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01

 混沌の王子ディスファーンがウェリアを創りあげた時、大地から混沌の宮廷人(みやびと)の似姿である者共を形作った。

 これが後に《超えたる者》として伝えられる魔法に()け、(よわい)永く、各地にその遺物を(のこ)して姿を消した一族の始まりである。

 また王子は大気のエーテルから三人の女を(しょう)ぜしめた。

 金色の髪と瞳を持ち、光の魔法を()くする女を真昼に。

 黒い髪と瞳、闇の魔法に長じた女を真夜中に。

 そして、昼と夜とが()かたれず、光と闇が渾然(こんぜん)()けあう黄昏(たそがれ)に、魔法はつたないが工夫の才に富んだ赤い髪と黄昏色の瞳の女を。

 彼女らはそれぞれ混沌の王子との間に母親によく似た子をもうけ、息子達は父に(なら)ってそれぞれの伴侶をウェリアを形作るエーテルから創りあげた。

 すなわち、木々や炎、月光、湖水。黒曜石、青玉、真珠、蛋白石。鱗、羽根、牙……

 それが妖精や魔族、ヒト、小人、巨人……と呼ばれる数多(あまた)の種族の起こりである。


 だが、創始(はじめ)はひとつであった者達はそれぞれ独自の変化をとげ、互いに相容(あいい)れぬ存在となっていった。

 更に造物主(つくりぬし)ディスファーンの失踪(しっそう)によって差別化に拍車がかかり、混沌と混乱の時代を()て、まったく異種のものとして互いに交わる事すら困難となっていったのである。





「――降参だ。一息いれさせてくれ」

 ジェレアクは左手を挙げて剣を打ち込もうとしていたエリシャを制した。

 闇の王ディスファーンとその一族の居城《闇の宮殿》。

 《緑葉の庭》と名付けられた庭園の芝生の上で、今まさにジェレアクにむかって踏み込もうとしていたエリシャはたたらを踏んでとどまった。

 動きやすい衣服に喉元までを保護する革の胴着、肘までの手袋を身につけ、緑のサッシュを締めている。まっすぐな長い黒髪は邪魔にならないようにひとつに編み、冠のように頭に巻いていた。

「ずるいわ。もう少しで一本取れそうだったのに」

 下の方が緑がかってみえる大きな黒い瞳が憤慨(ふんがい)できらめいている。

「だから降参だと言っただろう?」

 エリシャのと似たような運動用の着衣をまとったジェレアクは練習用の剣を地面に突き立てた。手袋を外し、大理石の噴水の縁に置いてあった手布(しゅきん)を取って額の汗をぬぐう。肩先で切りそろえられた闇色の髪がサラリと揺れた。

「口で言われるのと実際にあなたをやりこめるのとでは、まるで違うわよ。

 一度くらい私にまともに勝たせてくれたっていいんじゃない?」

「そいつは願い下げだ。『負ける』という単語は僕の神経を逆なでするんだ。『戦略的撤退(てったい)』なら構わないがね」

 剣を持ったまま腰に手を当てたエリシャは胸を()らせて、腹違いの兄を()めつける。

「あら、そう。で、その差はどうやって見分けるのかしら?」

「俺が『負けた』と思わなければ、それでいいのさ」

 ニヤリと笑ったジェレアクは手布を投げ出して、エリシャに背を向けた。

「ちょっと、どこへいくの?」

「面白い獲物がかかったと罠番から連絡が入った。行って見てくるよ」

「罠番? フギからの連絡なんていつの間に……。

 ホント、頭にくるわね。私の剣を受けながら、使い魔と連絡をとってるなんて。

 ……待ちなさいよ、私もいくわ!」

 剣を放り出したエリシャは(あわ)ててジェレアクの後を追った。





 昼下がり。竪琴を(かな)でるルシの背後で草を踏む音がした。普通なら気付かぬような軽い小さな足音。

「エリア、おいで、僕の小さな妹」

 ルシは小さな丘の上から見渡せる景色から目を離さず、竪琴を弾く手を止めぬまま、節をつけて呼ぶ。

 おどおどとした素振りで茂みを分けて小麦色の肌をした十かそこらの少女が現れ、もつれた金髪を手でかきあげながらルシの後ろ、少し離れた日溜まりに腰をおろす。

 誰かのおさがりなのだろうか、ルシもエリアも少しばかり色が()せてはいるが、きちんと洗濯された質の良い衣類をまとっている。

 エリアは裸足だが、ルシはすぐに身につける物の大きさが合わなくなる年頃の平民の子供がよく()いている、木の皮のサンダルや足に巻いた鞣革(なめしがわ)を紐で縛っただけの代用品ではなく、古びてはいるが頑丈な革の半長靴さえ履いていた。

 髪も瞳も黒く、少女のようにさえ見える綺麗な顔立ち。スラリとした体つき。背丈(せたけ)は来月十五になるにしては低め、というより普通より少し成長が遅いきらいがあった。

「不思議だね。僕は誰にも聴かれたくない、僕だけの歌を歌いたいからここに来る。僕がいつも自分の為にだけとってある歌を。

 それなのに僕は君が傍にいるのが気にならない。それどころか君に聴いていて欲しいとさえ思うんだ、エーリアル。

 エーリアル……これは君の本当の名前じゃない。君の真実の名は時の流れに失われてしまった。エーリアル……

 だけど、僕は君のその名前が好きだよ。それが今の君だから。可愛いエリア」

 ルシの声は低く、少女に届いているのかどうかさえ定かでないような(ささや)き。

 その彼が奏でているのは小さな水晶球と銀の飾りのついた黒檀(こくたん)の竪琴。

 《賢者の塔》の薬草園を管理する夫婦の養い子には立派すぎる代物(しろもの)だが、数奇な人生を()て《賢者の塔》でその最期の数ヶ月を過ごし、ルシに竪琴と歌を教えてくれた吟遊詩人スヴィーウルからの贈り物だった。

 小人の技が込められているという魔法の竪琴。

 ルシはふと、エリアが彼の歌を聴きに来るのはこの竪琴のせいではないのだろうかと思う事がある。自分は知らぬ間に聴衆を求めて、この物言えぬ少女に呪縛をかけているのではないかと。


「冷え冷えとした夜気が僕を包む

 透き通った夜の向こうに 真っ黒な闇


 しっとりとした夜露が僕の足を()らす

 静寂という名の音楽

 どこか僕の奥深く

 僕自身ですら触れた事のない場所から湧きあがる

 痛いほどの歓喜


 やわらかな闇の愛撫(あいぶ)に身をゆだね

 はるかな時代(とき)を超えた精霊達の魔詩(まがうた)に 心を(かたむ)ける


 熱く燃えあがる血潮と 冷たく()え渡る思考(おもい)と――

 僕が属している世界

 僕が風景の一部である世界

 言葉は口にするよりも早く運び去られ

 哀しみは知られる事なく溶け去る……」


「その歌、どこで覚えた?」

 誰もいないはずの空間から突然響いた声に驚いて、ルシの手が耳障りな和弦を()き鳴らした。

 それに抗議するように竪琴が弾かれもしないのに震え騒ぐ。

 《叫ぶもの(エーピル)》という名を持つこの名器は不注意な扱いには気難しい老人のようにうるさい。

「ええい、その高慢ちきな楽器をなんとかしろ! うるさくてかなわん」

 ルシはやさしくハミングしながら短い旋律を奏でた。

「フン。おまえは機嫌をとるほかに(おのれ)の楽器を大人しくさせる事もできんのか?」

「申し訳ありません。僕はエーピルを扱うには未熟すぎるのはわかっているんですが……」

 ルシはエーピルにむかって《結びの言葉》をささやくと丁寧(ていねい)に革のケースに仕舞い込んだ。

「ところで、そろそろお姿を拝見させていただけませんか? まさか、小さな女の子を怖がらせるのがご趣味ではないでしょう」

 言い終わらぬうちにルシの瞳の向けられた先の空気がゆらぎ、緑の装束に身を包んだ背の高い妖精が現れた。春の日差しのような巻き毛と琥珀(こはく)の瞳。真珠色の肌。

 さっきまで蒼白な顔をして身動きもできなかったエリアが大きな目をいっぱいに見開いて、その美しさに見惚れている。

 ルシはケースを脇に抱えて片膝をつき、《光の民》の言葉で語った。小さい頃から習っていたとはいえ、実際に光の民を相手に話すのは初めてだったので、かなり不安ではあったのだが。

「人の子の世界へようこそ、《光の原》のお方。

 僕は《賢者の塔》でお世話になっているルシと申します。

 彼女はエーリアル公爵様が後見をなさっているエーリアルです。彼女は口がきけず、誰も彼女の名を知っている者がいなかったので御領地の名を頂いたんです」

「なるほど、一応礼儀はわきまえているようだな。《賢者の塔》で学んでいるのなら当然だが。

 私は《光の(やかた)》のナイジェル。

 ところで、おまえはまだ先程の問いに答えてはおらんぞ」

 ナイジェルの言葉にルシは質問を思い出すように間をおき、恥ずかしそうに顔をうつむけた。

「さっきのは教えられた歌じゃありません。えっと、その……僕が作ったんです」

 その答えにナイジェルは(わず)かに眉を寄せ、何事かを思案するようにルシを見つめる。その心の底まで見通しているような鋭い眼差しは、ルシにとても居心地の悪い思いをさせた。

「もうひとつだけ()こう。おまえには姿を見せる前の私の位置がわかっていたのか?」

「はっきりわかっていた訳じゃありません。でもなんとなく。僕には魔法は使えませんが、魔法を感じる事はできるんです」

「おまえにはその意味がわかっているのか? 自分の魔法が禁じられている理由(わけ)が」

 その問と視線にますます落ち着かない気分になったルシは目をそらせて立ち上がり、ズボンについた土を払うとエリアの手を取った。

「もうひとつ、が多過ぎはしませんか、光の原の御方。

 僕は公爵様の別邸に彼女を送った後、《賢者の塔》へ参りますが、どちらかへご用ならご一緒いたしましょうか?」

 ナイジェルは何やらぶつぶつと口の中で(つぶや)くと、微光を発し始めた羽根飾りのついた鍔広(つばびろ)の帽子を目深(まぶか)(かぶ)り直した。

「いや、私は《妖精の小径(みち)》を通って直接ヴァルデリュード殿の塔へ(おもむ)こう。初めからそのつもりだったのだ。そなたの歌が小径を乱さねばな」

「僕の歌が……?」

 またたく間に視界がぼやけ、虹色の輝きと共に妖精の姿は消え失せた。

 春の初めの風がルシのやわらかな髪を()き、彼の理解できない言葉で秘め事を囁きかける。彼の知っているはずの何かを。

「僕の魔法が禁じられている?

 ……使えないんじゃなくて?」

(それに、《光の館》の者がヒトの世界を訪れるなんて……)

 異族間の交流はあまり良い結果を生まないとして、《光の原》に住まう一族がヒトの里を訪れる事は滅多にないと聞いている。

 何かが起きようとしている。

 ルシは妖精の王子の美しい姿に心惹かれたり、稀有(けう)な出来事に胸を高鳴らせたりするのでなく、強い胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。

「ぁう……」

「エリア!」

 ナイジェルが消えた虚空(こくう)(にら)みつけていたルシは、エリアの小さな手をギュッと握りしめてしまった事に気付いた。

「ごめん……。痛かったろう?」

「ぁう……うう……」

 エリアは赤くルシの指形のついた手を背中に隠しながら首を横に振る。

「ごめん。僕は……」

 ルシはエリアの小さな肩を抱き、丘を下り始めた。自身の肩の小ささをも感じながら。


手布ハンカチ


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