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-朱と交わろうが白であれ- Part Final

 ラプトクィリが部屋から出ていき、気が付けば既に八時間程が経過していた。放り込まれていた部屋はずっとただただ静かで、外界から切り離されたように音が少ない空間は、ハルサが心を頭を整理するのに十分すぎる役目を果たしてくれていた。壁に埋め込まれている古いモニターは消音状態を維持したまま、有名な全世界で愛される幼児番組を垂れ流しづけている。ハルサは一匹で、椅子に腰掛けて両手を見下ろしていた。傷も焼け跡も、血痕も綺麗に消え去って白いいつもの手がそこにはあった。破壊と死をまき散らす台風の真ん中にあったはずの体は、異変など無かったかのようにいつもと変わらない姿をしている。


「………」


 ハルサは壁に立ててあるアメミットの刃を手のひらを押し当て、少しだけなぞる。それだけで抜群の切れ味を誇る刃は電源が入っていないにも関わらず、手のひらに深い切り傷を刻む。傷口から赤色の血が流れだし、ぽたり、ぽたりと床に滴り落ちるが直ぐに傷は塞がり始め、瞬きしている間に傷なんてものは無くなっていた。


「…………」


 その現象は明らかに自らが獣人という枠組みだけでなく、生物としての理を超えた存在である事を強くハルサに再認識させる。ハルサは自らの服を脱ぎ、再び背中を壁の大きな鏡に向けた。反射で見える部分に限りはあるものの、特徴的な翼が生えていたことを感じさせるものは何も無い。いつもお風呂で見る自らの幼く、小さく、薄い体が投影されているだけだ。


「……………」


 この一連の行動を、ハルサはすでに五回行っていた。それだけ自分が自分を信じれなかった上に、現実を受け入れられずにいたが故の奇行だ。ハルサは大きく息を吐いて速やかに服を着なおして頭を掻く。部屋の中でうろうろと動き再び布団に戻ったりもしたが、やがて決心が着いたかのようにアメミットと、壁にかかっているいつもと同じコートを握りしめると少し力を弱めて部屋のドアを開けた。


「おー、やっと起きたのにゃ?」


 ドアの先にはもう一つ部屋があった。おおよそ十二畳ほどの大きさの部屋は明かりが外に漏れないように三重になった遮光障子が窓に嵌まっている。台所には大量のインスタント食品の容器が並んでいて、強めの不愉快な匂いを放っていた。どこか遠くでトコトコとなっている音は電車の音だったらしく、ハルサは現在位置をある程度推測することが出来た。それ以外に音がない静かすぎる部屋で響いた電車の音は、パソコンや端末だらけの部屋で大きく響いていた。


「別に眠ってないっスよ」


ハルサは部屋を見渡してラプトクィリに眉を顰めて見せる。ラプトクィリはこちらを見もせずに、ハルサにぶっきらぼうに吐き捨てた。


「八時間もトイレも行かずに、にゃ?」


「何も食べてないし飲んでないのになんでトイレが出るんスか」


ハルサはゴミだらけの部屋で飛ぶ虫を手で叩き落し、ラプトクィリの後ろに立った。


「にゃはは、でも生き物ってそういうものだにゃ」


 ラプトクィリは笑いながらハルサの方を少しだけ見る。彼女はずっと端末を操作していたのだろう。耳から伸びたケーブルを引っこ抜き、大きく伸びをした。ジャージのジッパーがずれ、下着が露呈する。彼女の卓袱台の上には冷えたコーヒーが入った湯呑が三つ程並び、食べかけのおにぎりが一つ転がっていた。普通に見えてかなりハイスペックなのであろうノートパソコンと、そこに繋がっている端末が青白い光を部屋に広げている。彼女は、ハルサが悶々と考え込んでいた間にも不眠不休で何かをしていたらしく、欠伸と共に肩と首の骨を鳴らした。


「お腹、すいてるにゃ?

 何か食べるにゃ?

 ハルにゃんが好きかと思って、三食団子もあるにゃけど」


せっかくの申し出だったが、ハルサは何かをお腹に入れる気分ではなかった。


「いや、大丈夫っス……」


 ハルサはそっとコートを羽織り、卓袱台を挟んでラプトクィリの前に座る。ラプトクィリは目線を上げると、表情を柔らかくしてハルサを見た。ハルサはラプトクィリの目を見てすぐに逸らす。


「あの、その…。

 ――姉様には言ったんスか?」


「一応言ったのにゃ。

 大丈夫、今はボクとツカにゃん、まあカンダロもかにゃ。

 あいつらしか詳細は知らないのにゃ。

 なんならボク達の雇い主である“ギャランティ”にも話してないにゃ」


ハルサは一安心したかのように潜めていた眉を緩めた。


「そう…っスか。

 アイリサさんには、言わなくていいっスかね?」


「……正直言わなくていいと思うのにゃ。

 あの人はおそらく、こう見えて“重工側”のような気もするにゃし。

 ココだけの話、あんまりボクは信用してないというか、なんというか…」


ラプトクィリは湯呑を手に取り、またやってしまったというように卓袱台の上に戻す。


「熱いのを入れたはずなのに…。

 また放置して冷ましてしまったのにゃ~…」


「……ラプト」


「んにゃ?

 どしたのにゃ」


ここで、本題だ。


「ルフトジウムさんは、どうなったんスか?」


ラプトクィリは諦めたように冷めたコーヒーを飲み始める。


「ああ、そこはきっとカンダロが上手い事やってるはずにゃ。

 お姫様は、今頃“AGS”の緊急処置から出て全身包帯だらけで寝てるのにゃ。

 あれだけの傷にゃから一週間は動けないだろうにゃけど~」


「カンダロ…っていうのは?」


「ああ、ルフトジウムの飼い主の事にゃ。

 あいつふわふわして見えて、存外出来る人間なのにゃ。

 きっと、カバーストーリーも含めた多数の偽装と報告を会社に行っているはずにゃ。

 幸い都市のデータ―サーバーが全部ぶっ飛んで何の記録も残っていないからにゃあ。

 ボク達が無事に逃げ切れたのはハルにゃんがついでに連絡網まで全部ぶっ壊してくれたからにゃ。

 そういう意味では案外悪くなかったのかもしれないのにゃ」


ハルサの脳裏にあの瞬間の事がフラッシュバックする。


「……ごめんっス」


「なんで謝るのにゃ」


「だって、その、迷惑をかけたっスから…。

 それにラプトの忠告も何度も無視したっス…」


何に対しての謝罪なのか、自分でも分からなかった。


「にゃはは、そんなのいいのにゃ。

 ハルにゃんも、ボクも今生きてる。

 なんていってもここは生きることすら難しい、全てが終わっていく世界。 

 命があればモーマンタイなのにゃ。

 そんな事よりもその……身体の方は大丈夫なのにゃ?」


ハルサは静かに首を振る。

 

「あー……。

 まあ、少しの間ここで何も考えずにゆっくりすればいいのにゃ。

 多分二週間ぐらいはバレないはずにゃから。

 世間のほとぼりが少し冷めてから“ギャランティ”に戻るなり、アイリサに報告するなり考えればいいのにゃ」


「……そうっスよね。

 やっぱりそうした方がいいとラプトも思うっスよね」


「そりゃにゃ~。

 何より、ネットワーク上で情報のやり取りがかなり激しくなっているのにゃ。

 どれだけ規制してもそもそもハルにゃんの“光”を見たという人間はかなりの数にゃ。

 実際都市が一つ、あの一瞬で機能停止に追い込まれたのにゃ。

 データセンターが飛んだとは言え、人の口に戸は立てられぬ。

 “大企業”も詳細を掴み次第、どんな手を使ってもハルにゃんを捕まえに来るようになるのにゃ」


「……ご主人の復讐なんてしてる暇は無くなりそうっスね。

 ツカサ姉様もきっと危ないし、私達姉妹を雇ってくれていた“陽天楼”だってきっと――」


「そうだにゃあ…。

 でもまあ、まだ時間はあるのにゃ。

 だから少しでもゆっくりして身体を癒して――」


ラプトクィリなりに気を使ったのだろう。しかし、ハルサの中ではもう答えは決まっていた。


「いや……もう行くっス。

 アイリサさんに情報が行くのも時間の問題な気がするっス。

 あの人の事だからもう気が付いているかも…。

 私は戦えるし、まだどうにでもなるっス。

 だから、ラプト。

 ツカサ姉様を、お願いしてもいいっスか?」


「にゃ…。

 今はそうするしかないのかにゃ。

 ちなみに、その“力”ってハルにゃんは支配下に置けているのにゃ?」


ハルサは困ったように天井を仰ぐ。


「……だからっスよ。

 正直、いつ私がまた“あの状態”になるのか分からないっス。

 自分で制御できる自信も無いっスから。

 発動条件も何も、私は何も分からないっままっス。

 だからこそ今は、ここから離れるべきだという結論に至ったっス」


「にゃー…」


「……」


「…………」


ラプトクィリもハルサも黙る沈黙の時間が広がる。五分ほど、一言も交わさない二匹の沈黙はラプトクィリが破った。


「そっか、そうだよにゃ~…。

 今は別行動した方がお互いのためになるか…にゃ。

 ハルにゃん、ボクは止めないのにゃ。

 でも、いつでもボク達の所へ帰ってきていいのにゃ」


「ありがたいっス。

 じゃあ、もうここから出るっスよ」

 

ハルサはアメミットを手に取り立ち上がると、分厚い鉄製の扉を開いた。外の冷たい空気が隙間から室内へさあっと流れ込んだ。もうすっかり夜だ。遥か遠くにそびえる何万棟もの摩天楼の様々な明かりがハルサを殴りつけてくる。暗い廊下と木々の匂いは、今二匹がいる場所は過去に放棄された区域の一部であることを教えてくれた。


「ラプト」


「にゃ?」


「……ありがとうっス」


「にゃ~…。

 こっちの事も、ツカにゃんもボクに任せておけにゃ。

 もしボクに連絡したいときは、手紙でもドアの隙間に挟んでおいてくれにゃ。

 迂闊に通信網を使うとそこからバレるからにゃ

 一応、毎日チェックするようにするからにゃ~」


「分かってるっス。

 じゃあ、ラプト…。

 また」


「また、にゃ」


 小さく手を振り、ハルサは夜の闇へと一歩を踏み出す。振り返らない。もし振り返ればあの暖かさに甘えたくなるに決まっているからだ。扉が静かに閉まる音と共にハルサが立つ廊下は星と月の光だけが照らす薄闇に覆われる。


「寒いっスね…」


ハルサは冷たい相棒のアメミットを握りしめ、この廃屋から出るために階段へ歩みを進めた。




                -朱と交わろうが白であれ- End

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