11
「助けて」
と彼女は言った。そう言うように教えられたから。
彼女の喉をしめつけていた恐怖は消え去った。もう声を出して普通に話す事ができる。
だが、恐怖といっしょに他の感情もどこかへ消え去ってしまった。違う、どこかへ、じゃない。あの女の人の所へだ。
長い黒髪をした綺麗な人。
その人は眼を覚ましたばかりの彼女の傍にひざまづき、いきなり唇を重ねてきた。そして彼女の魂を吸い出し、小さな瓶の中に入れてしまった。
今の彼女は中味のない空っぽの器。
だから彼女は怖がらない。だから彼女は悲しまない。苦しまない。考えない。
ただ言われた通り動くだけ。あの小さな瓶を、彼女の魂を持っているあの人の言う通り。
「どうしちゃったんだ? エリア!」
ルシは両手で、虚ろな表情をしたエリアの腕をつかんで揺さぶった。
何もかもわからない事だらけだというのに、ヴァーガ・ジュードが姿を消してしまい、途方に暮れていたルシの眼前にフラフラとエリアがさまよいだしてきた。
暗い中を手探りで進んで何度も転んだらしく、服が裂け、手足や顔が傷だらけになっている。
殺されてしまったか、物の怪にされたかと案じていた彼はほっとして駆け寄っていき、気付いた。彼女から精気が感じられない。
「助けて……」
エリアの唇が動き、言葉を紡ぎだした。か細い、かわいらしい声。
「エリア、君、口がきけるように……」
「助けて、ルシ。私の魂を取り戻して」
「魂? 取り戻すって、一体……」
「エリシャ様が私の魂をとっちゃったの。ルシがエリシャ様の言う事をきいてくれたら返してくれるって」
「エリシャ様……?」
確か、ジェレアクと言い争っていた女性の名だ。
(魂を……とられた?)
どういう事だろう? エリアはここにこうして生きているのに。
「あなた様が《輪》に戻られないと、その娘の身体は生きながら崩れていく、という事ですよ」
突然、足下の落ち葉の塊が盛り上がって話し出し、見る間に鴉に姿を変えた。
「おまえは……!」
ルシとエリアを《輪》へと導いた鴉。エリアがルシの元へと現れたのも、またこの鴉が誘導したからに違いない。
「フギと申します。ジェレアク様のお使いを務めるもの。以後お見知りおきを、エルシアード様」
エルシアード。
その名で呼ばれる事はルシの胸に苦いものを込みあげさせた。彼はもう前夜までの彼ではなくなったのだ。
「僕の名前を……」
「先程の混沌の獣とのやりとりを聞かせていただきました。真の御名を知り得ましたからにはそうお呼びすべきかと」
ではこの鴉はすべて見ていたのだ。
彼の涙も、幻の身体を引き裂かれ、ヴァーガ・ジュードの前に剥き出しの心をさらした事も、激しい苦痛にゆがめた表情も。
そう思うとまるで恥部を見られたようで、顔が火照るのを感じた。
「どっちの名前も魔物なんかに呼ばれたくない!」
嫌悪感を払うように腕を振り、鴉から顔を背ける。
「これはまた、つれないお言葉で。でも、私の言う事には耳を傾けられた方がよろしいですよ。
この娘……」
フギは首を傾げてくちばしでクイとエリアを指した。
「一刻も早う器に魂を戻してやらねば、よしんばエリシャ様が魂を解放されたとて、帰る体を失くして霊としてさまよう事になりますぞ」
「なんだって?」
「体と魂はまったく無関係に存在しているのではありません。魂のない肉体はその構成要素を正しく留めておく為の力を持たないのです。
故に放っておけば娘の体は一夜とたたぬうちに崩れ始め、塵となり果てるでしょう。
そうさせぬ為にはあなた様が《暗黒の輪》へと戻られ、闇の御子として……」
「僕は闇の者なんかじゃない」
「いいえ。ラリック様は我ら闇の一族を統べる王の現し真子。
その御子であられるあなた様は紛れもなく……」
「違う! 僕は……」
言葉を切ったルシは拳を握りしめ、眉間に皺を寄せた。
闇の族。
魔族とも呼ばれるその種族は人々に恐怖と苦痛を与える存在として語られている。
彼の身体に四分の一の魔族の血が流れているからといって、彼が闇に帰属する謂れはない。
「闇の王子は僕に命を与えてくれたけれど、僕の両親は《賢者の塔》のレイドとマリエンだ。だから僕は……僕は人間なんだ」
「ではなぜ、あなた様は私とお話できるのです? 闇の言葉を話している、わたくしと」
言われるまで、気付かなかった。そう、確かにこの鴉は王国語でも妖精語でも、海の帝国で使われているものでもない言葉をしゃべっていた。ルシが習った事のない言葉。
「闇の……言葉……」
自分のものになったばかりの記憶を探り、ラリックが《冥府の鍵》を使った時に魔力の源である闇の言語を彼の封印されていた部分に刷り込んでいったのだろうと推測する。
「僕は……」
「さあ、私と一緒においでください。ジェレアク様もエリシャ様も甥御であるあなた様を一族として迎え入れたいと切望しておいでです。
《闇の宮殿》には他の伯父君、伯母君、祖父君も居られますぞ」
「何を話してるんだか知らないが、どうせろくな事じゃないんだろ、鴉さん?」
バサバサバサッ……
いきなり響いてきた声にフギが慌てて飛び上がり、枝の間を縫って旋回する。
自分の問題で手一杯だったルシはともかく、なぜフギまでがその男の接近に気付かなかったのだろう?
小さくてぼんやりした物とはいえ、彼は明かりを携えてさえいたというのに。
宙に浮かぶ不思議な明かり。
あたたかさを感じさせる黄色っぽい光に照らされた男は若く、しなやかな体つき。
鉢巻きと半袖チュニック、脛覆いは青。チュニック下の長袖、細身のズボン、指先のない手袋、チュニックの上に巻いたベルト、肩につかないよう切られた髪は黒だった。
腰の左側から剣の柄が覗き、右腿の付け根あたりに鞘の先が見えている。剣というより長めの短剣か。
「おまえは……! なぜおまえがこんな所に……」
男の顔を見たフギが、ルシの頭上で小さな輪を描いて飛びながらわめいた。
「俺にわかる言葉でしゃべってくれないか。
でなきゃ、さっさと消えうせろ!」
きらめく黒曜石のような瞳でフギを睨みつけた男は、言うが早いかベルトの右側に吊っている黒紐を束ねた革帯の留め具を外した。
閃光がフギに向かって走る。
が、飛び去って行ったフギとの間に紙一重の空間を残して光は一瞬動きを止め、弾かれたように男の手に戻った。
縒り戻しがついた縄の先に掌程の長さの刃がついていて、それが光を発していたのだ。
だが刃の光はすぐに消え、それが金属ではなく半透明な水晶のような物で出来ているのがわかった。どんな魔法か、細縄も綺麗に束ねられた状態に戻っている。刃と反対の縄の先には小さな三又の鉤。
「思ったより逃げ足が速いな。
……あいつ、ただの小魔じゃなかったのか?」
「え?」
男の問は明らかにルシに向かって放たれたものだ。
あまり次々に色々な事が起こったもので思考が停止していたらしい。頭を振って、何度も瞬きする。
「大丈夫か?」
ルシの様子に不安を感じたらしい男は、手元を見もせずに右手だけで刃と鉤をベルトに作りつけられた鞘に戻し、所定の位置に縄を留めるとルシの傍らへ歩を運んだ。
「大丈夫です。
すみません。ちょっと、混乱してて……」
隣に立ってみると男の背丈はルシより半スパンほど高いだけだった。つまり王国の成人男性の平均か、それよりやや低いという事だ。
会った事はない。しかし、さっきの奇妙な武器。あれは……
ルシの脳裏に彼の師であった吟遊詩人スヴィーウルの名を広く知らしめた歌の一節がよみがえる。
しなやかなる細綱は
鋼より強く 炎にも燃えず
竜の牙より磨かれし刃は
生あるがごとく宙に舞い 蒼白き輝きを放つ……
「あなたは……」
「俺はラヴァス。塔の賢者達に頼まれて君を探しに来た」
その簡潔、というかざっくばらんな自己紹介はルシが予想した素性には相応しからぬものだったが、その名前はまさしく……
「ラヴァスアーク! ……様……ですよね? 竜騎士の」
興奮して声をあげはしたものの、やはり不安になって尻すぼみになっていったルシの質問にラヴァスは黙って頷いた。
「じゃ、やっぱりそれは《稲妻》だったんですね。あの竜騎士アルスラヴィンの!」
《月の谷》の戦いで闇の王子シャーンを討ち取り、悲劇的な死を迎えた竜騎士アルスラヴィン。
その息子が、竜達がまどろむ《炎の国》で父の友であった竜ヴァルガスと再会を果たし、史上最年少で竜騎士となった話は都から遠く離れた地に住むルシの耳にも届いていた。
「……ああ。こいつが歌に名高いレイプトさ」
ラヴァスは僅かに肩をすくめ、スイと視線を泳がせて、刃の収められた鞘を叩く。
ルシはその何気ない仕草と微妙に低くなった声に苛立ちのようなものを感じた気がした。
(何か悪い事を言っちゃったのかな?)
それでなくてもラヴァスにはどこか張りつめた弓や鋭い剣を思わせるような魅力的だが近寄りがたい雰囲気がある。
なんとなく気まずくなって何か言わなければとあせった。
「あの……竜騎士ラヴァスアーク。さっき僕を捜しにきたって、おっしゃいましたよね?」
※半スパン(約九センチメートル)
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