番外編「あなたの奥さんと私3」
エルゼは衝撃を受けていた。
――この人、全然怒ってないんだ。
――彼、私といると落ち着くって、そう思ってくれてたの?
――私なら、支えられる?
胸には不思議な感覚がおとずれていて、それになんと名前をつけていいのかわからないまま、エルゼは胸元を無意識に抑えた。
リベルトからの一緒に暮らす申し出を断ったのは、罪悪感だけではなかった。
それは不安。いざ自分を選んでくれた彼が消去法で選んだのではないかという不安。自分ごときが、彼を支えられるかどうかという不安。
彼女と比較して自分を卑下する気持ちが、与えていた不安だ。
それが解けていくような気がした。
そして罪悪感も。
瞬きを繰り返すのは、次の言葉を探しているからだ。
エルゼはごくりと唾を飲み込んだ。一つだけ、聞いてみたいことがあった。
「もし、その、相手の、女性にあったら?」
なんて言う? 何を思う?
ジルベルタは考えこむように顎に指先を添えて、うーん。小さくうなる。
「私は、会わないほうがいいと思う。すくなくともあちらは会いたくないのじゃないかしら」
「そう、でしょうか」
「そうよ。きっと……。って、何話てるんだろう。ごめんなさい!」
恥ずかしそうに頬を両手で包み込んで、ジルベルタがはにかむ。すこしの恥ずかしさと、すがすがしさの混じった表情だった。
不意に、誰かがジルベルタを呼んだ。
パッと表情を明るくさせて、ジルベルタが呼んだ人物に向かって手を上げる。
「こっちよ! アルノルド」
黒髪の偉丈夫だった。
ジルベルタが彼によりそうように駆け寄る。
「何してたんだ?」
「ちょっとお話を。あら?」
振り替えたジルベルタは首を傾げた。
エルゼはそれを遠くの物陰から見る。
「いないわ」
「誰が?」
「誰っていうか……。同じ年ごろの女性と話を……」
「誰もいないけど」
「うーん」
唸るジルベルタを視界にとらえたまま、エルゼは来た道を引き返した。
不思議と胸の内はすっきりしていた。
もと来た道を駆け足で通り過ぎる。
市場を抜けて、侯爵家の屋敷へ。
ふと、屋敷の門のそばに、誰かが立っていることに気が付いた。
「――リベルト様?」
パッとリベルトが顔をあげる。安堵した様子でほほ笑んで、彼はエルゼのそばに駆け寄ってきた。
「どうしたんですか? 外で何を……」
「君が……」
「――え?」
「君がもしかしたら戻ってきてくれるんじゃないかって」
そう言った彼の表情はすこしだけ泣きそうに見えた。
そういえば、ジルベルタが出て行ったとき、リベルトはまさかそれが最後になってしまうとは夢にも思わなかったと言っていた。追いかければよかったとも。
もしかしたら、エルゼがもう戻ってこないのではないかと、不安になったのかもしれない。
リベルトはエルゼの手を握って離そうとしない。その手の暖かさに、エルゼは自然と笑顔になる。思えば、ここ3年程はずっと笑うのはリベルトの前だけだった。ほかに何も楽しいこともうれしいこともないのだ。ただ、彼のそばにいると、彼を幸せにしたいと、幸せになりたいと強く思って笑顔になれた。
エルゼはリベルトの手にもう片方の手を添えた。
リベルトがわずかに目を見開いて、エルゼを見つめる。
このどうしようもない男を愛してしまったのはなぜだろう。
きっと誰もがおろかだと、そんな男はやめろと言うかもしれい。
けれどそれはエルゼも同じだ。
リベルトの友人は、きっと浮気相手であるエルゼを認めないだろう。彼の一族たちからも反感をかうだろう。
でも、だからなんだというのだろうか。
エルゼにはリベルトが必要で、リベルトにはエルゼが必要だ。
それでいいではないか。
支えあえる関係になれればいいじゃないか。
今は、それだけで。
エルゼは心からの笑顔をリベルトに与えた。




