第五章|弾切れ/観測者の死/火点減衰/中隊指揮最終
0959時 JST/〈いせ〉主砲制御室
「弾帯残量、4発。照準データ、手動追尾限界域に突入」
火器管制士・渡辺2曹の瞳孔は開ききっていた。
視界の揺れ、汗、機材の焼ける匂い。
モニターの照準はもはや手ぶれ補正すら効かず、接近する船体の群れを「複数のぶれた影」としてしか捉えられなかった。
「次、装填!」
「できません!薬室、熱限界突破、撃てば砲身が……!」
その瞬間、何かがはじけたような爆音が甲板下から突き上げた。
渡辺は咄嗟に身を伏せる。直後、管制室の後部装甲が焦げ、警報が鳴る。
「観測ポストがやられました。前方電送カメラ、全滅!」
「CICからの視界リンクも切断。敵が見えない……!」
1003時/艦橋
「艦長、主砲弾切れ。CIWS、冷却未回復。副砲、位置固定。もはや撃てるものが……」
「——ない、か」
山之内二佐はうなずいた。
「被害状況報告」
「乗員戦死:4名、負傷:13名。主電源系統断絶、冷却水供給不全、舵角補正不能。浸水:第3・第4区画、排水ポンプ喪失。火点:観測不能」
「艦の機能は?」
「“艦”としての機能は……」副長・岸井がわずかに躊躇った。「……戦闘艦ではなく、漂流体です」
「……了解。では」
山之内は、艦内放送装置に向き直った。
《全乗員に告ぐ。司令部との通信断絶が継続。艦の戦闘能力、限界点突破。これより本艦は、最終防衛モードに入る》
「《艦の記録、記憶、そして君たちの行為は、すでに記録された。よって、これ以上の犠牲を求めない。CIWS弾帯は最後の選択肢として封鎖、発砲許可は“自決”を含む副長以下に委ねる》」
「《各部署は直ちに生命維持資源の確保、非常用脱出装置の整備を開始せよ。目標は一つ——生存》」
その声は、マイクの背後で、わずかに揺れていた。
1007時/下甲板:観測哨跡地
「もう……敵が、どこにいるのかもわかりません」
DC補助士の白井は、全身すすにまみれながら、かつて観測デッキだった焦げ跡の前にしゃがんでいた。
彼が抱えていたのは、双眼鏡と、自動標定器の破片。そして、黒焦げになった人影だった。
「吉村曹長……もう帰りませんかね、艦長」
「……いや、帰るぞ」
山之内は背後に立ち、ゆっくりと視線を伏せた。
「この艦が死ぬ時、誰かが“死んだ”と報告しなければ、それはただ“消えた”だけになる。だから記録を残す。必ず、どこかに届ける」
「誰に?」
「未来の隊員か、政治家か、海か、誰でもいい。だが誰かが、ここにいたと知る」
1011時/応急指揮所(DC Central)
「艦長、最終DC評価:火点減衰中。ただし酸素濃度異常。化学火災の可能性が高く、再燃のリスクあり」
「了解。格納区域閉鎖。残存冷却剤を中枢機関区画に集中」
「最終的には、艦の一部を“殺す”判断です」
「わかっている。それでも、残すよりはマシだ」
1017時/艦橋
最後の報告が上がった。
「生存乗員:82名。艦体維持限界まで、推定14分」
「敵影は?」
「もはや観測不能。波に消えました」
「では……〈いせ〉は、“死に際”にあるな」
山之内は、軍帽を再びかぶり直した。
「艦長として命ずる。この艦は、ここにて戦闘任務を終了する。ただし、〈いせ〉の記録と記憶は——生きる」
副長以下、全乗員が黙礼した。
この日、日本の艦艇〈いせ〉は“沈まず”に“死を迎え”、その記録ポッドは翌月、南シナ海にて貨物船によって偶然回収されることになる。
【技術補記】
艦体記録装置(ERDP):Emergency Retrievable Data Pod。艦が沈む前に自動排出されるデータ記録装置。現代艦艇の「沈まぬ証人」。
CIWS弾帯封鎖命令:これは「最後の一発を自爆に使わせない」ための、実戦上極めて重い命令。司令権の象徴。
艦長による“最終任務終了命令”:軍法ではなく倫理判断に近い。現代日本の法体系下では極めて曖昧だが、実地では判断停止を防ぐために現場で発せられることがある。