Shine on me
あなたの中を
通り抜けた風が
わたしの中を
通り抜けていく
ねえ!
見て!
こっちも見て!
そんな言葉で
隠されている
こころやからだを
やさしく照らすように
見つめるのは
いつも自分
あなたにあるものは
どんなに違う形に見えても
必ずわたしの中にもある
何を感じようと
見つめることで
知りたかった答えが
分かってくる
こんなに思いが募るのは
わたしがずいぶん
自分を見ていなかったから
それはあなたを輝かせたけど
ほんとのあなたじゃなかった
今のあなたは
闇の中に紛れていて
姿形も見えない
ただ時折り届く風が
偽りの静けさと
混乱の叫びを連れてくる
自分を愛することには
長い旅路が控えている
最初の入り口が
一番越えるのが難しいと思う
きみを散々に傷つけた人たちと
きみの間に
どんな共通項があるのか
自分を愛することは
自分を守ることと
どこがどう違うのか
きみにはまだ見えていなくても
人から愛されることの前に
自分を愛することを
死ぬ気でやってみるといい
そうでないと
無償の愛なんて
感じることはできないよ
ニセモノの愛を有り難がって
本物の愛を見失う
そうなってほしくはないから
シャドウについての考察を続けていますが、人間が信じている人の愛にはシャドウが深く関わっていて、本来であればもっと簡単に分かり合える間柄を強力に妨害するようなところがあると感じます。
シャドウを省くと、果たしてどんな愛が残されるかといえば、感情もなく情もなく思い込みもない、水のような空気のような分け隔てのないただ存在する、実質的には際限のない愛が残ります。
でもこれを人が愛と認識することは恐らくないだろうなと思います。慈愛より慈がなく、博愛よりさらに博く、友愛より友でない、ただあることにより、否定のない世界観を表現する。ニーチェがすべてを全肯定する、聖なるouiと呼んだものに通ずる遍在を思い出します。