■11■ クロウ編 第3話『悪神という存在と書物のはじまり&訓練とかつての頃』
この世には悪神がいた。かつて、人という種が存在するよりずっと前の話。
若き龍の数えるところの少なくとも1万と3千年よりずっとずっと昔。
時が同じ速度で流れていたかさえ定かでなかった頃の話。
三度の復活と、四度目の撃滅によってその身を滅ぼされた悪神。
名を知るものは少ない。伝えるものは絶無。
その為、現代において悪神は『失われし者』とも呼ばれた。
悪神レッシェイラは遠き星辰の彼方よりその手を伸ばし、形を成し始めたこの大地を蝕もうとした。この世界の秩序と形を侵食し、やがて智慧と啓蒙を手に入れた悪神は呪いのように信仰と眷属をばらまいた。
現在も居座る一部の異貌の魔物は、かの眷属の成れの果てである。
信仰という名の呪いに染まったものは、金眼と力を手にして知恵と心を奪われた。
眷属という名の呪いに染まったイキモノは、この世のあらゆるものを汚濁に浸そうとした。
和解などというものは存在しない。
悪神レッシェイラにあるのは『この世を己で満たすこと』であるのだから。
それは生存本能に等しく、智慧のよるところにない悪癖だったのだから。
侵食、汚染、強奪。
あらゆるものをひきずりこもうとする相手に対し、この世界が立ち向かった。
巨人、神、龍、古き種族達。
日が昇り、夜が訪れ、季節が移ろおうとただひたすらに。
大戦争とは違い、その戦いは語り継がれることも教えられることもない。
どのような宗教も、どのような歴史書も、たった一言で終えられている。
『かつて悪神は、この世のあらゆるものを奪おうとし、神々の世代のあらゆる者達によって討たれた。三度の復活後も許されず、四度目の撃滅によって須らく滅びた』
その後、悪神にまつわる宗教が起こることもあったが、続きはしなかった。
関われば『奪われる』。
悪神とは、レッシェイラとは、そういうものなのだから。
それからしばらくして神代も終わる。
クロウ達の世代は、大戦争の後に生まれ、四度目の討伐に関わることとなる。
その時、親の代から三つのことだけを固く誓わされた。
一つ、悪神のかつての名を誰にも教えてはならない。
一つ、悪神のことをみだりに教えてはならない。
一つ、悪神との繋がりをもつ相手はすべからく滅ぼさなければならない。
この三つは、決して忘れてはならぬと、耳が痛くなるまで聞かされた。
結果として、当時生まれた書物という存在には、悪神について決してこれ以上の事を残さないよう、書物の生みの親である古エルフ達に約束させたのもこのクロウである。当時、石を加工した石版だの、薄くスライスした樹木を加工して作った木板など、文字で記録を残すという儀式を生み出したエルフ達と共に、様式やルールを決めていったものの仲間であったことというつながりからそういうことにも携わった。
つまり、最も古き愛読家の一人が、このクロウだったのである。
そんな本好きのクロウは、カッターシャツにスラックス、よく磨かれた革靴という恰好で、多数の本に囲まれていた。
ここは龍の領域において大書庫と呼ばれる本を始めとした文化財を所蔵する建物だ。
永き時を生きるものにとって、退屈ほど抗いがたい強敵はいない。
その無聊を慰める芸術、書物、遊戯は、龍にとっても大きな意味をもっていた。
そして、ヴリドラの口利きでその場に入る許可を得たクロウは大いに喜んだ。
ほぼ毎日のようにその場所に入り浸ったのだ。
史書、読み物を中心に、朝から晩まで平気で過ごすのだ。
外との関りは、ヴリドラの頼みである龍の若者達に訓練を仕込む時だけだったというのだから極まっている。
さて、そんなクロウの授業であるが、基本的に山の中腹にある闘技場という場で行われた。結界で囲われた巨大な盆地は、それこそ都市の一つや二つは丸々入るほどの広さだ。だが、龍の領域も随分と平和だったようで、この土地が使われることといえば、一部の集会やお祭りごとが精々という。
そんなだだっぴろい平原の上で準備しているのは、クロウと人化した龍族の若者達。
クロウは簡易な黒い上下に暗緑色に塗られた革鎧。そして自在剣。
対する若者達は、人型で大半が無手だ。
「さて、俺はクロウ。ヴリドラ老より戦闘指南を賜った者だ。鋼の種族という古い血の末裔にあたる。まぁ、わかりやすく言えば巨人族の一種だ」
その言葉に何人かが得心いったような顔をする。
さすがに龍族をかたっぱしから殴り倒す相手がそこらにいる人族ではないだろうということには気づいていたらしい。それであんな無茶な真似をするあたり、本当に年若い龍族だったらしいが。
「あー、そう簡単にいくさごとは解るものではなし、まずは手合わせといこうか。あぁ、元の姿でも人型でも構わんぞ?」
そう言った途端に、大剣を担いだ一人の少女が前に出て来た。
年のころは人化であれば人族の十代前半ほどの姿。
真っ赤な髪を肩口で切り揃えた可愛らしい子であるが、騎士を思わす装飾がある胴鎧をはじめとし、籠手やら具足やらの完全装備だった。
「スカーレット家が三女、トライゼリアが参ります!」
「ふむ、ではトライゼリア、かかってきなさい」
「はっ!」
一挙一足。一瞬で接近し、上段に振りかぶった大剣を振り下ろしてくるトライゼリア。
それに対し、腰から抜く様も見せずに自在剣を手にしていたクロウが動く。
身体を斜に構え、軽く身動ぎするだけで大剣をいなして見せたのだ。
するりと空中を滑るように矛先を変えられた剣は、クロウから逸れて地面を激しく叩いた。
飛び散る土と砂すら軽い足取りで避け、振り上げの一撃も自在剣で受け流した。
到着早々に剛剣でもって龍の若者達を打ち上げた人間と同じとは思えないほどに精緻な技巧であった。
「気合い、勢いやよし。ただし、相手の芯を捉えていない。両断するつもりなら、もそっと知恵を絞らないといかん」
擦り抜け様に足払い、続けて剣戟を見舞おうとしていたトライゼリアは勢いのまま転がって遙か彼方に飛んで行ってしまった。
しかも、見る者が見ないと分からないだろうが、転がる際の勢いが地面に向くように調整までした悪辣さである。自重と大剣の重さごと地面へ叩きつけられたのだから、たとえ龍であってもすぐには起き上がれないだろう。
「あー、それでは次はだれか?」
「ぺ、ペンドラゴン家が次男、アルトリオット行きます」
「おう」
お次は長剣を携えた金髪の青年である。
トライゼリアより僅かに年は上であろうが、その踏み込みの鋭さにクロウは自在剣の柄を少しばかり短く握り直す。
長剣をしならせるような鋭い剣撃であるが、これもまた自在剣の傾きと打ち合うタイミングをもっていなされてしまった。
ただし、それに対しても対策を講じていたのか、再び剣、そして腕をしならせるように追撃を放ってきた。
「鋭い、早い。ただし軽い。加えてフェイントが足らん」
アルトリオットの追撃が再びいなされ、その動きのまま胴回し蹴りを放つクロウ。
咄嗟に防御に構えたアルトリオットであったが、腕ごと胴体を薙ぎ払われ、そのままトライゼリアと同じく遠くへ蹴り飛ばされた。
「よし、次」
「さ、サンダルフォン家が次男、オルブ。参る!」
「来い」
今度は巨躯の偉丈夫。長い黒髪をした身長にもクロウより頭一つ分は高い。
その手に携えているのは片刃の厚い長剣であるが、抜刀の速度といい、前の二人と比べて練度が違う。
加えて、その気配から龍でないこともクロウは察した。
逆袈裟から突き。右への薙ぎ払い。間断のない連撃に対し、クロウは全てを剣で受けた。
「連撃やよし。ただし、威力が足らん。速度だけでは敵を斬るに及ばず」
クロウの自在剣が閃く。
横薙ぎの一閃で吹き飛ばされたオルブは、一番遠くまで転がっていった。
「さて、次は誰だ?」
その後、全員が叩きのめされるまで、さほどの時間はかからなかった。
悲鳴と怒号が響く闘技場の中、ぽんぽんと人影は高く飛んで行った。
相手を軽んじて無手など選んだ者ほど高く高く跳ね上げられた。
さて、そんな戦闘訓練の報酬として、三食に寝床、大書庫での書籍閲覧。
なんとボロい商売なのだろうかとクロウはよく冷やされたお茶を口へ運びながら料理に舌鼓を打つ。鳥肉を甘く酸味のあるソースで味付けされたものを、箸を使って食べる。
箸はいい。かつて使ってみて以来、必要がなければフォークなどたまにしか使わない。
この鳥肉を始めとして、龍の領域の資源の多くはダンジョンから入手されている。
ダンジョン。いわゆる魔力溜まりに出来る異界の事である。
発生した場所の影響を受ける為、戦場跡では亡霊が多く出るし、遺跡ならば遺物の集まった宝物庫が出来上がる。魔力という不定形ながら大きな力を備えた現象は、過去を再現し、形を模倣し、そうやって蓄積したエネルギーを放散して世界へ還っていくのだ。
魔力そのものに意思がある、という話も聞く。それをクロウは肯定も否定もしない。
魔力とは無形の力の総称である。かつて精神であったもの、かつて記憶であったもの。
かつて何かであったものが大きな渦となって、酸素や風に等しく、水や川に等しく流れるもの。それが魔力であるのだから。
話は戻るが、魔力が形作る為、ダンジョン由来の魔物などは殺されれば『ほどけて』魔力に戻る。骨子となった生物の特徴、いわゆるアーティファクトの一種として牙だの、骨だの、革だのが残ることも多いが、そこらへんはかつての生物に由来する。
そのうち肉を残す鳥の魔物というのが今日の晩御飯であるというわけだ。
龍の領域における酒場の片隅、ヴリドラによって指定された場所で茶を飲み、飯を食う。
ありがたいことに、麦も、稲も、とうもころしもあるということで、主食に欠くことはない。
かつて世界に隔たりはなかったが、界が混沌としていた。
いわゆる、世界という大枠が安定していないことで、場所ごとになんとなく安定した場が出来上がっていたのだ。
クロウが知るだけでも、当時の大きな領域は四つ。
当時の大陸は割れたり生み出されたり減ったりくっついたりを繰り返していた。
形が定まるまでしばらくかかっていたし、そんな頃やっと安定したのが、一つの大きな大陸として形がおおまかに定まった頃だろう。母龍ティアマトの第一身を切り分けて作られた天地が生じ、別の場所では大地神と空神の契りによってまた天と地と世界が生誕し、他所では虚空、是空から真理と共に世界が生じたものが複雑に混じり合い、そういった形で落ち着いた。
森羅万象はあらゆる賦活の中にあり、幾多の存在の生と死が繰り返されていた。
ある程度の安定したのが、大きく四つの領域で世界のバランスが保たれていた頃なのだ。
鋼の種族、そして古ドワーフや古エルフ、龍や魔を始めとした者の溢れた大陸北部。
神格を持つ物の数が特に多かったという、神山を中心とした大陸中央部。
精霊や魂魄、悪霊や神霊という、超自然的に近しい存在が多かった大陸南部。
神魔や妖魅、雑多で数多く、形の定かでないものの多かった大陸東部。
その頃と比べれば、安定した今は世界が随分と狭苦しくも感じるようになったが、毎日世界がひっくり返るよりまともだとクロウも思っている。
食事が終わり一息。
おかわりした冷茶を啜っていると、ヴリドラの使いに声を掛けられた。
何か話があると。
ヴリドラの暮らす屋敷に出向いたクロウは、客間で再び茶をふるまわれていた。
「嫁? 俺に?」
「お探しだったのでしょう?」
クロウが当初の目的をすっかり忘れていたのであろうことをヴリドラは察していた。
というか、この青年は昔からこうなのだ。
鋼の種族は協調性こそあるが頑固、加えて、妙に職人気質であったり研究者的な面であったりを備える者が多い。中でもクロウは特にその傾向が強い。
例えば、古エルフが中心に書物の文化を生み出した時にも一役かっていたクロウであるが、その過程で魔法だの剣術だの、そういったものを学んで研鑽して体系の幾つかを生み出していたりもしているのだ。
そういった事情もあり、古い剣術の源流は、この鋼の種族が居た頃に遡ることになる。
自在剣を使う巨人が更に剣術で武装したのだから、当時の者達はたまったものではなかったろうが。それはさておくとしよう。
そんなクロウであるが、人のことをあまり見てない。他人に興味が薄いのだ。
今生の別れとなるはずのヴリドラの旅立ちに際しては、さすがに背中が消えるまで眺めていたことを覚えているので、徹頭徹尾の冷血漢というわけでもないのだが。
そして、女の趣味。
眠っていた以上、当時の頃と大きな変化はないだろうから、目覚めた三人についてはヴリドラも知っている。当時に馬鹿をやっていた世代で、交流も浅からぬ者達なのだ。
まず石くれ、改めグレネット。
怜悧な容貌の美男で、古ドワーフのヴァンゼリカと所帯をもつ前ももった後も彼が元凶で他種族と揉めたことがあるというのだから女性関係に関しては筋金入りのトラブルメーカーと言える男。
女性の好みは『笑う姿が綺麗と思える相手』とのたまうのだから何人の女が泣いたのやら。
ちなみに、物言いこそ恰好をつけているが、女性でまず見るのは顔と尻。
そりゃあ、体付きのしっかりしていて華やかなヴァンゼリカは運命の相手だったのだろう。
当時から彼を知る面々は全員がそんな事を口にしない分別くらいはあったので、まぁ知っているのはヴァンゼリカ本人と、同じ世代の数人程度だろうが。
次に暴れる風こと、オルガン。
女性の好みは『成熟した女性の仕草や憂いを秘めた横顔が好き』とのこと。
女性を見る時は、目元、うなじ、足という順番でじっくり見ていることがある。
さわやかそうに見えてむっつりというのが、仲間内での評価である。あと、シスコン。
ただ、彼の場合、当時に負った大怪我の所為でしばらく下半身と左腕なんぞを失っていたので、おそらく眠りにつくより前、身体が完全に回復するまでは限られた交流しかなかったのだろう。そういった事情から、女性関係はグレネットに比べれば光り輝くように綺麗なわけだ。
いや、グレネットとて浮気なんかをしょっちゅうやっていたわけではないが。まぁ。
最後にあるきまわる者。クロウ。
女の好みは『胸と尻のでっかい女』という直球。ただし仲間内以外には絶対に言わなかった。
実際に胸だのをつい見ている節はあるが、根っこはグレネットと同じく体付きのしっかりした相手、健康そうな相手であることを望んでいたのだ。
そういう時代でもあったのだ。連れ合いが自分より少しでも長生きしてくれればと願わずにはいられないような時代。健康で、しっかりした体格の女性を求める戦士達は少なくなかった。
まぁ、乳だの尻だの肉付きのよさそうな相手が好きそうなのは確かなので、とりあえずそういった人間に声をかけてみたのだ。
その中で色よい返事をもらえた数人の似姿を、ヴリドラはクロウの前に示す。
「よくできた絵だな」
「転写という魔術式じゃよ。光源のあるところであれば綺麗に相手の姿が映しとれる」
「ほー、諜報に使えそうだな」
「写し取る時に強く魔力反応が出るので、よっぽど上手いこと術式を組まないと難しいそうじゃがな」
「なるほど」
写し絵を眺めるクロウ。
その様子にほっと安堵するヴリドラ。
やろうと思えば。
この男、そこらの女、たとえ相手が龍だろう巨人だろうと希少で強い力を備える種族だろうと、軽々と浚ってくるぐらいはできかねないのだ。無論、やろうとするかは別として、だが。
本気での諍いになれば、領域の腕っこきを集めて、どれだけ準備を重ねればよいのやら。
防げぬとは言わない。ただ、敵対して無事で済むとも思えない。
それが大戦争を生き抜いた鋼の種族という者達なのである。
ただ、前述のように、面白半分に剛腕を振るうような悪辣な存在でないのも確かだ。
少なくとも自分よりは。
この時代。
まるで糸を編むように、今、この時まで、歴史は紡がれ、時代を経てきたのだ。
そこには、あまりにも惨たらしい戦乱や、思わず目を覆いたくなる惨状もあった。
だが、その時代を培う礎となった鋼の種族達は、崇高であったが、同時に、あまりにも哀れな存在ではないかとヴリドラは思う。
誰もやりたがらない事を、進んで行った馬鹿な種族。
そこにあったのは、諦観か、それともなんらかの共通意識か。
それを決してクロウは口に出さなかったので、ヴリドラもまた尋ねようとはしなかった。
「ヴリドラ」
「なにか?」
「どうにも、その」
クロウは渋面を作る。
「決めかねる。その、姿絵だけでは」
思わずヴリドラも無言になる。
そうだ。この男。
基本的に女関係にはヘタレでもあったのだ。
2022/02/19 大戦争、邪神討伐、三人世代の出生の時系列を修正(初稿⇒連載版)




