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川辺を彼女と飲みながら歩いたあの日、結局彼女は駅についたらすぐに帰っていった。そんな彼女の後姿を見て一抹の寂しさを得たのはいつも通りだが、それは尋常でなくてつらいものだった。
俺にとってカラーで見えていた世界は二人だけで、その青春をただそこに置いておきたいのにすぐにモノクロになって消え去ってしまう。
俺の青春はカラーじゃなくて、モノクロだ。俺をのぞいては。自分のことだけが鮮やかに見えて、他の人は全部白黒の低い彩度の物だ。だからこそ白黒の世界からカラーになった衝撃は計り知れなかった。青春世界には色鮮やかな、感動だらけの楽しい世界なのだ。そう感じた。世界のすべてが美しくて、世界中のすべてが自分を引き立てる。そんな世界だった。だからこそ、今まで通りが我慢できない。自分の今までの人生がつらくて仕方がない。これからの人生が怖くて仕方がないのだ。
部屋で一人、間接照明をつけて自分のムードに浸って考える。俺の世界は何の意味があるのだろうか。俺はこれからこのモノクロの退屈な世界を耐えられるのだろうか。
「俺、何やってんだろうな」
不安が不安を呼び、自分が自分を責めるこんな日常。きっと俺のことを許してくれる人は誰もいない。
翌日は酒鬱だった。あんなに全能感を全く感じなかったのに、自分の人生に不安のみを感じていたのに、翌日の俺は最悪な気分だった。
ずっとソワソワとしていて、自分の自身がすべて否定されたような気がしていた、外にでたはいいもののずっとぼんやりとしていて、つらい。そのつらさが自分自身を責め立てるように倍加されていくのだ。
こういう時は電車に乗って公園に行くに限る。電車に乗ればすべて地元の街に置いていけるから、電車に乗って積極的にどこか遠くに消えるのだ。不審者と扱われることもない有料の公園だとなおいい。
自分の青春は公園にあるのかもしれない。公園にいればすべてカラーに見える。花も、木も全部。
目の前にいるすべての物がカラフルで綺麗だ。だからこそいつもの自分が対比でつらくなる。
もしも俺が、ちょっと遠くにいるカラフルな服を着て変な帽子をかぶってるパフォーマーみたいに生きれたなら俺はどうしていただろうか。
自分の人生をすべて彼のようにパフォーマンスにつぎ込めていただろうか。あんな変な恰好をして、みんなの前で踊って笑わせるような世界観になれるだろうか。
一分くらいだろうか。それともなん十分、いや十数秒かもしれない。それくらいたって警備員がやってきて彼と口論していたかと思うと羽交い絞めにして連れ去っていった。彼みたいな見るからにおかしい人間はどこかに連れていかれて、クリーンな公園が出来上がる。それはきっと正しいことだ。
それでも、自分は彼のように排除される側の人間だと思うとつらくて、苦しくなる。まるで将来の自分を見ているようで泣きそうになる。多分これも青春コンプレックスだ。自分のキラキラした日常を人に認めてもらったことがないから。自分の世界が人に否定されたことしかないから。だから自分に自信が持てないのだ。
我ながら笑ってしまうほど卑屈だ。きっとこんなことを考えている奴なんてこの公園な亥のどこを探したっていない。
でも、俺の世界観を認めてもらえないと、きっと俺は一生自分の世界を主張して排除されるイタイ人間になってしまうのだろう。
「僕の格好の何が悪いんですかぁ」
彼が排除されているとき、近くをとおる彼の声がうっすら聞こえた。彼の世界観は人に認められない。ただそれだけだ。これが彼の青春なのだろうか。それとも彼の諦めなのだろうか。十年後の俺は、彼のようになっているだろうか。