-山羊の恋、新たな事件- part final
天使という言葉には現在沢山の意味が込められている。
慈悲の心に溢れている人の事を当然として、とにかく美人だったりかわいかったりするものにも使われるなどその対象は様々だが本来の意味で使われていることはまずない。
それは当然の事だ。人が人を食い物にし、人ならざる者によって回っているこの世界に天使なんて煌びやかで明媚なものは存在していないのだから。
しかし自分の目に映るものしか信じないし、神に祈ったことすらないルフトジウムすらも今回ばかりは「天使……?」と、そう表現せざるを得ない存在が空中に飛んでいた。
「ははっいよいよ俺の頭、おかしくなっちまったのか……?
さっきの虎といい天使といい……。
一体何だってんだ……?」
ずきずきと腹部の痛みと同時に頭痛がダブルで襲い掛かってきて、ルフトジウムは電柱を背にして座り込んだ。天使と表現した個体は背中からジェット装置のようなものが六本生えていて、そこから青白い炎のようなものを噴き出している。明らかに推力を発生させるものだというのは簡単に理解できた。しかしそれだけではなくまた背中から大きな鉄の翼も生えていて、何なら頭の上に丁寧に水色に光り輝く幾何学な模様のリングまで浮かんでいた。翼などが生えている根本からはルフトジウムですら見たことないようなレーザー砲やモーニングスターのようなものが付いており、大野田重工のマークのようなものが描かれたコートを着ていた。上着が短いのかちらりと見えるおへそが辛うじてあの個体が獣人で、そして哺乳類であることを教えてくれる。
その天使がこちらを見て、誰かと何かを話しているようだったがその内容までルフトジウムには聞こえなかった。すっ、と目を細めた天使は慈悲からかどうやら見逃してくれるらしい。そのままバーニアを吹かして星のように一気に飛び上がり、地上へと通じる巨大な通風孔の中へと消えていった。
「何だったんだあれ……。
全く意味分かんねぇよ……」
何はともあれ助かったらしい。犯人を確保することは出来なかったが、これでもう人食い獣人の噂話は終わりを迎えることだろう。明日になったらニュースで都市中で犯人が捕まったことが知れ渡るだろう。それと同時にこの三人の名誉も回復されるに違いない。
「ミッション完了……か。
沢山やられちまったけど……ごめんな」
ルフトジウムはデバウアーを引き寄せて電源を落とすと、まだ散らばっている仲間の遺体をどうやってカンダロに片付けさせるかを思案し始める。出来ることならもう家に帰ってふかふかのベットで寝たかったがそうはならないだろう。
カンダロが要請したという応援はそれから二十分後に到着した。何人かの戦闘用獣人と一緒に指揮する人間がやってきたが血まみれの道路でぐったりするルフトジウムを助け起こし、AGSのマークが入った装甲車の中に彼女を放り込むと、散らばる遺体を文句も言わずに清掃する獣人が痛いの破片を集め、放水銃で掃除を始める。そんな光景を横目に犯人の特徴や、声などを事細かに報告するルフトジウムが解放されたのはそれから二時間が経過してからだった。
「お疲れさまでした、先輩」
「ああサイント。
上への報告は済んだのか?」
「ばっちり」
サイントは無表情のまま右手で丸を作って見せる。
「カンダロは?」
「隊長に呼ばれたので先に戻る、と。
カンダロからルフトジウムを待って共に帰還せよと言われたのでここで先輩を待っていました」
「これで俺達の名誉も回復するってワケだ。
犯人は捉えられなかったけど突き止めたわけだしな。
あーやれやれ。
やっとこれで角を折られた名誉を回復出来るぜ」
サイントは小さく頷き、「帰りましょう」とルフトジウムの袖を軽く引っ張る。
「あ!
おい装備はどうするんだよ!」
「また来ればいいですよ」
※ ※ ※
「どういうことだよ!!
ふざけてんのかお前!!」
「落ち着いてくださいルフトジウムさん!」
「落ち着けるわけねーだろ!!
なんで今回の事件は俺達のスコアにならねえんだ!?
おかしいだろうが!!」
ガシャン、と机を蹴飛ばしその机が壁に大きな穴を開ける。ルフトジウムはカンダロに今にも殴り掛かりそうな勢いで掴みかかると「説明しろよ!」と凄んだ。その剣幕は凄まじいものでそこにいた一般従業員の誰もがルフトジウムを止めることが出来なかった。
「ですから!
これは上層部からの指示で――」
「理由になってねぇんだよ!!
上層部からの指示だァ!?
ふざけるな!!」
「先輩、後ろ」
「あぁ?」
今度は鉄製のゴミ箱を蹴飛ばそうとしたところでルフトジウムの頭にげんこつが一発落ちた。
「いってぇ〜〜!
なにしやが――」
怒り心頭で振り向いたルフトジウムが見たのはこれまた額に青筋を浮かべてかなり腹が立っている事が透けて見えるF部隊隊長のダイ・セイカだった。
「それは俺のセリフなんだが?
なにしてんだ、お前?」
「っち……」
カンダロを離し、ルフトジウムは隊長の顔を見据えると再び食って掛かった。その程度で収まるような怒りではなかった。
「ちょーどいいぜ、隊長さんよ。
なぁ、なんでなんだ?
あんたなら理由を知ってんだろう?」
ルフトジウムは隊長よりもかなり背が低いがそれでもその風格は間違い無く戦闘用獣人のものだったし、部隊長と言えど人間だ。ルフトジウムには敵わない。いとも簡単にバラバラにされるだろう。しかし部隊長は一歩も引かない。
「ああ。
詳しくは知らんが知ってはいる。
ここは目立つ、三人共俺の部屋に来い」
ルフトジウムの喧嘩を見ようと既にかなりの野次馬が取り囲んでいた。グリズリー姉妹やダイズコンビ、バチカチームといった他のF部隊の面子もいる。
「ほら解散だ解散!
仕事に戻れ!」
「んだよー止めるなよダイ!
折角喧嘩が見れるとこだったのによ〜」
「つまんねーなぁ」
そんな声を無視してダイは自分の部屋へ移動を始める。三人はその後をついていくことしかできなかった。
※ ※ ※
部屋につくとダイは三人共置いてあるソファーに座るように促し、自分は窓のブラインドを下ろして、外を確認したあとピカピカの大事に使っているのが分かる机に軽く腰かける。
「んで?
さっさと話してくれよ」
他の二人は座ったが、ルフトジウムは座らずに隊長の言葉を急かす。一刻も早く答えが欲しいらしい。
「まあそう急かすな。
これは隊長クラスにしか共有されない情報だ。
誓え、誰にも話さないことを。
もし万が一バレたら俺は悪いけどお前らを疑う。
いいな?」
「誓うぜ」
「誓う」
「あ、ち、誓います!」
ダイは壁まで歩くと監視カメラに映らないように監視カメラの前に観葉植物を動かし、カメラに全員が写ってない事を角度から計算し、ようやく本題に入る準備が整った。
「なぁ、ルフトジウム。
単刀直入に聞くがお前、“上”ってどこの上かわかってんのか?」
その問いかけはあまりにも不明瞭なもので、苛立ち、感情が毛羽立っていたルフトジウムも豆鉄砲を食らったように混乱した表情に変わる。
「どこって……そんなん社長とか?」
「違うな。
そんなレベルの上なんだったら俺も猛抗議してるさ」
ダイは葉巻をゴソゴソ取り出して、口に咥えて火を付ける。葉巻特有の紫のかかった何とも健康に悪そうな煙が昇っていく。ダイは思いっきり葉巻を吸い、そして吐き出した。
「くせーよ」
顔の前で手を振り、飛んできた煙を散らす山羊。
「カンダロ、当然理解しているんだろうお前は」
カンダロにサイントとルフトジウムの視線が集まる。二人はじっとカンダロの答えを待っていた。
「やっぱり“重工”……ですか」
しばらく考え込んだカンダロが導き出した答えは正解だった。
「ふぅー……優秀だな。
そういうことだ。
まぁ……。
この大陸の半分を仕切ってる大企業様からの命令だ。
俺達の会社ごときじゃあ、な……」
「“重工”直々に……かよ。
これじゃあ俺達の汚名を濯ぐ事も出来やしないぜ……」
ルフトジウムはようやく椅子に座るとどっと出てきた疲れで目頭を抑えた。サイントが小さく手を上げて質問する。
「おかしくないですか?
この依頼をしてきたのは重工でしょう?
重工が望んだ結果を出しました。
それなのになぜそれを取り消すような真似を?」
「ああ、そのことに関してだが依頼は治安維持部門からだっただろ?
もみ消しの指示が来たのは戦闘部門からなんだ」
ダイは葉巻を吸い終わると灰を灰皿にまとめ、新しい一本をまた取り出した。
「なるほど。
部門が違うから、我関せずと。
大企業らしいです」
「そういうことだ。
理不尽だが上からの命令だ。
ルフトジウム、お前が見た事も全て口外無用だとさ。
あれはどうやら明らかになっていい存在じゃないらしい。
俺ですらカメラの記録は見れなかったんだ。
それにアイツら俺達のサーバーに何度も強制アクセスをしかけてしてやがる。
映像が残ってないか徹底的に調べてるみたいだ」
「触れてほしくない兵器、もしくは研究って事か?
重工が住民に対して隠している真実の一つってわけか。
その真実を少しでも含んだ奴が暴走。
そして人間を食った……と?
オカルトの世界だな、アホらしい……」
カンダロはじっ、とルフトジウムの愚痴を聞いていたがふと口を開いた。
「実は僕、あいつがどういう存在なのか少しだけ分かったんです。
オフラインで個人で解析したものがあって……」
部屋にいた全員がカンダロのその言葉に凍りついた。
「お前……どうやって?
この会社の設備は全て強制的にアップロードされるようにできているはずだろ?」
ダイはそう聞いた後葉巻を吸ってる途中だというのに灰皿に押し付け火を消した。カンダロは自分の鞄から薄いタブレット端末を一つ取り出す。オンラインに繋ぐための部品がごっそりと抜け落ちており、わざとカンダロが壊した形跡がある。
「ですから、個人でと言ったんです。
ルフトジウムさんを助けた天使の映像も実は僕持ってるんです」
カンダロがタブレットを操作して開いた映像は確かにあの時、ルフトジウムを助けた天使だった。
「この映像を口の動きから何を話しているのか解析するソフトにぶち込んだんです。
解析も完全にオフラインでやってくれるので重工が検知することは出来ません。
聞いたこともない新しい単語が出てきて正直僕も混乱しましたし、これを共有するべきかも迷いました。
ですが、ルフトジウムさんをも凌駕する力を持っていて、捕まえようとして死んでいった人たちを一体何が殺したのかぐらい知る権利はあるじゃないですか?」
カンダロはそういいつつ再生ボタンを押した。スピーカーからは少し気だるそうな女性の声が流れ出した。
『こちら十四番。
目標の殲滅を完了した。
所詮は成りそこないですが食欲は人一倍強い奴だった。
殲滅時に一人の戦闘用獣人に姿を見られている。
消すか?
……いえ、はい。
理解した。
本部がそういうなら従うまでのこと。
“鋼鉄の天使級”の重巡の私がその程度こなせないわけない。
はい。
ではこれで直ちに帰投します』
出てきたいくつかの新しいワード、聞きなれない“鋼鉄の天使級”というその言葉はざらついたなんとも不愉快な感触をルフトジウムやサイントの耳に残した。
「なんつーか……。
とにかく俺達が知っちゃいけない言葉なのは間違いないよな」
隊長のダイも流石に引け目を感じて映像から目を逸らした。ルフトジウムもサイントも自分達があれだけ知りたかった敵の一つの手がかりを掴んだというのになんともぱっとしない雰囲気に飲み込まれ黙り込む。
「まあでも事件を解決に導いたことは確かだ。
近いうちに重工から代替の犯人が送り込まれてくることになっている。
そいつを刑務所にぶち込んで今回の事件は終わりだ。
お前達の名誉も回復する」
「そういう問題じゃねぇよ……」
拳を握りしめたルフトジウムはそう吐き捨てて部屋から出て行ってしまった。残されたサイントもカンダロも追いかけようとはせず、ただ困ったような顔をするだけだった。ダイは立ち上がって扉を閉めると部屋に残っているカンダロとサイントに話しかけた。
「なあ、カンダロにサイント。
あいつは頑固すぎる。
初めてのパートナーを自分の性で失ったと信じ切ってんだ。
まあ……だからこそあそこまで筋を通そうと必死なんだ。
人間でもねえのによ。
だが、いいやつだし役に立つ。
あいつの……ルフトジウムの理解者になってやってくれよな」
「当然です」
「分かってますよ、隊長!
任せておいてください!」
返事を聞いて満足げに頷いたダイはブラインドを明け、観葉植物をカメラの前から動かした。窓の外は澄み切った青空が広がっており、太陽の光が都市全体に降り注いでいるのがわかる。
「ご苦労だったな。
解散していいぞ」
「はっ!」
-山羊の恋、新たな事件- END
ありがとうございます~!
長々と続く予定ではありますが何卒よろしくお願いいたします!