婚約解消とそれで得たもの
「婚約の解消ですか」
「ええ。僕は聖女様を愛してしまいました。君との結婚はもう考えられません」
「そうですか。…喜んで受け入れましょう」
私の言葉に、〝元〟婚約者は眉を寄せた。
「喜んで?」
「ええ。聖女様に骨抜きにされた貴方では、入り婿に相応しくありませんから」
彼は何か言いたそうな顔をしたが、拳を握って耐えた。…ここで手でもあげてくれればより有利に進んだのだけど、そこまで馬鹿ではないか。
「…とにかく、これで僕らの関係は終わりです。このことは僕の方から両家の両親に伝えましょう」
「そうですか。ではさようなら」
冷たく突き放した私に、彼は何を思っただろうか。
彼は、両家の両親に〝真実の愛〟に目覚めたからと婚約の解消を申し入れた。なんとか説得しようとするうちの両親に、もう私から了承を得たと言い切ったらしい。
うちの両親はそれを聞いて、私に対して他に愛する女が出来たと言い切るなんて、私に対する仕打ちが酷すぎるとあちらの両親に抗議。
それでなくとも息子が聖女に入れあげて醜聞を流されているあちらの両親は、これ以上波風が立たないよう結果として多額の慰謝料を私に払うことになった。
「でも彼は、反省どころか開き直ったのよね」
一人で紅茶を飲んで、ぽつりと呟く。
彼はこれで聖女と結婚できる、なんて一人で舞い上がっていたらしい。
あちらの両親は、もう手に負えないと彼を勘当した。そして貴族という肩書きがなくなった彼は、あっさり聖女に捨てられたらしい。
「高位貴族の息子ばかり狙って誑し込んで、使えなくなると捨てる。とんだ〝性女〟だわ」
呆れてものも言えない。
「あの平民上がりの勘違い聖女を担ぎ上げている教会には、厳重な抗議を。あの聖女には、婚約を壊した賠償金を請求しましょう」
あの聖女と元婚約者による、婚約期間中の浮気の証拠は揃えてある。元婚約者だけが損を被ってくれるなんて思ったら大間違いよ。
「首を洗って待っていなさい」
あの聖女にはいい加減、現実を見せてやらなければ。
「なんで!私は聖女なのよ!?なんで私がお金を払わなきゃいけないの!?」
「聖女様、落ち着いてください!」
聖女を相手取った婚約解消の賠償金の裁判。私だけでなく、私と同じく婚約を壊された女性みんなで集団訴訟した。聖女様は証拠を平気で残していたので、みんなであっさり勝訴した。
「もう信じらんない!この国のために祈るのもやめてやるんだから!」
「なっ…!」
「あーあ、言っちゃった」
私は思わずぽつりと呟く。言っちゃったのはあちらの責任だ。私は知らない。
「…そうですか。では、聖女様」
「なによ!」
「死んでください」
「…え?」
パンッと乾いた銃声が響いた。
平民上がりの聖女様は、その身にのしかかる責任を認識出来ていなかった。
聖女というのは、この国においてはなくてはならない存在。その祈りの力で国を守るのだ。
けれど、もしも聖女が国のために祈らなくなったら?
「それでは国は回らなくなるの」
だから、聖女が国のために祈らなくなったら。そばに常に控える神官が、その命を摘み取る。
「そして聖女の力は他の女性に移って、国はまた回り出す」
けれど、別に聖女は嫌な役職などではない。きちんと国のために祈りさえすれば、基本的には大切にしてもらえる。さすがに目に見えて悪いことをすれば、裁判では負けるけど。
「本来ならば、生涯国のために祈り続けて幸せなまま老衰して次の聖女が生まれるのが普通。貴女は調子に乗りすぎただけ」
次の聖女様は、私と共に集団訴訟を起こした貴族の女性。彼女は慎ましやかで優しいことで有名だ。聖女として道を間違えることもないだろう。
「さようなら、〝元〟聖女様」
私は彼女が裁判で負けたら、どうせこうなるだろうと予想していた。予想した上で、裁判を起こした。私を意地が悪いと罵る者もいるだろうけれど、婚約を壊されるというのは本来得られるはずの幸せを壊されたも同然。
「報復くらい、大目に見て欲しいものだわ」
聖女様の仇だと、私を襲おうとした元婚約者が私を恨めしげに睨みつける。私の護衛はそんな彼をさらに締め上げる。
「その男はもう家から勘当されているわ。平民が貴族の娘を襲おうとしたのだもの。治安部隊に突き出せばそれ相応の罰が下るわ。だからそんなに痛めつけちゃダメよ」
私が優しく微笑んでやれば、護衛は少し力を緩める。それでも拘束から抜け出せない元婚約者。そして私が呼んだ治安部隊が到着して、元婚約者は連行された。
「さて。慰謝料もたんまりもらったし、聖女は始末できたし、元婚約者も禁固刑は確定だろうし。あとは私が幸せになるだけね」
「お嬢様」
「なにかしら?」
護衛の彼が震える声で私に質問する。
「なぜ俺なのですか」
「婚約者に推薦したことを聞いてるの?」
「はい」
私は、誰よりも私に忠誠心を抱く護衛の彼を婚約者として両親に推した。彼ならば入り婿に相応しいと。
彼は伯爵家の三男だし、将来女公爵となる私の婚約者として申し分ないと思ってのことだ。
他意はない。
「貴方なら私の婿として申し分ないでしょう?」
「ですが」
「貴方なら私を裏切らないもの。違う?」
私が首を傾げれば、彼は少し困ったような顔をする。彼のこの顔を、私は気に入っている。
「それは…うん、俺なら貴女を裏切らない。それは間違いない。神にも誓える。けど」
「別に、婚約して…将来結婚したとしても、なにも変わらないわ」
「え」
ぽかんとした表情も、お気に入り。
「だって…貴方は私に忠誠を誓い、私は貴方の期待に応える。その関係が崩れることはないわ。ねえ、そうでしょう?」
彼は目を見開いて…そして笑った。
「…貴女らしい。分かりました。これからも貴女に忠誠を誓います」
どこまでも真面目な彼に、私も笑った。
「ふふ、大好きよ」
「からかわないでください」
「あら、本気なのに」
彼の豆鉄砲でも喰らったような顔もまた、お気に入りなのだ。