14 新しい舞台へ
カインが元気になってからも、侯爵様からの依頼は続いた。それはもはや、病人食の献上ではなかった。『旅人の食卓』の料理そのものを、侯爵家が定期的に買い上げる、という形に変わっていたのだ。時には、カインが「ユーユに会いたい」と駄々をこね、私が侯爵邸に呼ばれて、一緒に食事をすることさえあった。
そんな、忙しくも充実した日々が続いていたある日のこと。
店の昼営業が終わり、片付けをしていた私たちの元に、一人の騎士が訪れた。店の扉の前に、見事な白馬を繋いで。
その出で立ちは、先日私を迎えに来た伝令の騎士と同じ、侯爵家の紋章が入った立派なものだ。私たちは、また何かあったのかと、一瞬で身を固くした。
騎士は、カツン、カツン、とブーツを鳴らして店に入ってくると、その兜を、ゆっくりと脱いだ。
現れた顔を見て、私たちは、全員、口をあんぐりと開けて固まった。
「よぉ、みんな。仕事中に、すまんな」
日に焼けた、人の良さそうな笑顔。間違いない。
私たちの恩人であり、今や店の常連客でもある、運搬夫の、ジョーおじさんだった。
「「「じょ、ジョーおじさん!?」」」
父さんの裏返った声が、店に響く。
「な、なんで、ジョーおじさんが、騎士様の格好を……?」
母さんも、目をぱちくりさせている。
ジョーは、はっはっは、と豪快に笑った。
「いやあ、驚かせたか。まあ、こっちが本当の姿でな。侯爵様の命で、市井の様子を探るのが、俺の仕事の一つなんだ」
彼は、密偵のような役割を担う、侯爵直属の騎士だったのだ。
「そ、そんな偉い方だったとは……」
父さんが、急に畏まって、ぺこぺこと頭を下げ始める。
「まあまあ、親父さん、やめてくれよ。ここでは、俺はただのジョーおじさんだ」
彼はそう言うと、私の前に向き直った。その瞳には、いつもの人の良さそうな光と、騎士としての鋭い知性が同居している。
「ジョーおじさん…いえ、ジョー様。どうして、うちのような店に?」
私が尋ねると、彼は苦笑した。
「だから、様はやめてくれって。…最初は、ただの腹ごしらえだったんだ。市井の調査中は、わざとみすぼらしい店で食事をすることにしてるんでな。目立たずに、民の声を聞くにはそれが一番いい」
彼は、懐かしむように店内を見回した。
「だが、あの日、あんたの妹さん…ラーラちゃんに声をかけられて、試しに食ったコロッケが、俺の人生を変えちまった。いや、大袈裟じゃないぜ?」
「あの衝撃は忘れられん。俺はこれまで任務で王都のどんな高級料理も食ってきたが、魂が震えるような料理は、あれが初めてだった。だから、確信したかったんだ。この奇跡が、本物かどうかをな」
ステーキ、野菜プレート、そしてソース…。常連として通い詰めていたのは、私たちの料理の実力を見極めるためでもあったのだ。
「来るたびに驚かされ、俺の確信は深まった。この店の料理は、ただ美味いだけじゃない。人を、心から元気にする力がある、と」
「カイン様のご病気のことは、俺も心を痛めていた。藁にもすがる思いでいらした侯爵様に、俺は賭けてみたんだ。『貧民街に、魂を揺さぶる料理を出す、奇跡の店がある』とな」
彼の言葉に、全ての謎が解けた。私たちの運命を変えた、あの最初のコロッケ。その価値を最初に見出し、侯爵様へと繋いでくれたのは、紛れもなく目の前のこの人だったのだ。
「ジョーさん…。ありがとうございます」
私が深々と頭を下げると、彼は照れくさそうに頭を掻いた。
「礼を言うのはこっちの方だ。あんたたちのおかげで、俺も侯爵様も、カイン様の笑顔をまた見ることができたんだからな」
彼はそう言うと、表情を改め、私たちに一枚の羊皮紙を差し出した。
「さて、本題はここからだ。アッシュフォード侯爵様より、皆様へ。――明日、店を一日休み、家族全員で、侯爵邸までお越しいただきたい、とのことだ」
その言葉は、命令というよりは、丁寧な招待状のようだった。しかし、その内容は、私たちの心を期待と不安で大きくかき乱すには、十分すぎるものだった。
◇
翌日。
私たちは、この間新調した、一番良い服に身を包み、迎えの馬車に揺られていた。
今日、通されたのは、さらに広く、大きな窓から陽光が降り注ぐ、謁見の間だった。
部屋の上座には、アッシュフォード侯爵が、穏やかな笑みを浮かべて座っている。そして、その隣には、すっかり元気になったカインが、少し照れくさそうに立っていた。
「よく来てくれた、『旅人の食卓』の諸君」
私たちは、家族全員で、深々と頭を下げた。
「まずは、礼を言う。ユーユ殿、そして、ご家族の皆様。息子の命を救ってくれたこと、心より感謝する」
「め、滅相もございません!」
父さんが、蚊の鳴くような声で答えた。
「言葉だけでは、この感謝は伝えきれん。よって、ささやかではあるが、褒美を取らせることにした」
侯爵様が、ぱちん、と指を鳴らすと、執事が、一枚の大きな図面と、羊皮紙の巻物を、私たちの前のテーブルに広げた。
「一つ。この町の目抜き通りにある、一等地の店舗だ。今のお前たちの店より、五倍は広い。厨房設備も、最新のものを揃えさせよう。これからは、そこを、新しい『旅人の食卓』とするがよい」
「「「…………え」」」
私たちは、図面に描かれた、夢のような店の姿を見て、言葉を失った。
侯爵は、私たちの反応を楽しんでいるかのように、続けた。
「二つ。店の開店準備、及び、当面の運転資金として、大金貨五百枚を授ける」
執事が、ずしりと重い音を立てて、木箱をテーブルに置いた。蓋が開けられると、私たちの目を射るような、眩い黄金の輝きが溢れ出す。大金貨五百枚。平民が、一生かかっても、手にすることのできないような大金だ。父さんが、ひゅっ、と息を呑む音が聞こえた。今にも、卒倒しそうだ。
「そして、三つ。新しい店で働く、給仕や下働きの者を、こちらで何人か用意しよう。お前たちは、料理に集中できる環境が必要だろうからな」
店の権利。莫大な資金。そして、人手。
私たちは、あまりにも規格外な褒美を前に、ただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「……侯爵、様」
ようやく、私が声を絞り出す。
「こ、このような、身に余るお恵み……私たちには、もったいのうございます」
すると、侯爵様は、悪戯っぽく笑いながら、言った。
「ふふ、もちろん、ただでくれてやるわけではないぞ。この褒美には、一つだけ、課題がついておる」
「か、課題、でございますか?」
父さんが、びくりと肩を震わせた。
「うむ」
と、侯爵は、力強く頷いた。
「その新しい店で、アッシュフォード領、いや、この国で一番の料理屋になるよう、これからも、たゆまぬ努力を続けること。そして、その美味い料理で、この町の人々を、末永く幸せにし続けること。……以上だ」
それは、課題という名の、温かいエールだった。
侯爵様は、私たちに、最高の舞台を用意し、そして、最高の夢を与えてくれたのだ。
「……はいッ!!」
私は、涙がこぼれそうになるのを必死でこらえ、力の限り、返事をした。
「必ずや、このアッシュフォードで一番の店になってみせます! お約束します!」
私の隣で、父さんと母さんは、もう、ぼろぼろと涙を流していた。
その時だった。隣にいたカインが、私に一歩近づき、小さな声で言った。
「ユーユ、おめでとう。新しいお店、僕が、最初のお客さんだからね。約束だよ」
「うん、約束! カインのために、とびっきりのフルコースを用意しておくね!」
「本当かい? やった! じゃあ、メインはやっぱりコロッケかな。でも、ユーユの作るものなら、なんでもいいや!」
そう言って、彼は、はにかむように笑った。
その笑顔を見て、私は、心から思った。
この世界に来て、本当によかった、と。
私たちの、新しい物語が、今、この場所から、始まろうとしていた。
ご参考までに大金貨500枚は約5000万円のイメージです。
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