幕間 エリーの小さな菜園
新生『旅人の食卓』がオープンしてから、季節は一つ巡り、町には穏やかで暖かい風が吹くようになっていた。店は相変わらずの大繁盛で、活気と幸せな笑顔に満ちている。
学校が終わると、エリーとラーラが一緒に店にやってくるのが、すっかり日常の光景になっていた。二人は店の隅の小さなテーブルで宿題をしたり、私がおやつに出す試作品のデザートに舌鼓を打ったりして、いつも仲良く過ごしている。
そんなある日の午後。
私は厨房で、新しいソースの試作をしながら唸っていた。
「うーん、もう一味、何かが足りない……。爽やかで、鼻に抜けるような、清涼感のある香りが欲しいのよね。前世の記憶にある、ミントみたいなハーブがあれば……」
でも、そんな都合の良い植物は、このアッシュフォードには存在しないらしかった。私はこれまで、市場へ行くたびに【鑑定】スキルを使い、くまなく探してきた。けれど、市場で売られているのは、香りの強い数種類のありふれたハーブだけ。私の求める、繊細で清涼感のある香りの葉は、どこにも見当たらなかったのだ。万策尽きた、と私は静かにため息をついた。
「あの……ユーユちゃん」
私の独り言を聞いていたのか、テーブル席から、エリーがおずおずと声をかけてきた。
「どうかしたの、エリー?」
「ミント、っていうのは分からないけど……爽やかで、すーっとする香りの葉っぱなら、私、知ってるよ」
「え、本当!?」
エリーは、こくりと頷いた。
「うん。おばあちゃんが、昔、家の裏でたくさん育ててたの。『癒やしの葉』って呼ばれてて、お茶にすると頭がすっきりするんだって。すごく丈夫で、どこにでも根付くって言ってた」
その言葉は、私にとってまさに天啓だった。
私は厨房から飛び出し、エリーの座るテーブルの前に腰を下した。
「エリー、詳しく聞かせて! 他にも、どんな葉っぱを知ってる?」
私の真剣な眼差しに、エリーは少し驚いたようだったが、やがて、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「えっと……お魚料理に合う、ちょっとだけツンとする香りの『銀の葉』とか……お肉と一緒に焼くと、森みたいな匂いがする『太陽の葉』とか……」
最初はたどたどしかった彼女の言葉は、次第に熱を帯びていく。内気で、いつもは聞き役に回ることの多いエリーが、自分の知っている植物の話になると、目をキラキラと輝かせ、その表情を生き生きとさせた。その姿は、私にとっても新しい発見だった。
(この子は、植物が大好きなんだ……! そして、市場には出回らない貴重な知識を持っている!)
その瞬間、私の頭の中に、一つの素晴らしいアイデアが閃いた。
「エリー。お願いがあるの」
「なあに?」
「うちのお店の裏に、今は使っていない小さな庭があるでしょう? あそこで、私と一緒に、ハーブを育ててみない?」
「えっ、私が……?」
エリーは、驚きに目を丸くした。
「うん。私、美味しい料理のことは分かるけど、植物を育てるのは、あまり得意じゃないの。でも、エリーなら、きっと最高のハーブを育てられる。私に、力を貸してほしいの」
そして、私は最高の笑顔で言った。
「『旅人の食卓』専属、ハーブ園の園長先生になってください!」
「えんちょう、せんせい……?」
その、ちょっと大げさな肩書きに、エリーはぽかんとしていたが、やがて、その意味を理解すると、顔を真っ赤にして、ぶんぶんと首を横に振った。
「そ、そんな、私には無理だよ! 園長先生なんて……!」
「大丈夫! 私が、全力でサポートするから!」
その日から、『エリーの小さな菜園プロジェクト』が始動した。
父さんが、店の裏庭の固い土を丁寧に耕して、ふかふかの畝を作ってくれた。市場では、もちろん種も苗も売っていない。でも、エリーは「大丈夫」と自信ありげに微笑んだ。
「おばあちゃんが言ってた。『癒やしの葉』は、川沿いの少し湿った場所に、『銀の葉』は、日当たりのいい丘の岩場に生えてるって。みんなで、探しに行こう!」
次の休日、私たちは小さな冒険に出た。エリーの記憶を頼りに、野山を歩き回り、自生しているハーブの苗を、根を傷つけないように、そっと掘り起こしていく。エリーの知識は本物だった。彼女は、土の匂いを嗅ぎ、葉の形を見ただけで、それがどんなハーブで、どんな性質を持っているのかを、的確に見抜いたのだ。
三人は、泥だらけになりながら、持ち帰った苗を、愛情を込めて裏庭の菜園に植え替えた。
「この子は、お日様が大好きだから、こっちね」
「この子は、お水が好きだから、少し日陰の方がいいかな」
エリーは、まるで植物と会話でもするかのように、一つ一つ、一番心地よい場所を選んで苗を植えていく。その横顔は、自信に満ちて、とても輝いて見えた。
それからはいつも、学校が終わると、エリーは菜園に直行し、水やりや草むしりを欠かさなかった。小さな芽が出た日には、ラーラと二人で飛び上がって喜び、花が咲いた日には、三人でその美しさにため息をついた。
やがて、菜園は、様々な緑が萌える、宝石箱のような空間になった。風が吹くたびに、爽やかで、甘くて、スパイシーな、生命力に満ちた香りが、厨房まで届いてくる。
ある日、私が川魚を使った新しい料理の仕上げに悩んでいると、エリーが小さなカゴを持って、厨房にやってきた。
「ユーユちゃん、これ、使ってみて。『銀の葉』、今が一番、香りが良い頃だから」
カゴの中には、朝露に濡れた、生き生きとしたハーブが数種類、綺麗に摘み取られていた。
私が、その『銀の葉』を一枚ちぎって魚に添え、火を通すと、厨房に、今まで経験したことのないほど、清々しくも奥深い香りが立ち上った。
その日に店の特別メニューとして出された『川鱒のソテー・銀の葉の香り』は、客たちから絶賛の嵐を巻き起こした。
その夜。
私は、エリーのために、特別なデザートを作った。ポポイモを使った、ほんのり温かいスフレケーキ。その上に、エリーが育てた『癒やしの葉』を、そっと飾る。
「はい、どうぞ。園長先生の、今日のお給料よ」
私がそう言って差し出すと、エリーは、目を潤ませて、そのケーキを見つめていた。
「……ありがとう」
彼女は、小さなスプーンでケーキを一口食べ、そして、幸せそうに微笑んだ。
「私ね、今まで、自分が何の役にも立たないって、ずっと思ってた。でも、今、初めて、自分の好きなことで、誰かに喜んでもらえた……。すごく、すごく、嬉しい……」
その笑顔は、彼女の菜園で咲いた、どの花よりも、美しくて、輝いていた。
店の裏の小さな菜園は、私たちの料理を豊かにしてくれただけじゃない。一人の内気な少女の心に、自信という名の、美しい花を咲かせてくれたのだ。
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