12 奇跡の一皿
侯爵様からの正式な依頼を受けた翌日。
私は、父さんと二人、決戦に臨む騎士のような面持ちで、アッシュフォード中央市場の門をくぐった。目的はただ一つ。衰弱しきったカイン様の体を救うための、最高の食材を見つけ出すこと。
「いい、お父さん? 今日の目的は、安くてお腹いっぱいになるものじゃないわ。『命を養う』ための、力強い食材を探すのよ」
「お、おう。分かっているが……」
父さんは、まだ状況が飲み込めていないのか、少し不安そうな顔をしている。
私は、市場に足を踏み入れた瞬間から、【鑑定】スキルを最大出力で発動させた。私の目に映る食材たちが、次々と光の文字を浮かび上がらせていく。
(鉄分、滋養、消化促進……ターゲットは、この三つ!)
まず向かったのは、鶏を専門に扱う肉屋だ。普段なら見向きもされない、隅の方に置かれた内臓の山。その中から、一際色鮮やかで、見るからに新鮮なレバーの塊を見つけ出した。
(鑑定!)
【若鶏のレバー】:生後三ヶ月の若鶏の肝臓。非常に新鮮。ビタミンA、B群、そして生命活動に不可欠な『鉄分』を極めて豊富に含む。血を増やし、体を温める効果があるが、特有の臭みがあるため下処理が重要。
「これだわ……!」
私は、肉屋の主人が驚くほどの量のレバーを買い付けた。
「嬢ちゃん、そんなにレバーばっかりどうするんだい? 臭くて食えたもんじゃないぜ?」
「ふふん、見てなさい、おじさん。これが、極上のご馳走になるんだから」
次に、八百屋へ。色とりどりの野菜の中から、ひときわ色の濃い、ほうれん草によく似た青菜に目をつける。
(鑑定!)
【テツナ】:その名の通り、鉄分を非常に多く含む葉物野菜。貧しい家の妊婦などが、薬代わりに食べることもある。アクが強いが、茹でることで食べやすくなる。
これも、山のように買い込む。さらに、滋養強壮効果のあるという、滋味深い味わいの根菜や、消化の良いおかゆを作るための、小粒で粘り気の少ない米に似た穀物『ポロロ米』も手に入れた。
「ユーユよぉ、レバーにアクの強い青菜……。なんだか、病人食というよりは、苦行の食事みたいじゃないか?」
父さんが、心配そうに眉を八の字にする。
「大丈夫よ、お父さん。料理は、化学だから。マイナスとマイナスを掛け合わせれば、プラスになることもあるの」
意味が分からないといった顔の父さんを尻目に、私は最後の仕上げとして、鉄分の吸収を助けるビタミンCが豊富な、酸味の強いベリー系の果実も忘れずに購入した。
まずは、スープやお粥といった、弱った胃腸でも受け入れやすい、流動食に近いものから始める。焦りは禁物だ。カイン様の体に、ゆっくりと、しかし確実に、命の燃料を送り届けるのだ。
◇
その日の夜。
『旅人の食卓』の厨房は、病人食専門の研究所と化していた。
「さあ、試作を始めるわよ!」
まずは、レバーのポタージュからだ。最大の敵は、レバー特有の臭み。これをいかに消し去るかが、この料理の成否を分ける。
私は、前世の知識を総動員した。
「お母さん、このヤギの乳を、レバーが浸るくらいまで注いでくれる? そのまま、一時間ほど置いておくの」
「乳に? まあ、変わったことをするのね」
乳製品の脂肪分が、レバーの臭み成分を吸着してくれるのだ。
一時間後、乳から引き上げたレバーを、今度は香味野菜と一緒に、臭み消しのハーブを入れたお湯でさっと茹でる。これで、下処理は完璧だ。
茹で上がったレバーと、一緒に茹でた野菜を、目の細かい裏ごし器で、丁寧に、何度も濾していく。父さんの力強い腕が、ここで大活躍した。最初はざらざらだったペーストが、やがてシルクのようになめらかな、美しい褐色のピューレへと姿を変えていった。
「すごい……ただのレバーが、こんなになるなんて」
父さんが、感嘆の声を上げる。
このピューレを、野菜から取った優しい出汁でのばしていく。隠し味に、ポロロ米を炊いた時の上澄み(重湯)を少し加えることで、自然なとろみと甘みをプラスした。味付けは、ミネラル豊富な岩塩と、ほんの少しだけ香りをつけた白ピペリの実のみ。
こうして、一杯のポタージュが完成した。見た目は、ただの茶色いスープ。だが、その中には、私の知識と、家族の愛情、そしてカイン様を救いたいという強い願いが、たっぷりと溶け込んでいる。
次は、お粥だ。
鶏ガラと香味野菜を、何時間もかけてコトコト煮込み、黄金色に輝く、澄み切った極上のスープを引く。これこそが、全ての味の土台となる。
その黄金スープで、ポロロ米をゆっくりと炊き上げていく。米がふっくらと花開き、スープの旨みをたっぷりと吸い込んだところで、細かく刻んでアク抜きしたテツナと、丁寧にほぐした鶏のささみを加える。最後に、新鮮な卵を溶き入れ、ふわりと火を通して完成だ。
鮮やかな緑と、卵の黄色、米の白が美しい、見るからに体に優しそうなお粥。これもまた、滋養の塊だった。
「さあ、みんな、味見の時間よ!」
私は、完成した二品の料理を、家族の前に並べた。
家族は、それぞれの器を手に取り、恐る恐る一口、口に運んだ。
「……おいしい」
最初に口を開いたのは、母さんだった。
「なんて、優しい味なのかしら……。体の隅々まで、じんわりと染み渡っていくようだわ」
「うん、おいしい! たまご、ふわふわ!」
ラーラとルークも、気に入ったようだ。
だが、父さんの反応は、少し違った。
「うまい。うまいんだが……」
父さんは、スプーンを置き、少し困ったような顔で言った。
「なんていうか……ステーキやコロッケに比べると、ちいと、パンチが足りないというか、物足りない感じがするな……」
その正直な感想に、私は、満面の笑みで頷いた。
「ありがとう、お父さん! その言葉が、聞きたかったの!」
「え?」
「今の健康な私たちには、少し物足りない。でもね、今のカイン様の体には、このどこまでも優しい味が、きっと必要なはずなのよ。強すぎる味は、弱った体には毒になることもあるから」
私の言葉に、父さんは、なるほど、と深く納得したようだった。
◇
翌日。
私は、完成した二種類のレシピを携え、再び侯爵邸の門をくぐった。
今回は、正面玄関からではなく、裏手にある厨房口から入れてもらう。
そこには、私の人生で見たこともないほど、広大で、清潔で、そして機能的な厨房が広がっていた。磨き上げられた銅鍋が壁一面にかけられ、巨大な石造りの窯がいくつも並んでいる。十数人の料理人たちが、無駄のない動きで、忙しそうに立ち働いていた。
その厨房の主、料理長であろう、恰幅のいい、白くて高い帽子をかぶった初老の男性が、私の前に立ちはだかった。その顔には、「平民の小娘が、我らが聖域に何の用だ」と、はっきりと書かれている。
「君が、ユーユ殿か。料理長のグランだ。侯爵様より、話は聞いている」
その声は、低く、威厳に満ちていた。
「君の考えた料理とやらを、我々が作る。レシピを、こちらへ」
彼は、私に手を差し出した。私からレシピを受け取って、さっさと追い返すつもりのようだ。
「グラン料理長。はじめまして、ユーユです」
私は、臆することなく、彼に深々と頭を下げた。
「レシピをお渡しする前に、私の口から、この料理の意図をご説明させていただけますでしょうか。そして、大変恐縮ですが、一度だけ、私にも、この厨房に立たせていただけませんか。この料理には、いくつか、とても大切なコツがございますので」
私の、あまりにも堂々とした申し出に、グラン料理長の眉が、ぴくりと動いた。周りの料理人たちも、驚いたように、こちらを遠巻きに見ている。
「……ほう。この私に、料理のコツを教えると申すか、小娘」
グラン料理長の顔に、あからさまな不快感が浮かんだ。彼のプライドを、いたく傷つけてしまったらしい。
「滅相もございません!」
私は、慌てて首を横に振った。
「料理長ほどの腕があれば、私が申し上げるまでもないこととは存じます。ですが、この料理は、少し、特殊なのです。病人食であり、薬膳に近いもの。ただ美味しく作るだけではなく、食材の持つ『力』を、最大限に引き出す必要があるのです」
私は、そこから、立て板に水のごとく説明を始めた。
「例えば、この『命芽吹く鶏レバーのポタージュ』。主役のレバーは、ご存知の通り、血を増やす力が非常に強い食材です。しかし、最大の難点はその臭み。これを消すために、ヤギの乳に浸しますが、これは乳の脂肪分が臭み成分を吸着する性質を利用したものです。時間は、長すぎても短すぎてもいけません」
「そして、この『緑の恵みとポロロ米の滋養粥』に使うテツナ。この青菜は、加熱しすぎると、せっかくの血を増やす力が壊れてしまいます。ですから、火を止める、ほんの直前に入れるのが肝要なのです。余熱で、十分に火が通ります」
前世の栄養学と調理科学に基づいた、私の淀みない説明。
グラン料理長は、最初は腕を組んで、疑わしげな顔で聞いていたが、次第にその表情が、驚き、そして感心へと変わっていくのが分かった。
「……小娘。お前、一体、何者だ?」
「ただの、しがない料理屋の娘です」
長い沈黙の後、グラン料理長は、ふう、と大きなため息をついた。
「……よかろう。そこまで言うなら、お前の腕、この目で確かめさせてもらう。厨房に入れ。だが、もし、私の期待を裏切るようなことがあれば、その時は……分かっておるな?」
「はい。ありがとうございます!」
私は、侯爵家の厨房という、最高の舞台に立つ権利を、勝ち取ったのだった。
◇
グラン料理長の許可が出ると、厨房の空気が変わった。侮りと好奇が入り混じった、数十の視線が、私の小さな体に突き刺さる。私は少しも臆することなく、貸してもらった小さな子供用のエプロンをきゅっと締め、自分に割り当てられた調理台へと向かった。
まずは、道具の確認からだ。磨き上げられた包丁の種類、鍋の大きさ、裏ごし器の目の細かさ。全てが、我が家のものとは比べ物にならない一級品だ。私はそれらを一つ一つ手に取り、自分の手足のように確かめていく。その淀みない動きに、遠巻きに見ていた若手料理人たちが
「おい、あのチビ、何者だ?」
「ただの子供じゃないぞ……」
と囁き合う声が聞こえた。
「では、始めさせていただきます」
私はグラン料理長に一礼すると、調理を開始した。
まず取り掛かるのは、『命芽吹く鶏レバーのポタージュ』。私が指示を出す前に、下準備用のヤギの乳や香味野菜が、すっと隣の台に用意される。グラン料理長が、目配せで部下に指示を出したらしい。
私は、買ってきたばかりの新鮮な若鶏のレバーを冷水で丁寧に洗い、余分な血や筋を、小さなナイフを使って手際よく取り除いていく。その動きは、小さい体には不釣り合いなほど、無駄がなく、洗練されていた。次に、ヤギの乳にレバーを浸し、臭み取りの第一段階に入る。
その間に、もう一方のコンロで『緑の恵みとポロロ米の滋養粥』の準備を始めた。鶏ガラと香味野菜を大きな寸胴鍋に入れ、極上のスープを引き始める。複数の工程を、迷いなく同時進行で進めていく私の姿に、厨房内のざわめきが、少しずつ大きくなっていく。
「あなた、そこの一番力持ちそうな方。お願いがございます」
私は、見習いの中でもひときわ体格の良い青年に声をかけた。
「は、はい! なんでしょう!」
「一時間後、このレバーを裏ごしします。その時、あなたの力をお借りしたいのです。このレバーが、シルクのようになめらかになるまで、徹底的に濾してください。よろしいですね?」
「は、はあ……」
十歳の少女に、まるで騎士が命令を下すかのように堂々と指示され、青年は戸惑いながらも頷いた。
グラン料理長は、腕を組んだまま、眉間に深いしわを寄せて、黙って私の一挙手一投足を見つめている。その表情は、険しい。だが、その瞳の奥に、ほんのわずかな驚きと興味の色が浮かんでいるのを、私は見逃さなかった。
やがて、下処理を終えたレバーを裏ごしし、野菜出汁でのばし、最後の味付けの段階に入った。私は、ミネラル豊富な岩塩を、指先で一つまみ、パラリと鍋に入れる。そして、銀のスプーンでスープをすくい、ふうふうと冷ましてから、その味を確かめた。その真剣な表情は、もはやベテランの料理人そのものだった。
「……どれ。少し、味見させろ」
それまで沈黙を守っていたグラン料理長が、低い声で言った。
私は、新しいスプーンにポタージュを注ぎ、彼に差し出した。厨房にいる全員が、固唾を飲んでその様子を見守っている。
グラン料理長は、受け取ったスプーンの中の、ただの茶色い液体を、疑わしげな目で見つめた。そして、意を決したように、それを一口、口に含んだ。
次の瞬間、彼のプライドの高そうな顔に、隠しきれないほどの驚愕の色が、はっきりと浮かんだ。
「…………なっ」
彼は、言葉を失い、目を見開いたまま固まっている。
「……レバーの臭みが、完全に消えている……。いや、それどころか、あの独特の臭みが、芳醇なコクと旨みへと、完全に昇華しているだと……?」
その呟きは、驚きを通り越して、畏怖に近い響きを帯びていた。
「なんという、滋味深く、優しい味だ……。弱った体に、これほどまでに優しく染み渡るスープを、私は知らない……」
彼は、もう一口、もう一口と、まるで初めて料理を口にした子供のように、夢中でポタージュを味わっている。
そのただならぬ様子に、周りの料理人たちも、おそるおそる味見を始めた。そして、次の瞬間、厨房のあちこちから、驚きの声が上がった。
「信じられん……! これが、あのレバーだというのか!」
「これが病人食だと? 俺たちが作る濃厚なコンソメより、ずっと体に染み渡るようだ……!」
「この滑らかな舌触り……一体、どれだけ丁寧に仕事をしたんだ……」
滋養粥も完成し、味見させた時には、厨房の空気は完全に変わっていた。
侮りと好奇は消え失せ、そこにあるのは、純粋な驚きと、自分たちより遥かに若い料理人に対する、紛れもない「尊敬」の念だった。
グラン料理長は、空になったスープ皿と粥の器を、静かにテーブルに置いた。
そして、私の前にゆっくりと歩み寄ると、これまで見たこともないような、複雑な表情で、ふう、と深いため息をついた。
「……完敗だ、小娘」
その一言に、厨房は水を打ったように静まり返った。
アッシュフォード侯爵家が誇る、プライドの高い料理長が、平民の、それも十歳の少女に、敗北を認めたのだ。
「お前の言う通りだった。これは、ただの料理ではない。命を繋ぐ『薬』だ。そして、これほどの薬膳を作り上げるお前の腕は、本物だ」
グラン料理長は、それまでの険しい表情を完全に消し去ると、私に向き直り、そして、ゆっくりと、深々と頭を下げた。
「ユーユ殿。どうか、我らに力を貸していただきたい。この厨房の全てを、お前に貸そう。必要なものは、何でも言え。我ら全員、あんたの指示に従う」
その言葉は、私がこの侯爵家の厨房という、最高のチームを手に入れたことを意味していた。
一人の少年を救うための、最強の布陣が整った瞬間だった。
ご一読いただきありがとうございます!
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