名もなき乙女と新しい日常
男性陣や兵士たちについて夜道を駆け回った日の次の日はものすごい睡魔に襲われながら、店番につくことになる。
なんなら筋肉痛もひどいものだ。
何度もあくびを繰り返したのち母さんに怒られて、針先で四回くらい盛大に指をついてようやくほんの少しだけ脳内の霧が晴れてきたところだった。
昨日もいろいろあったし、かなり疲れていた。
いつもいつも反省の繰り返しだ。
たとえ、作り上げたアイテムが成功したからってすべてがひとりで対応できたことなんて一度もない。
毎回毎回自分の無力さを見せつけられたし、ショックと悔しさでいっぱいだけど、あの変な生き物のことも気になった。
いつも兵士たちに回収されているようだから、今頃はいろいろ調べられているはずだ。
あれは、やはり魔物だったのだろうか?
美琴が転生してテオが勇者になる前にもこうして少しずつ魔物たちは街に入ってきていたというのか。
わからない。
早期に気付けるのならそれに越したことはないが、わたしも実際には見たことがないため、定かではないし、誰にどう魔物であることを伝えたらいいのか。
なにより昨日からずっとお花畑な脳内からなかなか消えてくれないのは、帰り際にテオに手を捕まれ、引き止められたときの瞬間のことだ。
『無茶をしないでください』
懇願するような瞳で訴えかけられた。
当然わたしは当事者だからすべての光景を客観的に見たわけではないけど、それでも脳裏には愛理とテオの麗しい構図がしっかりと浮かび上がっていた。
あれは、物語の中で採用されていれば『スチル』というものの一枚になっていたのでは……と考え、頭を振る。
いやいやいやいや。
その直後に何度目かになるもうひとりの自分からの否定が入る。
物語には愛理というキャラクターさえも存在していなかったのだから、愛理はテオとは出会うべきキャラクターではないのだ。
まぁ、正確にはモブキャラにさえなりそこねたわたしが変装することで作り上げられたキャラクターなのだけど。
「アイリーン」
「は、はい!」
いつの間にか後ろにクロエ姉さんが立っていたことに気が付き、驚く。
「驚きすぎ! この頃ぼーっとしすぎよ」
「ご、ごめんなさい……」
「もう、すぐ謝る」
ふふ、と笑って姉さんはわたしの頭に手を乗せる。
「ね? アイリーン、たまにはわたしにもメイクをしてくれない?」
「えっ?」
「収穫祭も近いんだもの、きれいにしてほしいじゃない」
今のままでも十分に美しい姉さんは花が咲いたように表情をゆるめた。
「この前のメイクだってとっても素敵だったわよ。本当に夢のようだったって、お褒めの言葉と感謝の言葉をいただいているんだから」
アイリーンはすごいのよ!と姉さんの温かい手で撫でられくすぐったい気持ちになる。
「わたしが見ても息を呑むくらい美しかった」
「それならよかった……」
不思議だな、といつも思う。
愛理のときは前向きでどちらかというと強気になれるのに、アイリーンの時は言葉を選んで気を使ってばかりだ。
姉さん相手なのだから、もっと素のわたしでいたいものだけど。
わたし自身も魔力のおかげで愛理というキャラクターに変身しているということなのだろうか。
そう考えるとますます不思議だった。
「だからわたしも変身させて。ハーネスがわっと驚く顔が見てみたいわ」
ハーネスとは、姉さんの恋人だ。
姉さんと彼も昨年の収穫祭で出会ったと言っていた。
羨ましいと思う反面、いつも頑張り屋さんの姉さんだけに、誰よりも幸せになってほしいと思っている。
「もちろんよ」
だから、わたしも笑っていた。
恋をすることに憧れた時期はなかった
諦めよう諦めようとしていたから。
だけど、姉さんたちはわたしの希望だった。




