12:00~
[場所:ホテル真実――203号室]
[時間:午後12時00分]
[人:〈爆弾〉〈人形〉〈冒涜〉]
「えーっ! じゃあ〈人形〉ちゃんってその人のこと急に好きになっちゃったの~? 顔も見てないのに~?」
「そ、そうですけど……。わっ、悪いですか!?」
「全然悪くなんてないわよぉ~! 純愛ってカンジ~!!」
そうして俺たちはラブホ(ラブホテルのこと)の二階の部屋に連れこまれてコイバナ(恋のお話のこと)をしていた。全身はぐるぐる巻きですよ。ロープで。それでもめげない。口をガムテ(ガムテープのこと)で塞がれることはなかったので大変助かりました。例のおっさんがシャワーを浴びてる間、俺たちはこうやってぺらぺら喋ることができたんです。あの、もしかしておっさんがシャワーから出てきたときが俺の貞操の終わりどきって感じっすか?
「んじゃ助けに来てくれるといいねえ、王子様」
「……む、無理だと思います。だって私、さっき……」
「やだ健気~!」
かわい~! 子ども大好き! マジであのルネ人のお兄さんがこの子にラブしたら年齢差で引くけど、子どもから大人に向けられる淡い恋模様みたいなのはおじさん大々だーいすき! いい子だねこの子は。この街で会った中でもかなり清涼剤の部類に入る。
ガチャ、と扉が開いてサッパリした大男が出てきた。
手には注射器。
「知ってる? 〈人形〉。クスリの中にはああいう注射器を使って使うやつもあるんだよ。たまーに治安の悪い街の駅とか行ってごらん。『注射器を捨てないでください』って注意書きがあるから」
「なんでそれを今……」
「ってこの街も治安クソ悪いから地元民なら見たことあるか! アッハッハ!!」
「安心しろ、大して痛みはない」
何よ! 今あたしとこの子が話してんのよ!!
大男はよりにもよって俺の方じゃなくて〈人形〉の方に近付いてロープを解いた。
「おいロリコン。死ね」
「違う」
「違くないだろ。うわうわうわ!! そんな服めくりあげちゃって、ド変態!! 人間のクズ!!」
「袖だけだ」
うわ腕ほっそ。まさしく今から注射される人みたいな感じで〈人形〉が服の袖をまくられる。んであの圧迫バンド?みたいなやつを二の腕にはめられて、血管をくっきり浮かばされたあと、とんとん指で叩かれてる。あのさ、ハリウッド映画の脚本術とか知ってる? ああいうのに愛される主人公の持ついくつかの要素!みたいなのが載ってるんだけどさ。そのうちのひとつにこういうのがあるんだよね。子どもとか小動物とか、儚い生き物に優しいみたいなやつ。たとえどんな極悪人だろうとそれを守ってると結構いいヤツみたいに見えちゃうよ~~んって感じの話。何が言いたいかっていうと今がそのチャンスっていうこと。うんしょ、うんしょ。
「おいロリコン」
「黙っていろ」
「おぇえええええっ!!」
「――――ッ」
手榴弾。さっきパチってきてたんすよね、〈人形〉の廃墟と化したお家で。よかったこんなこともあろうかと胃袋の中に入れておいて。俺ってほら、結構ミステリアスなやつだからこういう芸当ができちゃうわけ。昔サーカスでバイトしてたこととかあるのかもね。よっしゃビビったところをロープぐるぐる巻き完全直線体型によるドロップキックでどーん!
残念ながら普通に足を掴まれちゃいました。
「……話し合おうぜ? 俺ら下僕仲間じゃん」
「…………」
もう無言だよ。信じらんねえこいつ。言葉がどれだけ人間のコミュニケーションに寄与してきたか知らないわけ? でもそれ言うなら暴力もそうか。やっぱりお前もそういう確固たる人間史観を以て俺の顔にパウンドしてるわけ? 今の状況を説明するとさ、あの、あれあるじゃん。ドラマとかで課長とかが机をバーンって叩くやつ。あんな感じだよ。足で床に固定されてさ、こう、拳の横のところでバンバカ顔殴られてる。すげーよ。一発やられるごとに骨引っ込んでくもん。あと一ヶ月もしたら星の裏側に俺の顔ありそう。ていうかこれあれか、ハンマーの動きか。うわうわうわすげえ。いまブシュッて血が飛んだ。顔の肉突き破って骨出てたりして。
「や、やめてください!!」
やめてくれた。
「ちゅ、注射でも何でもしていいですから、その人のこと、それ以上殴らないで……」
なるほどね。俺ちょっとお嬢ちゃんがさっきのオニーサンのこと好きになった理由わかっちゃったよ。こんな暴力と恐怖の擬人化みたいなやつから助けてもらったらそら好きになるわな。わかっちゃったわかっちゃった。
でも大丈夫。俺って大人だからこの程度全然痛くも痒くもないんだよね。
おっさんの顔目掛けてプッて唾吐いてみちゃったりして。
「止めてもらうの待ってたのか? 腰抜けく~~~~ん」
へぶッてね。もう一発だよ。今度は体重全乗せみたいなワンパン。さすがにこんなに殴られると人間の脳だってプリンみたいにグッチャグチャになっちゃうと思うんですけど。でもまあそれでも俺、あんまりこいつのこと怖くないんだよね。だってほら、こいつ俺を殺せないでしょ。最初に見たときの力関係そのまんまだよ。こいつあのサディスト一号には絶対逆らえないでしょ。んでサディスト一号から重要なタスクを告げられてる俺のことも殺せやしないって寸法よ。こんなグッチャグッチャにしちゃってどうすんすかね? もう俺自力で逃げられますかって訊かれたらかなりきつい感じになってるけど、もう連れ回すしかないんじゃないすか? 嫌っスねえ頭まで筋肉でできちゃってる人っていうのはこんなラリパッパで痛覚消えちゃってるような人間にも勝てなくって悔しくって泣いちゃうんすか? ところでごめんね〈人形〉。俺もう起き上がれもしないから君がそうやって注射されてるの黙って見てるしかないわ。うわー可哀想。ただでさえ子どもなんてみんな注射苦手なのにこんなデカ男にやられた日には夜も眠れないよ。
ていうかあれ、注射っていうかなんか違くね?
入れるんじゃなくて、抜いてね?
「『神の血』という」
たっぷり注射器に血を溜め込んで、それを引き抜いて、おっさんは言った。なぜか俺に向かって。
「〈市長〉が作った万能薬だ。――自分の娘を天然の生産プラントとして生み出すなんて離れ業までやってのけてな。俺がここに来た理由はふたつ。ひとつはその〈市長〉自身の知識を奪うこと。そしてもうひとつは『神の血』自体を奪うこと――後者には随分手間をかけさせられたが」
おかげさまで雇ったプロが全員、十五人も死んだ、とおっさんは言う。たぶんさっき〈人形〉から聞いた、あのオニーサンが迎え撃ってくれたっていうのがそれなんだろう。やるじゃん、オニーサン。俺とは大違い。
「よかったじゃんな。報酬もチャラになって」
「……〈幕〉はいつも人材を見つけるのが上手い。向いてるよお前、この世界に」
「えんがちょ」
「さて、その『神の血』の実際のところなんだが」
ピン、とおっさんは針の先っぽを弾いて、
「これがなかなか難しい。ちょっと分量を間違えると毒になるらしくてな。〈市長〉は結局別の人間にその作業を任せていた。……つまり、俺自身一度試してみたくなるというものだ。他人の身体で」
はあはあはあ。なるほどねえ。つまりは〈人形〉のお嬢ちゃんの中にその万能回復薬みたいなのを創り出す仕組みがあって、おっさんはそれを盗みに来たと。いやー、ほんとムカつく話だな。俺、もしかしたら人間が物扱いされてるのとかがダメなのかもしれない。他人のこと工場かなんかだと思いやがってよ。ちゃんと人殺しするときも相手の人格と向き合った上で殺してほしいものですよね(ねー?)。
「ちょっと待って」
「怖いか? 安心しろ。間違えるにしても万に一つだ」
「いやそうじゃなくて。〈人形〉」
顔面蒼白でかわいそかわいそになってる〈人形〉に、いや質問に答えさせるの可哀想だな、と思いながらそれでも訊く。
「君、血液型何型?」
「…………О……」
「んじゃいいや。ほら、さっさと治せよその万能薬で。ほら早く早く!!」
どうせ抵抗したところで意味なんてないんだから、あえてこっちから催促することで主導権を握る作戦。案の定ちょっとおっさんの顔は引きつった。下僕としての血が騒いじゃったのかな?
「……わからんな。てっきりお前は命が惜しいのかと思ったが」
いやだからお前俺を殺せないだろって。〈幕〉に頭が上がんないんだから。ってもしかして俺が頭ラリラリに見えるからそういう計算してるってわかんない感じ? 馬鹿だよな。計算しないで生きてる人間なんていないのに。もしかして頭を使うのはあまりお得意ではないのかしらん?
「まあいい。暴れられても面倒だったからな」
で、おっさんが俺のロープを解く。よっぽどぶん殴ってやろうかと思ったけど、残念綺麗にマウントポジション。そのまま腕を取られて随分雑にブスーッと針を刺されちまった。
ちゅぅうううううう。
きゅぽっ。
「…………どういうことだ?」
「は?」
いやなんすか? なんでそんな怪訝な顔してるわけ?
「お前まさかミスったん? 無能~!」
「そんなはずはない……! 仮に失敗だとしても必ず何かの薬効が……」
出るはず、とおっさんは言う。そんで次にやったことと言えば、もう一度俺をロープでぐるぐる巻きにしたあとホテルの紙コップに注射器の中身をぽたっと落として、洗面台のところで水をジャーッて入れて、ぐるぐる指でかき回した後ちょっと舐めた。すんげー変態。なんかもう……同じ空気を吸いたくないね。
「…………馬鹿な……」
そうだよお前はバカだよ。ていうかお前、そんな薄めて使わなくちゃいけないはずのやつの原液そのままあの量俺にぶち込もうとしたの? もしかして俺を永久に増殖膨張するモンスターとかに仕立て上げようとしてた? そういう性癖?
ギッ、とおっさんは〈人形〉を睨んだ。そんで、焦りながらこんなことを言う。
「――――『神の血』ではない。お前、一体何者だ!?」
そんなことが簡単にわかるんだったら人生なんて何の意味もないだろ。
[場所:野外――水路上]
[時間:午後12時10分]
[人:〈船頭〉〈探偵〉〈刃〉〈不良〉]
「ちょちょちょ、ちょーっとストップ!!」
なんでこうなるんだよ、と思いながら〈不良〉は割って入った。〈船頭〉が問答無用で〈刃〉の頭をかち割る恐怖の現場に。こういうとき自分の能力が『一定以上の強度の攻撃に対して最適なカウンターを繰り出す能力』でよかったと思う。普段は受動的だし勝手に出るしであんまり気に食わないところもあるけれど、〈船頭〉みたいな頭の回る相手だったらピタッと落ち着いてくれる。
いきなりのことだった。
〈刃〉の運転で〈船頭〉に指定された場所まで移動して、うっすすんませんした、と頭を下げた瞬間、その頭の上を〈船頭〉がフルスイングして〈刃〉がぶっ飛ばされた。えぇええええ。開いた口がふさがらないというのはこのことで、〈探偵〉に至っては驚きのあまり川に転落した。今はゴンドラの縁に手をかけながら、いつこのサスペンスが終わるものかと眼鏡を濡らして見守っている。
「ど、どうしたんすか!!」
「〈不良〉。ちょっとどいてもらってもいいですか」
「いやだって――」
「どけ」
「はい」
逆らえない。実を言うと〈不良〉は全くもって〈船頭〉に頭が上がらない。向こうの方が強いのだ。〈船頭〉はただゆっくり水を被せてくるだけの攻撃で自分を封殺することができるから。〈不良〉だって能力はかなり使いこなしている方だと思ってるし、大抵の相手には負けない自信がある。が、〈船頭〉を相手にするとまるで話にならない。そのくらいの力の差がある。
だから、事の成り行きをハラハラ見守ることしかできない。
「……別に、構いません。あなたが復讐の道ではなく、〈星空〉を救う道に、たとえ僅かな可能性だとしても賭けたこと。そのこと自体は、選択として尊重します」
でもね、と〈船頭〉は冷たい目で、
「それならあなたは徹底的にすべきです。……なんです? その中途半端な隠蔽は。風の噂で聞きましたよ、透明な殺し屋。――そんな道を選ぶんだったら、あなたは〈星空〉を助けるまで、『神の血』を手に入れるまで、一片たりとも姿を見せるべきじゃない。存在すら知らせるべきじゃない。あなたの能力は、発動を続けてさえいれば暗殺という点ではほとんど無敵です」
ぐっ、と〈船頭〉は〈刃〉の胸倉を掴んだ。
「イライラするんですよ、中途半端野郎。死ね」
「ね、姐さん!!」
思わず、〈不良〉は声を上げた。この人はやるとなったら本当にやる……やるが、〈不良〉だって〈刃〉は知らない人間というわけでもない。これが知らないチンピラなら恐れのままにただじっと眺めていたかもしれないが、さすがに口を出したくもなる。
じろり、と〈船頭〉が〈不良〉を見た。
膝から砕けそうになりながら、それでも〈不良〉は言う。
「あ、あの、そのへんで……」
「〈不良〉」
「はいっ!」
「そうですね。あなたの言うとおりです」
にっこり笑って、〈船頭〉はその手を〈刃〉から離した。
「『赤い雪』の大本が見つかりそうなんです。私はそれがわかり次第殺しに行くので、そちらの〈探偵〉の世話を任せてもいいですか?」
「あ、そりゃもちろん……」
ちらり、と〈不良〉は〈探偵〉を見る。びくり、と〈探偵〉は驚いて、そのあとぶくぶく言いながら水の中に潜っていった。心当たりはあるので何とも言えない。
「あ、でもあの、逸れた〈爆弾〉も一応探したいんすけど……」
「結構危険そうな逸れ方ですか?」
「そうなんす」
かくかくしかじか、と〈不良〉が説明すると、〈船頭〉はふうん、と頷く。
「どっちでもいいですよ。〈不良〉が単独で行けそうなら行ってもらえれば。もちろん、私が連れてきたお客さんなので、放っておいてもらっても所用を終わらせたら私が迎えに行きますよ。正直ここまで今日一日で話が進むと思わなかったので仕事のついでにしちゃってたんですけど、途中で帰さなかったのは私の落ち度ですしね」
「そっすか。んじゃまあ……なんかちょっと気が合ったんで、俺、自分で迎えに行ってきます」
「ありがとう。あなたにはいつも助けられますね」
ところで、と〈船頭〉は〈探偵〉の潜った場所にオールを差し込んで、釣り上げて、
「どうですか? 場所、わかりそうですか?」
「は、はひっ! ジュースのおかげで能力捗りました! 病院です!!」
「病院……、中央の総合?」
「そ、そうですっ!」
「人はわかります?」
「さ、〈医者〉と……あの、怒らないでくれますか?」
「怒りませんよ」
「ぱ、〈刑事〉です……。私が、前組んでた……」
違うんです、と大きな声で〈探偵〉は叫んだ。
「私、何も知らなかったんです!!」
「ええ、わかってますよ」
どういう理屈か〈不良〉にはわからなかったが、けれど〈船頭〉は確信ありげにそう言った。このあたりの機微は、もう初めから理解することを諦めている。〈不良〉はもうハッキリと自分の人生の指針を決めてしまっていて、何をどう考えるかではなく、誰の言うことを信じるかが大事なことだと思っている。
「〈探偵〉は〈不良〉と一緒にいてください。常に彼の影に隠れていればとりあえず死ぬことはありませんよ」
「はひっ!」
「それじゃ、私は行きますね。あとのことは、」
「――待て」
なんでだよ、と〈不良〉は思った。今さら事を荒立てようとすんなよ。
〈刃〉が腰を上げている。
「俺も行く」
「――〈完全〉。顔を出してもらっていいですか」
「…………」
「早く。信頼するための儀式です」
しばらくの沈黙。
やがて、〈刃〉が素顔を晒した。やっぱり〈完全〉じゃねーか、と〈不良〉は思ったけれど。
「――本物、ですよね」
〈船頭〉は、かえって驚いたように。
というか、ちょっと恐れてすらいるかのような顔で。
「いつからそんなに愚かになったんですか、あなた」
[場所:病院――7階院長室]
[時間:午後12時15分]
[人:〈刑事〉〈医者〉]
「なあ、この部屋ってシェルター機能とかねえの?」
「ないわよ」
「付けとけよ」
「そんなこと、あなた昨日まで言わなかったじゃない」
「……まあ、それもそうか」
「もう」
[場所:ホテル真実――203号室]
[時間:午前12時15分]
[人:〈爆弾〉〈人形〉]
「…………あの」
「ん?」
「お顔、平気ですか?」
「うん。俺、そういう能力者だから」
「そ、そうなんですね。よかった……」
「…………」
「…………」
「……あの」
「ん?」
「私って……〈人形〉ですらないとしたら……」
「…………」
「……なんでもありません」
「別になんでもいいんじゃない?」
「え?」
「なんでも」
「…………そう、かな」
「そうだよ」
「…………うん」
扉が開く。
男がやってきて、車に乗るぞ、と言う。
行き先、病院。
目的、検査。
[場所:野外――水路上]
[時間:午後12時20分]
[人:〈探偵〉〈刃〉〈不良〉]
「あ、出ました」
「えっ、マジ? はやっ!」
「んふふ。まあ一回接触したことのある人たちですからね。通り名までわかってればなおさらですよ」
「んでどこ?」
「あー……。移動中ですけど、この方向は……病院、かな?」
「んだよ! んじゃさっき姐さんについてきゃよかった!!」
「…………」
「あの、これ私も行く感じですか?」
「あー、どうする? どっちでもいいけど」
「私、延滞のDVD返しに……あれ? そういえばどこにやったっけ?」
「お前確かトイレでぶっ倒れてるときも何も持ってなかったぞ」
「み、見たんですか!? こっここっここここおこのどへんたい!!」
「いや、姐さんが最初に入ったよ」
「えっ……。それはそれで照れるような……」
「どうせDVDは家に忘れてきたんだろ」
「……私、何のために今日外に出てきたんだろ」
「――ついていった方がいい。〈水龍〉がああ言うということは、消される可能性があるということだろう」
「ヤンキーさん。さっき私のことよろしくお願いされてましたよね?」
「はいはい……。あの、運転頼んでいっすか? 〈刃〉」
「……わかった」
[場所:野外――病院前]
[時間:午後12時40分]
[人:〈船頭〉]
『最強の能力』なんてものは存在しない。
そのことを、〈船頭〉はよくわかっている。
自分の能力ひとつ取ってみてもそうだ。『液体を操る能力』。その液体の範囲にまず指定がある。固体に完全に密閉したものまでは力が届かないことが多い。それに、繊細な操作は自分の身体から離れれば離れるほど厳しくなるし、何より能力の有効範囲が教室程度しかない。
もっと水辺にある病院だったら楽だった、と思うけれど。
それから、気をつけなければならないこともある。ここには〈星空〉が眠る病床もある。つまりは、うっかり全員皆殺し、みたいな手段はできる限り取りたくないのだ。
「……ま、暗殺ですよね」
水道管を破壊すれば力で制圧するのは容易になるとは思う。が、それには多大な犠牲を伴う可能性もあるし、大規模な行動をすればこちらの顔がまだ割れていないというアドバンテージを何と引き換えることもなく失ってしまうことになる。
だから、選んだのは暗殺。懐に蓋を開けたペットボトルを忍ばせておく。音やら零れやらは常時能力を発動していればどうってことはない。病院内を歩き回って、見つけたらすれ違いざまに心臓を貫いて殺す。それが戦法だった。
もしも〈完全〉が昔のままだったら。
少しだけ、そのことを思った。透明化したままふたりで潜り込んで、それで終わりだった。
けれど、今の〈完全〉のことは、とてもじゃないが信じられない。
顔を見せろ、と言われて本当に見せるとは思っていなかった。ああいう判断を、かつての〈完全〉はしない。身内を捨てた時点で、身内を信じるという選択肢は消えたはずだ。さらに言うならついさっきまで〈不良〉と一緒に誘拐犯を追うのが目的だったはずなのに、急にそれを切り替えたのも理解できない。
支離滅裂だ、と思う。
自分はそれなりの行動原理を持っている。復讐が最優先。情報はどうせ洩れるところからは洩れるから、秘密の保持にはこだわらない。仕事中だろうがなんだろうが『赤い雪』の手がかりがあったら追うし、深入りできる限り深入りする。今日の反省点があるとしたら客を帰すタイミングだけ。出来事が雪崩でのように起こるなんてこの街では日常茶飯事なのだし、もっと早くに帰すべきだった。今後に生かす反省点の一つ。でも、自分の進む道筋の上にある失敗だ。
〈完全〉は違う。行ったり来たり、行き当たりばったり。目標が何なのかも、定まっていないように見える。
本当に、あれは慣れ親しんだ自分の友人の兄なのだろうか。
しかしそんなことは、やるべきことをやってから考えればいいことで。
「……よし。行きますか」
歩く。
殺す。
それだけのことを、するために。
駐車場から入口へ。
変装なんかは特にしない。この街で不審者なんか珍しくないから、かえってそれを隠そうとすると殺人者の臭いが際立ってしまう。だから、ごく普通に。ただの私服を着たまま。
自動ドアが開いて、受付をちらりとも見ないで、あたかもそれが当然みたいな顔をして、奥に入って行こうとして。
目の前を、〈爆弾〉と、少女と大男が横切っていった。
「――――」
お、と内心で思った。顔がボコボコの〈爆弾〉を見て。
が、声には出さなかった。
助けてあげようと思えば、あのくらいの相手いくらでもやれそうだ、と思ったけれど。
ごめんね、と心のなかでだけ謝って。
とりあえず、今は殺人優先。
[場所:病院――1階廊下]
[時間:午前12時43分]
[人:〈爆弾〉〈人形〉〈冒涜〉]
やっぱりこいつビビってんでしょうねえ。だって、ここまで俺のこと連れてくるんだもん。やりすぎちゃったからその『神の血』とかいうやつを使って治さないとサディスト一号からのお仕置きが怖くて仕方がないって感じっすか? そういえばあと俺がこの街を破壊するまで二時間ちょいしかなくなっちゃったけど誰も俺のことを探しに来る気配がねえ。もしかしてみんな、この街嫌い? そりゃそうか。
向かってるのは実験室だって。えー怖い。何をされちゃうんでしょう。されるの絶対俺じゃなくてこっちの〈人形〉だけど。もう最低。児童搾取を一刻も早くやめなさい。ほら〈人形〉なんかこんな怯えちゃって。大丈夫だよ。顔面ボロボロのおじさんがついてるからね。ほーらこっちを見てごらん。いないないばあ。
「…………」
うわ全然それどころじゃなさそう。
おっさんは全くもって迷いのない足取りで向かっていきました。実験室へ。もしかしてここ、お前の家? ここで生まれた感じっすか? って病院だし新生児とか大体そうか? お前ここ地元? ありそ~。なんか行動のひとつひとつが治安悪いもん。
パスコードをピポパポパ。
ビー。エラーです。入れません。
「お前何やってんの? 無能すぎない?」
「クソッ! 先手を……!」
このおじさんバカだねー(ねー)。そういう視線を送ってみました。〈人形〉に。でもやっぱり、お嬢様はそれどころじゃなさそうです。なんだかやけに病院に対して嫌な気持ちがあるみたいです。わかるよ~。子どもって病院嫌いだもんね! そりゃそうだ! だいたいここ来るときってバチバチに説教されるときだもん!
「で、どうすんの。おっさん」
「…………」
うわー。何も答えてくれないよ。なんて不親切。お前が何をやりたいかって言葉にしないと誰もわかってくんないよ? お前って周りの人に甘えた人生送ってきたんだろうなあ。あ、それとも逆? 誰にも何も言えずに過ごしてきたからそうなっちゃったわけ? なんかそう思うとお前もカワイソーなやつ……
「ぶえっ!」
「黙ってろ」
いいかいお嬢ちゃん。どんなに可哀想でもこういう何かイラっときたときに暴力を振るうような人間と交際するのだけはいけないよ。あとはまあ適当に決めればいいけどさ。
おっさんが何をするかっていうと、まあ選択肢としてはふたつだろうな。どっか他で実験できる場所を探す。でもこっちは望み薄。『神の血』は〈市長〉?とかいう〈人形〉の親父が作ったらしいけど、そいつの家粉々に吹っ飛んでるしな。そっちが使えないからこっちに来たってことで、初めからこっちが第二候補地なんだろ? もうポイントCはないよ。
んじゃきっとやることはこっち。このパスコードを知ってるやつを締め上げて、この実験室を使用可能にする。『先手を……』ってことは打たれる心当たりがあるんでしょ。つまりこのおっさんがそいつに負けて、かつその人が正義の味方だったらめでたく全てはハッピーエンド。でもまあ、ここのパスコード変えられるってことは病院関係者だろうし、『神の血』を巡って争ってる相手なんでしょ? ムリムリ。絶対極悪人だよ。
ていうかさっき〈船頭〉のオネーサンいたよね? なんでここにいるんだろ。あのラリラリレッドドラッグを追ってたらここまで辿り着いたのかな? それともお友達の不憫な不憫な〈星空〉さんのお見舞い? サディスト二号とか思ったけど、あの人いま思うと結構まともな部類に入る人だったよ。〈不良〉とかと一緒にここに助けにきて、全員ぶっ殺してハッピーエンドにしてくれないかなあ。
んな他力本願してたら、おっさんが真っ正面から発砲されてぶっ飛ばされた。患者服を着たやつに、いきなり。急患です! 早く病院へ! ってここか。
[場所:病院――7階院長室]
[時間:午後12時45分]
[人:〈刑事〉〈医者〉]
院長席に座る〈刑事〉が、いかにもげえっと言いたげに顔を顰めた。コーヒーを淹れていた〈医者〉がそれに気付いて、どうしたの、と訊く。ぱちん、とパソコンの画面を指で弾いて〈刑事〉は、
「いや、侵入者。パスコードエラーの通知が届いた」
「あら。誰?」
はい、と〈刑事〉の分を机に置きながら、〈医者〉はその画面を後ろから覗き込む。パスワードエラーと、そのとき入れられた間違った暗証番号の数字。
「正解のパスコード入ってるってことは、〈冒涜〉だろ」
「開けられちゃったの?」
「いやだからエラーが出てるんだって。正解ってのは元の」
俺が変えておいたの、と言って〈刑事〉は画面を切り替える。パスコード変更履歴。最終更新時刻は12時20分。へえ、と〈医者〉は感心したように、
「すごいじゃない。先読み」
「…………なあ、お前もしかして『赤い雪』やってる?」
「どうして?」
「いや……なんかあまりにもバカだから……」
「ちょっとバカなくらいの方がいいじゃない。都合がよくて」
一瞬、〈刑事〉は何か言いたそうな顔をして、それを押し込めて、
「つーかこれこっち来るな。〈医者〉、手駒使って消してくれ」
「いいけど……。私、遠くになるとあんまり上手い直接操作はできないわよ?」
「いーっていーって」
また〈刑事〉が画面を切り替える。荒く、まばらな監視カメラの映像。そのどれにも〈冒涜〉の姿は映っていない。
「もうさ、動いてるやつは皆殺しにしちゃっていいから。変装されても面倒だし、患者でもなんでも」
「……ねえ、それ。経営傾いちゃうんだけど」
「んじゃ怪我人とヤク中をどっかで作って引っ張ってくればいい」
しばらくの間、〈医者〉は考えて。
それから、こう言った。
「それもそうね」
[場所:病院――2階廊下]
[時間:午後12時50分]
[人:〈船頭〉]
危なかった、と〈船頭〉は身を固めて、あたりの様子を窺っている。
突然、銃の乱射があちこちで起こった。かなりの動揺。バレたのか、と一瞬思ったけれど、ここまでで自分の存在が知られるようなルートは見当たらない。心当たりがあるとしたらついさっき見かけた〈爆弾〉の一行。
自分だったら、と考えた。
この手の広範囲の操作・洗脳型は大抵の場合対象を大きく取ると単純な命令しか受け付けなくなる。だから、あえて身動きを止めた。おかげで今はまるで透明になったように誰からも認識されずに、廊下の端に佇んでいられる。
観察するに、『死体を操る能力』。
大規模戦の用意はしてこなかったけれど、それなりに相性のいい能力だ。
だって、死因になった肉体に断面が存在するんだったら、そこから血液を抜き出して、攻撃に使える。体内に閉じ込められた液体は操作不能にしても、いずれ流れ出ていくものなら、自分の能力の範囲内にある。
大きく動く必要はない。自分の身体を静止させた状態で、近寄ってきた死体を再殺。そして広がった安全圏の分を進む。当然、監視カメラがあればそれを避けて歩く。いくらか拾った血液を進行方向とはランダムに飛ばしてやれば、自分の現在位置のカモフラージュもできる。
やや状況は不利になった。
が、悪すぎるわけではない。暗殺の方が目はあった、と思うけれど、向こうが大きく攻撃に出たことでこちらの攻撃の幅も広がった。敵のフィールド上でこの程度の条件だったらむしろ良い部類に入る。
それに、おそらく自分以外にも襲撃者がいる。
拘らない。誰が殺すかには。