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番外編「とある護衛の話3」


 ヨルダンはストンとしゃがみこむと、ジルベルタとアルノルドを交互にみた。


「その前に、お二人とも大事なことを忘れてませんか?」

「だいじなこと?」


 アルノルドが不思議そうに首をかしげる。一方のジルベルタは、はっとしてアルノルドの手を引っ張った。


「ごめんね、たたいてごめんね、あるのるど」


 アルノルドは何を謝られているのかわからない。というようにもう一度首をかしげたが、追及するのも面倒になったのか、それとも気にしていなかったのか、「うん、いいよ」と笑って答えた。ジルベルタが嬉しそうに笑う。

 ヨルダンは二人の頭をなでて「よくできました」と褒めた。

 こういうことはヨルダンがうまい。おそらく年の離れた弟がいるからだろう。デニスはヨルダンがうらやましい。そういうことがデニスにはどうしてもできない。


「あるのるどは、でにすにごめんなさいして!」


 デニスは「え!」と声を上げた。そんなことは別にいいのだが、と思うが、ヨルダンがそれがいいと笑うので、そうしたほうが子供たちにとってはよいのだろうなと考え直す。

 アルノルドはしかめっ面になったが、小さくうなずいた。


「きらいって言って、ごめん」


 謝る気があるのか、非常に怪しいことこの上ない表情だったが、デニスはアルノルドの言葉を受けて笑う。ちゃんと謝れてえらいなぁという気持ちだった。


「いいえ、気にしていませんよ」


 ――できれば心から謝れるといいですけどね。


 内心そう思いながら、デニスは当り障りのない返事をして収めた。謝ったことに不満があるのか、アルノルドの表情は不貞腐れている。

 おもむろに、ジルベルタがアルノルドの頭を撫でた。

 

「いいこね、あるのるど」


 途端にふにゃりとアルノルドの表情が解ける。立ち上がったヨルダンが目を丸くしてデニスを見るので、デニスも同じ顔をしてヨルダンを見てから、足元に視線を落とした。子供のつむじがふたつ見えている。そのうちひとつは黒髪で、その子の耳はすこしだけ赤くなっている。


 ――おや、もしかしてこれは……。


 そういうことだろうか。

 

「じゃあ、あとでね! でにす!」

「あ、はい」


 はっとして返事をする。勢いよく手を振って去っていくジルベルタとアルノルドに向かって、一体何が「後で」なのかはわからないが、デニスは手を振った。

 アルノルドが振り返った。


「――え」


 アルノルドがギッ! とデニスを睨んでいた。

 一体なぜ嫌われているのか、最初はわからなかったが、もしアルノルドがジルベルタに対して、ある種の感情を寄せているなら、その理由を予想するのは簡単だ。

 幼いながらに、ジルベルタから懐かれているデニスに、対抗意識がある。ということではないだろうか。

 親子ほども歳が離れているのに、何をとも思う。お似合いなのはむしろ二人で、仲がいいのも二人で、デニスにヤキモチをやく必要などないのに。大人になってもし一人を選ぶという時がきたら、きっとジルベルタはアルノルドを選ぶだろうと、思うのに、子供の嫉妬はわからない。

 突然もやもやとした気持ちが沸き起こった。

 

 ――あれ、なんか気持ち悪いな。


 胸元をなでてデニスは首を傾げた。


 ――なんだろう、このさみしいような気持ちは。

 

 不意に、隣にいたヨルダンが噴き出した。そして肘でデニスの腰を小突く。

 

「大変だな、デニス」

「……何の話だ」


 思わず低い声が出た。

 ヨルダンは変わらず笑って、さらに強くデニスの腰をつついた。


「お嬢様が大人になったら、お嬢様離れしないといけないし、それまでが勝負だぞ」

「だから、何の話だ」

「きっと、その時はさみしいだろうなぁ」


 デニスは去っていった二人を眺めながら「そうだな」とつぶやいた。








 今になって思う。あれは子離れを悲しむ親の心境だ、と。

 思い出の中から戻ってきたデニスは、小さく苦笑した。

 主の娘に抱く感情ではない。しかし間違いなく、あの気持ちは子離れを予感してさみしくなってしまう気持ちだった。

 いまいち覚えていないが、ジルベルタが侯爵夫人として嫁に行ったときも、似たような気持ちだったかもしれない。


 しかし、往来で相変わらず痴話喧嘩を繰り広げる二人を眺めながら思う。


 ――あるべきところに納まった。という感じがするな。


 実は、アルノルドが一世一代の告白をジルベルタにした時、デニスもそこにいた。

 離れていたので細かい会話は聞こえなかったが、落ち込んで子爵家に帰ってきたはずのジルベルタが、彼に会って楽しそうにしていたことは記憶に新しい。アルノルドと話して真っ赤になっていた姿も。

 その後たびたび二人が一緒にいる姿をみるが、やはり、あるべきところに納まったなという印象だ。


「もしかして、まだデニスを護衛にって思ってるんじゃないよな」


 アルノルドが言った。

 え? っとデニスは驚いて思わずジルベルタをみる。内心ではまさかと思った。他家に嫁ぐ彼女の護衛を今後続けることがあるとは思ってもいない。

 しかしジルベルタはきょとんとして。


「え? 連れて行ってはいけないの?」


 と言った。

 アルノルドが盛大に顔をしかめる。


「え、デニスは来てくれないの?」


 などとデニスに尋ねてくる。


「えっと、私は旦那様の使用人のようなものですので」

「お父様が許可したら一緒に来てくれるのね」

「ええっと」


 デニスは言葉に詰まった。正直に言えば、もちろん大丈夫だ。そして願えば子爵は許可してくれるだろう。問題は――。


「ダメだ! だいたい俺がいるじゃないか! 名誉騎士だぞ俺は」

「何言ってるのよ。王を傍でお守りするお仕事じゃない。その間の私の護衛はどうするの?」

「そ、それは別の……」

「いやよ。信頼してる人に守ってもらいたいわ」


 ――うれしい言葉だ。


 思わず感動するデニスである。そんなデニスをアルノルドが睨んだ。

 その目線が、かつてみた少年の懐かしい表情を思い出させて、デニスは笑う。

 やはりあの時からアルノルドはジルベルタが好きで、デニスに嫉妬していたのだ。正直ふたりともデニスからすれば庇護すべき対象であったから、ほほえましい気持ちばかり浮かぶのだが。


「それより早く買い物しちゃいましょ」


 ジルベルタがさっとアルノルドを追い抜いて歩き始めた。あわててデニスはそのあとを追う。クンッと袖を引かれて、デニスは振り返った。

 アルノルドが引っ張ったらしい。その彼は非常に悔しそうな顔でデニスを睨んでいる。


「まけないからな」


 とつぶやいた。

 デニスはたまらずに噴き出した。

 不貞腐れたように、しかしわずかに頬を恥ずかしさから染めて、アルノルドが目線をそらす。

 デニスは小さな笑いの波から抜け出して言った。


「はい、私も負けません」


 アルノルドが目を丸くして、それから歯をむき出しにして唸った。


「そこは俺に譲るところだろ!」


 再びデニスは笑う。

 街中にデニスの笑い声と、ジルベルタが二人を呼ぶ声が響いた。




 

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