■37■ クロウ編 第17話『知識のゆくえと星海の神についての話』
創世記、彼方より此方へ。
かつて世界は亡びと創生によって満ちた。
世界という概念が生まれ、星という領域が生まれた。
この星と場が整ったことで神性が生じ、天と地を生み出したのだ。
さながら星という名のガラス玉に根源という名のソースを入れ、神性という名のスプーンによって液体はかき乱される。そうして、ともすれば油と水のように、ともすれば空気と水のように。分離して混じり合わない双極と変じていく。
神性の多寡とは、界の大きさ。
神性を持つ存在は、多かれ少なかれ、身の内に世界を宿すのだ。
理、概念、もっとも純粋な根源というソースから続く始原の力の残り。
それは、宇宙という根源の力が満たされた場から、一つの器へ綺麗に飾られた料理。
これこそが世界。
これこそが星なのだ。
定まらぬ形は神代と呼ばれ、生と死すら別たれぬ大いなる歴史の始まり。
そして、時と、次元と、空間の安定。
数々の主神達による調和を経て、やっと英雄の時代が始まる。
神の世の終わり、英雄の時代の始まり、そして現代。
人という、神性を須らく失った者達の時代へ至る。
それは、禊に似たものだ。
大いなる力から解き放たれ、個は己に根源の力を持たず、世界と合一である。
始まりは世界、終わりは個。
ここに時代は、初めての安定を得たのだ。
そんな人の時代となり数千年が経過した現在、かつての神代と、英雄の時代を繋いだ者の最期の血が目覚める。
それこそが鋼の種族。
グレネット、クロウ、オルガンだったのだ。
そして、グレネット曰く『戦闘に関する万能の才覚者』がクロウなのだ。
その技術の大半が戦事に結び付く為、その技術は共に培ったドワーフ、龍種、神族、そういったものの極々一部にしか共有されていない。雷は地を焼き、洪水は全てを流し、暴風は何かも荒らすことを彼の者は知るからだ。
その技術を伝達するなど絶対にするはずもない。
金、名誉、女、物品、知識。
研究者のラドバンが提示した条件に、何一つとしてクロウは頷かなかった。
「金は、ダンジョンにでも潜れば稼げる。名誉など、悪評さえなければ十分だ。女性は、まぁ紹介されたなら吝かではないが、知識の対価とするような物ではない。物など、この世にいくらでも満ちているのだ。欲しければ探しに行く。知識は、学ぶことが大切であることを理解しているが、その危険性もまた然りだ」
与えられるものは何もいらないと、そうクロウは答えた。
そして、一つだけクロウはラドバンへ問う。
「それに、何が欲しい?」
「え?」
「教えを請い、対価を渡そうとし、どんな知識が欲しかったのだ?」
そういった問いを出す時、決まってクロウは無表情になる。
かつて新たな武器を持とうとしたオルブを見た時。
その心意気を無碍にしたいわけでもなく、だが、武器が軽いものとも言えない。
だからこそ、具体的な理由もなく力を求めようとした時、クロウはその意味を問うた。
踵を返した彼が再びクロウを尋ねてくることは、今のところない。
そして同じように、今度は知識を求めラドバンが訪れた。
クロウは同じような問いを返している。
「……知りたいのです。かつてあったことを、失われているかもしれぬことを」
「何故?」
「失われる知識があってはならないはずだ。先人の培われた想い、研鑽された技術、そういったものは須らく受け継がれ、新たな時代の新たな者に、教訓として、指針として、目標として、継がれ、研鑽されていくべきではないでしょうか?」
その言葉に微かに頷くクロウ。
確かに、知恵とは、記録とは、そういったものの結晶だ。
かつて必死になって残そうと共用語や文字を生み出した一員であるクロウにとっては、実に共感できる思いではある。まぁ、そんなものの所為で宗教戦争だの史学だのの争いが激化したことも現代に至って知り得ているので。
「だが、新たな危険になりうる知識なんぞ死蔵された方がマシだと思っている」
「さ、然様で」
こういった結論になるのも、むべなるかな。
結局、ラドバンは肩を落として帰っていった。
残ったヴリドラ老が、すっかりぬるくなってしまったレモン水を飲む。
対面のクロウは、然したる変化もなく、新しいレモン水をグラスに注いで飲み干していた。
「星海の神は言った、汝らもまた、さらに大きな宙より別たれた子であると」
「懐かしい話だな」
星海の神。
相争う神性を持つ者達に対し、そう言った星々の果てそのもの、真っ黒な世界そのものに近しい大いなる神のうちの一人は、そうやって彼等を窘めたという。ただ、それは神代の始祖も始祖、クロウ達やヴリドラにとって始祖にあたる者達、その一部が生まれたばかりの頃にあった話なので、クロウも、そしてヴリドラもそれが実話であるのか、星海の神がどんな存在なのかもまるで知らない。
そう、彼等とて知らないことなどごまんとあるのだ。
「まぁ、危険なものは俺達が知識を継ぐのも最後でいいと思っている。もうそんな時代だろう」
「また、空より遙か先から悪神のような者が来たら?」
「その時に考える他なかろうよ。そもそも、我々の知識が新しいモノへの対処に繋がるかも定かでないのに」
「それもそうか」
知識が先入観になる場合がある。
経験が偏見になる場合がある。
結局はその程度のものだろうという考える二人は、貰い物の焼き菓子を無言でばりばり食べはじめた。




