いたいの、とんでけ
「うわぁぁあああん」
「あれえ? どうしてないてるの?」
「あそこでころんじゃったんだよぉぉおお」
「あ~、おひざから血がでてるね…」
「いたいよぉおお…せんせいよんできてぇええ…」
「ねえ、あたしがいたいのなおしてあげるね?」
「え…? どうやって…?」
「こうやるんだよ。ほら、いたいのいたいの~…」
「そんなおまじないじゃ、いたいのなおらないよ~…」
「とんでけ~!」
「…あれ…?」
「どう? いたくなくなったでしょ?」
「う…うん。ありがとう。いたくなくなったよ…。でも、どうして…」
「あ…いてててて…」
「だ…だいじょうぶ? どうしてぼくじゃなく、キミがいたがってるの?」
「ううん、なんでもないよ。あたしは、だいじょうぶだよ」
「あんた、注射きらいなの? キモいんだけど」
「キ…キモいって…。だってしかたないだろ? いたいの、苦手なんだもん。あ~、ほら、じゅんばんが来ちゃう」
「ハンコ注射は、ふつうの注射よりも、いたいって言うわよね…」
「え? え? そうなの? よ、よけいにこわくなって来ちゃったじゃないか…」
「あはは。あんたからかうの、面白いわ」
「ちょ、いいかげんにしてくれよな」
「あ、ほら。あんたの番よ。いってらっしゃい」
「うう…いやだな…いやだなぁ…」
(いたいのいたいの、とんでけ!)
「どうだった? いたかった?」
「それが…ぜんぜんいたくなかったんだよね…。だいじょうぶだった」
「そ。それはよかったじゃん」
「でも、みんな、いたがってるよね…。なんで、ぼくだけだいじょうぶだったんだろ…」
「ふふ~ん。それは、あたしのおまじないのおかげかもよ?」
「おまじない? それって、まえに見せてくれた?」
「そうよ?」
「え? それじゃあ、キミは2回ぶん、いたかった…ってことなの?」
「へいきよ。あたし、いたいのなれてるもん」
「なれてる…って…」
「ほら。なにか言うことは?」
「言うこと?」
「あたしが、あんたのかわりにいたい思いしてあげたのよ?」
「あ…そっか。うん。ありがとう。ありがとうね」
「いたたたたた…」
「あれ? どうしたの? 腹痛? トイレ行く?」
「うるさいなぁ…。あんたに関係ないでしょ? 放っておいてよ」
「お、怒られた…。でも、心配になるじゃんか」
「心配なんかしてくれなくていい。毎月こうなんだから、心配してもらっても嬉しくない」
「毎月? あ…そうか、もしかして…生理痛?」
「なっ…。よ、よくも人前でそんな事が言えるわね!」
「ごめんごめん、悪気はなかったんだ。でも…そうか、キミもそういう年頃なのか」
「年頃…って…。冗談じゃないわ! 小学5年生の頃からなんだから、あんた気づくの遅すぎ!」
「し、知らなかった」
「生理直前は本当に痛いし、イライラするんだから、お願いだからどっか行って」
「わ…わかったよ…。あ、そうだ。いたいのいたいのとんでけ~してあげようか?」
「は? あんたが? できるわけないじゃないの」
「そりゃ、キミみたいには行かないけどさ…」
「いたいのいたいの、か…。ふふふ…。じゃあ、あんたに思い知らせてやろうじゃないの」
「思い知らせる…って、僕に?」
「いたいのいたいの~…」
「え? は? なに? キミが言うの?」
「とんでけ!」
「うっ…! あ…ああ…イタタタタタタタ…な、なんだこの痛みは…」
「あ~、スッキリした。どうもありがとうね。これからも生理前は、あんたにお願いしようかしら?」
「な…何をした…」
「何…って。あたしの生理痛を、あんたに移しただけだよ?」
「は? 痛みを移す事もできるの? し…知らなかった…。イタタタタ…」
「思い知った?」
「お…思い知った…」
「なら許す。いたいのいたいの…」
「ま…待って」
「なによ。その痛み、あたしに戻すだけだよ?」
「いや…それは解るんだけど…。こんな痛いのを、キミに戻すのは気が引ける…」
「あはは! バカ言わないでよ。世界中の女の子が、毎月味わってる痛みなのよ? 1回や2回、痛みを引き受けたくらいで、善人面しないでよね」
「ま…まあ、そうだけどさ…」
「ふふふ…。でも、あんたのそういうところ、好きだよ」
「ちょっと…どうしたの? あんたが…ひどい落ち込み様じゃないの…?」
「…悪いけれど、ひとりになりたい気分なんだ」
「あたしにも話せないような悩みなんだ」
「そうだよ。キミに話したところで、どうにかなるような問題じゃない」
「あ…もしかして…フラれた? 一学年下の、あんたが気になるって言ってた娘に」
「…だったら、なんだよ」
「ぷっ…! あははははは!」
「わ…笑うなよな。こっちは真剣に落ち込んでるっていうのに」
「ごめんね。でも……くくくくっ…」
「…キミのおかげで、余計に気持ちが沈んだよ」
「あらら。それは悪いことをしたわね」
「そう思うんなら、どっかに行ってくれると嬉しいんだけど」
「そっか…。あんたがそんなに傷つく事があるなんてね。…つらい?」
「そりゃ…つらいよ」
「そうだよね…。ねえ! あたし、あんたの気持ちに共感する事はできないけれど、心の痛みを分かち合う事はできるよ?」
「心の痛み? どうやって?」
「決まってるでしょ?」
「まさか…」
「いたいのいたいの~…」
「嘘だろ? 心の痛みなんだぞ?」
「とんでけ!」
「…あ」
「うっ…。あたし、ちょっと、イライラしてきた…。というか…泣きたいかも…。ねえ…あんたは、気分はどう?」
「うん…。うん。ちょっと、スッキリしたかも。気持ちが…軽くなった」
「そ…。それはよかった」
「ありがとう…。痛みを、分かち合ってくれて」
「ねえ…。あんた、気持ちが軽くなったんなら、あたしの事を慰めてよ」
「は?」
「あんたの所為で、今、ウツ気味なんだから…。慰めて」
「…そっか。えっと…じゃあ…。よしよし」
「なにそれ? 頭を撫ぜれば慰められると思ってるの? ドン引きなんですけど」
「効果なかった?」
「…単純だけど…効果…あった」
「はは。なら、よかった」
「へえ、それはおめでとう! よかったじゃん。僕も嬉しいよ」
「うん、ありがとう! あんたに祝福して貰えるのは、なんだか嬉しいな」
「で? どうやってプロポーズされたの?」
「ふふ~ん。それは内緒」
「あらあら。幼なじみの僕にも言えない秘密が、こうやって増えていくんだろうねえ。折角だから、その嬉しい気持ちを半分わけて貰えるとありがたいんだけど」
「や~だよ。痛みは分けてあげるけど、幸せは全部あたしのものです」
「はいはい。ははは」
「どうしたんだよ、こんな雨の夜更けにやってくるなんて」
「ぐすっ…ぐすっ…。ねえ、入ってもいい?」
「びしょ濡れじゃないか。ほら、入って。このタオル使って。シャワー浴びる?」
「…うん。ありがと」
「妊婦に合うサイズの服はないけど…僕のサイズのTシャツなら、入るかな?」
「うん。ワンピースみたいになるから…。シャワー借りるね」
「ほら、温かいお茶」
「ありがと。あ…ルイボスティー」
「お腹の子供が大事だろ?」
「ふふ…。あんたって、そういうところだけ気が利くわよね」
「それはどうも。で? 雨と涙にまみれてやってきた理由を訊いても?」
「ええ…。えっとね…。えっとね…。ぐすっ…ぐすっ…」
「…言いづらかったら、無理しなくても大丈夫だよ?」
「いえ…。ごめんなさい…。ぐすっ…ぐすっ…」
「ふう…。もしかして、旦那さんの事?」
「うっ…。えっと…。その…。その…。…うん」
「それって、つまり…。浮気された…とか?」
「ふえぇぇぇえええええん…」
「そっか…。そっか。それは…なんというか…つらいな」
「うん。つらい…」
「………」
「………」
「あ…そうだ。ほら、高校時代にさ、僕がフラれた時に、心の痛みを分かち合ってくれただろ?」
「…そうだっけ?」
「そうだよ。僕、すごく嬉しかったんだ」
「そう…」
「だからさ、今度は、その心の痛み、僕に半分わけてよ。まあ…根本的解決にはならないけどさ」
「あんたに? そっか…」
「そうだよ。悪い考えじゃないだろ?」
「そうね…。そうだけど…」
「だけど?」
「やっぱり、やめとく」
「やめとく? どうして?」
「この胸の痛みはね…とっておきたいのよね」
「とっておく…って」
「旦那への復讐のために」
「奥さん、もう少しですよ。ほら、ひっひっふ~」
「ひっひっふ~…うぅ…うぅぅぅううううう。痛い痛い…痛い…痛い…」
「痛いですよね~。でも、もう少しですから、頑張りましょうね~」
「頑張れ…頑張れ…。俺には、こうして見ている事しかできないが…」
「奥さん、旦那さん、頭が見えてきましたよ。会陰切開しますからね」
「よ…ようやくこの瞬間がやってきたわね…」
「そうだ! この瞬間がやってきた! 俺たちの子供が、この世に産まれ落ちるんだ!」
「あははは…。あなた、何を言ってるの? あたしが言っているのは、そんなことじゃない」
「そんな事じゃない? 他にどんな事がある?」
「あたし…忘れてないから。あなたが、妊婦のあたしを放っておいて、不倫してた事」
「なん…だと? このタイミングで、なんでそんな事を言うんだ…?」
「奥さん、いきんで! いきんで! もう頭が出てきましたよ!」
「うぅぅぅぅうううううううう!」
「ほら、出てきた出てきた。もう少し、奥さん、頑張って」
「…い…今だわ…。いたいの…いたいの…」
「おい、お前…何を言って…」
「とんでけぇぇえええ!」
「ぎゃあああああああああああ!!」
「えっ? えっ? 旦那さん? 急にどうしたんですか? 大丈夫ですか? きゅ…救急車…」
「あ、先生。旦那の事は無視して大丈夫です。救急車なんて、とんでもない」
「痛い痛い痛い痛い痛い! ぐわぁああああああああ! 死ぬっ! 死ぬぅぅううううううう」
「あはははははは! いいざまじゃないの! でも、おかげであたしは、全く痛くなくなったわ。自家製無痛分娩ね! くくくく…あははははは!」