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「エリシャ、ここは任せる」

 エリシャの目の前でジェレアクの姿が薄れ、消えた。

「……エルシアード(かれ)を追ったのね」

 ジェレアクは自分が造りだしたこの《輪》の中なら、どこでも自分の望む場所に瞬時に移動できる。エリシャには《闇の領域》への扉を開く事しかできなかったが。

 その様子を見ていたラヴァスは何やら(つぶや)きながら立てた中指と人差し指で宙に文字を書くような仕草をし、まばゆい程に輝いたレイプトの刃を大地にめり込ませた。

「ラヴァスアーク……。一体何を?」

 エリシャの微かな呟きを耳にいれたラヴァスが答える。

「あの物の怪(もののけ)を大地に()い止めたのさ。君からエリアの魂を返してもらうのを邪魔されたくなかったんでね」

「私から魂を返してもらうですって? 魔法の武器(レイプト)なしで?」

 エリシャの目が険悪に細められた。

「俺にはまだアズルの(かたな)鍛冶(かじ)が精魂込めて(きた)え上げた名刀《青龍》がある」

 ラヴァスは左手を剣の柄にかけ、半歩踏み出す。

 まだ何体も残っている異形の者達はその場の張りつめた空気に気圧(けお)されたように動きが鈍かった。

 が、涼やかな瞳でエリシャを見つめるラヴァスからは(つゆ)程の殺気も感じられない。

「女だと思って甘くみないことね。私も闇の王族。腕力だって人間のあなたより上かもしれなくてよ」

 言いながらエリシャは大ぶりの剣を抜いた。

 剣技にも自信を持っているエリシャには、極端に短いラヴァスの剣では、その切っ先が彼女に届かぬうちに勝負が決するだろうと思える。

(レイプト同様あの剣にも破邪の魔法が……?

 いいえ、そんな波動は感じられない。……だけど伝説の国(アズル)の魔法なら?)

 そんなエリシャの逡巡(しゅんじゅん)を嘲笑するようにラヴァスの唇の片端があがった。

 次の瞬間、ラヴァスはエリシャの目前に迫り、反射的に打ち下ろされたエリシャの剣を弧を描くように引き抜いた剣の刀背(みね)で受け止める。

(なんて素早いの!)

 ラヴァスはエリシャの剣を受け止めたまま左腕をグイとあげ、身を(ひね)って左足を蹴りだす。

 ラヴァスの剣を押し戻そうと前に体重をかけていたエリシャは、腹にむかって迫ってくる足を避けようと無理な体勢で飛び退(すさ)った。

 間髪をいれず、軸足を折って独楽(こま)のように身体を回転させたラヴァスの足先が着地寸前のエリシャの足首を払う。

「きゃっ!」

 尻餅をついたエリシャの喉元に、紙一重の差を残して鋭い刃が押し当てられた。

(なんて戦い方……)

 何かの魔力を秘めているのではないかと、剣にばかり気を取られていたのが悔やまれた。おまけに彼女はラヴァス自身の魔法攻撃に対する防御にも注意を割いていたのだ。

「今すぐエーリアルの魂を解放しろ! でないと……」

 女と思って甘く見るなという警告はラヴァスにはまったく必要なかったようだ。そうするべきだと判断したら、エリシャが泣きわめこうが懇願(こんがん)しようが、彼は躊躇(ちゅうちょ)せずに刃を引くだろう。

 エリシャはまだ右手に剣を握ったままだったが、ここで奈落行きの危険を冒してまで運を試してみる気になれなかった。

「とりあえず、降参という事にしておいてあげる。彼女の魂は解放するわ。

 少し動いてもいいかしら?」

 無言で(うなづ)いたラヴァスの顔を凝視(ぎょうし)しながら左手で隠しを(さぐ)り、小さな瓶を取り出す。

「このまま(ふた)を開けたんじゃ、魂が迷ってしまうわ。私が直接彼女に返さないと」

「どうするんだ?」

「立たせてくれない? 剣は……ほら」

 エリシャは持っていた剣を出来るだけ遠くへ投げた。

 ラヴァスは慎重に刃の位置をずらしながら右手でエリシャの手をつかみ、引き起こす。

 彼の背丈はエリシャより(わず)かに高いだけだというのに、その手は意外に大きかった。

 エリシャは背中にラヴァスの剣の切っ先を感じながら傍らにエリアを呼び寄せる。

 封蝋(ふうろう)で固められた瓶の(ふた)を力任せにねじ開け、中味を口に含むと身をかがめてエリアにくちづけた。

 エリシャの両手に顔を挟まれたまま、(うつ)ろだったエリアの瞳が驚いたように見開かれ、まばたきが繰り返される。

 ラヴァスがそのエリアの表情に気を取られた一瞬の隙に闇への扉が開いた。

「くっ……うっ!」

 突如(とつじょ)、直近で開いたその扉口から凄まじい勢いで闇の気が吹き出し、ラヴァスを襲う。

 その機会を(のが)すエリシャではない。

「……待てっ!」

 突き出されたラヴァスの剣から素早く身をひるがえすと扉の中へと飛び込み、吹き流れる美しい髪を掻きあげながら微笑んだ。

 気の流れは徐々に穏やかになっている。

「まだ扉は開いているわ。追いかけてきてはどう、勇敢な竜騎士さん?」

 剣を鞘に収めたラヴァスは軽く鼻を鳴らして肩をすくめた。

「やめておこう。俺はルシからエリアの事を頼まれているんだ」

「あら、残念。こちらの世界へ来れば、あなたの魂も闇に染まって私の下僕に相応(ふさわ)しくなるかもしれないのに」

 エリシャの眼差しにはラヴァスを愛しむような媚びさえ感じられる。酒場の扉口で似たような事を言われれば男は皆、一も二もなく彼女について行くだろう。

「俺も残念だよ。君がヒトの娘でなくて」

 なぜそんな事を言ってしまったのかラヴァスにもわからなかった。

 (ほろ)を絞るように閉じていく扉の向こうからエリシャの声が(こだま)する。

「気が変わったらいつでも言ってちょうだい。真夜中に心話を使って私の名を呼んでくれれば応えるわ」


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