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「こいつは……」
《輪》を眼前にして、ラヴァスは立ち止まった。話には聞いていたが実際に目のあたりにすると、覚悟していたとはいえ肌が粟立つような感触を覚える。
たちのぼる瘴気は大地の悲鳴。ヒトの領域のさらす骸。
彼自身様々な防御魔法で身を守る事ができるとはいえ、賢者達が長時間有効な防護で彼を覆ってくれた事をありがたいと思わずにいられなかった。
「エリア、今度こそ、ここで待っているんだ」
ルシがエリアの両手を握って言い聞かせようとしている。
何度危ないからここで待っておいでと言っても、彼女は親鳥について歩く家鴨の雛のようにフラフラとルシの後をついて来てしまっていた。
「無駄だ。彼女は君について行くように命じられているんだろう。どうしても置いていきたければ、どこかに縛りつけておくしかない。
でなきゃ、君も一緒にここに残るか、だ」
ラヴァスにとってルシを置いてくる為に一度《賢者の塔》に戻った方がいいのは自明だった。
だがエリアに残された時間がどれだけあるかわからない。だからせめて、たとえ《輪》のすぐ傍であったとしてもルシにその場に残ると言ってもらいたいというのが本音だっただろう。
「だけど……」
言い淀んだルシの決断を待たずにラヴァスは《輪》に足を踏み入れていた。油断なく辺りに気を配りながらも、どんどん進んでいく。
先刻ルシが一緒に行くと言った時も、ラヴァスは自分の行動は自分で決めろとだけ言ってサッサと歩き始めてしまったのだ。
「……おいで、エリア」
ルシもエリアの手をひいて、黒い大地に足をおろした。
前のような凄まじい戦慄は感じられない。封印が解かれた事で自然と魔力が働き、ルシを護ってくれているのだろう。
認めたくはないが、ルシの一部はこの領域に身を置く事を喜んでさえいる気もする。
それでも周囲から押し寄せる普通でない、という感覚が臓腑が締め付けられているような錯覚を起こさせた。
エリアは何の反応も示さない。
ラヴァスは黙したまま振り返ろうともしなかったが、つまずきがちなエリアを連れて進んでいるルシに合わせて歩調を緩めてくれていた。
それに、極度に緊張したせいで鋭くなった感覚によって気付いた事もある。
ラヴァスの身体から半球形の《気》が発されてルシとエリアの後方辺りまで拡がっていた。
(凄い。これじゃ、後ろにも眼があるなんてもんじゃない。きっとラヴァスには周囲のすべてが手に取るようにわかるんだ)
そして、それに気付いた事で改めて封印されていたルシの能力が解放されたのだと自覚する。
元々魔法が働いているとなんとなくそれを感じる事はできたとはいえ、こんなにはっきりとその存在を知覚できたのは初めてだったから。
ラヴァスが作り出している結界にビリッとした緊張感が走る。
立ち止まったラヴァスの視線の先に、いた。
ジェレアク。そしてエリシャ。
「これはこれは……」
ラヴァスと対峙したジェレアクはまるで旧友と再会したように破顔した。
「竜騎士ラヴァスアーク。フギから君の登場を聞いてはいたが、まさか我が縁者を伴って来てもらえるとは思っていなかったな」
「貴様がジェレアクか? あの使い魔が俺の顔を知っていたとは驚きだな。それともレイプトに気付いたのか」
ゆったりと落ち着いた口調で応えたラヴァスはやや眼を細めて、鷹揚に構えたジェレアクとその傍らで好奇心もあらわにラヴァスを見返しているエリシャを子細に眺める。
「妙だな。会ったのは初めてのはずだが、その顔……見覚えがあるような気がする」
「見覚え? それは奇妙だ。直接にまみえるのは初めてだよ、竜騎士殿。
こちらは君にはちょっと興味を持っているんで、何度か鏡で覗かせてもらった事があるがね」
「興味?」
ラヴァスの片眉が跳ね上がる。
「そう、色々と事情があって。
それよりも我が甥に付き添って、わざわざ出向いてくれたのは彼の闇の王族としての門出を祝ってくれる為なのかな?」
「僕はエリアの魂を返してもらいにきただけだ」
ルシはエリアの手を放してラヴァスの横に進み出た。
「彼女の魂はここにあるわ」
エリシャは隠しから小さな硝子の瓶を取り出す。
透明なその容器には普通の視覚には何も入っていないように映るが、ラヴァスとルシには中で何かもやもやとした物が蠢いているのが見えた。
「でも、ただで返してあげる訳にはいかないわね。わかってるでしょうけど」
瓶を隠しに仕舞いながら浮かべたエリシャの微笑みは、思わず笑みを返してしまいたくなるほど魅力的だ。
「なら、力尽くで返してもらうさ」
ラヴァスはエリシャとジェレアクを等分に見据えながら、留め具を外して武器の縄を手に取り、鞘から刃と鉤を引き抜いた。
「そんな事ができるかしら? 竜のいない竜騎士に」
エリシャは優雅な仕草で肩にかかった髪を後ろに払うと挑発的な流し目を送る。
「試してみるか?」
ラヴァスの唇に不敵な笑みが浮かんだ刹那、レイプトの刃が宙に円を描くと蒼白い軌跡を曳いてエリシャに向かって飛んだ。
ジェレアクの投げた短剣がその刃を跳ね返したが、レイプトの縄は生き物のようにうねって勢いを取り戻し、今度はジェレアクに襲いかかる。
キィン!
ジェレアクの剣が抜かれ、刃と刃がぶつかって火花が散った。
「エルシアード! こっちへいらっしゃい」
フギからもたらされたルシの真の名。エリシャはルシの魂の深奥を震わせる名に魅惑の魔力を込めて呼ぶ。
「ヒトとして暮らしてなんになるの? 忌むべき力を持つ者として疎まれるだけでしょう?
もしもラリックがあなたを護る呪いをかけていなければ、あなたは生まれる前に殺されていたわ。光の者や人間によってね。
エルシアード、私を見て。私ならあなたに力の使い方を教えられる。すべてをあなたの思うままに操る術を。支配し、君臨する為の方法を」
エリシャの言葉がルシを捕まえ、包み込もうとする。その甘やかな声は耳に快く、やさしげな眼差しが心をとろかす。
彼を抱こうとひろげられた彼女のしなやかな腕に身を預けるのは、どれほど気持ちいいだろう?
「しっかりしろ、ルシ! つまらない魔法に引っかかるな。エリアみたいになりたいのかっ?」
ラヴァスがジェレアクと激しく渡り合いながら叫ぶ。
ハッとして振り返ったルシは、さっき手を放されたと同じ場所で、ただぼんやりと立ちつくしているエリアの虚ろな瞳を見て激しい怒りを覚えた。
「エリア……」
いつもベルトに差して持ち歩いている小さな短剣を抜く。武器として使うには覚束ないが、素手で立ち向かっていくよりはマシだろう。
「エリアの魂を……返せっ!」
エリシャの懐に飛び込むように斬りかかった。
が、素早く剣を抜いた彼女はあっさりとその突きを受けとめ、そのままルシの短剣を跳ね飛ばした。
「聞き分けの悪い子は嫌いだわ。少し、お仕置きが必要かしら?
……ジェレアク!」
エリシャの呼びかけを聞いたジェレアクは執拗に繰り出される刃を剣で打ち返しながらも、闇の言葉で何事か呼ばわる。
と、待つ程もなく、暗い森の陰から何体もの異形の者が姿を現した。
それは出来の悪い人間の戯画のような怪物達。
すべて二本足で歩いてはいるが、鉤爪を持つ者あり、鞭のような触手を持つ者あり、腕が鋭い鎌になっている者もいる。
皮膚は鱗や羽毛や毛で覆われ、あるいは蛞蝓のようにぬらぬらとぬめっていた。
その不気味な外見にルシは思わず後退る。
「さあ、お手並み拝見ね、エルシアード。あなたの中に眠っていた力を使ってみなさいな」
(僕の中に眠っていた力……)
言われるまでもない。危機に直面して、それを使う事を切望しているのは誰よりもルシ自身だった。
だが、どうすればその力を引き出す事ができるのだろう?
恐怖や怒りに任せて魔力を使えばルシ自身が暗黒の力に捻じ曲げられかねない。
「うわっ!」
ルシは異形の者の振り下ろす鎌を避けようとして、木の根に足をとられた。
あおむけに倒れたルシの眼前に蟷螂のような腕が振り上げられる。
※隠し(ポケット)
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