼の動きが、完全に止まった。
「ぐっ……! なんだ、この……禁断の味は……!?」
彼は、わなわなと震えている。
「黒い悪魔め……! このソース、ただでさえ完璧なステーキの旨みを、十倍、いや百倍にも増幅させおる! 深いコクと、ほのかな苦味、そして複雑な甘みが、俺の理性を麻痺させ、奈落の底へと引きずり込んでいく! パン! パンを持ってこい! この悪魔の雫を、一滴たりとも残してたまるか!」
次に、まだ残っていたコロッケに、赤いソースをつけて食べるよう促す。
「今度は赤か……太陽のような色だな……」
彼は、トマトソースをまとったコロッケを、ぱくりと頬張った。
「うおおおおおおっっっ!!!」
今日一番の絶叫が、店内に響き渡った。
「こっちは、天国か! 天国の味だ! ラーナ油のコクとポポイモの甘みを、この鮮烈な酸味が優しく洗い流し、ハーブの爽やかな香りが、まるで高原の風のように吹き抜けていく! なんてことだ、これなら、コロッケが五個でも十個でも食べられるぞ! 嬢ちゃん! あんたは、悪魔と天使を同時に使役するのか!?」
(この人、やっぱり、ただの運搬夫じゃないわよね……?)そのありえない語彙力に、私はもはや尊敬を通り越して、若干の疑念を抱き始めていた。
試食会は、大成功のうちに幕を閉じた。
「いや、参った! 降参だ! ユーユ嬢ちゃん、あんたはやっぱり天才だ! このアッシュフォードに、いや、この国に、あんたの右に出る料理人はおらんかもしれんな!」
ジョーおじさんは、力強い視線を私に送り、嵐のように帰っていった。
残された私たちは、顔を見合わせ、そして、一斉に笑い出した。
自信があった。明日からの新しい『旅人の食卓』は、町の人々に、昨日以上の衝撃と感動を与えるだろう。
貧乏だと蔑まれ、俯いて歩いていた日々は、もう終わった。私たちは、胸を張って、前を向いて歩いていける。最高の料理という、誰にも奪われることのない、誇りを手に入れたのだから。
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