10:00~
[場所:〈市長〉邸宅――殺害現場]
[時間:午前10時00分]
[人:〈医者〉]
「奥様」
「戻ったわ」
〈医者〉の姿を見るや、〈執事〉が寄ってくる。現場には、幾人かの刑事たち。すでに〈市長〉の死体はその場から消えて、彼らは現場の検証を行っていた。
「このたびは、何と申し上げればいいのか――」
「いいわ。今さらあなたたちの仕事ぶりを疑うことはありません。……ギャング?」
「いえ。〈交換〉の組が最近使っている殺し屋の手口とは違います。おそらく、午後三時に予告されたテロと合わせて、〈幕〉の手によるものかと。目撃情報もあります。二メートル越えの大男、と」
〈幕〉。その名前の意味を、〈医者〉は知っている。国際指名手配の愉快犯。どの都市にいつ来てもおかしくはない存在だったけれど、よりにもよってうちに来るのか。
「――まあ、いいわ。そのあたりはあなたが〈副市長〉と連携して上手く対処して。あくまで私は、ただの〈市長〉夫人だから。政治や治安のことには口を出さない。それよりも、〈医者〉として訊きたいことがあります」
半ば、答えは予想している。
〈市長〉を殺害する理由なんて、それ以外に思い当たらない。
「『神の血』は、どうなったの?」
「それが……消えています。おそらく、持ち去られたものかと……」
「……そ。わかったわ」
「お、奥様、どちらへ?」
溜息を吐くと、〈医者〉は部屋を出て行く。ついさっき玄関にかけたコートの代わりに、汚れの目立つ白衣の袖を通す。
そして、言った。
「『神の血』を取り戻してくるわ。――最低限、それだけはこなさないとね」
[場所:ラーメン屋肉肉――厨房]
[時間:午前10時15分]
[人:〈探偵〉〈不良〉]
なんで帰んねえんだよ、と〈不良〉は憤っていた。
〈肉殺〉の死体の前で。
時を遡――るまでもないので簡単に言ってしまうと、〈不良〉は午前8時30分ごろ、ラーメン屋肉肉の店内に押し入り、〈肉殺〉と揉み合いになった末に、彼を殺害した。妙に強かった。そして覚悟が決まっていた。〈不良〉は『一定以上の強度の攻撃に対して最適なカウンターを繰り出す能力』を持っているが、〈肉殺〉の殺意が強すぎたせいで次々とカウンターを繰り出す羽目になり、結果的に彼を殺害してしまった。
殺すつもりはなかった。
でもまあいっか、と思っている。
そこはどうでもいいのだ。問題は、この後のこと。正当防衛だなんだという言い訳だって効かない。だからこの死体を速やかに処理して、素知らぬ顔をしてこの店を後にする必要がある。大丈夫。ここの警察はヘボだ。ヘボヘボだ。大して捜査だってしないだろうし、このラーメン屋とろくに繋がりもない自分の犯行はバレやしない。
なのに、あの眼鏡の女がずっと居座っているから、立ち去るに立ち去れずにいる。
なんなんだあの女は、と四皿目の餃子を焼きながら〈不良〉は憤る。別に開店の札をかけていたわけでもない店内に普通にずかずか入ってきた。そして頼んだ。チャーシュー麺ニンニク多めチャーシュー二倍ネギ少なめ。そしてそのあと、延々、際限なく、一時間以上に渡って追加オーダーを続けている。
馬鹿なのかよ。
朝からどんだけ食う気だ、お前。
だいたい、気付けよ。店主が死んでることを誤魔化すために素人の殺人犯が調理してんだよ。チャーシューは切ってるだけ、スープはよそってるだけだからともかくとして、麺ゆで湯切りとか適当にやってんだよ。チャーハンだってマジで適当だよ。餃子とか冷凍のやつしか焼いたことねえよ。
なんで気付いてねえんだよ。
お前、店屋物とそのへんのチンピラが適当に作ってる食い物の区別がつかねえのかよ。やめた方がいいよ、外食に来るの。金の無駄だから。
「餃子追加、お待ちっ!」
「あ、ども……」
皿をカウンターに置く。
おずおずとその愚かな眼鏡女が素人餃子にパクつくのを、〈不良〉は見ている。早く帰れ、というメッセージを込めて。
あ、とその視線に気付いて、女が顔を上げた。
「お……、美味しい、ですね。何皿食べても……」
勘違いだと思う。
そして案の定、女は餃子を平らげたあと、オーダーを追加した。馬鹿か。その金で焼き肉食べ放題とか行った方がいいぞ。
しかし店主に扮している以上そんなことも言えないので、あいよっ、と〈不良〉はそのオーダーを受ける。チャーシュー麺ニンニク多めチャーシュー二倍ネギ少なめ、最初と同じオーダー。しかも二杯。胃袋どうなってんだ。
「って、マジか……」
二杯分のうち一杯目は、作りかけの調味料なんかがテーブルに置いてあったからそれを適当に使ってなんとかなった。でもその一杯目を作ったところで、とうとうそれが切れた。補充しなきゃならない。
「どこに入ってんだ、おい……」
あのバカ舌相手なら気にすることもないか、という気がしないでもなかったけれど、さすがに立て続けに食べたものの味が違えばバレる可能性が高い。幸い一杯目だって結構なボリュームだから、二杯目の催促まで時間があるはず。じっくりやってやろうじゃねーか。冷蔵庫を開けて、冷凍庫を開けて、
「…………おい、やべーもん入ってんだが」
手に取ってみた。
どう見ても、人の腿だった。
「チャーシューって、そういう……?」
ふと、〈不良〉は思った。ひょっとしてここの店主、殺して正解だったのでは。それが世のため人のためだったのでは。
見なかったことにしてそれをまた冷蔵庫にしまう。チャーシューは別に冷蔵庫に入っている。それが何のチャーシューなのかは知らないけれど、自分には関係ない。どうせ店主が死んでなくても同じものを出されてた。潔く諦めてくれ。
気になったのは、切れている赤い調味料だった。ラー油に見えるけれど、ここに置いてあるラー油はもっと茶色い色をしている。それじゃあ赤ワイン? それも見当たらない。豆板醬? よくわからない。
実際これがなんなのか、ちょっとだけ味をみてみようとして、
「がっ……!」
ぺろりと舐めて、頭に電撃のような痺れが走った。
なんだこれは、と思う。何か、これは、違う。辛いとか、そういうのじゃない。脳に直接刺激が来るような、味覚由来ではない痺れ。
思い当たるところが、ひとつだけあった。
「こ、れ――、姐さんが追ってた、く、す――」
耐えきれない。
膝をついて、〈不良〉は目を瞑った。
[場所:野外――釣り堀]
[時間:午前10時20分]
[人:〈爆弾〉〈船頭〉]
突然だけど、あんたら目の前で人が殴り倒されて頭がぱっくり割れる場面って見たことある?
俺はあるよ。いま目の前のオネーサンがチンピラのオニーサンふたりをオールで叩きのめしたから。
「え、えぇ~……」
「あ、ごめんなさいお客さん。私用です~」
いやそりゃ公用で人を殴ってたらびっくりするけどさ。警察権力?
いきなり釣り堀に連れてこられたまではまだいいよ。釣りがやりたいって言っちまった俺も悪かった。そこは素直に諦める。構わない。素敵なオネーサンの横で針にミミズぶっ刺してブラックバスをいたずらに宙づりにする遊びを楽しむよ。
でもさ、これってちょっと話が違くない? いきなりオネーサンが元ヤンの元の字を外してさ、他の釣り客をいきなり大きな木の棒で殴打し始めたらさ、俺ってタイムスリップしたのかな?って思っちゃうじゃん。打製石器が生まれるよりも前の時代に。
すげえよ、オネーサン。その頭ぱっくり割ったチンピラの服を適当に脱がしてさ、バッサバッサ振るわけ。んで、小っちゃい小包が出てきたと思ったら、それを足でよけてさ、チンピラくんの頭を掴んでさ、
もう、バッシャーンってなもんですよ。釣り堀に、そのぱっくり割れた頭のチンピラを。五秒、十秒、三十秒。んーんー言って暴れてたチンピラくんが力尽きた虫みたいにシーンってなったところで、またバッシャア引き上げて、オネーサンは言うわけです。
「クスリの出どころ、教えてもらえます?」
マトリだ、と思ったね。
麻薬取締官。そうじゃなかったら自分のシマで勝手にクスリを流されてるのにキレるギャングの若。ごめん俺嘘吐いたかも。マトリより断然ギャングに見えた。さすが元ヤン。
「し、知らねえ!」
「じゃあ思い出してください」
次は三分だよ。引き上げたらもう白目剥いてるチンピラくんの頭にサッカーボールキックっすよ。死んじゃうんじゃない? すごく冷静に考えてみるとさ。で、オネーサンは髪の毛引っ掴んで言うわけ。
「魚のエサにしちゃいますよ~? クソガキ……」
そんで俺は思った。もしかして、この釣り堀ってそういうスポットなのかなって。そう、通な穴場の拷問スポット。流れ込んだ人血と人肉によって栄養過多になって赤潮が発生したこの池には、殺人ブラックバスが住んでるってわけよ。おっ、釣れた。これで俺も人の味を知った魚の味を知れるな。
「く、そが……。誰が話すかよ、クソアマ……」
「あら~。ママに教わらなかったんですか? 強い人に逆らっちゃいけないよって~?」
この人お母さんにそんなこと教わって育ってきたのかな。そりゃ元ヤンにもなるわ。しかもそれで奴隷側じゃなくて強い側に回ってるんだから正直大したもんだと思うわ。奴隷で思い出したけど、そういれば俺ってこの街を破壊するために時間潰してるんだよな。なんかうっかりしてると忘れちゃいそうだよ。
チチンプイプイ、ってな感じでオネーサンは池の水に向かって指を振った。そしたらチチンプイプイされました、って感じで水のボールができて宙に浮かんだ。ワオ、マジカル。『水を操る能力』って感じ? 強そ~! ところで水の魔法を使う人ってだいたい優しいイメージがあるよね。
オネーサンはその水のボールをチンピラくんの顔に被せると、こう言った。
「これから私は、一分ごとにひとつだけ行動をします。選択肢はみっつ。ひとつ目は、あなたを殴る。ふたつ目は、一瞬だけその水のボールを取る。みっつ目は、飽きてここから立ち去る。……言ってること、わかります?」
すんげーサディストじゃん。
この世界ってもしかしてサディストの女の人しかいない感じ? ちょっと俺、今後がんばって性格変えてかなくちゃいけないかもしんない。幸せな結婚生活を送るためには。
三回、オネーサンはチンピラくんを殴った。可哀想に。水のボールがもう真っ赤っかになっちゃってるよ。四百ミリリットルくらい出ちゃってない? その血ぜんぶ献血に持っていったらドーナッツ貰えたのに。あ、でもチンピラって結構頻繁に流血してるイメージあるし、事前チェックで弾かれちゃうか。
四分目にオネーサンが俺に「それじゃあ」と声をかけると、チンピラくんが電気ショック食らったカエルみたいにびたんびたん暴れ出して、それを見たオネーサンがにっこり笑った。んで、ボールを溶かしてやった。
「ぶ、〈肉殺〉だ!!」
「〈肉殺〉? あのラーメン屋ですか」
「そ、そうだよ! あの親父だ! あいつが『赤い雪』を売り払ってる!!」
「ふーん。元締めは? なんでラーメン屋の店主なんかが『赤い雪』を捌いてるんです?」
「し、知らない!! 俺だって――」
「あそ」
ぽい、とオネーサンはチンピラくんを釣り堀に放り投げた。バシャバシャバシャー。血に飢えたピラニアみたいにブラックバスが彼くんに寄りたかった。ひょー。パニックアニマル。
さて、と。
って、オネーサンは言ったよ。血まみれのオールを肩に担いで。
「お客さん、お腹すきません? おすすめのラーメン屋さんがあるんですけど」
へえ、って俺は頷いたね。
「なんかそこ、チャーシューが美味しそうっすね」
「お、鋭いですね~。私もそう思いますよ」
店主の名前が名前だからね。
同時に、俺とオネーサンはそういうことを言った。
ところでこの人、なんで接客中に普通に私用をガンガン進めようとしてんの?
俺、そういう人……正直好き。
[場所:雑居ビル――地下7階]
[時間:午前10時20分]
[人:〈交換〉〈冒涜〉]
何も〈交換〉だって百パーセント趣味でその悪趣味な装飾を身に着けているわけではない。
有用だからだ。彼の能力は『正当な対価と引き換えに、事物を手に入れる能力』。ゆえに、いつでも対価にするための燃料を身に着けておけば、咄嗟の事態にも大抵は対処できる。全身で二億円にも相当するその服飾は、彼のバトルジャケットでもある。
だから、扉が開いてすぐに大口径の銃弾が飛んできても、防ぐことができた。問題ない。この街でこのくらいのことでビビっていたら、ギャングのボスはできない。
ビビったのは、銃撃それ自体ではなく、銃手にだった。
「な――〈冒涜〉!?」
ドンドンドン、象でも殺す気か、と言いたくなるような重たい銃撃が何度も何度も発射される。〈交換〉は律儀にそれを防ぐ。防弾ガラスを自分の前に何枚も生成して。それが蜘蛛の巣のように罅割れるたび、もう一枚を繰り出す。いつになったら弾切れするのか。まったく止む様子のない銃撃。
「〈市長〉殺しはてめえか――奪いやがったな、あいつのコレクションを!」
〈冒涜〉は答えない。
代わりにコロコロと、〈交換〉の足元に、丸いものが転がってきた。
「しまっ――」
手榴弾。
バン。
「…………」
後に残ったのは、粉々に割れた防弾ガラスと、その向こう、ガラスの破片を顔に生やしながらもなお立ち続ける、身長二メートルを超す、ずぶ濡れで血まみれの大男。
〈交換〉の死体。
〈冒涜〉は、それに近付いた。屈みこんで、死体の頭に手を当てる。
『死体の記憶を読む能力』。
「……そうか。あの橋の上にいたのは、『透明化する能力者』――〈刃〉。ここに来て、正解だったな」
〈冒涜〉は立ち上がる。部屋の出口へ、ゆっくりと向かっていく。
「ちんけな街だが……奪えるものは奪わせてもらう。そして――」
最後には、塵も遺さない。
ばたん、と扉が閉められた。
[場所:ラーメン屋肉肉――トイレ]
[時間:午前10時40分]
[人:〈探偵〉]
お腹こわした。
ラッキー。
[場所:野外――〈市長〉邸宅付近]
[時間:午前10時40分]
[人:〈刃〉〈人形〉]
一体自分は何をしているんだ、と〈刃〉は思っている。
だって、あまりにも馬鹿馬鹿しい。
こんな厄介事を引き受けるつもりはなかった。自分は国際テロリストの起こす惨事を食い止めるために、実行犯を見つけ、殺害しなければならない。制限時間は六時間あった。今は四時間と少し。刻一刻と時間は迫っている。
妹を救えるまたとない機会だというのに。
俺は、ここで何をしているのか。
「ありがとう、〈天使〉――。あなたのおかげで、ここまで辿り着けた」
〈人形〉が、独り言のように呟いた。お笑い草だ、と〈刃〉は思う。ここまでに彼女を襲ってきた人間は十五人。それも全員、プロの戦闘者の動き。もちろん彼女一人ではすぐさま死ぬか、捕まるかしていただろう。それを切り抜けられたのは、ひとえに自分がいたからだ。
けれど――だからと言って、一言も話さなかったからと言って、〈天使〉の呼び名は、皮肉が過ぎる。〈死神〉の方が、よっぽど近い。
〈市長〉の邸宅がもう肉眼で見えている。ここまで来れば、早々手は出せないはずだ。〈人形〉の言うとおり〈市長〉が殺されていたのだとしたら、当然ここには警察が来ている。
〈人形〉が彼らのところに辿り着けば、それでこの面倒は終わり。
そのはずだったのに。
「――〈天使〉? どうしたの?」
〈刃〉は、〈人形〉の肩を掴んで、止めていた。
銃声がする。
「ここで、待っていろ」
「……! 男の人だったのね……!」
そんなことはどうだっていい。〈刃〉が能力を使う。『透明化する能力』。それは、自分以外の他人も例外ではない。
「じっとしていろ――、動くな。喋るな。そうすれば、誰にもわからない」
「う、うん……。これが、あなたの能力……」
〈刃〉が透明化したものは、〈刃〉にすら見えない。完全な透明。ゆえに、透明化された〈人形〉は今、自分自身の身体を見失っている。
だから少しは嫌がるかと思った。自分の身体が見えなくなった状態で、待っていろ、と言われればどんな人間だって多かれ少なかれ不安になる。だから、無理にでも黙らせる必要があるかと思っていたのに。
少しだけ、〈人形〉という名の、その由来のことを、思った。
「すぐに戻る」
〈刃〉は駆け出す。彼の武器は能力だけではない。研ぎ澄まされた身体機能。能力に頼らず音を消すだけの隠密性能。そのふたつが合わさって、二年という短い期間で『神の血』の対価に届くだけの金を得た。
もっとも、音を消す必要はなかったのかもしれないけれど。
「どうなってる! 応援を呼べ!!」
「〈市長〉のクソの私設軍が!! 弔い合戦ならやったんぞ!!」
激しい銃撃。
その片方は、警察。もう片方も、見覚えがある。
〈交換〉の手下の、ギャング団。
何が起こっている、と〈刃〉は息を殺している。〈市長〉殺害。それだけなら、まだ自分の知らないところで起こった事件だ、と処理できる。けれど、何かが噛み合わない。
あの〈交換〉が、〈幕〉がテロを起こそうとしている段階で、治安当局に喧嘩を売るような真似をするか?
そしてもうひとつ。自分がここまでついてきた、ひとつの原因。〈市長〉が死んだというなら、いま、〈交換〉の能力によって生み出されるものではない、オリジナルの『神の血』は一体どこに――、
警官側が叫ぶのに、耳を澄ました。
「どうなってんだ!」
「ギャングが〈市長〉殺しに絡んでたのか!?」
「となると、『神の血』を盗ったのも――」
ならば。
ひょっとすると、そもそも標的を殺さなくても。
いや、しかし、ここまで来て。あとひとりという段階で、そんなにリスクのある手段を取らなくても――
ギャングのひとりが、こう言い返した。
「――オヤジの仇じゃクソ公務員ども!!」
オヤジ。
〈交換〉の、部下からの、呼び名。
「――死んだ? 〈交換〉が?」
なら、『神の血』は。
俺の、妹は。
[場所:ラーメン屋肉肉――客席]
[時間:午前10時45分]
[人:〈爆弾〉〈船頭〉]
「ちょっと早く着きすぎちゃいましたかね」
「いや、でも空いてていいっすよ」
「そう言ってくれます? いい人ですね。モテるでしょ~」
「えーっ。全然モテませんよぉ~」
ところでさ、ひょっとしてひょっとして、俺っち思っちゃったりしてるんだけど。
俺のこと探してるやつ、誰もいなくない?
だってさ、もう二時間経つぜ。俺、正直もうこの時間帯になったら腕の一本くらい吹っ飛んでるかと思ってたんだよ。それが何よ。いま俺、何してる? 何をしてるか、当ててみてくれる?
「へえ、肉肉。すっげえチャーシューにこだわりありそうっすね」
「昔山奥で修行してたらしいですよ~。前に別のお客さんから聞きました。誰だったかな、あの……えーっと。おっと。お客さんの名前を簡単に人に教えちゃいけませんね」
ラーメン食おうとしてるっす。
昼前のこんな時間から。もう俺に緊迫感とかそういうのないよ。異世界に着いてまだ数時間で、身の危険があるのにのんびり人の金でラーメン食おうとしてるやつ他にいるか? いるかもしんねえ。そいつは俺の仲間だ。これから末永くよろしく頼む。
「あ、でも暖簾出てないっすね」
「うん? あ、でも大丈夫ですよ。開店前なら開店前で、他のお客さんがいなくて好都合ですから」
「うーん。とても食事に来たとは思えないご発言」
「あ、ほら。開いてますよ」
ガラガラガラ。オネーサンが普通に扉を引いたら、普通に開いちまった。まあそういうこともある。ところで俺、なんでこんなことに巻き込まれてんの? なんか感覚麻痺っちゃってんだけどさ。ごくごく普通のパンピーだったら意味わかんなすぎてオムツ必要になってるとこよ、これ。大人用の。
店の中には誰もいない――と見せかけて誰かがいたような痕跡もあった。だって、カウンターに食いかけのラーメンが置いてあるし。でも店主の姿はない。
「すみませーん」
オネーサンが呼び掛けた。俺、そういうことできる人尊敬しちゃうの。将来結婚するんだったらこういうことができる人がいいなと思ってるくらい。お寿司屋さんとかに行ったら欲しいもの頼むとき耳元で囁いてお願いするんだ。は・ん・ば・あ・ぐ。
「……誰も出てきませんね」
「よかったっすね」
「やっぱりそう思います?」
オネーサンは厨房の方にずかずかと入って行った。カチコミだよ。ワレどこの組のもんじゃあってやつ。どこの世界もこんなものなんかな。暴力が支配してるんかな。俺、もうそういう現場あんまり見たいような見たくないような微妙な感じになっちゃったよ。オネーサンが人間を血祭りにあげる場面とか本当に見に行く必要あるかな。いっか、ここで待ってようかな。カウンター席に座ってみちゃったりして。おっ、こんなところにラーメンあるじゃん。ラッキー。
ずぞーっ。
「こ、これは……!」
そんで俺、一発で気付いちゃったっす。
これ、合成麻薬の味だ。
[場所:野外――〈市長〉邸宅付近]
[時間:午前10時47分]
[人:〈刃〉〈人形〉]
「悪いが、事情が変わった。――お前を、浚わせてもらう」
「えっ――ええっ!?」
[場所:ラーメン屋肉肉――厨房]
[時間:午前10時48分]
[人:〈爆弾〉〈船頭〉〈不良〉]
「オネーサンこれヤバいっすよ。めっちゃラリっちゃうっす」
「わ、なんでラーメン食べてるんですか?」
「やめられへん」
丼を抱えたまま厨房に入ってみたら、案の定オネーサンの前にはノビノビのあからさまなヤンキーくんがいた。こんがり日焼けした肌に逆立てた箒みたいな髪。イマドキめずらしーぜこんなトッポイニーチャンは。あとついでに横で巨漢が死んでた。うわマジで死んでる。
「またやっちゃったんすか」
「失礼な。このふたりは私が来たときから倒れてたんですよ。それにそもそも、こっちの生きてる子は知り合いです」
屈みこんで顔を覗きこんでみる。おおう、見事な白目。あ、ちょっと痙攣してる。これは生半可なダメージじゃありませんなあ。でも外傷なし。うーん。もしかして顎の先端をチッてやって眠らせるタイプの格闘家にでもやられちゃったのかな?
箸の後ろでちょっとほっぺたをつついてみた。起きる気配、ナシ。
「ノビちゃってますね」
「ですねえ」
「こっちの麺も伸びてるっす」
「あはは、上手い!」
「不味いっす、これ。ラリラリラーメンじゃなかったら絶対食わないっす」
「…………」
急にオネーサンが考えモードに入っちまった。やだ、そういう知的な女の人って……正直超好き。
「変だと思いませんか?」
「世界が?」
「この子――〈不良〉は私の後輩なんですが、強盗が趣味なだけの人畜無害な子で、ラーメンなんてとても作れません。たぶん、こっちの幅を取りがちな人の方が店主だと思うんです。〈肉殺〉ですね」
「ひょっとしてこの世界……スラム?」
「でもほら、この子の服」
そう言って、オネーサンはオニーチャンの腕を取った。
「ここのところ。スープとか、油の染みがついてます。どういうわけか、彼はここで店主の代わりに店番をしていたわけです――店主が死んでいる横で、ね」
「名探偵?」
「ここには謎がある……」
オネーサンはふむん、と考えこんだ。俺はずぞーっとラーメンを啜った。ラリラリパーティの始まりだ。でもまっじいよほんとこれ。さっきカウンターに異様な量の空皿あったけど、あれたぶんラリって舌おかしくなっちゃったんだろうなあ。誰が食ったんだか知らないけど可哀想に。その金で焼き肉食べ放題の高いコース行けばよかったのに。飲みホもつくぞ。
「ま、いいか。お客さん、そこの包丁取ってもらえます?」
「はい」
「よいしょ」
「うぉおおおお!!」
一連の流れについて説明すると、俺が包丁を渡したらオネーサンが力いっぱいオニーチャンに向かってそいつを放り投げて、それが顔面にぶっ刺さる直前でオニチャーンがガバっと起きてそれの横っ腹をぶん殴って叩き折った。マジ? この世界。
「だ、誰だテメェ――姐さん!?」
「お、誰だテメェとはなかなか偉くなりましたねえ、〈不良〉」
「す、すんません! 寝ぼけてたっす!!」
腹切るっす、って言いながらオニーチャンは土下座したよ。この世界ヤベえな。俺もう生きてける気がしねえわ。
何があったんですか、とオネーサンが訊くと、〈不良〉は綺麗さっぱり答えてくれた。ここに強盗に入ろうとしたら殺されかけたからぶっ殺しちゃって、ズラかろうとしたら客が入ってきたからそのまま対応してたんす。コントかよ。
「あ、そ、そうだ! 姐さんが追ってたクスリ!!」
「――クスリ?」
これです、と〈不良〉がオネーサンに差しだしたのは、真っ赤なソース。へえ、俺にゃハバネロソースにしか見えないね。嘘。本当は凝固する前の血液とかに見える。ついさっきオネーサンにたくさん見せてもらったんだけど。
「へー。これがねえ」
言って、とりあえず〈不良〉から勝手にそれ受け取っちゃった。小指突っ込んでぺろり。うーん強烈。さっきまでのラリラリラーメンが一辛だとしたらこれは万辛くらい。よっぽど薄めて使う用のやつなんでしょうね。俺っちそういうのわかっちゃうよ。ソムリエだから。もう一口くらい食べちゃお。癖になっちゃう。後遺症付きの。
茫然と〈不良〉が俺を見てる。
「なんだこいつ……」
「お客さん、大丈夫なんですか?」
「うーん。ハッピーになってきちゃうね!」
「お、おかしいですよ姐さんこいつ!! マジでヤバいんすよこのクスリ!! こんなガバガバ食えるもんじゃないですって!!」
お、理由が欲しいのか? いるんだよな~こういう子。何につけても解説を欲しがっちゃう子。実際そうなってんだからそういうものだって納得すりゃいいのに。末は博士ってやつっすか?
解説できるのが俺しかいないから、仕方なく喋ってやる。
「俺、前世がモルモットなんだよね。ありとあらゆるラリラリドラッグを脊髄に注入されて生きてきたわけ。だからなんていうのかな、薬物耐性? そういうのが普通のやつよりめちゃくちゃ高いわけよ。動物実験反対!!」
「ほら、ヤバいクスリじゃないすか」
「いや、この人は最初からこんなんでしたよ」
「ヤッバ……」
ほらね。俺のこれまでの人生なんて誰も興味ないんだ。誰もまともに聞いてくれやしない。まあ俺も自分の人生のこととか何も覚えてないんだけど。俺って名前なんだったっけ? 〈爆弾〉?とか改名されてからもうしばらく経っちゃったし元のやつは忘れちゃったよ。
ソースをどばどばラーメンに投入してみた。ずぞーっ。うん、ゲロマズ!
「なんだかいまいちよく効果がわからないんですけど……。自分の身体で試すのも嫌ですからね。〈不良〉の言うことを信じましょう」
オネーサンが俺の手から残った分を取っちまう。ああん、強奪犯。
「これが『赤い雪』ですね。……〈星空〉を『悪夢病』に堕とした……」
「ねえねえそこの君。これって何の話してんの?」
「……てーかお前誰だよ」
「俺? 客」
「この店の?」
「いや、このオネーサンに一日観光ガイドしてもらってんの。なんかだいぶディープなところまで突っ込んでるんだけど。これってあれ? ダークツーリズムってやつ?」
「…………」
あ、〈不良〉が一瞬何かを諦めた顔した。何を諦めたのかな。理解? 君の話を聞いてるときの俺も同じ気持ちだったからなんとなくシンパシー感じちゃうかも。
「姐さんはな、ダチの人生台無しにしたクスリの売人探してんだよ」
「へー。やっぱそのダチの人もヤンキーなの?」
「いや。全然。姐さんとはまるで似ても似つかない――ヒィッ! すんません! クリソツでぇす!」
いま何が起こったのかと言うと、オネーサンがその『赤い雪』とやらの液体を丸めたボールを〈不良〉の顔に飛ばそうとしました。台無しになっちゃうよ、人の人生が。また俺の目の前で。そろそろトラウマ発症していいっすか?
「お、おしとやかな人でした……姐さんそっくりの……」
「んじゃドラッグとか縁なくない?」
「……暴行目的だよ。見たろ、俺がぶっ倒れてたの。あのクスリ、少量なら酩酊、中量ならさっきの俺みたいに昏睡すんだ。……水と混ぜると味も臭いも色も出ないからさ、バカなやつらが〈星空〉の飲み物にそれ入れて」
「おげぇええええええっ!!!」
「おい何してんだお前!!」
「む、胸糞わりぃいいいいいいいいいい!!!!!!!!」
思わずシンクに向かってゲロゲロ吐いちゃったよ。いやだって、みんなそうならない? 俺だけ? こういう話聞くともう最悪の気持ちになっちゃうんだよね。人間とか初めっから生まれてこない方がよかったんじゃない? 世界とかもそうだよ。めっちゃ〈不良〉が背中撫でてくれてる。優しいね。俺将来付き合うならこういう優しい人がいいな。
「大丈夫かよ、お前」
「オーケーオーケー。で、それ、どうなったのよ?」
「……クスリの分量間違って、昏睡から覚めなくなった。『悪夢病』って言うんだけどな。その場で〈星空〉が頭から床にぶっ倒れて、まだ飲み物に口付けてなかった〈星空〉のダチらが即救急車。やらかしたバカどもは姐さんに半年かけて処刑されたよ。聞きたいか? その処刑の方法」
だいたい想像つくからいいや、と俺は首を振ったね。たぶん三分に一回しか呼吸できない状態で半年間生かしたとか、ドクターフィッシュに足の角質食わせる要領で全身の肉がなくなるまで魚に貪らせたとか、そういう話が来るに決まってる。スッキリといえばスッキリだけど、まあもうちょっと体調のいい日に聞くことにするよ。
〈不良〉が言う。
「んじゃ今度はこっちの番です。姐さんがここに来たのって……」
「〈肉殺〉が売人の元締めって話を今日、チンピラ締めて聞いてきたんです」
「で、話を訊く前に俺がうっかり〈肉殺〉を殺しちまった、と……」
スッ、と〈不良〉が土下座した。
「すんません。俺の不手際で……」
「ううん。いいですよ。殺してくれてスッとしましたから」
うん。俺もそう思う。よく殺してくれたよ。なんかさ、俺、目が覚めたよ。目先の気持ち良さだけを追うのがこういうドラッグの効能だと思ってたんだけど、そんな風に人の人生ぶっ壊すのに使うやつもいるんだな。ていうか、売ってるヤツとかみんなこういう風に人の人生壊すつもりの悪意マシマシ野郎ばっかりなんだな。ドラッグとか売ってるヤツは何やってもダメだな! ほんとそう思うぜ。何がラリラリラーメンじゃボケ!! へっ、寸胴鍋のスープ全部下水道に流しちゃろ。ドバドバドバ~。俺のゲロと混ざって浄水場で死にな。ついでにこのデカ親父の腹とか蹴っちゃお。おりゃりゃ。ケケーッ! 暴力への目覚め。
「でも、〈肉殺〉ごときが総元締めとは思えないんですよね」
確かに、って俺も頷いちゃう。ラーメン屋の親父がドラッグの元締めって。しかもラーメンとかに混入させてるって。まあ別にそこだけ見りゃギリギリなくもない話だけど、ちょっとラスボスっていうには物足んなくな~い?って感じ。それに製造過程とかもよくわかんないしね。
「おい、何してんだ、お前?」
「いや、こいつ携帯とか持ってないかなと思ってさ。あったらもっとヤバいやつの連絡先とか入ってるかもしんないっしょ?」
なるほど、と〈不良〉が頷く。へへ。俺って頭いいっしょ。お、んなこと言ってたら早速携帯発見。あ、やっぱこの世界ってみんなまだガラケー使ってんのね。ばっかでー。パスワードついてねーでやーんの。
あるかなあるかなーって三人で携帯覗きこんでたら、ぴりりりり、って着信。
ただし、その携帯じゃなくて、トイレの方から。