幼馴染の薫ちゃんは神様に愛されている
私の幼馴染の橘薫はとてつもない美少女だ。
長い黒髪が緩くウェーブしていて(本人はくせ毛と言っていた。天然ものである)、光があたるたび美しい天使の輪が煌めいている。少したれ目がちな瞳の右下には色っぽい泣き黒子があって、まだ高校生なのに十分すぎる色気があった。それでいて天は彼女に二物も三物も与えた。与えまくった。頭も良い、運動もできる、初めてのものも一触っただけで十を理解する天才少女だ。
そんな彼女の趣味は読書。少女小説から難しい専門書まで彼女は何でも読む。とりわけ好きなのはファンタジー小説だった。ファンタジーと名の付くものなら海外の小説を取り寄せ、WEB小説も手当たり次第に読んでいた。
「私、いつか異世界に行くのが夢なの」
「薫ちゃん、ファンタジーな世界大好きだよねぇ」
「遥ももちろんつれていくわ」
「うんうん。私の意志は聞いてくれないのね。まぁついて行くんだけど」
「もしくはこの世界にドラゴンと魔力に代わる何かを錬成するわ。そのために沢山実験をするの」
「薫ちゃんなら本当にやりそうだし、全部もっていかれるから錬成するのはやめてね。世界の損失だよ」
腕や足くらいなら、と薫ちゃんが笑うと、私は顔から表情が抜け落ちてしまう。薫ちゃんはせっかく素敵なのだからそのままでいてほしい。唇を尖らせて文句を言うと、薫ちゃんはほっぺを真っ赤にして「遥にそう言われるのが一番嬉しい」と笑った。
私、御園遥は平凡で、薫ちゃんとは雲泥の差がある幼馴染だ。髪の毛はコテで巻いても二時間でまっすぐになってしまう頑固な直毛で、日に焼けると茶色っぽくなってしまう。艶は毎日の努力で保っているけれど、何もしていないはずの薫ちゃんと比べると見劣りするレベルだ。
瞳は明るい茶色の釣り目で、きつい性格に見られがちなのを眼鏡をかけて緩和している。それを薫ちゃんは、理知的だと褒めてくれる。きっと世界の誰しもが私の容姿をブスだと蔑んでも薫ちゃんだけはいつも可愛い、素敵と褒めてくれるだろう。二人そろって結構な幼馴染馬鹿なのだ。
薫ちゃんは本当に私を大事にしてくれる。お互い一人っ子だけれど、私はたまに薫ちゃんの姉になって、妹になる。
薫ちゃんは何もかも普通な私を一度も見下したりしない。文句も言わずに助けてくれる。
私がわからないと首を捻ることを懇切丁寧にわかりやすく教えてくれるおかげで私は成績も良いし、ダイエットが必要だと嘆けば自分は必要ないのに一緒にダイエットに参加してもくれる。そして薫ちゃんばかりが綺麗になるのである。ソー ハピネス。
だから私は薫ちゃんが大大大好きなのだ。そして薫ちゃんもきっと私と同じ気持ちだと思う。なんといっても、何人たりとも邪魔することを許されない読書を唯一邪魔していい人間が私だからである。ソーソー ハピネス。
このまま薫ちゃんとずっと仲良しの幼馴染でいられたら私の人生はきっと素晴らしいものになるに違いない。いつか(見合う相手がいるかどうかは別として)薫ちゃんが結婚して、私も結婚して新たな家族を持ったとしても、それはきっとずっと変わらないと思えた。
そんな日々の幸せを噛み締めていたある日、薫ちゃんの部屋となっている離れに呼び出された。そこは薫ちゃんの書斎であり、実験室でもある。薫ちゃんにメロメロなご両親と親族と信者によって作られていた。
壁一面の本棚と理科室にあるような大きな作業机、およそ一般家庭では見かけないほど大きな冷蔵庫の中には沢山の薬品と私の好物のメロンソーダが入っている。
「遥!」
「お邪魔します」
薫ちゃんは黒いオーバーサイズのトレーナーにゆったりとしたズボンを履き、白衣を着ている。部屋着だと笑うけれど、薫ちゃんが美しすぎるのでどんな高級レストランでもこのまま入れてしまいそうだ。
「見て見て」
やってきた私に、薫ちゃんは少しうきうきとした様子で冷蔵庫の中から瓶を取り出して見せた。中には無色透明の液体が入っており、パッケージにはメロンと印刷されている。明らかにかき氷のシロップの瓶の再利用だ。薫ちゃんは私にも地球にも優しいのである。
「ついにポーションができたの!」
「ポーション? ゲームとかの?」
「そう! 理論上は回復力が7.48倍向上するはずよ」
薫ちゃん……。
どうしてそんなすごいものをシロップの空き瓶にいれちゃったの?
いやいやポーションって。笑 という失笑が聞こえてきそうだが、先述した通り、薫ちゃんは神様から愛されすぎた人間であり、まだ高校生だというのに特許だか知的財産だかを沢山お持ちで、不景気なサラリーマンのやる気をなくすほど沢山のお金をその素晴らしい頭脳で稼いでる。
ほえ~と情けない声をあげている私をよそに、薫ちゃんは嬉々としてポーション作成までの経緯を細やかに説明してくれている。私は『なるほどね』『それってつまるところ?』と相槌をうってはいるが、内容は少しも理解することができなかった。
「最近、遥がずっと寝不足だって言っていたでしょう? 体力回復の効果があるから、是非飲んでもらいたくって」
これを聞いた人は薫ちゃんが私をモルモットにしようとしていると思うかもしれない。しかし薫ちゃんにはそんな気は一切ないのだ。なんなら薫ちゃんは自分も飲む気満々でいる。
満足のいくものができたから、遥と一緒に飲もう! 楽しみ! という優しくも温かく可愛らしい発想からきているのだ。可愛い。とても可愛い。可愛いを三回は言っちゃう可愛さだ。
あまりにも可愛いので、そもそも私の寝不足は夜遅くまで漫画を読むせいであり、それをやめればすむだけの話だということを、墓場まで持っていきたい所存である。
「それじゃあ試飲してみましょう」
「はーい」
トクトクと音を鳴らしながらコップに注がれた液体は若干のとろみがあるように見える。
私はコップに入った透明の水にしか見えない液体をクンと鼻を鳴らして嗅いでみた。甘いような薬っぽいような、不思議な香りがする。
「ポーション完成を祝って」
「かんぱーい!」
私達は躊躇なくその薬を口にする。冷蔵庫から出したばかりなので冷たい。味は美味しくはないがまずくもない。風邪薬のシロップみたいな味が……味……そんな感想を考えてすぐ、私の世界は暗転してしまった。
***
「遥! 遥!」
名前を呼ばれ、揺さぶられ、私は、もっと寝たいと肩を揺さぶる手を払いのける。リノリウムの硬い床はひんやりとして気持ちが良い。私はここの子供になりたい。眠い。
「遥、起きて」
肩を揺さぶられることはなかったが、しつこいほど名前を呼ばれ続ける。そうしているうちにわずらわしさが眠気に勝ちはじめ、私はしぶしぶ目を開けた。
「何~? も~、私今せっかくマグロが釣れたところだったのに……」
「……遥、何の夢を見ていたの?」
「国で女子高生だけが乗れるマグロ漁船があってね……」
眠い目を擦って起き上がると、大柄な人影が視界に人が入り込む。
髪が長いものの、首が太く、肩幅がしっかりあるその姿は女性ではないとすぐにわかった。
心配そうに眉が寄せられた表情、その顔はルネサンス時代の美術品かと思うような鼻筋、切れ長の瞳、屈んでいてもわかる長い手足、そうこれはまるで……
「……男になった薫ちゃん?」
そう、まさしくそうだ。この美の究極体が人間の皮をかぶっているような生き物はまさしく薫ちゃんである。おかげで一気に目が覚めてしまった。
目の前の薫ちゃん(アポロンの顕現?)は私を伺うようにしながらヤンキー座りをしていたのだが、外見の良さが相まってこれが国で最も高貴な人の座り方だった気すらしてきた。いや、それどころじゃない!
「どどど、どうしよう。薫ちゃんが薫くんに!」
「よく私だってわかったわね」
「え!? だって薫ちゃんだもん」
「……」
薫ちゃん青年Verは不思議そうに私を見つめていたが、私が薫ちゃんと薫ちゃん以外を間違うわけがない。私が強く断言すると薫ちゃんは照れ臭そうに笑う。異性になっているからだろうか、普段以上に胸が高鳴ってしまった。
「遥は何ともない?」
私は羞恥も躊躇なく自分の胸を叩いたり下半身の違和感を感じ取ろうとしたが、男になった気配がない。原因を考えるならまず間違いなくあのポーションだと思うが、私には効かなかったようだ。多分世界一の美少女にしか効かないポーションなのだろう。
「……ところで遥、私の姿とかどう思うかしら?」
「世界顔面最強の霊長類! 国宝の頭脳!」
「……」
「え、違った!? あッ! いやもう全てが世界遺産だよね! 失礼しました!」
薫ちゃんが何も言わないので、賛辞がお気に召さなかったのかと様々な言葉で薫ちゃんを褒め称えた。でも薫ちゃんは難しい顔をして私を見ている。
「悲しいくらい対応が変わらないわ」
「薫ちゃん悲しいの!? 何それ!? 許せない!!!」
誰だ薫ちゃんをいじめたのは!? と私が息巻くと、遥よ、と予想外の答えが返ってきた。
OH……私が知らず知らず君を傷つけてしまったの? 君を悲しませたくなんかなかったのに。思わずJ-POPの歌詞みたいな言葉が脳内に浮かんだ。
「ご、ごめん! 大丈夫! 今日も綺麗だよ!? 伝わってなかった!?」
「うん。わかったわ。ありがとう」
薫ちゃんは長い指先で額を抑えていた。頭が痛いの!? と私が慌てると「ある意味」と短い返答が返ってきた。
しばし頭を痛めた薫ちゃんはおろおろと宙を彷徨っていた私の両手を掴んで握り締める。
「遥はこうやって触られるのは嫌?」
「嫌なわけないじゃん!」
薫ちゃんが嫌がることはあったとしても、私が薫ちゃんを嫌がることなどあるわけがない。はっきり断言する私に、薫ちゃんが頬を染めてじっと私を見つめている。キラキラと輝く瞳がとても嬉しそうだなと言外に私に教えてくれる。
「薫ちゃん?」
「何?」
「……近くない?」
座っている私に薫ちゃんが膝をつき、少しずつにじり寄って壁へと追い詰めていく。私は薫ちゃんのご尊顔には慣れているけれど、女の子の薫ちゃんと男の子の薫ちゃんはちょっと雰囲気が違うので、まだ少しだけ慣れていない。背中が本棚にぶつかり、横に移動するまえに、薫ちゃんの両手が顔の真横に置かれて肩が竦む。か、壁ドンだ……。
「どう? ドキドキする?」
「す、する……」
「本当!? 私もよ」
美青年の薫ちゃんが女言葉を使っていることに違和感がないのはなぜだろう。何もかもが神々しいからだろうか?
薫ちゃんの顔が近付いて、か細い声で薫ちゃんの名前を呼ぶとコツンと額に何かがぶつかる。薫ちゃんの長い睫毛がよく見えるほど顔が近い。一体マッチ棒が何本乗るのだろうか……。現実逃避でもしないと意識を保っていられない。
「結婚してくれる?」
「え、結婚? 誰が?」
「遥が」
「誰と?」
「俺と」
薫ちゃんが私にはわからない難しい話や突飛な話をすることは少なくない。が、今回は理解できるのに意味がわからないというレアケースだった。待って待って、と薫ちゃんの肩を押すと、その肩が骨ばってて硬いことに気付いた。
「ど、どして?」
「私が遥を好きで、遥の子供だったら欲しいと思ってたから」
「え~~!?」
「……」
薫ちゃんが同性の私を!? という驚きよりも、そんな手近な相手でいいんですか!? という不満な気持ちが先立った。そんな私の気持ちが声に滲んでいたのだろう、薫ちゃんはむっとしながら私を抱きしめるという暴挙に出た。ひ、ひぃ、と化け物に襲われた農民みたいな声が出てしまった。
「ひぇ、顔が良い! スタイルがいい! あったかい! いい匂いがする!」
「中身は?」
「もっといい……!」
「ありがとう。遥が今日も可愛い」
生まれてこの方、薫ちゃんの隣にいた私は男子への免疫が一切ない。男子の目はまず薫ちゃんしか映さないし、私もそれが当然だと思って生きてきた。
だからこそ好きだと言われ、男の子の薫ちゃんに抱きしめられたことで私のキャパシティは限界を突破してしまった。離してぇと藻掻くけれど、全然力が緩まる気配がない。むしろきつく抱きしめられている。
「これいいな。遥が嫌がっても可愛がれる。柔らかい」
薫ちゃんはあろうことか、私を抱きしめるのをやめたかと思いきや顔を近付けてきた。ふにと唇に柔らかいものが触れ、私は放心した。は? 今女神が祝福を施した???
いやいやいや、気をしっかりもて! 自分が何をされたかを自覚しろ!
これは、もうアウトなのでは? いくら女神でも許されないのでは!?
薫ちゃんの手が私の頬をふにふにして遊んでいる。私だって怒るんだぞ! と迎撃態勢に入ったが、薫ちゃんと喧嘩したことなんてないため罵り言葉が全然出てこない。
「薫ちゃんの、薫ちゃんのッッ……あれ?」
「え?」
叫んだ自分の声が急にガクンと低くなった。え? と不思議に思って出た声はまるで自分のものではないように思える。聞き慣れない、青年の声だ。
「声低い……」
「遥!?」
私の手はこんなに大きかったっけ? 私の座高はこんなに高かったっけ?
自分の違和感と反比例し、目の前の薫ちゃんからは違和感が減っていく。気づけばいつもの女神がそこにいた。
「遥、男の子になってる……」
「え!? やっぱり!? 嘘! どうしよう!?」
涙目になっている私に、薫ちゃんはふむと顎に手をあてて考えたあと、「これはこれでありだと思うわない?」と今世紀最大級の美麗スマイルをプレゼントしながら私を押し倒してきた。おかしい! 男女で立場が変わらない! なんで!? 押し返してもビクともしないのですが!?
「薫ちゃんの! 薫ちゃんのッッ……!」
あんぽんたん! とやっと口にできそうだった言葉は薫ちゃんが美味しくいただいてしまったので、ついぞ出すことはかなわなかった。
神様が愛した美少女に愛されている平凡少女。
性転換ものは男→女も女→男も好きです。
美少女から平凡への矢印は多ければ多いほど良いと思っています。