後日談2 その後のユーユ 希望の継承
本日2話目の投稿です。
1話目をご覧いただいていない方は、先にそちらをご覧くださいm(_ _)m
タンタの野菜嫌いを克服させてホッとしていた、ある日のこと。
私はカインと共に、オルコット子爵邸の、手入れの行き届いた美しい庭で、穏やかな午後を過ごしていた。空には、雲一つなく、降り注ぐ陽光が、庭の草木を、きらきらと輝かせている。遠くで、タンタの元気な笑い声が聞こえ、私は、その声に耳を澄ませながら、温かい紅茶を一口飲んだ。
オルコット子爵夫妻は、歳を重ね、もう若い頃のような活力はなかった。後継者となる子供に恵まれなかった二人の心には、長年、静かに、しかし深い憂いが沈んでいた。だが、今、二人の表情は、驚くほど穏やかで、幸せに満ちていた。その視線の先には、庭中を走り回る、元気いっぱいのタンタと、彼を追いかけるカインの姿があった。
「カイン、ユーユ。少し、よろしいかな」
子爵が、私たちに声をかけた。彼の声は、歳月を重ねた分だけ、より深く、温かくなっていた。
「はい、お義父様」
私は、義父となった子爵に、笑顔で頷いた。私たちは、オルコット子爵夫妻に、実の娘、そして息子のように、温かく、深く愛されてきた。彼らの愛がなければ、カインと私の結婚は、そして、今のこの幸せな生活は、あり得なかっただろう。
「あなたが、我が家に養女として来てくれたあの日から、もう、ずいぶんと経ちましたね」
子爵夫人が、懐かしそうに、目を細めた。その目には、喜びと、そして、少しの感慨が浮かんでいる。
「あの頃、私たちの心は、静かに、しかし、深い憂いに沈んでいました。子宝に恵まれず、このオルコット家が、私たちで途絶えてしまうのだと、諦めかけていたのです」
子爵が、静かに、言葉を続けた。彼の言葉には、過去の苦悩が、わずかに滲んでいた。
「だが、今、そんな私たちの前には、あなたたちがいる。あなたたち二人が、アッシュフォードとシルヴェストリの中間に位置する、我が領地フローリアに、新しい事業を興し、町の人々の暮らしを、豊かにしようと奔走している姿を、いつも頼もしく見ております」
私は、オルコット家の養子になった後も、事業家としての活動を続けてきた。フローリアに新しい店舗を構え、アッシュフォードの店と同じように、その地の特産品を生かした料理を開発し、人々の胃袋を掴んでいった。私たちの店は、瞬く間に、フローリアの町の中心となり、多くの客でにぎわうようになった。
「あなたたちの手腕は、侯爵様が絶賛されるほどです。このオルコット家を、いえ、このフローリアの地を、あなたたち二人に任せることこそ、我が家にとって、最も幸せな未来なのだと、悟りました」
子爵夫妻は、ゆっくりと立ち上がり、私たちの前に進み出た。
「カイン、ユーユ。どうか、私たちの養子として、そして、このオルコット子爵家を継ぎ、フローリアの地を、あなたたちの力で、より豊かに、より幸せな場所にしていただけませんか?」
その言葉は、命令ではなく、愛する子供たちへの、心からの願いだった。
私は、子爵夫妻の目を見て、静かに、深く頷いた。
「お義父様、お義母様。喜んで、お受けいたします」
隣にいたカインも、私と同じように、真剣な眼差しで、二人に頭を下げた。
「オルコット子爵家を、継ぐこと。フローリアの領主として、この地の人々を守り、豊かにしていくこと。それが、私たちにできる、お二人への、最大の恩返しだと信じております」
◇
オルコット子爵夫妻からの申し出を受け入れた数日後。アッシュフォード侯爵邸で、子爵位の禅譲と、カインの養子縁組の手続きが、厳かに行われることになった。すでにオルコット家の養女であるユーユは、名実ともにカインと共に、オルコット家の未来を背負うことになったのだ。
その日の朝。私は、カインと共に、オルコット子爵夫妻への感謝を込めた、特別なデザートを作っていた。
「ねえ、カイン。お義父様とお義母様は、今まで子供に恵まれなくて、私のことを、本当の娘のように大切に育ててくださったの。だから、何か、特別な思い出になるような、素敵なものを贈ってあげたいの」
私の言葉に、カインは優しく頷いた。
「そうだね。僕たちが、この世界で初めて手に入れた奇跡を、彼らにも分けてあげよう」
私が作ったのは、神様からいただいた『カカノンの実』で作った、濃厚なチョコレートケーキ。それは、この世界にまだ存在しない、魔法のようなお菓子だ。
まずは、カカノンの実の下ごしらえからだ。硬い実を丁寧に割り、中の種を取り出す。種は、ヤギの乳が入った木製の樽に入れ、数日間、温かい場所で発酵させる。発酵が進むと、種は、芳醇な香りを放ち始める。その香りは、前世で嗅いだ、あのカカオ豆の香りに、酷似していた。
「うわあ……。この匂い、前に神様にお供えする料理を作った時に嗅いだ香りだね!お姉ちゃん、久しぶりに、あの美味しいお菓子を作るの?」
ちょうど遊びに来ていたラーラが、興味津々に覗き込んでいる。
「ふふ、そうよ。この種を、世界で一番美味しいお菓子に変身させるんだから」
発酵を終えた種を、天日でカラカラになるまで干す。この工程で、種は、さらに香りを凝縮させる。そして、いよいよ、焙煎だ。私は、店で使う大きな鉄鍋に、干した種を入れ、弱火で、じっくりと火にかけていく。
パチパチ、と、種がはぜる音が、静かな厨房に響く。やがて、香ばしい、甘くてビターな、魅惑的な香りが、立ち上り始めた。その香りは、この世界の人々にとって、未知のものだ。
焙煎が終わると、熱々の種を、手早く冷まし、一つずつ、丁寧に皮を剥いていく。この作業は、とても根気がいるものだ。カインも、私の隣で、手伝ってくれている。
「ユーユ、この種、こんなに硬いのに、なんでこんなにいい匂いがするんだい?」
「ふふ、それが、このお菓子の秘密の魔法なの」
剥き終わった種を、今度は、大きな石のすり鉢に入れて、ひたすら、すり潰していく。最初は、ゴツゴツとした、固い種だったが、カインの力強い腕と、私の根気によって、やがて、自身の油分で、どろりとした、艶やかな黒い液体へと姿を変えた。
「……すごい! まるで、黒い溶岩のようだ!」
カインは、その光景に、驚嘆の声を上げた。
「これが、カカオマスよ。これに、お義父様とお義母様のために、特別な魔法をかけるの」
私は、このカカオマスに、フローリア特産の甘い果実を煮詰めて作った蜜と、自家製のバター、そして、この地の花から採れた蜂蜜を、少しずつ加えていく。湯煎にかけた鍋の中で、全ての材料が溶け合い、絹のように滑らかで、宝石のように艶やかな、漆黒の液体が完成した。
それが、濃厚なチョコレートだ。
「……できたわ」
私は、小さなスプーンで、その一滴をすくい、カインの口元へと運んだ。
「カイン。どうぞ」
カインは、その一口を口にした。
「ああ……! この味は……!」
彼は、震える声で呟いた。口の中でとろける濃厚な甘さと、後から追いかけてくる芳醇な苦み。その、今まで知らなかった複雑で奥深い味わいに、カインは衝撃を受けた。そして、その味は、不思議と、自分の今の気持ちとよく似ているような気がした。
「甘い……。そして、少しだけ、苦い……。ユーユ。これは……君からの、僕だけの特別な贈り物だ……」
その言葉は、初めてハートのチョコレートをもらった、あの日の思い出と重なった。
彼は、その一口を、大切に、大切に味わっていた。このチョコレートは、ただ美味しいだけではない。彼の孤独な心に光を灯し、生きる喜びを教えてくれた、大切な人からの、愛の証なのだから。
私は、その日のために用意した、可愛らしいハートの型に、この濃厚なチョコレートを流し込み、冷やし固めた。そして、そのチョコレートを、スポンジ生地の上に、丁寧にデコレーションしていく。
それに添えるのは、神様が私たちに贈ってくれた、あの美しいクリスタルのグラスだ。
アッシュフォード侯爵邸の広間。
子爵位の禅譲の儀式は、厳かに、しかし温かく進められた。侯爵様は、荘厳な声で、カインとユーユの功績を称え、そして、二人がオルコット子爵家を継ぐことを、正式に認めた。
儀式が終わり、全ての手続きが完了した時、私は、小さなワゴンに載せた、チョコレートケーキと、クリスタルのグラスを、オルコット子爵夫妻の前に運んでいった。
「お義父様、お義母様。これは、私たちが初めて心を込めて作った、感謝の贈り物です」
子爵夫妻は、私たちの贈り物を見て、目を丸くした。そして、ケーキを一口食べると、そのあまりの美味しさに、言葉を失っていた。
「……こんなに美味しいお菓子は、生まれて初めてだ……」
子爵が、震える声で呟く。
「ええ。これは、昔、私たちが神様からいただいた、特別な木の実から作ったものです」
私がそう言うと、子爵夫妻は、驚きのあまり、息を呑んだ。そして、私が、七色の光を放つクリスタルのグラスに、フローリア特産の甘い果実酒を注いで差し出すと、二人は、そのあまりの美しさに、言葉を失っていた。
「……まるで、祝福の光だわ……」
子爵夫人が、グラスの中の光を、うっとりと見つめながら呟く。
「ええ。これは、私たちが、神様からいただいた、最高の祝福なのです。そして、今、それを、お義父様たちに、おすそ分けさせていただきます」
私の言葉に、お義父様たちは、何も言わず、ただ、静かに、涙を流し始めた。子爵は、震える手で、クリスタルのグラスを掴み、その中の七色の光を、愛おしそうに見つめている。
「……ありがとう。本当に……ありがとう」
子爵夫妻は、その日、私とカインを、実の子供のように、温かい眼差しで、見つめていた。その光景を見て、私の胸は、幸福感でいっぱいになった。
料理は、ただ、人の空腹を満たすだけのものではない。料理は、人の心を、温かく満たし、人に、幸福な時間を与える。そして、その幸福な時間は、人に、生きる希望と、そして、人を愛する力を与えてくれる。それを、私は、この異世界で、改めて、知ったのだった。
この日から、私たち二人の新しい物語が、始まった。カインは、フローリアの経済を強くために、日夜奔走した。
私は、この地の特産品を活かした、新しい料理の開発に情熱を注いだ。オルコット領は、アッシュフォードとシルヴェストリの中間に位置する、小さな領地だった。だが、カインとユーユの二人の手腕により、フローリアは、やがて、二つの大領地を結ぶ、商業と文化の中心地として、目覚ましい発展を遂げた。
そして、その中心には、いつも、私とカインの、愛と、食への情熱が満ちていた。私の人生は、孤独なものから、愛と料理に満ちたものへと、劇的に変わった。そして、これからも、この新しい家族と共に、美味しい料理と共に、続いていく。どこまでも温かくて、穏やかで、そして、幸せな、永遠の物語が。
◇
オルコット子爵家を継いだ私たちは、フローリア領の改革に、日夜、情熱を注いだ。この地は、肥沃な土地に恵まれながらも、交通の便が悪く、特産品を他の領地に運ぶことが困難だった。そのため、町は活気がなく、人々は貧しい生活を強いられていた。
「ユーユ、見てくれ。これが、フローリアの年間収益だ」
カインが、一枚の羊皮紙を、私の前に広げた。そこには、驚くほど小さな数字が並んでいた。
「こんな小さな領地で、人々が幸せに暮らせるようにするには、どうすればいいんだろう……」
カインは、領主としての責任感から、眉間に深いシワを寄せていた。
「大丈夫よ、カイン。この地の特産品を、付加価値の高い商品に変えて、高く売ればいいのよ」
私は、にっこり笑って、言った。
「付加価値……?」
カインは、私の言葉に、首を傾げた。
「ええ。このフローリアには、他にはない、素晴らしい特産品がたくさんあるじゃない。この地の気候でしか育たない、甘くて大きなブドウ。それから、この地の土壌でしか育たない、香り高いキノコ。これらを、ただ売るだけじゃ、もったいないわ」
私は、その日の夜から、フローリアの特産品を使った、新しい料理の開発に、情熱を注いだ。まずは、フローリア特産のブドウ。このブドウは、甘くて、とてもジューシーだ。だが、日持ちがしないため、他の領地に運ぶことが困難だった。
私は、このブドウを、カインと二人で、大きな樽に潰し、ブドウの汁を、発酵させてみた。この世界の醸造技術は、まだ未熟で、ブドウを潰して発酵させただけの酒は、酸味が強く、とても飲めたものではなかった。
「う……! 酸っぱくて、飲めたもんじゃないな!」
カインは、一口飲んで、顔をしかめた。
「大丈夫よ、カイン。料理は、化学だから。この酸味を、甘みに変えてみせるわ」
私は、この酸味の強いブドウ酒を、ブドウの蜜と煮詰め、蜂蜜と、カカノンを少し加えてみた。すると、酸味は、コクと深みのある、濃厚な、甘いソースへと変わった。
「……すごい! なんという、深い甘みだ!」
スプーンですくったソースを一口なめ、カインは感動に打ち震えた。
私は、このソースを、フローリアで取れる、香り高いキノコと、ボア肉を煮込んだ、特製のシチューに加えてみた。そのシチューは、今までにない、複雑で、奥深い、濃厚な味わいになった。
「うまい……! このシチュー、ただのシチューじゃないぞ……! なんて、高貴な香りがするんだ……!」
カインは、そのシチューを、夢中で食べていた。
次に、この地の土壌でしか育たない、香り高いキノコ。このキノコは、独特の香りが強すぎて、他の食材と合わせるのが難しかった。
私は、このキノコを、細かく刻み、ラーナ油でじっくりと炒めてみた。すると、独特の香りは、香ばしい、濃厚な、旨みへと変わった。
私は、このキノコを、ポポイモと合わせ、裏ごし器で、なめらかなペーストにしてみた。それに、ヤギの乳と、溶かしたチーズを加えてみる。そのペーストは、濃厚で、クリーミーで、香ばしくて、とても美味しい、リゾットのような料理へと変わった。
「おいしい……! なんて、なんて濃厚で、クリーミーなんだ……!」
カインは、その料理を、夢中で食べていた。
私は、この二つの料理を、フローリアの新しい看板メニューにすることにした。『フローリア産、濃厚ボアシチュー』と、『香りキノコとチーズのリゾット』。これらの料理は、瞬く間に、フローリアの町の評判となり、多くの客でにぎわうようになった。
アッシュフォードとシルヴェストリの間に位置するフローリアは、やがて、二つの領地を結ぶ、物流の中心地として、目覚ましい発展を遂げた。フローリアの町には、活気が戻り、人々は、以前よりも、豊かで、幸せな生活を送るようになった。
◇
私とカインは、フローリアの領主として、そして、事業家として、日夜、忙しく働いた。だが、その忙しさは、以前の孤独な人生とは、全く違うものだった。そこには、愛する夫と、可愛い息子、そして、私たちを温かく見守ってくれる、たくさんの家族がいた。
ある日の夜。私は、タンタを寝かしつけ、カインと共に、リビングで、温かいお茶を飲んでいた。窓の外は、満月が、美しく輝いている。
「ユーユ……。君と出会ってから、僕の人生は、本当に、劇的に変わったな」
カインが、静かに、呟いた。
「僕の、色のなかった世界に、温かい光と、美味しい香りと、そして、愛を、教えてくれたのは、君だ」
彼は、私の手を、そっと、握りしめた。
「ありがとう、ユーユ。僕を、こんなにも幸せにしてくれて」
「私もよ、カイン。あなたと出会って、私も、本当に、幸せよ」
私は、彼の手に、そっと、キスをした。
私の人生は、孤独なものから、愛と料理に満ちたものへと、劇的に変わった。そして、これからも、この新しい家族と共に、美味しい料理と共に、続いていく。どこまでも温かくて、穏やかで、そして、幸せな、永遠の物語が。
最後まで、ご覧下さり、ありがとうございます!
100万view突破記念として、書かせていただきました。
第三部では、更にユーユが活躍をする予定(現在執筆中です)ですので、ぜひお楽しみください。
それではまたお会いしましょう\(^o^)/




