11 侯爵家からの呼び出し
神様からの、あまりにも豪華すぎる贈り物。
私たちは家族全員で、その輝く食器を前に、何度も何度も祈りを捧げた。貧しく、名もない私たち家族のことまで、天の上からちゃんと見ていてくださる方がいる。その事実が、私たちの心に、料理を作ることへの新たな誇りと、温かい勇気を与えてくれた。
新しい食器は、すぐに店の営業で使うことにした。ピカピカに磨かれた銀のカトラリーと、滑らかな白い陶器の皿は、私たちの料理をさらに格調高いものへと見せてくれる。
客たちも、そのあまりの変化に驚き、「旅人の食卓は、ついに貴族御用達の店になったのか!?」などと冗談を言い合う始末だった。
そんな、幸福と活気に満ちた、ある日の昼下がり。店の営業が一段落し、賄いを食べようとしていた、まさにその時だった。
店の扉が、勢いよく開かれた。入ってきたのは、胸にアッシュフォード侯爵家の紋章を刺繍した、立派な制服を着た騎士だった。店の空気が、一瞬で凍りつく。
「ここに、『旅人の食卓』の主人はいるか」
低い、威圧的な声だった。
「は、はい! 私が主人ですが……」
父さんが、腰を抜かさんばかりに驚きながら、慌てて前に出た。
騎士は、一枚の羊皮紙を取り出した。
「アッシュフォード侯爵様からの、伝令である」
その言葉に、父さんと母さんの顔から、さっと血の気が引いていくのが分かった。
「店主の娘、ユーユとやらは、そこにいるか」
騎士の視線が、まっすぐに私を射抜いた。
「……はい。私が、ユーユです」
私は、ごくりと喉を鳴らし、一歩前に出た。
「ユーユよ、よく聞け。お前に対し、侯爵様より『至急参内せよ』との御命令である。ただちに支度をし、我らと共に参れ」
参内。その言葉が持つ、絶対的な重み。
「な、な、な……」
父さんは、言葉を失い、その場でガクガクと震え始めた。
「ど、どうして、うちの娘が……!」
母さんが、悲鳴のような声を上げた。
「お姉ちゃん、行っちゃやだぁ……!」
ラーラが、私の腰に泣きながらしがみついてくる。
家族の動揺は、ピークに達していた。
「……分かりました」
私は、腹を括った。
「すぐ、支度をします。少しだけ、お時間をいただけますか」
私の落ち着いた声に、騎士は少し意外そうな顔をしたが、無言で頷いた。私は泣きじゃくる家族を宥め、この間買ってもらったばかりの一番良い服、深緑色のワンピースに着替えた。これが、私の断頭台への衣装にならないことを、天の神様に祈りながら。
店の前に用意されていた、立派な馬車に乗り込む。
「お姉ちゃーん!」
遠ざかっていく店の前で、ラーラが泣き叫ぶ声が聞こえた。その声が、私の胸を締め付けた。
◇
馬車は、石畳の道を滑るように進んでいく。
見慣れた貧しい地区の風景が、裕福な商家が立ち並ぶ中央地区の華やかな景色へと変わり、やがて、静かで荘厳な空気が漂う、貴族たちが住まう丘の上へと至る。世界の階層を、馬車が駆け上がっていくようだった。
馬車に揺られ、巨大なアッシュフォード侯爵邸の門をくぐる。案内されたのは、天井が恐ろしく高く、壁には巨大な絵画が飾られた、豪華絢爛な応接室だった。
部屋の中央には、一人の男性が、背を向けて窓の外を眺めていた。この地の支配者、アッシュフォード侯爵。その圧倒的な存在感に、私の体は、まるで石になったかのように固まってしまった。
やがて、侯爵は、私に向かって、静かに口を開いた。
「……驚かせてしまったかな。急な呼び出し、すまなかった」
その声は、意外なほど、穏やかだった。
「顔を上げなさい。お前を、罪に問うために呼んだのではない。安心するがよい」
その言葉に、私は、全身から力が抜けていくのを感じた。
「お前に、頼みがあるのだ」
侯爵は、そう切り出した。「私の息子、カインのことで、お前の力を貸してほしい」
彼は、ゆっくりと、息子の病状について語り始めた。原因不明の病で、もう一年以上も、食欲がなく、元気を失っていること。どんな名医も、どんな祈祷も、効果がなかったこと。そして、日に日に衰弱していく息子を、ただ見守ることしかできない、父親としての無力感と絶望。
「先日、信頼する部下から、お前の店の噂を聞いた。曰く、『あの店の料理には、人を元気にする魔法がかかっている』と。……馬鹿げた話だとは、分かっている。だが、今の私は、藁にもすがる思いなのだ」
「ユーユとやら。お前に、私の息子のための料理を作ってはもらえまいか。食欲がなくとも食べられる、そして、あの子に、ほんの少しでも元気を取り戻させるような食事を」
それは、領主としての命令ではなく、一人の父親としての、魂からの懇願だった。
私は、彼の話を黙って聞いていた。そして、全てを理解した。罪に問われるのではなかった。私は、料理人として、この場所に呼ばれたのだ。
「……承知いたしました」
私は、顔を上げ、侯爵の目をまっすぐに見つめ返した。
「私にできることでしたら、喜んで。侯爵様のご子息のために、最高の料理をお作りします」
私の、臆することのない返事に、侯爵は少し驚いたように目を見開いた。
「しかし、その前に、一つ、お願いがございます」
「……なんだ」
「料理をお作りする前に、一度、カイン様ご本人に、お会いさせていただけませんでしょうか。直接お話を伺い、今、カイン様のお身体が何を欲しているのかを、私なりに確かめたいのです」
十歳の、平民の少女からの、あまりにも堂々とした申し出。侯爵は、一瞬、言葉を失ったようだったが、やがて、その口元に、かすかな笑みを浮かべた。
「……面白い。よかろう、許可する。ついてきなさい」
◇
案内されたのは、二階の最も日当たりの良い、一番大きな部屋だった。ベッドに、一人の少年が、静かに体を横たえていた。ガラス細工のように儚げで、美しい金色の髪を持つ少年、カイン様。
(……きれいな、子)
それが、私の、カイン様への第一印象だった。
日に当たっていないせいで透き通るように白い肌、人形のように整った顔立ち、そして、シーツの上に投げ出された、陽光を吸い込んだかのような、美しい金色の髪。
同い年のはずなのに、その姿は、まるでガラス細工のように儚げで、今にも壊れてしまいそうだった。
私が部屋に入ったことに気づき、彼がゆっくりと顔を上げた。その紺碧の瞳が、私を捉える。
「……父上。その子は?」
その声は、ささやくように、か細かった。
「カイン、紹介しよう。今日から、お前のための料理を作ってくれる、ユーユ殿だ」
私は、ベッドのそばまで進み出て、精一杯の丁寧さで、頭を下げた。
「カイン様、はじめまして。私はユーユと申します。あなたのための、料理人です」
私の自己紹介に、カイン様の瞳が、少しだけ見開かれた。
「……料理人?」
「はい。あなた様をお元気にする、美味しいお食事を作るために、本日、こちらへ参りました」
私は、にっこりと笑いかけた。
「つきましては、カイン様。最高のお食事をお作りするために、いくつか、お伺いしてもよろしいでしょうか? お医者様がなさるような、難しいことではございませんので、ご安心ください」
私は、ベッドサイドの椅子に腰掛けると、カイン様の顔を覗き込んだ。
「まず、カイン様がお好きだった食べ物は、なんでしょうか?」
「……好きな、もの……」
彼は、少し考え込むように、視線を宙に彷徨わせた。
「昔は……お肉が好きでした。父上と森へ行って食べた、焼きたてのウサギの肉とか……」
「では、お嫌いなものはございますか?」
「……苦い、野菜は、少し……」
「なるほど。お食事をなさると、どのようにお感じになりますか? 気分が悪くなったりは?」
「ううん……そういうわけでは、ないのだけれど……すぐに、お腹がいっぱいになってしまうんだ。それに、何を食べても、あまり味がしない、というか……」
ぽつり、ぽつりと、彼は自分の症状を語り始めた。私は、彼の言葉の一つ一つに、真剣に耳を傾け、頷いた。そして、核心に迫る質問を、さりげなく投げかけた。
「カイン様。普段の生活で、急に立ち上がられた時などに、目の前が暗くなったり、めまいがしたりすることはございませんか?」
その質問に、カイン様の肩が、びくりと震えた。
「……え? あ……うん。時々、ある……。どうして、それを……?」
「少し動かれただけで、心臓がとてもどきどきしたり、息が苦しくなったりは?」
「……する」
彼の声が、どんどん小さくなっていく。私は、最後の質問をした。
「失礼を承知でお伺いしますが……氷や、壁の土のような、食べ物ではないものが、無性に食べたくなったりすることは、ございませんか?」
その瞬間、カイン様は、顔を真っ赤にして、俯いてしまった。図星だった。
「……時々、あるんだ。庭の土の匂いを嗅ぐと、なんだか、すごく美味しそうに感じることが……。僕、やっぱり、どこかおかしいんだ……」
その声は、絶望に震えていた。
「いいえ、おかしいことなど、決してございません!」
私は、思わず、彼の冷たい手を、両手でぎゅっと握りしめていた。
「それは、カイン様のお身体が、一生懸命にサインを送っている証拠なのです。『足りないものがあるから助けてほしい』と」
前世の知識が、確信を告げていた。慢性的な食欲不振、めまい、動悸、そして異食症。これは、重度の『鉄欠乏性貧血』の症状だ。
この世界に、貧血という病名はないのかもしれない。医者たちも、だからこそ、原因不明と匙を投げたのだろう。だが、私には分かる。そして、解決策も。
「カイン様」
私は、彼の顔を覗き込み、自信に満ちた笑顔で言った。
「もう、ご心配には及びません。どうぞ、私にお任せください」
私の頭の中には、すでに、カイン様を救うための、最高のレシピがいくつも浮かび上がっていた。鉄分を豊富に含む、新鮮なボアのレバー。鉄分豊富な青菜のポタージュ。良質な赤身肉と、鉄分の吸収を助ける果実を煮込んだ特製シチュー。
「私が、カイン様のお体が今一番欲しがっている、最高に力強く、美味しいお食事をお作りいたします。それを召し上がれば、きっとまた、森を駆け回れるくらい、お元気になれますから」
その力強い言葉に、一年以上も濁ったままだったカイン様の紺碧の瞳に、ほんの、ほんのわずかだが、確かな希望の光が宿ったのを、私は見逃さなかった。
◇
侯爵様への報告を終え、私は、再び馬車に乗って、我が家へと帰ってきた。
店の前では、父さんと母さん、そしてラーラとルークが、今か今かと、私の帰りを待ち構えていた。私が無事な姿で馬車から降りるのを見るやいなや、三人は「うわーん!」と泣きながら、私に抱きついてきた。
「よかった、よかった……! 無事だったんだな、ユーユ!」
「お姉ちゃーん!」
家族の温かさに、私の心も、じんわりと温かくなる。私は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている三人を安心させるように、にっこりと笑って、高らかに宣言した。
「さあ、みんな、大変よ! 侯爵様のご子息のために、最高の料理を作るわよ! 『旅人の食卓』、総力を挙げて、一人の少年を救うための、特別プロジェクトの始動よ!」
私の言葉に、家族は、喜びと驚きで目を丸くするのだった。
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