番外編「二人の結婚式」
「結婚式がしたいわ」
最初に言いだしたのはジルベルタだった。
隣に座っていたアルノルドは驚いて、本から顔をあげる。
至極まじめな顔をしたジルベルタはアルノルドを見つめていて、どうやら未来の妻は本気らしいと気づく。
アルノルドはテーブルに本を起き、ソファの背もたれに背を預けた。
ここはアルノルドの生家、オルフィーノ家の一室。アルノルドの部屋だ。
テーブルを挟んでソファがあるが、二人は一つのソファに揃って腰かけている。
いまは八つ時で、二人で紅茶を飲みながらのんびり過ごしていた。
「結婚式って……他国の儀式だよな」
この国では、結婚は書面で行われ、儀式的なことは行われない。
ただ家族揃って挨拶をして、みんなの前で名を記して、指輪を交換して終わりだ。
一方で、他国では神に誓って結婚の儀式を行うらしく、その文化の影響はこの国にもあった。例えば新郎新婦は白い衣装を纏うようになったり、家族以外もその場に呼ばれたり。
それでも、結婚式、とは言わない。
アルノルドには結婚式がどういう物かわからないので、やりたいというジルベルタの気持ちもよくわからなかった。
「そうよ。他国の儀式。でもやってはいけないわけじゃないでしょう? 見よう見真似でいいの。たくさんの人を招いて、真っ白なドレスを来て、父の手をとってあなたに会いに行く。そして神の前で永遠を誓うの」
「永遠……」
それは、アルノルドとしては嬉しい言葉だ。
――しかし、神か……。
この国における信仰は多神教だ。
「確か、愛の神がいたな」
「それに、永遠の神もいるわよ」
アルノルドは眉を寄せた。
「どっちに誓うんだ」
「どっちかしら」
「愛かな」
「でも永遠の愛よ」
そこで二人目を合わせて小さく笑う。
照れ臭さがまだあって、お互い顔が赤いのを指摘しあって、また笑った。
アルノルドはジルベルタの頰を撫でる。
「じゃあ、どっちもかな」
「そうね。どっちも。両方の神様に誓えばいいわ」
「立会い人は? 他国では、神官……じゃなくて、なんだったかな、とにかく神に仕える聖職者が立ち会うらしい」
「神官じゃない?」
「受けてくれるかな。こんなことあまりないんじゃないか」
「そうかしら」
二人はうーん。と唸った。
でもやらないという選択肢は二人にはなくて、とりあえず神官に尋ねてみよう。という事に決まった。一日中家でのんびりするつもりだったが、急遽神殿に向かう。
結論から言うと、快諾してくれた。
というのも、戦後から、明るい行事を積極的に行って国を明るくしよう。という方針が神殿で取られるようになったのだという。曰く、安寧の神から信託があったのだとか。
それで、いままでに何組かそういう儀式をした事があるそうだ。
ジルベルタはその返事を聞いて、大層喜び、ドレスの準備をしなければと、そそくさと実家に帰って行った。
親族と、神殿と騎士仲間たちの手助けのおかげだろう。
予想以上に準備は滞りなくすすめられた。
よく晴れた春。
神殿の一部を貸し切っての結婚式が行われた。
巨大な石柱に囲まれたそのドーム状の広間。見上げると、丸屋根のちょうど中央に大きな丸い窓が取り付けられていて、そこから一筋の光が床に落ちる。
そこには、たくさんの人が集まっていた。
有力貴族たち、ジルベルタと親しかった令嬢たち。アルノルドの騎士仲間。使用人たちまで呼ばれて、それは立派な社交界のようだった。
けれど少し違うのは、主催した人物を祝福するために、皆が集まっているという事。そして神官がいるという事。
天井の窓から落ちた光の側には祭壇があって、そこに神官が立っていた。人々の視線は神官へ注がれている。
その様子を、広間の横にある小さな部屋の中から見ていたジルベルタが、小さく呟いた。
「もっと慎ましやかにやるのかと思ったのだけど」
その表情は不安げに揺れている。
不思議に思いながら、アルノルドはそっとジルベルタの腰をささえた。
ふわりとしたヴェールが指先に触れる。
ジルベルタは真っ白なドレスを来ていた。
見た事もないほどたくさんの布とビーズをあしらったドレス。それはアルノルドが新たに得た領地での稼ぎの一部を使って作られた。という事になっている。
実は、材料は王家から、仕立てたのはジルベルタとアルノルドの母だ。と知ったら、ジルベルタはなんというだろうか。アルノルドはいずれバラした時の反応を楽しみにしながら、口を閉ざして笑う。
「笑っているわ」
そんな風にジルベルタがいった。
「うん。笑っている。嬉しいんだ」
「私は……私は不安だわ」
ジルベルタが小さな声で言った。
「不安よ、不安。だって、だって一度失敗してるのよ」
ジルベルタの声が震えていた。
アルノルドはそっと片手で彼女の手を握る。
ぎゅっと力を入れて、でも優しく、壊れ物を触るように優しく。
「もし、また何かあったらどうしよう。もし、あなたに何かあって、私、一人になってしまったら、今度こそどうしたらいいの?」
唇を震わせて、ジルベルタがアルノルドを見上げた。涙が、新緑の瞳を覆って、いまにも決壊しそうになっていた。
最近、どこか上の空な時があって、どうしたと聞いても、自分では気づいた様子もなくて、不思議で、心配していたけれど。
ずっと不安だったのだ。とアルノルドはようやく気づいた。
アルノルドはすでに癖になってしまった、彼女の頰をなでる行動をする。
自分の愛が彼女に精一杯伝わるように、そんな思いを込めて、いつもしていた事だけど、今は、ただ彼女の不安を取り除きたくて、そうした。
薄紅でほんのり色ずく頰に一筋の涙が流れて、アルノルドはそっとそれを拭う。
「ごめん。心配させた? 不安に、させたな。わかってるようで、わかってなかった。君は不安だよな。結婚式をしたいと言ったのも、本当は不安だったからだろう?」
きっと、切れない何かが欲しかった。決して途切れない何かが。
結婚式はそういうつながりを強くすると、聞いた事がある。
ジルベルタは小さく頷いて、しかしすぐに首を振った。
「違うの。いつもはこんなんじゃないのよ。ただ、時々、ふとした時に思うの。大丈夫かしら。私、あなたを幸せにできるかしら。私、幸せになれるかしら」
一度目の失敗は思ったよりも彼女を不安にさせたらしい。そう思うと、わずかに残っていたリベルトへの怒りが湧き上がる。
でも今はそれに身をまかせる時ではない。
「ジルベルタ。俺のかわいいジルベルタ」
ジルベルタが瞳をゆらして見上げてくる。
アルノルドは彼女を優しく抱きしめた。
「愛してるよ。愛してる。幸せにする。絶対。言っただろう。俺は裏切らない。浮気しない。それからもっと約束するよ。おれは君のいないところでは死なない。騎士として戦いに出たら、かならず帰る」
ジルベルタが瞳を閉じた。そこから再び雫が落ちる。
「帰る場所は君のところがいい」
「……うん」
「ずっと一緒だ」
「うん」
「これからその約束をみんなの前でもう一度しよう」
「うん」
「それで、ずっと一緒にいよう」
「うんっ」
彼女の涙を拭う。
本当は、別々に出る予定だ。彼女をエスコートするのは彼女の父の役目だ。
けれど。
ふとみると、笑っている彼女の両親が見えた。そばにはアルノルドの両親もいた。
アルノルドはふっと笑う。
そしてジルベルタの目元を優しく撫でた。
見上げる彼女の目は少し赤いけれど、もう泣いてはいなかった。
「準備はできた? ジルベルタ」
「――ええ」
両親が扉を開けてくれた。
光が、二人を包み込んで、純白のドレスがそれを反射して、眩しいくらいだ。
でもなによりも眩しいのは、眩しさに目を細めるジルベルタ。
アルノルドはジルベルタの手をとった。
そして優しく握れば、握り返される。
二人は目を合わせて笑って、一歩を踏み出した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これにて本当に完結になります。
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それでは、ありがとうございました。




