14:00~
[場所:野外――水路上]
[時間:午後14時20分]
[人:〈爆弾〉〈船頭〉〈不良〉]
「結局、何も得られなかったっすね」
ゴンドラに揺られながら、昼の陽を仰いで〈不良〉が言った。
「〈探偵〉は死んでるし、〈完全〉も死んだって言うし、挙句の果てに昏睡状態の〈星空〉まで死ぬし……。ほんと、何もいいことなかったすね」
「お前……すごい怖いもの知らずだな」
「あん?」
マジでよく言えるよ。復讐を終えてきた人に「あんたの復讐って死人増やしただけっすよね」って。俺もうこれ以上の惨劇は見たくないんだけど。
横目に様子を窺うと、しかしそれでも、〈船頭〉には怒りの欠片も見えなかった。
「いいじゃないですか。何も残らないくらいがちょうどよくて」
冷たい風が、川の水面を浚っていく。俺たちもそれを、まともに身体に受けた。
「復讐は何も生まない。だから塵ひとつ残さず綺麗にすることができるんですよ。私は気分がよかった。それでいいじゃないですか」
「……やっぱ痺れるっす姐さん」
「本当の驚愕ポイントは俺、この人が特に何のクスリの影響も受けずにこれだっていうことだと思うんだよね」
そういえばまだ観光の途中でしたよね、って言われたときにはもう何のことかと思った。一万円出したあれの続きらしい。あの病院から生き残って出てきた俺たち三人は、こうしてゴンドラに乗って街の水路を旅している。なんとなく、ものすごい回り道をして振り出しまで戻ってきたような気がした。
「でも姐さん、本当によかったんすか? 〈完全〉とか〈星空〉とか、姐さんの幼馴染じゃ……」
「よくもまあ掘り返すねお前」
「いいですよ、お客さん。この子のいいところでもありますから、こういうところ。……〈不良〉。私は別に、よかったと思いますよ」
そう言いながら、〈船頭〉は座った。オールを使っているのは見せかけで、本当は自分の能力で簡単にこんな船くらい動かせてしまうらしい。それでぼんやり、懐かしむようにして言った。
「『赤い雪』を追っていてわかりました。人間っていうのは、存在が連続してるからって、精神が連続しているとは限らないんです」
「…………?」
「おっ、わかってねえやつがいる」
「んだよ、ならお前はわかってんのか? バカ二号」
おい俺をお前と同じ位置に置くな。
いややっぱいいわ。その位置なんか結構良さそうだし。強キャラみたいで。
「たとえばさ、お前がいきなり頭打って記憶喪失になったとするだろ?」
「なってねえけど」
「たとえばっつってんだろ。お前外国語の教科書に『彼は私の父です』って書いてあるの読もうとして『いやあれ俺の親父じゃねえけど』とか思っちゃうタイプ? 分離しろ。すべてを」
「ガイコクゴ……? なんだそれ、食いもんか?」
「ウソだろ」
「ウソだよ」
こいつのボケ心臓に悪すぎるだろ。
「話を戻すけど、記憶喪失になったとするだろ?」
「おう。まあとりあえず聞いてやる」
「えらっそうに……。んで、ついでに顔面ボコボコになってクスリとかバカスカ入れらえて赤ちゃんレベルの知能に落ちたとする」
「それって落ちてんのか?」
「お前もうちょっと自信持った方がいいぞ。自分に。……んで、そういう前とはまるで別人の状態になって、なおお前はお前と言えるのか、みたいな話」
うーん、と〈不良〉はちょっと考えて、
「言えんじゃね?」
「いまそれが言えないって話をお前の姐さんがしてたんだよな」
「言えねえわ。お前バカか?」
「お前自分と他人の区別くらいつけたら?」
あはは、と〈船頭〉のオネーサンが明るく笑った。うわー可憐。人は見かけによらないってこのことだネ。
「〈不良〉みたいに言えたら素敵なんでしょうけど……。やっぱり私にはそうは思えませんでした。『赤い雪』の重度中毒者は、みんな見る影もなくなって、それにみんな、似ていました。それでよく思い知ったんです。人間や生き物なんていうのは、素敵な魂なんてものはひとつも持ってなくて、ただ身体の中から出てくる自然な薬物のおかげで性格が決まってるものなんだって。それで、外からもっと強いクスリが入ってきたら、それに塗り替えられちゃう程度のものなんだって」
「…………?」
「クスリ使ったらクスリに心乗っ取られるってこと」
「えッ!? そうなんすか!?」
「勝手な持論ですけどね。……それに、クスリにも限りません。家庭とか、教育とか、建物とか、食べ物とか、それこそ飲み水とか。私たちは知らない間にそういうものに振り回されて、人格だって乗っ取られて、どこまでが自分なのか区別できなくなってるのかもしれない。もしかすると、『自分』なんてものは初めから存在しないのかもしれない。外側から入ってきたものが、頭の中でせめぎ合って、そうして作られた勢力図のことを、私たちは性格って呼んでるのかもしれない」
「…………?」
「お前がハンバーガーの広告見てハンバーガーのことしか考えられなくなったら、もはやそれはお前じゃなくて全身ハンバーガーの広告でできたハンバーガーモンスターだってことだよ」
「かっけえ」
お前本当にそれでいいの?
ていうか、〈船頭〉のオネーサンもそれでいいの? こんなめちゃくちゃ真剣な話してるときに横でこんなバカふたり抱え込んでて。おっと、つい咄嗟に俺、自分も〈不良〉の仲間としてカウントしちまった。これが友情ってやつ?
「〈星空〉が倒れて後遺症が残るのが間違いなくなったとき。それに〈完全〉が家を出て、私の潔癖症に付き合わなくなったとき。その結果、水道に混ざっていた『赤い雪』で急激に認知機能が劣化したとき。……もう、私にとってはそれは、取り戻せるものじゃなくなりました」
いいんです、と〈船頭〉は言った。
青すぎる空を見上げて、こう言った。
「誰かのための復讐じゃない。――思い出のための、復讐だったんです」
どゆこと?って顔で〈不良〉は俺を見てる。まあお前はそうだよな。でも黙ってな。今、オネーサンのラストシーンをやってるから。
ものすごく穏やかな風が吹いてる。
絶対この街には似合わないだろ、ってくらいの、柔らかい風。
なんだかすごくいいことが起こっちゃいそうな予感がする、俺たちの人生を何度も何度も何度も誤魔化してきた、美しい星の風。
そういえば、とオネーサンは言った。
「〈爆弾〉ってこのあとどうするんですか?」
「え? 飯食って……」
「そっちは宿含めて手配してあげますけど。もっと先のこと。ほら、就職とか。こっちに来たばかりなんでしょう?」
「何お前、無職?」
嬉々として食いついてくるのが〈不良〉。逆にお前、俺の今までの行動見てまさか定職についてるとか思ってたわけ? ちょっとうれしくなっちゃうじゃん。いやでもこの街で定職についてるって多分フリーターより邪悪度が高いとかそういうことなんだろうな。なんか素直に喜べなくなってきちゃった。
「俺と強盗やろうぜ。ほら、銀行襲うってやつ。結局やってねえし」
「あー……」
「強盗をするかはともかくとして、就職口が欲しいんだったら斡旋しましょうか。ここの職業安定所とか信じちゃダメですよ。組織としての力も弱い上にモラルも最低ですから。この街の基準に照らせば平均くらいですけど」
「うーん……」
お察しの通り。
俺が悩んでるのは、これからどうしようかな。就職とかちゃんとできるのかな。そもそもちゃんとした就職口なのかな、とかそういうイタイケなハイティーンみたいな理由じゃない。
ほら、俺ってこの街を破壊しなくちゃいけないじゃん?
えっ、忘れてた?
どうしよっかな。こういうこと言っていいのかな。言っちゃったらルール違反かな。ていうかこれ、もしかして俺が街の破壊に失敗したら罰ゲームで殺されんのかな。
でもまあ、いっか。
「俺、テロリストなんすよねえ……」
「あぁ……」「あーね……」
いや、驚くところなんですけど。
品行方正で子どもに優しくて信じられないほど善性に溢れてこの街の巨悪を抹殺することに何のメリットもないのに協力したナイスガイが実は……っていう衝撃の展開なんですけど。
「いや……。まあ、その。正直言わせてもらいますけど、〈爆弾〉……」
「お前すげー変質者っぽいもん。逆にそれでパンピーだったらこえーわ」
「おいおいおいおいお。そんなにゲーノー人のオーラが出ちゃってるって?」
「ちなみにどんなテロを起こすつもりなんですか?」
「街を破壊します」
オネーサンと〈不良〉が顔を見合わせる。
俺は追撃で、
「『街を破壊する能力者』なんす。一度も使ったことないんですけど」
「へー」「あー」
割とこの場でぶっ殺されるかな、って気持ちで言ったけど、めちゃくちゃあっさり受け入れられた。俺、実はギター弾けんすよね、って言ったときと同じような温度感。
「いいんじゃないですか?」
「さっぱりしそうだよな」
「あ、やっぱりそういう感じ?」
うーん。なんだか悩んでたのがバカみたい。
バイトに応募する電話をかけるかかけないか一時間迷った後に、いざ繋げたら一分もしないで終わっちゃった、みたいな気分。
「すぐ使うんですか?」
「いや。なんてーか、上?の方から指示があって、午後三時になってからじゃないと使えないんすよ」
「え、何。そういうテロって組織があんの?」
「さあ……」
「あと三十分くらいですね。ちなみに、誰かに察知されたりしてるんですか?」
「えー……。どうだろ。あ、でもほら、あの俺のこと浚って死んだおっさん。あれ同僚なんで、あいつがバレてたら俺もバレてるかもしれないっす」
ふうん、と〈船頭〉は頷いて、
「でもまあ、誰も追ってこないですし、バレてないのかもしれないですね」
「いやいや姐さん。ちょっと待ってください」
珍しく、〈不良〉が自信ありげな顔で割り込んで。
「俺にゃわかります……。姐さんは頭いいからかえってわかんないと思うんですけどね」
「お? なんですか?」
「みんな知ってて、かつ手を出してないって可能性がありますよ」
「あるか? そんな可能性」
はあーっ、と〈不良〉が溜息を吐いた。やれやれ、って肩まで竦めてくる。腹立つなこいつ。
「みんな自分のことで手一杯なんだよ。街なんて、そんなでけえこと考えられるヤツがいるわけねえだろ」
今度は、俺と〈船頭〉が顔を見合わせる番で。
「あー……」「確かに……」
そんなもんか、と笑って。
そんなもんさ、と笑って。
舟は往く。
安全な場所が、どこかにあると信じて。
[場所:映画館――客席]
[時間:午後15時00分]
「…………」
エンドロールが流れ切るまでを、彼女はずっと見ていた。
劇場に、明かりが灯る。
うん、と背伸びして、彼女は椅子から立ち上がる。鞄を持って、階段を降りていく。こんなことを呟く。
「晩ごはん、何食べようかな」
スクリーンを背にして、最後に彼女は、一度だけ拍手をした。