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04

 ラスティと呼ばれる民がいる。

 農民ではなく、商人でもない。兵士でも僧侶でも貴族でもない。ラスティはラスティであり、本人達も隣人達もそれで納得している。

 もっとも、ラスティに本当の隣人はいない。彼らは流浪の民であり、ひとつ所に落ち着くという事がなかったから。

 彼らは季節労働者であり、芸人であり、細工師であり、(まじな)い師であり、語り()である。乞食(かたい)であり、盗人(ぬすっと)であり、詐欺師(さぎし)であり、間諜(かんちょう)であるとも言われる。

 こんな言い伝えがある――


 ウェリアにまだ造物主(つくりぬし)がその姿を(とど)めていた頃、《超えたる者》達は(みずか)らの血と粘土とを混ぜて下僕(しもべ)を創り、造物主(ディスファーン)精子(たね)を盗んで僕共(しもべども)に子を宿す能力を与え、その民をラスティと呼んだ。

 だが《超えたる者》達自身は子を残す能力を与えられておらず、その為かどうか、彼らは傲慢(ごうまん)で非情、何よりも力を(たっと)び支配欲が強く、不和の種に事欠かなかった。

 さて、自然に(よわい)()きる事のない彼らではあったが、《超えたる者》同士の小競り合いや、(おご)りから(あなど)った魔法の術で(おの)が命を失う事になり、一人減り、二人減り……

 元々多くはなかった彼らの事、ついにはひとりの下僕(ラスティ)も、一族との関わりも持とうとしなかった変わり者の大魔法使いエイリークを除いて、すべての一族が滅び去った。

 エイリークがその後どうなったのか、それは誰一人あずかり知らぬ。

 そして、主人をなくしたラスティの民は寄る辺なく、心安らえる地を求めて流離(さすら)い続けているのだと。




 エーリアル公爵領の東端にひろがるグァドの森。

 面積的には大した広さではないのだが、一抱(ひとかか)えも二抱えもあるような大木が空を(おお)うように枝葉をひろげ、昼なお暗いその一帯に足を踏み入れる者は(まれ)だ。

 十数年前からは、森の奥から夜な夜な不気味な()え声が聞こえ、入り込んだ者が何人も行方不明になったと噂されているとなれば、なおさらである。

 が、その家族達はグァドの森の縁に馬車を停め、炊事の煙をあげていた。物の怪(もののけ)を恐れなかった訳ではない。

 やむにやまれぬ事情があったのだ。

 通常彼らが働く悪さといっても、干してあった古着を一枚頂戴(ちょうだい)するとか、(とり)小屋に忍び込んで卵をいくつか失敬(しっけい)するといった程度で、確たる証拠があるでなし、被害者の方も二言三言(ふたことみこと)(ののし)りをあげてあきらめるものだ。

 しかしその夜、カリンがコーサの村に一軒だけの宿屋兼食堂の裏口の(そば)を通った時、料理人が炊事場を離れたのが見えた。辺りにはおいしそうな料理の臭いが漂っている。

 で、ちょっと口に入れるものを失敬させてもらおうと調理場へ入り込んだその時、料理人が戻ってカリンを見つけ、大声をあげた。

 驚いたカリンがあわてて逃げ出そうとした拍子に熱い油の入った大鍋をひっくり返し、(かまど)の火が油に燃え移って……

 あっと言う間に宿屋全体が炎に包まれた――

 カリンの火傷が床に跳ねた油が僅かにかかっただけで済んだのは幸いだったが、話を聞いた一家は被害を受けて頭に血が上った村人達の報復を恐れ、まだ消火作業の終わらぬうちに村を逃げ出してきた、という訳だ。


 日没――

 豆の(かゆ)と野草の()え物の夕食をとった彼女は森の奥から不気味な(うな)りが響いてくるのを聞いた。

 父さんも母さんも、従兄のカリンやその姉のリリンも、祖父(じい)ちゃんも祖母(ばあ)ちゃんも、エド叔父さんもエリン叔母さんも、まだちゃんと話すこともできない小さなグリンも、騾馬(らば)達もその音を聞いてゾクッと身を震わせた。

 怖くて身体が動かない。声を出す事もできない。

 どのみち木々に(さえぎ)られて見えやしないと思ったけれど、万が一怒った村人に見つかって追いかけてこられたらいけないと、深く掘った穴のなかで燃えている薪のはぜる音がひどく大きく聞こえた。

 唸りは途切れ途切れに、でも段々と大きくなりながら響いてくる。

(近づいて来るんだ――!)

 彼女はゴクッと唾を飲み込んで、闇の向こうからやってくるものを見ようと眼を()らした。




 芥子菜(からしな)のつぼみの先端に黄色い花弁がのぞいている。

 冬の間、大地に張り付くように緑を保っていた加密列(かみつれ)薄荷(はっか)が勢いを取り返しつつあり、黒っぽい緑だった立麝香草(たちじゃこうそう)の葉も明るい緑になってきた。

 (すき)かえされ、()いたばかりの黄花蘿蔔(きばなすずしろ)松明花(たいまつばな)目弾き(めはじき)などの種を抱えた湿った土の臭いが、風に揺れる香草の微かな香りと混ざり合う。

 《賢者の塔》の薬草園。管理人の他、薬師や治療師を目指している徒弟達が交代でその世話を任されているのだが、最期を迎えようとしている今夜(きょう)の太陽が世界に鮮やかな色彩を投げかけている今、あたりに人影は見えない。

 薬草園の真ん中あたり、様々な種類の木々に囲まれて建っている小さな家が管理人、ルシの養い親であるレイドと妻マリエンの住まいだった。

 小さい、といっても夫婦とルシの三人が住まうには充分な広さで、灰色猫のマーシャと大きな白犬のクルトも家の中に居心地のいい一隅を確保している。

 硝子がはまっていない窓は閉めると暗くなるので、扉や窓はすべて開け放たれていた。そろそろ閉めて回らなければならない頃合いだが。

 「ただいま、お母さん」

 玄関を抜けると、すぐに台所と食堂と居間を兼ねた土間。茅葺(かやぶ)き屋根を支える(はり)(けた)から大蒜(にんにく)や唐辛子、種々の香草がぶら下がり、珪藻土(けいそうど)の壁にはマリエンが端布(はぎれ)を使って作った暖かな色合いの壁飾りが掛かっている。

「おかえりなさい、ルシ」

 煉瓦(れんが)と鉄で作られた料理用ストーブの前に立っていたマリエンが、食欲をそそる臭いを立ち昇らせている鍋の中味を()き混ぜながら振り向いた。

 ルシを包み込む、ふわりとした微笑。

 丸っこい輪郭(りんかく)と、ふっくらした頬のマリエンは実際にはそんなことはないのに太って見られる事が多い。茶色い髪には白い物が多くなってきているが、(ほが)らかな声や明るい緑の瞳は娘時代そのままだ。

 マーシャが居眠りをしていた椅子から飛び降りてゴロゴロいいながらルシの足にすり寄ってくる。

 年老いたクルトは動くのが大儀(たいぎ)で彼専用の古毛布の上に寝そべったままクーンと一声鳴いてパタンパタンと尻尾を振った。

「これ、公爵様に(いただ)いたんだ」

 ルシはトントンと靴を踏み鳴らした。

 昔ルドルフが()いていたという半長靴。少し(あぶみ)()れた(あと)があるが、靴底は新しい物に交換してあるし、最上の革を使って腕のいい職人が作った立派な物だ。

「まあ、素敵ね。公爵様はいつも良くしてくださって、本当にありがたいことだわ。

 公爵様にふさわしいお礼はできないけれど、お菓子でも焼いてお届けしておきましょう」

「うん。ありがとう、お母さん。

 それで、前の靴はカルルにあげてきたんだ。帰る途中でばったり出くわしたし、僕には少しきつくなってきてたから」

「あれも公爵様からの頂き物だものね。カルルは喜んでいたでしょう?」

「もちろんさ。カルルにはまだ少し大きいけど、収穫祭までにはピッタリになってるだろうって」

「そうね。さあ、手を洗っていらっしゃい。すぐに夕飯よ」

「お父さんは?」

「裏にいるわ。……もう戻ってくるでしょう」

 マリエンは戸棚から素焼きの麵麭(パン)入れを出してきて、楽しそうに鼻歌を歌いながら今朝焼いた麺麭を切り分け始めた。

 マーシャを肩に抱き上げたルシは、クルトの耳の後ろをちょっと()いてやってから、北側の壁に二つ並んでいる扉の一方をくぐった。

 向かって右がルシの部屋で左がマリエンとレイドの寝室。この家の部屋と呼べる空間はそれで全部で、家の西側に屋根と柱だけの通路で繋がった(かわや)が、ちょこんとくっついている。

 飾り気のない机、丸い座面がついた木の椅子。大きくて頑丈な古い長持ち。

 寝台の下の、紐で取っ手をつけた(ふた)付きの木箱には男の子なら誰でも持っているような、ちょっとした宝物が入っている。

 マーシャを寝台に降ろして少しばかり相手をしてから、ケースに取り付けられている革帯を使って背負っていた竪琴(エーピル)を長持ちと壁の間の隙間(すきま)に置いた。

 小さな短剣――木を削って玩具や笛を作ったり、固い(だいだい)の皮を()いたりする為にレイドが買ってくれたもの――と一緒に、チュニックの上から()めたベルトに端を挟んであった肩掛けを外し、半長靴を脱いで足の楽なサンダルに履き替える。

 しばらく布団の上でルシの顔を見つめていたマーシャだったが、もう遊んでもらえないと判断したらしく、右の前足を宙に突き出した格好でグウッと伸びをすると窓から出て行ってしまった。

 その窓から、裏の井戸で洗ったり()いだりした鋤や園芸用の(はさみ)を古布で()いているレイドの姿が見える。

 白髪混じりの赤い髪、角張った顔にいかにも頑丈(がんじょう)な農夫といった体つき。濃い眉の下の瞳は灰色で、広い額の奥にはありとあらゆる薬草の育て方、植物の病気や害虫・益虫に関する知識がぎっしり詰まっている。

(どうして僕は初めからこの家の子供として生まれてこなかったんだろう?)

 せめて自分の容姿がレイドかマリエンのどちらかに少しでも似ていたら……。

 幼い頃から幾度(いくど)となく去来(きょらい)してきた思いに軽い溜め息が()れ、それに気付いたように顔をあげたレイドと目があった。

「帰ってたのか、ルシ」

 レイドの声はその人柄を表して誠実で暖かい。

「うん。今さっき。すぐ夕飯だって、お母さんが……」

「ああ。うまそうな匂いがここまで届いてるよ。後は鋏に油を塗って、納屋に放り込めば今日の仕事は終わりだ」

「手伝うよ」

「ありがとう。だが、すぐ終わる。おまえは手を洗って、お母さんが皿を並べるのを手伝う方がいい。お父さんが椅子に座ったら、すぐに食べ始められるようにな」



芥子菜(からしな)(辛みのある野菜)

加密列(かみつれ)(カモミール。リラックス効果のあるハーブ)

薄荷(はっか)(ミント。色々な種類のミントがあるけど、ここのはペパーミントっぽいもの)

立麝香草(たちじゃこうそう)(日本でタイムと呼ばれるハーブ。魚料理に合う)

黄花蘿蔔(きばなすずしろ)(ルッコラ。ハーブの一種。香味野菜)

松明花(たいまつばな)(モナルダ。シソ科のハーブ。ベルガモットと似た香りがするためベルガモットと呼ばれることもある)

目弾き(めはじき)(別名、益母草(ヤクモソウ)。薬用植物、漢方生薬)

上記すべて我々の世界の植物と同じではなく、それっぽい物と思ってください。

茅葺(かやぶ)き屋根(白川郷みたいなのではなく、ヨーロピアンタイプです。「ヨーロッパ 茅葺」で画像検索してもらうと素敵な家がたくさん見られます)

(はり) (けた)(梁は家全体の水平方向の荷重を支え、桁は屋根の棟に対して並行方向に架けられた、屋根の荷重を支える部材)

(かわや)(ぼっとん便所なので、臭いなど考慮して居所から少し離して建ててます。出てきた物は堆肥(たいひ)にします)


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