01.母の死
四月。新しい始まりを告げる、晴れやかな春空の下。
そんな情景とは裏腹に九条 凛は、真っ白な顔をした、それでいて安らかにベッドで眠っている母親を見つめたまま呆然としていた。
「…お母さん」
「……」
「…嘘でしょ」
返事が返ってくることはないと、頭の中で理解はしていても心がどうしても追いつかない。
凛は先程まで同じ部屋にいた医師の言葉を静かに思い出していた。
『ご自宅で倒れているところを、旦那様が見つけたようです。すぐに救急車を呼ばれたらしいですが、こちらについた時にはもう…』
―――そうだ。今日は私も彼も仕事が休みで、二人でお母さんの誕生日を祝おうって、約束をしていた。
だけど、急遽私は会社から呼ばれたから先に行っててと彼を向かわせた。
視線を外すことなく見つめる凛の後ろから、ゆっくりと男が部屋に入る。そして、凛の横に静かに並ぶ。
「凛…」
「智史、お母さん、なんで…?」
凛はその男が自分の旦那である、九条 智史だと言うのを把握して尋ねる。智史は眉間に皺を寄せ、ギュッと目を瞑り、行き場のない凛の手を握りながら答える。
「俺がお義母さんの家に着いて、チャイムを鳴らしても出てこなくて…、凛から預かってた合鍵で部屋に入ったら、リビングで倒れてたんだ」
「…」
「名前呼んでも全然反応しなくて、とにかく急いで救急車呼んで…呼んだけど…」
「智史、ごめんね、ありがとう…、っうぅ」
凛は智史の手を両手で握り返し、その場に静かにしゃがみこみ、堪えきれなくなった涙を流した。
智史はそれを居た堪れない表情で、ただ黙ってもう片方の手で凛を抱き寄せた。噛み殺した声が部屋に響く中、ただ、無情に時だけが流れていく。
凛を落ち着かせていた智史は医師に呼ばれる。
智史は本来であれば側にいてやりたいものの、凛を気遣い少し後に出ると医師に言おうとする。しかし凛も医師の存在に気づきスっと立ち上がって智史を心配させないよう振る舞う。
仕方なく智史は凛の頭を撫でたあと、すぐ戻るから、と言い医師の後ろを着いて行った。
凛は改めて、しっかりとその目に母を写す。刻まれた深い皺、白髪の数に苦労の数が窺えた。だけど相反して綺麗な寝顔。
「昨日電話した時は、あんなに元気そうだったじゃない…」
声をかけても返事がないとわかっていても、凛は母親に向けて言いようの無い気持ちを声にする。
「誕生日よ、おめでとうって、プレゼントも…」
凛は抑えようのない涙を零しながら、母親の冷たく固くなった手を包む。
もし会社に呼ばれなければ、今日の朝電話をかけていたら、色々なたらればを考え出してはキリがない。
智史が部屋に戻るまで凛はただひたすら目の前の現実を受け入れていくしか無かった。
_____
外がオレンジ色に差し掛かる時間帯、凛は智史と自宅へ戻ることとなり病院を離れることになった。
「…」
「…お母さん、脳卒中が原因だってお医者さんが言ってた」
「うん…」
車の中では静かに凛が医師から告げられた話をぽつぽつと話す。智史が医師から呼ばれた後、凛も医師と二人で話した。
諸々の手続きや事務的な話から、今後の流れなどまるで母親の死がなんでもない事かのように進められていくのに嫌気がさしたが、母親は凛が小さな時に離婚をしていたし、凛は一人っ子の為身内は凛しかいない。目を逸らしている時間など無かった。
「さっきお母さんが通ってた病院に連絡したら、明日家に来て死亡診断書を書くって…」
「そうか…」
「もう、さっきまでね、何も力が湧かなかったけど、先生から話を聞いてたら…今はやる事が沢山あるんだってなっちゃって、なんか涙止まったの」
「…うん」
「智史も仕事忙しいのに、ごめんね」
「そんなこと気にするな、あと謝んな。家族なんだから」
「…うん、」
「それと…やる事があるからって悲しいのが無くなるわけじゃない。今のうち思っきり泣いといてい。俺も…っ、今日は二人で泣こう」
智史の言葉に凛の瞳は再び潤み始める。
運転している智史の目からも涙が零れそうになっていた。