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 彼女には訳がわからなかった。

 彼女は幼く、元々そう利口な方ではなかったし、この数ヶ月に彼女の身に起こった事はあまりにも常軌を逸していたから。大抵の者は同じ目にあえば彼女と同じように、ただ混乱しただけだろう。

 ただ、今の彼女にわかったのは彼女のせいでルシが危ない目にあったらしい事、ルシを助けようとしてあの男の人が彼女の父さんを傷つけた事、でも、その人のおかげで彼女の魂を返してもらえたらしい事……。

 彼女は一体どうすればよかったのだろう?

 父さんも母さんも助けたい。

 だけどルシが、大好きなルシが彼女のせいで傷ついたりしたら……。

 それに一度身体から魂を失った事でなんとなくわかった事もある。

 彼女が半分の存在でしかない事。言葉にして説明できるほど理解していた訳ではなかったけれど、自分が普通でない事だけは、はっきりと感じ取っていた。



 エリアはエリシャが姿を消したあと正気を取り戻し、異形と化した父親に取りすがった。

 父親はラヴァスが両腕を切断したせいで地面に倒れ、なくなった腕を再生させようと、不気味な声で呻きながらのたうっている。ヒトの形をしていた時なら、既に失血死していただろうが。

 命令を下す者がいなくなったせいか、他の物の怪達も攻撃をやめ、ただその場にたたずんでいた。

 この様子なら禁を解いても大丈夫だろうと、ラヴァスはエリアの母親と言われた物の怪を解放し、レイプトを鞘に収める。

 一刻も早くとルシの元へ駆けつけようとしたその時――

「なんだ?」

 ヴァーガ・ジュードがルシを連れ去った方向から発する強い力を感じて森の奥を見やった。

 黒い木々に阻まれてルシやジェレアクの姿が見える訳はなかったのだが、凝縮された力が膨れあがり、弾け飛んでいった気がする。

 そして、その直後から森を包んでいた瘴気が薄れ始めた。

 木々や草が急速にその本来の色を取り戻し、物の怪達の姿が徐々に人間のそれへと変貌していく。

「ルシ……? やったのか?」

 安堵の笑みを浮かべかけたラヴァスの耳にエリアの悲鳴が届いた。

 半ばヒトの姿へと返ったエリアの父親が両腕を差し上げてうめいている。切り株のように切断された肘の下からドクドクと血があふれ出し、エリアの服を染めた。

 駆け寄ったラヴァスの目の前で苦悶に顔をゆがめて背中を反らせた父親の腕がブルブルと震え、ストンと大地へ落ちる。

「父さん!」

 父親に抱きついたエリアが泣きわめく。

 いたたまれなくなったラヴァスは視線をそらせた。彼女の父親の腕を切断したのは自分だ。

 だが、そらせた視線の先にも見たくないものが待っていた。

 ヒトへの変化を始めていた物の怪達、いや、ひととき物の怪に変えられていた者達が苦しんでいた。

 しかも、ラヴァスにはわかったのだ。ただの苦しみではない、彼らは死にかけている。

「やはり、あの獣が言った事は本当だったんだ」

『もはやそれはヒトではない。ウェリガナイザの力で浄化してやるしかないのだぞ』

(彼らはあまりにも深く闇に染まってしまった為にもはや《暗黒の気》なしでは生きられなくなってしまっていたんだ)

「いやァ――っっ!」

 ヒトの顔を取り戻していたエリアの母親が炭化し、崩れ落ちた。

 同時にエリアの身体が硝子細工にでもなってしまったかのように透け始め、存在感が希薄になっていく。

(強い願いに応じて現れた夢の精霊……)

 アルドリュースから託された《記憶》によるとエリアは彼女の両親が古代の儀式によって呼び出した精霊が父親に宿り、母親と交わる事で出来た子なのだという。

 精霊とは姿をもたぬもの。

 その形なきものが与えた精子が仮初めにもヒトの姿をとっていられたのはひとえに母親と父親の子供を持ちたいという願い故。その願いを持っていた二人がこの世から姿を消した今、エリアが存在している理由はなくなった。

 ヒトとして生まれ育ったエリア自身はそんな事など知りもしなかっただろう。

 彼女がジェレアクによってルシの元へと送り込まれたと知る由もなかった賢者達は、ナイジェルに警告される以前からある程度彼女の素性を推測しつつも、無害であると判断していたのだ。


 一陣の風が残っていたエリアの気配を吹き散らし、きらめきながら森の奥へと渡っていった。

 彼女が身につけていた衣服だけが、大地に取り残されている。


「ちくしょう!」

 ラヴァスは手近にあった木の幹に拳を打ちつけた。




 身体が軽くなってゆく――

 彼女を形作っている目に見えないほど小さな要素のひとつひとつが

 蒸気となった水が鍋から逃げ出すように空気の中へ とけていく


 彼女の核となった精霊が

 最後に残った僅かな意識のきらめきを宿して飛翔する

 彼女をつくりだした ふたつの意志が消えた今

 ヒトとしての記憶を留めているのは

 彼女を包むように放射されている ひとつの思いゆえ

 その思いをたどってゆくと 彼がいた

 深く積もった朽ち葉に埋もれるようにして疲れを癒している

 その優しげな顔には昨夜まではなかった苦悩が(かげ)りを落とし

 その魂は混乱し 憤り 怯えていた


 彼女は失ってしまった両腕で彼を抱き

 その気配を感じて身じろぎした彼に

 声なき声で ささやいた


 ありがとう

 ごめんなさい――


 そして彼女は はかない夢の残滓(ざんし)

 すべての記憶を 束縛を振り捨て

 とびたった


最後までお付き合いいただきありがとうございました。「暗黒の輪」はこれで完結です。

この後の話はウェリガナイザシリーズとして「月隠(つごもり)にむかって」で語りますが、その前に「奈落」「闇の碑石」というジェレアクの過去話、「銀の雨」というラヴァスの過去話をUPしていきます。


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