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とある狐守の滑稽な日常④


「皆さん、お疲れさまッス! いや~、今日もいい労働をしたッスね!」



 この日の最後の客を満面の笑顔で送り出すと、ノルさんは和帽子をすぽんと外し、その勢いで大きく伸びをした。長めの金髪の隙間から覗く尖り気味の耳は、今日も数えきれないほどのピアスに噛みつかれている。いかにもロックバンドのベースをやっている大学生です、と言わんばかりの風体だが、着ているものは落ち着いた濃紺の作務衣だ。視覚のギャップがえげつない。



「お疲れさまです、お二人とも。すぐにまかないを作るんで、片付けをしながら少しお待ちくだせぇ」



 ノルさんの軽く弾むような声とは対称的な、重みのある艶やかな声がカウンターの奥から聞こえてくる。キッチン担当のゲンさんが作るメニューは、どれも絶品だ。従業員向けといえど決して手を抜かないというゲンさんのこだわりも相まって、否応なしに期待が高まる。


 接客の緊張で強張った顔や肩の筋肉が、まだ食べてもいないうちからほぐれていくような気がして、思わず深呼吸に匹敵するほどの大きな息をついた。



「スーくんも、だいぶ慣れてきたカンジッスね! 最初のうちはガチガチに固まってて、めちゃくちゃおもしろかったんスけど!」

「言わんでいいです、そういうのは。ってか、おもしろいってなんだ」



 ほんの数か月前の黒歴史を掘り起こされて、俺の口が自然と富士山級の起伏を描く。だって、しかたないだろう。ホール仕事の得手不得手以前に、そもそも俺は人間というものが苦手だ。


 そんな俺が。日本どころか世界でも有名な観光地の、築百年以上の古民家をリノベーションしたカフェで、おしゃれな和服に身を包んで放課後の労働に勤しんでいるのだから、世の中というものは何が起こっても不思議じゃない。



「それにしても忙しいッスね。もうひとりくらいバイトの子がいてくれると助かるんスけど……スーくん、お友達に誰かいい子いないッスか?」

「仮にバイトをしたがる奴がいたとしても、この店は紹介できないじゃないですか。それ以前に、俺に人間の友達はいません」

「相変わらず自虐的ッス!」



 俺の本名は、確か筒井数(つついかず)だったはずだ。カズではなくスーと呼びたがる連中が、なぜかここにはたくさんいる。



「ま~、確かに。()()()()()じゃ、フツーの子はびっくりしちゃうッスよね」


 この店の特徴のひとつでもある樹齢数百年のトチノキを使った巨大なテーブルを拭き終えると、ノルさんが含みのある台詞を置いてどこかへ行ってしまった。ひっかかりを覚えた俺は、その背中を視線だけで追いかける。


 ノルさんが向かった先は、小上がりになった半個室の座敷だ。ほかにも中庭が望めるオープンな奥座敷があるが、それとは別にゆっくり坪庭を眺めたいという常連さんの人気スポットになっている。首から上だけを突っ込んで、誰かに話しかけているようだが、今日はそこへ客を通した覚えはない。不思議に思って後を追い、ノルさん越しに中を覗き込む。



 雪のように白い小さなキツネが、すやすやと眠っていた。

 長いふさふさの尻尾を、全部の脚で抱き込むようにして丸くなっている。


 一見すると、ぬいぐるみのようだが、よく見れば呼吸のたびに薄い腹が動いているし、耳の辺りも細かく動いている。「もうたべられないよぉ……」という寝言のお手本のような声まで聞こえてくるのは、気のせいでもなんでもない。



「ユキ、ここにいたんですか」



 そういえば、見かけなかった。店に来てからの流れを早送りで回想してみたが、確かにユキはどこにもいない。俺のバイト中は、従業員か、客か、あるいはペットか。いずれかの姿で、俺の周りをぐるぐるしていることが多いのに。

 


「今日は朝からお店に出て、一生懸命お手伝いをしてくれたッス。スーくんが来る前には、もう疲れて寝ちゃってたッスよ」

「朝からですか? シキさんは?」



 ユキの父親であるシキさんは、娘が店に出ることをあまり快く思っていないらしい。そのシキさんから了解を得たのだろうかと聞けば、店長は昨日からお出かけしてるッス、という意外な答えが返ってきた。



「ユキちゃん、ユキちゃん。起きてくださいッス。お腹すいたッスよね、ごはんにするッス」



 ごはんという言葉に反応して、ユキの耳が一度大きく動く。やがて勢いよく頭を上げた姿が、陽炎のように、ふわりと歪んだ。


 もう何度も見ているはずなのに、俺は未だにその仕組みがよくわからない。キツネの小さなシルエットが、内側から淡く光を放つ。そのまま、とろりと溶けて形を変えたかと思えば、もう次の瞬間には、白く長い髪を編み込んだ少女が、四つん這いの姿勢でこちらを見上げていた。


 活動的かつ現代的にアレンジされた和風の制服を着て、いらっしゃいませぇ、などと寝ぼけながらも接客をしようとする姿勢は、まぎれもなく、このカフェの立派な従業員だ。社会的な労働をするには、見た目が少し幼すぎるという点を除けば。



「もう、お仕事の時間は終わりッスよ、ユキちゃん。お疲れさまッス」

「んん~……あれ、ユキねちゃってた? ごめんね、ノルさん。……あれ、スーちゃんだ!」



 俺を見るなり「おはよう」と笑顔を咲かせ、立ち膝のままやってくるユキの頭を、わしゃわしゃとかき混ぜる。



「おそようだ」

「えへへ、おそよう!」



 髪を思いっきり乱されたというのに、ユキはまったく直そうとしない。それどころか嬉しそうに笑いながら立ち上がり、畳の上でぴょんぴょん跳ねた。



「さ、まかないできましたぜ。三人とも、いらっしゃい」

「はーい!」


 厨房からのゲンさんの呼びかけに元気に返事をしたユキは、ためらいも危なげもなく座敷から勢いよく飛び降りた。つい先ほどまで爆睡していたとは思えない瞬発力でカウンターに向かう後ろ姿を見送ってから、俺は傍らで座布団を直すノルさんへ疑問をぶつける。

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