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番外編「とある護衛の話2」



「でにす! でにす!」

「はい。お嬢様」


 特に理由も用事もなく呼びかけてくる主人の娘を、デニスは柔和に笑って出迎えた。

 ピンクのフリルが付いた子供用のドレスで走る姿はたどたどしく、まだまだ不安になる。一方デニスはすでに成人男性で、騎士である以上がっしりとした体格をしていた。

 自然な動作で、少女――ジルベルタは手をあげた。デニスにむかって抱き上げるようにしぐさで促しているのだ。

 苦笑して、デニスはジルベルタを抱えた。片手でも抱えられる重さだ。

 また来たんですか? と失礼にも言ったのは、デニスと同じく子爵邸に仕える騎士のヨルダンだ。肘でヨルダンの腰をつつけば「おっと」などとわざとらしい口調で言って口元を抑える。

 こういう礼儀知らずなことをするヨルダンをいさめるのは、いつだってデニスの仕事だった。

 いつもはそんなヨルダンを気にせず、というより無視してデニスをあちこちへ歩かせるジルベルタが、この日はヨルダンの言葉にふくれっ面を作った。


 ――おや?


「よるだん、いじわるだわ」


 などと言ってデニスの服をつかむ。

 これは何かあったな、とデニスとヨルダンは顔を見合わせた。


「お嬢様、先ほどまで何をしていたんですか?」

「…………あるのるどに会いにいっていたの」


 ヨルダンの問いに、ジルベルタはうつむいて答える。

 デニスは隣の子爵家の一人息子、アルノルドを脳裏に浮かべた。

 ジルベルタと同い年の黒髪の少年。ジルベルタよりも弱弱しく、虫と犬が苦手で、まだまだ母親にべったりな、可愛らしい顔の男の子だ。最近よくジルベルタは彼と遊んでいた。

 ジルベルタは活発で、子爵邸の庭ではアルノルドを引っ張って走る。その姿をたびたびデニスは目撃していた。

 デニスはジルベルタの顔を覗き込んだ。


「喧嘩でもしましたか?」

「……でにすのこと、きらいっていった」


 デニスは目を丸くした。

 挨拶程度はしたことがあるが、それほど多くは話したことがない。それで嫌い、とはまた穏やかではない。嫌われる謂れもないのだが、どうしたことだろうか。

 

「嫌われるようなことしたのか?」

「いや……覚えはないが……」

「それでお嬢様はなんておっしゃったんです?」


 不意にジルベルタがフルッと震えた。顔はしわくちゃで、瞳は薄い海が覆っている。デニスとヨルダンはさらに驚いた。この気丈な少女が泣きそうになっているのだ。そうそう見る光景ではない。

 

「――お嬢様」

「でにすは、やさしいのに、かっこいいのに、あるのるどはでにすのこと、きらいだって、すきじゃないって、ひどいこといったから、わたしたたいちゃったの」


 言って、ジルベルタはさらに瞳をうるませて、デニスの服をぎゅぅうっとつかむ。

 ああそうか、とデニスは思った。

 ジルベルタが悲しいのは、デニスを悪く言われたからだけではなく、アルノルドをたたいてしまったからなのだ。暴力をふるってしまったことにショックを受けているのだろう。いかに快活な少女でも令嬢として育っている彼女が暴力をふるうのは初めてだったのかもしれない。

 淡い金髪をなでて、デニスは「うーん」と唸った。これはどう解決したらいいのだろうか。


「おい、デニス」


 ヨルダンに呼ばれて、デニスは顔をあげた。ヨルダンは人差し指で子爵邸の門を差している。


「ああ……」


 デニスは小さく笑った。それからジルベルタを呼んで、門を見るように促す。腕の中に納まっていたジルベルタは、デニスの視線を追って門を見た。そしてきょとんとして目を見開く。

 門の影に、少年が立っていた。黒い髪、ジルベルタより細く、日焼けのない白い手と足とが半ズボンからのぞいていた。

 少年はおずおずといった様子でデニスの元に歩いてくる。

 こちらも泣きそうな顔で、デニスの腕の中にいるジルベルタを見上げた。


「――じるべるた」


 細い声に苦笑しそうになるのをこらえて、デニスはジルベルタを下ろそうとする。

 すると、アルノルドの視線がデニスに向けられ、キッ! とにらみつけた。


 ――んん?


「じるべるたをなかせたな」


 拙いしゃべり方でアルノルドが怒る。

 泣かせたのは君だよ。と思いながら、とうとうデニスは苦笑をこぼした。案の定不満そうにアルノルドが顔をしかめる。


「じるべるたをなかせたな!」


 再び同じ言葉を吐き出して、アルノルドは短い脚をあげる。


 ――蹴られそう……。


 甘んじてそれを受けても大した痛手ではないだろうと、苦笑したままアルノルドを見下ろす。


「だめ!」


 腕の中でジルベルタが暴れる。すかさず下ろすと、彼女はデニスの前で両手を広げた。


「でにすにいじわるしないで!」

「い、いじわるされたんじゃないのか」

「されてないもん!」

「ほんとか?」

「ほんとだもん!」


 小さな子供の大きな声が庭に響く。

 さきほど叩いたと落ち込んでいたばかりなのに、このままではまた暴力をふるってしまいそうで、デニスは慌ててジルベルタの肩に手を置いた。そうしてアルノルドから距離をとらせようとする。――しかし、ジルベルタとアルノルドは大人の心配をよそに、唐突に破顔した。


 ――あれ?


「じゃあいいよ」

「うん。あるのるどあそぼう?」

「うん! いいよ! 何してあそぶ?」

「あたらしい絵本かってもらったの、よもう!」

「うん!」


 子どもというのはそういうもので、突然喧嘩して、突然仲直りする。喧嘩していたことなど忘れたようにさらに仲良くなる。不思議すぎる生体に、自分もかつてはそうだったということを忘れて、デニスはぽかんと口を開けた。

 となりでヨルダンが小さく笑う。


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