07
「面白い獲物? この、ちっぽけな子供が?」
エリシャとジェレアクの足下に金の髪をしたラスティの少女が横たわっていた。真っ黒な落ち葉が分厚く積もった大地に。
そこは人間達が《黒い輪》と呼んでいる領域だった。
十四年前、ジェレアクが弟シャーンの死を仕組み、その断末魔の呪いを利用して造りあげた野望への足掛かり。
ジェレアクの最終目的がなんであり、この《輪》をどのように使うつもりでいるのか、エリシャにも知る由はない。それどころか彼女にはこの《輪》の性質自体、解明する事ができずにいた。
《知識の塔》のどこを探してもこんな現象に関する文献を見つけだす事はできなかったし、何度となく鎌をかけたり、取引を持ちかけたりしているのだが、ジェレアクは一向にその秘密を明かそうとしないからだ。
彼女が知る限りでは、この黒い大地は《闇の領域》と直接繋がっており、魔族なら誰でも《囲い地》への扉のひとつとして簡単に使う事が出来る。
最近になって《輪》に気付いたキーンやマーカスにジェレアクがした説明はそれだ。《奈落》から帰還して以来、彼が《囲い地》をうろつくのを楽しんでいるのは周知の事だったから。
しかしマーカスもキーンも、この中ではジェレアクの魔力が増大するらしいというのは知らないはずだ。
この場所は彼女にはそんな恩恵を与えてはくれないというのに。
「見てみろ、こいつは変化していないんだ」
「そう言えば……」
エリシャが知っている《輪》の性質がもうひとつあった。
《囲い地》にあるものはすべて《輪》に触れると変化する。このグァドの森の木々や石のように。
それは単に表面が黒くなったというだけではなく、本質からの変化だ。
だから単純な草や石は見かけはたいして変わらないが、動物、特にヒトのような複雑な心というものを持っている存在はかなり激しい外観の変化をきたす。
エリシャは《輪》に迷い込み、異形と化した人間を何人も見ていた。ジェレアクの操り人形として《輪》を徘徊し続けている、物の怪達。
そのせいでジェレアクは《輪》を罠と呼んでいるのだと思ってもいる。
が、呪縛によって眠らされ、足下に横たわっている少女は《輪》の影響をまったく受けていないように見えた。
「どういう事かしら?
……あら、ふぅん……」
魔法の視覚を使って少女を透視してみたエリシャは、少女の中に太古の魔法の片鱗を見つけた。ラスティの民が操るという《超えたる者》の残り香のような呪術。
「気付いたか?」
「確かに面白い存在ね、彼女」
「だろう?」
「フギが彼女を見つけたの?」
「左様でございます、姫様」
近くの枝に留まっていた大鴉が嗄れ声で答えた。ジェレアクの使い魔、フギは特定の姿を持たぬ変幻獣だが、鴉の姿を好む事で知られている。
「時折変化した人間共を外側まで狩りに出すのですが、たまたまこの領域まで引きずってきた獲物の一体が通常の反応を示さなかったもので、眠らせてジェレアク様にご連絡致しました」
「いい判断だわ。
ねェ、フギ。ジェレアクの下で働くのは大変でしょう? 彼の使い走りなんてやってないで私の所にこない?」
「おいおい、フギは手放さないぜ。それに俺はこいつにとても良くしてやっているんだ、なあ、フギ?」
「おおせの通りでございます。わたくしは今の待遇に何の不満もございません。
もっとも、ジェレアク様のお許しがあればエリシャ様のようなお美しいお方にお仕えするに吝かではございませんが」
「如才のない奴だ」
皮肉を帯びたジェレアクの科白にフギは左羽を真横にのばし、もう一方の羽を折って胸の前にもってくると、片足を後ろに引いてお辞儀する、という芸当をやってのけた。
エリシャはおかしそうにクスクスと笑いだし、ジェレアクはフンと鼻を鳴らす。
「私達の間では子供なんて時折の理不尽な熱情の副産物くらいにしか思われていないけど……」
エリシャが急に真面目くさった様子で話し始めた。
「どうして人間は子供を欲しがるのかしら?」
「人間だけじゃない。寿命の短いものほど子を成そうとする。まやかしの不死性を求めているのさ。
こいつの親が夢魔の精子を求めた事を言っているのか?」
ジェレアクは片膝をついてしゃがみ、少女の乱れた前髪をかきあげる。
「ええ。だって夢魔は下位の精霊とヒトの精神が創り出す幻影よ。その幻影と交わって得た子供もまた儚い夢にすぎない。
彼女の親は普通の方法では子を得られなかったんでしょうけど、そんなものに不死性を求める事はできないじゃない?」
「ひと時のなぐさめが欲しかったのか、自分は子供も作れない不完全な身体ではないと証明してみせたかったのか……」
ジェレアクは軽く肩をすくめた。
「ま、どうでもいい事さ。俺に必要なのはこの娘のヒトを惹きつける力だ。人間は夢というものに強く惹かれるものだからな」
「ヒトを惹く?」
エリシャはジェレアクが立ち上がる様子を見ながら眉根を寄せて思案する。
「――! あの子ね?」
一瞬、怪訝な表情を浮かべたジェレアクだったが、それはすぐ理解――驚き――賛嘆へと取って代わられた。
「――知ってたのか?」
「シャーンが死んで以来私の関心がこの《輪》と、アズルにばかり向けられていたと思っていたんならお生憎く様。
アイシャといっしょで、敬愛するお兄様のなさる事はすべて私の関心事なのよ。
アイシャと違うのは私は口先だけで誤魔化されたり、いつもまかれてしまったりしないで、時にはあなたが誰にも見られたくないと思ってした行動を目撃したりするって事ね。
あなたがこっそりと人間の子供に注意を払っているのを知った時には驚いたけれど、すぐに気付いたわ。彼が誰かに似ている事に。
初めはあなたの隠し子かと思っちゃった」
「な! ……おい!」
珍しく慌てた様子のジェレアクの反応にエリシャは楽しそうに瞳をきらめかせた。
「だって、そうでしょ? 彼、あなたにも似ているのよ。そっくり、って訳じゃないけど、なんとなく。
ラリックなんて、私が小さい時に《宮殿》を出ていったきり会ってないし」
「どうやってラリックなんて名前を引っ張りだしてきたんだ?」
「彼にはあの子に害を成そうとして放たれた魔法や暴力をすべて相手に跳ね返すという強力な魔法が働いている。
私やあなたでも手を出すのを躊躇われる程の、それも明らかに闇に源を発する魔法が。あの子自身の力ではなしに。
そんなとてつもない呪いを生み出すのは一体どんな力なんだろうって考えた時に、あなたがこの《輪》を作るのに《冥府の鍵》を利用したのを思い出したの。
それまで《冥府の鍵》といえば、自分を死に追いやった者を呪い殺す為のものと思っていたけれど、何かを作るのに利用する事ができるなら、何かを護る為にも使えるんじゃないかって」
「で、行方不明のラリックに思い当たった訳か」
「ええ。ラリックなら半分はヒトなんだから、そういう使い方をする可能性もあるかも? ってね。最近知らないうちに死んだかもしれない王族は彼だけだし。
あなたこそ、どうやってあの子を見つけたの?」
「俺はラリックを見張っていたのさ」
「まさか彼が《宮殿》を出て行ってからずっと?
どうやって?」
ジェレアクはどちらの問にも答えず、ただニヤニヤと笑ってエリシャを見つめ返している。思わせぶりをして彼女を揶揄っているだけなのか、それとも……
エリシャはフイと視線をそらせて話題を変えた。
「それにしても凄いのね、《冥府の鍵》っていろんな使い方ができるんだわ。なんて素敵なのかしら。
私の願いをかなえる為に、今すぐあなたに私以外の誰かを呪って死んでもらいたいくらい」
エリシャはうっとりと視線を宙に向けると躍るようにその場でクルリと回ってみせる。
「俺が死んだらおまえはさぞかし嘆き悲しんでくれるんだろうな?」
「もちろんよ。ある意味、私と対等につき合ってくれているのはあなただけですもの。
キーンやマーカスには私はただの出しゃばりでお転婆な女の子だし、ヘルヴァルドにとっても妹という目下の存在でしかない。
でもあなたは私を脅威のひとつとして、いえ、ひょっとしたら最大の敵手として意識してくれている、と自惚れているんだけど?」
ジェレアクは黙ったまま、わずかに左肩をあげただけだった。
「あら、肯定してくれないの? ま、いいわ。
とにかく、それがきっかけで私も彼に興味を持って更に色々調べてみたのよ」
「それで?」
「あなた、彼の力が欲しいんでしょ?
多分、それがとても危険なものだと判断した光の者や塔の賢者達によって今は封印されている力。
ウェリアで最も稀有な存在といえる彼が」
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