ヒガンバナ
いつも我々の後を着いて回るあの中毒。中毒を克服したいなら、別の中毒で塗り潰すしかない。毒を以て毒を制す。悲しいかな、他に方法がない。中毒をなかったことにするなんてそんな事は不可能だ。ガンを摘出するのに身体ごと摘出するようなものだ。我々から身体を摘出したら一体何が残るだろうか。ひとかけらのパン。ひしゃげたヒガンバナ。そしてちょうど2gの星くず。我々は中毒と不可分であるし、ガンと身体もそうだ。これらは薄く広く散見される。いつも一緒だ。部分と全体。カメとウサギのしっぽ。我々にも赤いしっぽが生えていればよかったのに。そしたらすべて丸く収まっただろうに。あの底抜けの欠落も姿をめっきりと見せなくなったのかもしれない。
中毒とは彼らの差分であり、記憶である。細胞のひとつひとつであり、散乱する髪の毛一本一本である。ああ、退屈だ。こんな仕方では何年経ってもしっぽへ辿り着かないではないか。手の先からするりと逃げゆく。いつもいつも。歩みを止めるな!叱咤激励が功を奏すのは散乱光がガラスに留まっている間だけだ。走れ!雲に足を取られたく無かったら。転んで膝小僧を赤い血で染めたく無かったら。力の限り。しかし、一体どこへ?道なりに。この先131km直進。右折はなしだ。結局のところあらゆる中毒は即座に狂気に入れ替わる。コーヒーにミルクが注がれるよりも素早く。苦々しいあの風味は眠りの隣におとなしく座って白い服を着た少女を待っている。飲まれるのを。呑まれるのを。のまれるのを。萎れたアサガオは真昼の畑に手向けられている。ごくごくと水がのどを伝う音がする。衰え知らずの太陽がさんさんと行手を照らす。家の影で少し休まなくては。甲高いセミの鳴き声はいつまでも止む事なく寂れた神社の向こうから反響する。例の耳鳴りがする。この景色には付き物だ。ひょっとしたら付きまとっているのはこちらの方だったか。
「10000こうねんはじかんじゃない!…きょりだ!」
ポケットモンスター赤・緑より
光年が時間じゃないのなら
こう言えるだろう。
狂気は性質じゃない、歴史だ。