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08

「きゃ――っ!」

 短く、くぐもったような音しか出せないはずのエリアの喉から、長く尾を引く甲高(かんだか)い悲鳴がほとばしり、倒れ伏した。

「エリア!」

 エリアの悲鳴に恐怖の呪縛を断ち切られたルシの体が動き出し、考える間もなく《輪》へと走り込む。

 ――――――!

 闇の支配する黒い大地を踏みしめた刹那、戦慄(せんりつ)が走った。

 力が流れ込む。ルシの中に。ルシの心に。

 暗く冷たい激流がルシの心を形作っているいくつもの部屋や鍵のかかった扉、輝き、あるいは暗く(にご)った結晶と化した思い出に襲いかかり、すべてを押し流し、飲み込もうとする。

 強く、強引で、強烈な嫌悪とそれに勝る歓喜を起こさせる力。

「やめろ――――っ!」

 我知らず叫んだルシの心に、渦巻き、押し寄せる力とは別に異質な思考が(すべ)り込んだ。

『思い出せ……』

(――――?)

『思い出せ。おまえの力を……』

「僕の……ちから?」

 唇から言葉を紡ぎ出せた事で、ルシは自分の中に彼の心のすべてを打ち砕いてしまいそうだった力の奔流(ほんりゅう)をやわらげる障壁が張られているのに気付いた。魔法を使う事は出来ないとはいえ、《賢者の塔》で基礎的な理論は学んでいる。

 あの思考の主がやったのか?

『そうだ。今のおまえはあまりにも(もろ)い。本来の力を取り戻す前に狂ってしまったのでは元も子もないからな』

 障壁のおかげで考えるゆとりができたルシは急に土足で彼の心の中に踏みいってきた思考の主に腹が立ってきた。

「誰だっ? 僕の心の中にいるのは?

 僕の中から出ていけ! 話があるなら、姿を現してしろっ!」

「――フン、ご挨拶(あいさつ)だな」

 黒く染まった木々の狭間(はざま)から肉声(こえ)が響き、まもなくルシはいつの間にか鴉の発する赤い光さえもなくなった闇の中に黒ずくめの若い男を認めた。

 (すす)色のマントをまとい、腰に剣を帯びたその姿はスラリとのびた若木を想わせ、自信に満ちた優雅な足取りで近づいてくる。

「私がおまえの心に接触して障壁を張ってやらなければ、今頃おまえの心は粉々に砕け散って使い物にならなくなっていたかもしれないんだぞ」

(一体、誰なんだろう? それに……彼も明かりがいらないんだ!)

「その通り。我ら、闇の一族は照明など必要としない」

「僕の心から出ていけと言ったぞ!」

 男はやれやれといった体で嘆息(たんそく)し、軽く右手を振った。

 バシン!

 ルシの左頬に平手でぶたれたような痛みが走る。男はルシから何歩も離れた所に立っているというのに。

「口の利き方に気をつけろ。目上の者にはもっと敬意を払うものだ。

 私はジェレアク。おまえの伯父だ」

 さらりと言ってのけたジェレアクの言葉に衝撃を受けたルシが口もきけずに立ちつくす。

 それを見てジェレアクはせせら笑い、素早く彼に近づくと指でルシの(あご)をとらえて顔をあげさせた。眼を細めて値踏みするように(なが)める。

「真の闇を見通す夜の瞳。黒よりも暗い闇色の髪」

 ルシはジェレアクが形容するルシの容姿と同じものを目の前に見ていた。彼の伯父だと名乗る得体の知れない男を。

「おまえは自分の生まれを疑っていたんじゃないのか? ヒトならざるものだと。

 確かにその通りなのさ。おまえは闇の一族の血を受けている。しかも、闇の王ディスファーンの高貴なる血を」

(ディスファーン――! 闇の王ディスファーンだって?

 僕が……? 嘘だ! そんなの、嘘に……)

「嘘ではない。闇の者は嘘をつく事など遊技のひとつくらいにしか思ってはいないが、おまえが闇の王族の血を引いているのは本当だ。

 ついでに妖精と人間の王家の血もな」

「――――!?」

 更なる衝撃に目を見開いたルシを放して、ジェレアクは言葉を重ねていった。

「昔話をしてやろう。

 ある時、闇の王(ディスファーン)(たわむ)れにヒトの女を愛した。

 人間や光の原の連中は信じないが、魔族にも愛情ってやつが存在するのさ。光の(うから)の心にも(まぎ)れもなく負の感情が存在するように」

 ニヤリと笑ったジェレアクは抗議しようとするルシを身振りで制して話を続けた。

「女の方もディスファーンを愛していたようだが、身体の方が闇の胎児を受け付けず、狂い死んだ。

 だが、母親の腹を裂いて取り出された子供は助かった。それがラリックだ。

 エーリアル公爵がまだ若く、独り身だった時、《光の館》の(あるじ)、エイジェルステインの娘と恋に落ちた。

 若い二人は妖精族では異族間の交わりが禁じられているのを無視し、後先(あとさき)考えずに結ばれたが、母親はやはりヒトの精子(たね)を受け付けず、本来なら流産するはずだったのを(みずか)らの命を削って娘を生んだ」

「ちょっと待って! エーリアル公爵って?」

「おまえもよく知っているアルフィス=リーンさ。もっとも当時の身分は子爵だったがな。

 エーリアル公爵家の始祖は《王国》の王子だったし、その後も繰り返し王家と婚姻の(きづな)を結んでいる。現にアルフィスの母親は王女だった。

 そのアルフィスと妖精の王女エルリィンの娘がエルリアーナ」

(エルリアーナ……ラリック……なんだろう? なんだか、ひどく懐かしいような響きだ。それに、公爵様がなんだって?

 どうしちゃったんだ? 僕は? どうしてこんなに苦しいんだろう?

 頭が、痛い……)

「で、何がどうなってそういう事になったのかは知らないが、偶然にもその禁断の恋の結実であるラリックとエルリアーナが恋に落ち、生まれたのが貴様、という訳だ」

(それじゃあ、公爵様が僕のおじいさん? そんな……)

 みずから闇の一族だと名乗った男の言った事だというのに、ルシの中の何かがジェレアクの話を信じている。

 だが、魔族はヒトを惑わし、その魂を操る為に甘言(かんげん)(ろう)するという。

(とにかく、言質(げんち)を取られないように気をつけなきゃ――)

「どうして僕にそんな話を?」

 うずくように痛む頭を振りながら問うた。

 ルシのまわりで逆巻(さかま)き、押し寄せようとしている《輪》の力。その破壊的な力から彼を護っているというジェレアクの障壁が同時にルシの思考力を奪っていっている事に本能的に気付いていたのかもしれない。

「おまえに自分が置かれている状況を認識させてやる為さ。光の者や人間共によって生得の権利を奪われ、不当な扱いを受けているとな」

「生得の権利?」

「おまえは現時点で我が闇の王家の……第六王位継承権者であると同時に、本来なら光の王家の第二位、《王国》の第七位の王位継承権があるはずだ、という事さ。

 つまりそれだけの身分と生活を保障され、民人にかしずかれているべきなんだ。

 なのにやつらはおまえをどこの馬の骨ともつかぬ者の子だと偽り、狭いあばら屋に住まわせ、古着をあてがって下々の暮らしを()いている」

 ジェレアクの言葉の一音一音がルシの意志を(から)()り、麻痺させていく。

 ルシを護っていたラリックの呪いは元々が身体的な危険に対してより強く働く性質のものだったし、すでにその力は消滅寸前にまで弱まっていた。

「そして何より許し難いのはやつらがおまえの魔力を封印した事だ」

「封印した? 僕の……魔力?」

「おまえは自分には魔法の才がないと思い込まされているようだが、それは欺瞞(ぎまん)だ。

 やつらは生まれたばかりのおまえの魔力を封印した」

「どうして……」

 どんどんぼうっとしていく頭で必死に考えようとした。何かが引っかかっている。何か大切な事を忘れているような。

「わからないのか?」

 ジェレアクの鋭い視線がルシの両眼を通して脳髄(のうずい)を射抜く。

「やつらはおまえの力を恐れたんだ。

 光と闇、両方の王家の力を受け継いだおまえの魔力を!」

 深い夜色の瞳がルシの視界――思考領域――いっぱいにひろがった。それは懐かしいような眠りを誘う闇で……

「やつらはおまえを恐れ、おまえを(おとし)める為にその魔力を封印した。事実をねじ曲げ、偽りを教えて育て、おまえの一生を台無(だいな)しにしようとしたんだ」

 すぐ傍に立っているはずなのにジェレアクの声がどこか遠くから響いてくるような気がする。ルシは自分が母の胎内である、あたたかな暗闇に浮かんでいるような錯覚(さっかく)を覚えた。

「思い出せ、おまえの魔力を封印した鍵を。おまえに与えられた(まこと)の名を。

 おまえが私にすべてを(ゆだ)ねるなら私がおまえの封印を解き、おまえに力を与えてやろう」

「抜け駆けはずるいわよ、ジェレアク」

 突然、張りのある若い女性の声が響き、ルシの眼前に黒い森の風景が戻る。

「エリシャ!」

 いつの間にか、(つや)やかな黒髪を腰まで垂らした美しい女性が彼らのすぐ傍に立っていた。

 黒いブラウスに深緑のヴェストとキュロット、金の肩留めで留められたケープ。膝下までの長靴。腰には剣と短剣を帯び、喉元と両耳に大粒の翠玉(すいぎょく)がきらめいている。

「俺はおまえといっしょにやると言った覚えはないぞ」

「確かにね。でも、私も黙ってあなた一人に彼を渡すと言った覚えはないわ」

(なん……だろう? 誰なんだ、彼女は……?)

 ルシの思考の(もや)がゆっくりと晴れ始める。そしてそれに呼応するように心の眼に深い水底に沈められた鍵のかかった箱の映像がチラつき始めた。

「奴の力の事など、何もわかってはいないくせに」

「白状したわね。あなたがこの件で私に隠し事をしてるのを」

「ひとつの局面で手を組む契約をしたからって、持ち札をすべてさらけだす必要はないさ。おまえだってそんな真似をするほど馬鹿じゃないだろう?」

「そうね。だから私は私のやり方でやらせてもらうわ。

 こちらへいらっしゃい、ルシ」

 エリシャは素早くルシに近づくと彼の頬を両手で挟んで真っすぐにその瞳を(のぞ)き込んだまま、額を合わせた。

「馬鹿な事を……!」

 ジェレアクが造った障壁をすり抜けて、エリシャの意識がルシの中のもっとも深い場所へと滑り込む。

 黒い奔流(ほんりゅう)に洗われて(あら)わになった心の迷路の中で、ジェレアクの話に触発され、ゆっくりと潜りつつあったルシの前に見えてきていた箱。

 エリシャはジェレアクが止める暇もなくその箱の鍵に手をかけ、強引に開けようと試みた。

「やめろエリシャ! 俺達は鍵を持ってない。こいつ自身にやらせないと危険だ! しかも、こいつはまだ契約に同意した訳でもないんだぞ」

「なら、彼の魂を私と共有すると同意して。

 でなきゃ、一か八かやってみるしかないわ。あなたも巻き添えにならないように、ここから出て行った方が良くなくて?」

 心の中でエリシャとジェレアクの声が響き、ルシの思考を痺れさせる。


 咆哮(ほうこう)――


 突如(とつじょ)、聞く者の魂を震撼(しんかん)させる、獣の()え声が(こだま)した。


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