9:00~
[場所:職業安定所――貸し会議室E]
[時間:午前9時00分]
[人:〈爆弾〉〈幕〉〈冒涜〉]
突然だけど、あんたは異世界に行く前の主人公の経歴ってどのくらい真剣に読んでる?
言っちゃうと、俺は全然読んでない。あんなの嘘吐き放題だって思うから。だってそうだろ? 異世界に行ったら行きっぱで、大抵のやつはまた元の世界に戻ったりしないんだし。だから嘘吐き放題。あんただって、過去の経歴が絶対にわかりっこないって前提だったら、エントリーシートの空白期間にはめちゃくちゃなこと書きまくるだろ? 財務省事務次官とか、大物議員付き政策秘書とか、年収10億のコンサルタントとか。
つまるところ、俺がここに来るまでの道筋なんてのはどうだっていいわけだ。たとえハーバード大学首席だろうと、世界陸上四百メートルの金メダリストだろうと、無職で何の取り柄もないどこにでもいるダメ人間だろうと、マリファナ中毒でギャングの取引現場を勢い余って襲撃した後ハイウェイを時速三百キロで爆走して交通事故でおっ死んだラリラリ野郎だろうとなんだって関係ない。重要なのは、これからのこと。俺が異世界に行ってからの出来事。それだけなんだ。
ついでに言うと、異世界に着いた直後の出来事ってのもどうだっていいことだ。「あれ、俺死んだはずじゃ――!?」とか言って占い師みたいにマジマジ手のひらの生命線を確認してみたり、「ここは……日本じゃないのか?」とか周りをきょろきょろ確認してみたりするだけの退屈なくだりが続くから。ま、今回の場合は逆なんだけど。俺はてっきりまだ日本にいるのかと思ったよ。ここは日本とマジでそっくりだ。ラーメン屋の看板が出まくってるし、カレー屋だって自動販売機と同じくらいの間隔である。髪の色がイカれたカラフルバリエーションなのだってオタクの街アキバだからとか言われたらギリギリ納得できなくもなかったし、まあとにかく日本そっくりだった。日本じゃなくて異世界だって納得するまでのくだりはやっても仕方ないから省略。
なんつっても面白いのは、異世界での自分の能力を測るところだ。もちろん。誰だって自分には秘められた才能があるはずだと思ってる。自分がこんな扱いをされるのは不当だと思ってる。週刊少年漫画を描いてるアツい奴らだって主人公に隠された才能を持ち出しちまうんだぜ? 俺らみたいなもっと心の弱いパンピーが夢見ちまうのは当然といえば大当然。みんないつだってシンデレラになる日を待ち望んでるのさ。
さて、この異世界でそんな俺たちの夢をかなえてくれる場所はどこだ?
職業安定所。
テンションだだ下がりよ。冒険者って派遣労働者ってことなんだってよ。みんな椅子に座って静かに携帯を弄ってるし、馬鹿でかい大男がいきなり喧嘩売ってきたりなんてとんでもない。待合室で座ってたら病院みたいに呼ばれるわけよ。十三番さーん。囚人かっつの。
測ってくれたのはいかにも付き合って五年目になる彼女と休日当てもなく散歩にでも出かけてそうな兄ちゃん。
奴は言ったね。
「あなたの能力は、『街を破壊する能力』ですね」
WHAT?
街を作る能力ならわかるぜ? 村づくりだってわかる。直接のパワーがなくても生産能力だとか内政能力だかが高くてみんなから素敵な裏方とか偉大なリーダーとして尊敬される。それだってひとつの夢の叶え方だ。でも、街を破壊する能力? それってテロリストにでもなれってこと?
「いえいえ。何も能力だけがその人のすべてではありませんから。もちろん、それを活かさない進路選択だってありだと思いますよ。私たち職業安定所は、来所者の皆様の秘密を守りますから、それを隠して生きる道だってあります」
つまりそれって、俺は犯罪者になりたくなかったらごくごく普通に、無能力者として水溜まり啜って生きろってこと?
「そういう道もございます」
なるほどね。
つまりここでも俺はスーパースターになれないってわけ。異世界に来るよりLSDでもやってた方がマシだったな。
良識的な俺がこれからの就活スケジュールについて考えながら部屋を出ると、扉の前に良識のかけらもないヤバい女が立っていた。どうしてわかるかって言うと話は簡単。そいつは隣に立ってた身長二メートルくらいの屈強な男に命令して俺をこの部屋に叩きこんできたから。
さあ、ようやく話が今の俺に追いついた。
可哀想に、俺は尻餅をついてすっかり縮こまってる。全身だぜ? どこの部位も例外なく隅々までだ。胃腸なんかもうそのへんのチューチュー鳴いてるネズミちゃんくらい小っちゃくなっちゃって、口に突っ込まれた拳銃だって満足に平らげられそうにない。
女は言った。
「街を破壊する能力者だね?」
必死で頷いたよ、俺は。赤べこみたいに首が取れたって構わねえ。そういう気持ちで。何が守秘義務を守るだよあのスカシ小僧。痔になっちまえ。そういうことを思いながら、とにかく生き延びるために頷いた。
「君に頼みがあるんだ。聞いてくれるかな?」
「んー! んー!!」
「話が早くて助かるな」
女はそれでようやくそのごっついチュッパチャップスを俺の口から外してくれた。唾液で光る黒光りしたそいつを見て一瞬ビッミョーな顔をしたと思ったら、隣の大男に「拭いといて」つって放り投げた。男は自分のネクタイでそいつをフキフキ。狂ってるよ、ちょっとこいつら。
「君、名前は?」
「俺は、」
「ああ、本名じゃなくて」
女は言った。この世界で本名なんて名乗りはしないよ。名前がわかっただけで呪い殺せる能力者なんていくらでもいるんだからね。せいぜい教えるのは家族相手くらい。まだ名前がないなら私がつけてあげようか。
「〈爆弾〉」
「はい。なんでごぜえやしょう」
強いやつには尻尾を振る。それが生き残るコツってもんだ。げへへへ、って口から涎でも垂らしそうな声を出したら思いのほか奴は気をよくしたような顔。
「私のお願いは単純だよ。君の能力を使ってほしい」
「へへっ。お安い御用で」
「うん。私は聞き分けのいいやつは好きだ。断ったら殺す、なんて台詞、あんまりありきたりで使いたくないからね」
それもう使っちゃってますよ。
そのうえ女は、ただし、と条件を付け加えてくる。
「使うのは、六時間後にしてほしい」
「っていうと……。午後三時ってことで?」
「おお。計算までできるのか。拾いものだね」
まあね、とちょっと鼻高々。俺、二の段の掛け算だってできるんだぜ。答えが二桁に上がっちまうまでは。その勢いで調子に乗って、たったいま口に殺人グッズを突っ込まれてたことだって忘れて質問なんかしちゃってみる。
「もしかして、あんたたちテロリスト?」
「それ以外の何に見える?」
知らねえよ。この女、年齢訊いたら「何歳に見える?」とか訊き返してくるタイプかよ。
「へへっ。天使とかでゲスかねえ……」
女が大男から拳銃を取り返して、俺の股の間スレスレの床にズキューンとぶっ放した。おしっこ漏らさなかったのが奇跡。
「わ、わかりました! やりますやりますやらせてください!! 俺は街を破壊するために生まれてきました!!」
それでいいと言いたげに女は笑った。すげーサディスト。男のだか女のだか知らないが下僕を十五人は抱えてるタイプだね。そんなタイプこいつ以外に見たことないけど。
「ちなみに、なんで六時間後?」
「勝負をしてるんだよ」
勝負?と訊き返すと女は頷く。
「この街の人間だって抵抗する権利はあるだろう。もし君がその六時間以内に誰かに捕まったら、そのときは僕の負けだ。君もそのときは能力を使わなくていいよ」
「…………あの、なんでそんなことを? 誰かと金でも賭けてるんで?」
「いいや? でも、そっちの方が面白いだろう?」
さすが異世界だ、と俺は思ったよ。
真正のイカれ女を見たのは生まれて初めてだ。
「……あんた、お名前は?」
「〈幕〉」
てっきり〈恐怖〉かと思ったよ、と正直な感想を零したらもう一発ぶち込まれた。
ゲームスタート。
[場所:雑居ビル――地下7階]
[時間:午前9時00分]
[人:〈刃〉〈交換〉]
「これがお前の最後の仕事だ」
「……写真に、標的の顔が写っていないが」
薄暗い密室に、ふたりの男がいる。ひとりは恰幅のいい白スーツの、すべての指に宝石を嵌めた金歯の男。もうひとりは、黒いジャケットに黒いシャツを着込んだ黒髪痩せ型長身の男。
ソファに座っているのは、白スーツの男。立っているのは、黒スーツの男。そのことひとつ取っても、どちらの立場が上かわかる。
テーブルの上には、映りの悪い、女がビルの影を通る姿を捉えた写真がある。
悪いな、と白スーツは葉巻を吸いながら、
「現存する中で一番映りがいいのがこの写真だ。悪いが、これで我慢してもらうしかない」
「……〈交換〉。お前の能力で顔写真くらいは出せるんじゃないのか」
「出せなくもねえ。が、そうなるとうちの組の金が回らねえ。ほとんど全部持ってかれるな。勝ったってその後息が続かねえんじゃ何の意味もねえ。だから、お前にこの仕事を頼もうってわけだ。……〈交換〉しなくて済むものは、直接手に入れた方が安上がりなのさ。何度も言ったろ?」
じっ、と黒スーツの男はその写真を見つめ、
「何者だ? この女……」
「〈幕〉。各地でテロを起こしてる筋金入りのイカれ頭だ。国際指名手配中。生死問わずどころじゃねえぜ。異例の死体のみ。能力が厄介らしくてな。これだけ捜査網が敷かれてるのに未だに全容がわかってねえ。その関係か公安の持ってる資料でもそれが限界だ」
ふーっ、と〈交換〉は煙を吐く。部屋の中に、紫煙が満ちていく。
「その〈幕〉が、予告状を出した。今日の午後三時にこの街を破壊する、ってな」
「……六時間か。いくらなんでも……」
「安心しろ。〈幕〉の手がかりはないが、それ以外のヒントがある」
ほれ、と指差したのは、その写真の横のリスト。
「〈幕〉のこれまでの手口だ。すべて、現地でテロに必要な能力者を調達している」
「協力者を抑えるわけか」
「イエス。そっちのプロフィールは抜けた。今日、職安に行ったばかりのやつだ。写真はねえが、職員がゲロった。話を聞いた感じ、異界人だろうな。その能力であんなところに行く脇の甘さも含めて」
「日の浅い異界人……〈探偵〉を当たれば、何とかなるか」
「やり方は任せる」
〈交換〉は、〈幕〉の写真を灰皿に乗せる。それに葉巻を押し付けて、火が移ればめらめらと撚り燃え始めた。
「成功報酬は三千万。それでちょうど『神の血』の額に釣り合う。手数料込みでな。……この仕事が終わりゃ〈刃〉、お前は解放だ」
何の感情も湛えていないように黙する〈刃〉を、〈交換〉はじっと見つめて、
「それで、お前の妹の病気も治る。……ご苦労さん、と言うにはまだ早いが、随分お前には助けられたよ」
透明な殺し屋、と〈交換〉は言った。
そのときには、もう部屋に〈刃〉の姿はない。
[場所:ラーメン屋肉肉――客席]
[時間:午前9時00分]
[人:〈探偵〉〈肉殺〉]
財布がない。
一口目を噛んだ瞬間に、〈探偵〉はそのことに気が付いた。
だらだらだら、漫画みたいに汗が流れ落ちる。なんだか急にラーメンがしょっぱくなった気がする。こだわりにこだわったとんこつの旨味。ごん太の麺。そして何より目玉の、虎にでも食わせる気かと言いたくなるようなアホみたいな量のチャーシュー。
奮発して、千四百円もかけたのに。
どうしよう。
こんなはずじゃなかった、と思う。朝、なんと自分にしては珍しく、学校もないのにちゃんと起きられた。お母さんもお父さんもまだ寝ていた。延滞してるDVDがあることを思い出した。今日は時間に余裕があるし早速行ってきちゃおうと思って、でもお金が足りなかったら恥ずかしいなと思って、貯金用の財布から普段使い用の財布にお札を移して、
「あ、あのときか……」
「?」
「あ、いえ、なんでも!」
独り言をぽろっと零すと、カウンターの向こうからバンダナを巻いた店主が怪訝そうに見てくる。曇り眼鏡の奥で冷や冷やしながら〈探偵〉は手を振ってなんでもないアピール。
正直に言えばいいものを。
お財布忘れちゃいました。家に取りに帰ってまた戻ってきます。信じてください。携帯置いていくんで。
その程度のことが言えないのは、〈探偵〉がこのラーメン屋のことをよく知っているから。
家からビデオ屋への通り道にある。なのに、来たのは初めて。入ったのが初めて。仕事仲間から聞いていたからだ。ここの店主の名前を。
〈肉殺〉。
絶対ヤバい。
ずるずるずる、とほとんど味もわからないままそれを平らげた。ものすごい量があったはずだし、自分もそれがテーブルに置かれたときはびっくりした記憶があるのだけど、不気味なくらい満腹感がない。口から奥が真冬の鍾乳洞になってしまったような冷たさ。スープまで全部ずずず、と飲んで、トイレに立つ。
電話をかけた。
「…………あっ、〈刑事〉? 今時間大丈夫ですか? いや実はその、ちょっと、外食に来たんですけど、お財布忘れちゃって……。えっ? い、いいじゃないですか! 友達くらいいます! でもほら、〈刑事〉なら車持ってるからそっちの方が早いかなって。……いま忙しい?」
便座の前で落ち着きなくうろちょろししながら、〈探偵〉は一瞬眉を寄せて、
「――ら、ラブホテルにいるんじゃないですか! 何が仕事ですか、このおばか! 不潔! いいから来てください! 肉肉です! 前に教えてもらったところ! ちょっぱやで!!」
何事かを、携帯の向こう側で言っている。
「何回仕事手伝ってあげたと思ってるんですかこのコソ泥!! お願いします!!」
高圧的なんだか低姿勢なんだかよくわからないような言葉を最後に〈探偵〉は通話を切る。
そして、席に戻る。
期待していたけれど、やっぱり店内には自分の他に誰もいない。そりゃそうだ。こんな朝っぱらからこんな重たいラーメンを食べる人間、自分の他にはいない。
目つきの悪い店員が、じろり、と自分を見ていた。
〈探偵〉の前には、空のどんぶり。
普通、その状態になった客のすることなんて、お会計一択で。
「あ、あはははは……。ここのラーメン、美味しいですねえ。他のも食べたくなっちゃった、なっちゃったナー。………………………チャーハン追加で」
お会計、千八百円になりました。
[場所:ホテル真実――404号室]
[時間:午前9時20分]
[人:〈刑事〉〈医者〉]
「誰から?」
「あ? ……ああ」
仕事仲間だよ、と三十そこらの無精ひげの男はベッドに戻ってくる。その上には、四十絡みの裸の女。
「ああ、そっか。あなた一応刑事だもんね」
「一応ってなんだよ」
「一応でしょ。役職と、名前だけ」
「他に何がいる?」
「誠実さ」
鼻で笑って、〈刑事〉はそれを相手にしない。手にしたままの携帯を、弄り続けている。
「あ、電車の時間調べてるでしょ」
「悪いか?」
「悪いわよ」
「お前だってもうそろそろ出ないとマズイだろ」
「そんなにさっきの人、仲いいの?」
「そういう話じゃない」
じゃあどういう話?と寝転がったまま女の手が、座る〈刑事〉の前腕をゆるく握った。
「仕事だよ」
「今だって仕事みたいなものじゃない」
「どこが」
「上司の女を寝取る仕事」
「……ついさっきも言われたな。コソ泥って」
「ほんとに仲いいのね、その人」
嫉妬、と女の爪が、腕に食い込む。勘弁してくれ、と〈刑事〉はその手を振り払った。
「シャワー浴びたら出る。お前もいい加減シャンとしろよ。娘と昼飯だとか言ってなかったか?」
「よく覚えてるわね」
「そりゃ、多少の罪悪感はあるからな」
「今さら?」
「今さら」
〈刑事〉が立ち上がる。
その背中に、女が、
「あーあ。ただの病院の仕事なら電話一本で休めたのに」
「冗談だろ。『神の血』の管理者が」
「あんなの、あの人の財布の管理みたいなものだもの。自立した人間の仕事じゃないわ。……ね、シャワー一緒に入る?」
「やだね。延長取られちまう」
シャワー室へ〈刑事〉は裸のまま向かおうとして、けれどまた、その手の中の携帯が震える。
「次から次へと……」
忌々しそうに通話画面から着信元を確認する。
仕事の電話。今度は、本業の方の。
「はい」
通話を始めて、一秒、二秒、三秒。
カーテン、という言葉と、テロ、という言葉。
そして最後に、思わず〈刑事〉は繰り返した。
「〈市長〉が死んだ?」
[場所:野外――水路上]
[時間:午前9時30分]
[人:〈爆弾〉〈船頭〉]
「ああ、そういうの双子世界って言うんですよ。ラッキーですねー、お客さん」
「へー。俺ってラッキーなんだ。やったー。うれしくなっちったー」
世の中には二種類の人間がいる。
自由に使っていいよ、と言われた金を素直に使えるやつ。使えないやつ。人生を楽しめる方は使えるやつの方だよ覚えとけ。
んなわけで俺は可愛いチャンネーが船(ゴンドラってやつ?)漕いで街を案内してくれるっていうひっじょーにオシャンティーなサービスに身を任せてるってわけ。あの〈幕〉とかいう女が「文無し文無しあーわれー」つってくれた金はなんとなんとの十五万円。並の人間なら一生暮らせちまうような大金だが、俺にかかればあら不思議。午後三時までにはきっと借金してる。
どうして単位が円なのか。マジでめっちゃ気になっちまうってやつも結構いると思う。俺ってそういうところ全然気になんないんだけど。なんなら海外文学とかでドルとかポンドとかユーロとか出てくるたびに「円で言え!!」ってブチギレちゃってるんだけど。
そういうヤツらのために、気の利く俺がこのオネーサンに訊いといた。その答えが、ついさっきのやつ。ここは俺のいた世界とよく似た世界なんだって。自分と似た顔のやつが世界に三人はいるってのと同じで、世界によく似た世界も三つはあるみたいな。そういう世界に吹っ飛ぶと、まあ結構何から何までそっくりだったりするし、順応しやすかったりするぜみたいな。そんなことを訊いといたぜ。
「どーでもいいーーーーーーーー!!!!!」
「お、久しぶりに頭のおかしいお客さんが来たなあ」
ちなみにこのオネーサンの名前は〈船頭〉。お金を貰って水上タクシーみたいに船を漕いでる、笑顔の素敵な女の人だ。
街に向かって叫んですっきりしたから、素直に俺は船に座り直した。こういうところが俺のチャームポイントのひとつ。小学三年のときの通信簿にも書かれたぜ。「椅子に座っていられる素敵な子です」って。小四のときは「死ね」って書かれたけど。
「あんまり頭のおかしい客って来ないんすか?」
「そうですねえ。たまに来ますよ。頭ぶち割って沈めますけど」
「ワオ、バイオレンス。もしかしてこの世界ってみんなそんな感じなんすか?」
「うーん。人によると思いますよ。私はほら、元ヤンなんで」
へー、って俺は俄然興味が湧いちまったよ。だってほら、オタクって自分に優しくしてくれるヤンキーとか好きじゃん? 俺も中学で隣の席だった佐間崎くんのことよく覚えてるよ。パッキンで黒マスクしてたんだけど、萌え四コマとかが好きだった。修学旅行も同じ班で、遠くから金閣寺を見ながら佐間崎くんのライターの火を重ねて写真を撮る遊びをしたなあ。夜に「好きな人、誰?」って話になったとき、あいつ「三島由紀夫」って言ってたよ。
「オネーサンは好きな人、誰? 三島由紀夫? 俺は太宰派なんだけど」
「お、躊躇のないセクハラですねー。この世界、殺人罪ってないんですけど大丈夫ですか?」
「ヤバすぎない?」
「嘘。本当はありますよ。それに、たまに機能もします」
たまに機能するんだ、と言うと、たまに、と強調してオネーサンは頷いた。やべーよこの世界。イカれた女二連続。
「ところで、一万円で適当にって言われたから本当に何もないところを流してるんですけど、大丈夫ですか?」
「何が?」
「観光スポットの紹介とか、そういうコースじゃなくて」
うーん、と唸っちまった。正直言って、何か目的があって飛び込んだわけじゃないから。財布の中に何か入ってるとついさっぱりさせたくなっちまうって、それだけなんだよな。綺麗好きだから。
しかしこいつは重要な選択だ。何せ、午後三時まで俺は逃げ延びてこの街を破壊しなくちゃいけない。イカれ女一号はもう傍にいないんだから好きにすりゃいいかもしれないって思うかもしれないけど、実を言うとこれが一番大事なところ。俺みたいなしょうもない奴が強烈な力を持ってるときって、大体なんか自分の頭で考えて行動しようとすると死ぬんだよな。まあ、人に言われて行動してたらしてたで死ぬんだけど。人間なんてみんなそのうち死ぬんだし。
俺を止めれば街の破壊が止められるっていうんだから、それを察知したヤバいやつらは俺を探しに来るだろう。いや、ヤバいのはテロの片棒担ごうとしてる俺の方なんだけどね? でもほら、権力って正統性を持つ暴力だってよく言ったりするじゃん。言わない?
で、そういうやつらは俺を血眼になって探すわけよ。そのとき俺がのんびり観光なんかしてたらどう思う? ヤバいよな? そんなやついるわけないって思うよな?
「じゃあよくね?」
「あ、観光コースで?」
「おなしゃす」
「では早速正面をご覧くださーい」
ぎーこぎーこと水路の上を、船で進む。
目の前には、巨大な煉瓦の橋が架かっていた。
「ロックブリッジです。これはある日、突然川から生えてきたんですよー」
「ワオ、ファンタジー」
「たぶん誰かの能力なんだろうなって考えるとちょっと夢ないですけどねー」
ばしゃん、とその橋の下、水面が跳ねた。
「魚、いるんすか?」
「いなくもないですねー。あ、釣りとかしたいです?」
「まあ、できるなら」
「じゃあ釣り堀にご案内しますねー」
そういうことじゃないんだよなあ、と思いつつ、何も言わなかった。
どうせ六時間、暇なんだから。
[場所:野外――ロックブリッジ上]
[時間:午前9時30分]
[人:〈刃〉〈人形〉〈冒涜〉]
七十一人。
これまでに〈刃〉が殺した標的の数だ。
この仕事が長いわけじゃない。妹の病気がわかってから。つまり、十七のときから、今、十九になるまでの二年。それ以前の〈刃〉は、どこにでもいる学生に過ぎなかった。
高校は辞めた。両親に黙って家を出た。名前を変え、もはや顔すらも仕事以外では誰にも見せなくなった。
『透明化する能力』。この暗殺向きの力が、彼を殺し屋の道へ導いた。
『悪夢病』。彼の妹を蝕む、主の目覚めを永久に妨げる病。
『神の血』。あらゆる病を治す、万能の霊薬。
『神の血』は〈市長〉によって管理されている。限られた『神の血』は、決して一般市民の手に渡ることはない。法外な使用料。そしてそれを払うまでにも、途方もない政治の道を歩む必要がある。
〈交換〉は『正当な対価と引き換えに、事物を手に入れる』能力を持つ。〈刃〉が〈交換〉の治めるギャングに雇われたのは、その取引のためだった。
四億。
〈交換〉が『神の血』を用意する対価として用意したのは、その額。
三億七千万。
〈刃〉があらゆる苦難を跳ねのけて、今までに用意したのは、その額。
人を殺して手に入れた金。
もう少しで、七十二人の命を、一人の命に代えられる。
だというのに。
「……こういうとき、相手がプロでないというのは厄介だな」
〈探偵〉が見つからない。
『街を破壊する能力者』を探す。情報屋というだけなら〈刃〉は他にいくらでも心当たりがあるが、目的が人探しとなると話が違う。こと探し物という分野において〈探偵〉を超える情報屋は、この街にはいない。
しかし彼女はプロではない。ただの学生で、通常は〈刃〉のような裏社会の客を取らない。ゆえに、連絡手段が一定でないというネックがある。
これまでは、それでも他の情報屋を頼るよりも結局は早く済む、という利点があったから根気強く〈探偵〉自身を捜索していたけれど。
「残り五時間三十分……。〈探偵〉を当たるのは諦めるべきか?」
今回は、残り時間がいかんせん少なすぎる。
〈探偵〉は、自宅にはいなかった。大抵休日の午前中はずっと家にいる彼女がだ。特別な用事があるのかもしれない。そうなると、午後三時までに彼女が生活圏に戻ってくることすら期待しない方がいいのかもしれない。
崩壊した第一プランにこだわって状況を悪くするというのはよくあることだ。〈刃〉は切り替える。他の情報屋を当たろう。来たばかり、日の浅い異界人であれば、思いのほか容易に見つかる可能性もある。
〈探偵〉の家から、心当たりの情報屋の元へと急ぐ途中。ロックブリッジを渡るとき。
橋の向こうから、身長二メートルを超える血まみれの大男が、それと並べばずっと華奢な女の子を連れて走ってきた。
連れて、と言っても、手を繋いで走っているだとか、そんな平和な光景ではない。男は少女の口を腕で覆いながら、抱きかかえていた。叫び声を押し込めるような格好で。
大男は、〈刃〉の存在に気が付かない。なぜなら〈刃〉は、人と接触する必要がある場面以外をすべて、透明化した状態で過ごしているから。
すれ違うとき、〈刃〉の鍛え上げた聴覚が、確かにこんな声を捉えた。
「たす、け――」
一瞬の業だった。
〈刃〉は自分の隣をすり抜けようとする大男の服の裾を掴んだ。それを勢いよく身体に引き付けると、ぐるり、と腰から身体ごとを捻じるようにして、回転する。
二メートルの巨体が、宙に浮く。
その動揺の一瞬の隙に、〈刃〉は少女を引き抜いた。
ばしゃん、と橋の下で水柱が立つ音。
〈刃〉はゆっくりと、少女を床に下ろした。
少女は、空を見つめている。
「――誰か、いるの?」
見えているはずがない。
たった今あった感触を頼りに、彼女は話している。
「お願い――助けて。私は〈人形〉。〈市長〉の娘。パパが――殺されたの」
〈刃〉は、答えなかった。
けれど立ち去りも、しなかった。
[場所:雑居ビル――地下7階]
[時間:午前9時50分]
[人:〈刑事〉〈交換〉]
「お前、第一容疑者だな」
「言うなよ、気にしてんだから……」
頭を抱える、よれたグレースーツが〈刑事〉。面白そうに笑う、ぴっちりアイロンがかった白スーツが〈交換〉。
ふたりは机を間にして、向かい合わせに座っている。
机の上には、無数の宝飾品が散らばっていた。
「よくもまあ……。全部〈市長〉のところから盗んだものか?」
「まーね。随分向こうのお宅に上がることも多かったもんだから」
「女を盗むだけじゃなく金品まで根こそぎか。さすが〈怪盗〉。間男としちゃもっとも相手にしたくない部類だな。どうだ、戻ってくる気は?」
「冗談。そっちの名前は捨てたんだ」
つまらなそうに首を振る〈刑事〉に、しかし〈交換〉の顔は明るい。
「あながち冗談でもないぞ」
「何?」
「うちの殺し屋がそろそろ引退でな。新しい収入源が欲しい。どうだ、伝説の〈怪盗〉のリバイバル。『奪ったことに気付かれない能力』はまだ衰えてないみたいじゃないか」
「……やんなるね。一度不良になっちまうと、真面目になってからもねちねち言われちまって」
「嘘吐け。お前、〈探偵〉の嬢ちゃんと組んで空き巣やってるだろ、現役で」
「……黙秘で」
ちらり、と〈刑事〉は〈交換〉を見て、
「ちなみにその殺し屋、どうすんの」
「どうすんの、というのは?」
「いやつまり、俺みたいに一生こう、持ちつ持たれつみたいな関係でやっていくのかなって」
「抜け目のない奴だな。今から新しいビジネスモデルの検討か?」
「そりゃ、金に汚くなくちゃこんなことになってないんでね」
「クビ切りだ」
ビッ、と〈交換〉は、親指で喉元を掻っ切るジェスチャーを見せた。
唖然、という表情を、〈刑事〉はした。
「……あんたにしちゃ、随分手荒い処分じゃないか。仏のボスが」
「ありゃダメだ。潔癖すぎる。人殺しにこの世で一番向いてない性格だ。あいつ、標的以外はどんな状況でもひとりも殺さねえ。それであそこまでの仕事ができるっていうのは、一業界人として敬意がないでもないが……ダメだな。ここを抜けたら自首でもして洗いざらい吐いちまうだろうよ」
「……口封じってわけね。よかったよ、口の堅い男で」
かか、とその言葉を笑い飛ばすと、〈交換〉は机の上の宝飾品を手に取って、
「どれ、換えちまおう。こんなところでお前に前科がついてもつまらんからな。何がいい?」
「絵にしてくれ。最近絵画教室に通っててね。俺が持ってても不自然じゃないし、何より〈市長〉は芸術にまるで興味がない」
「詳しいな」
「寝物語だよ」
〈交換〉が、手品でも見せるかのように宝飾品の上に手を翳し、右から左へ動かす。
左に動かし切ると、机の上には宝石ではなく、一枚の絵画が現れる。
オーケー、と〈刑事〉は安心したように言う。
「あとは殺人犯をこの手で捕まえりゃ、誰も俺の盗みに気付かない」