第2章 その6「怪眠事件」
その6「怪眠事件」
雲が消え、わたしと叔父様は部屋から出ます。
少し歩くと、廊下に何人もの人が倒れています・・・睡眠中です。
「そうだ。クラリス。『物品探知』の呪文使えるかい?」
「はい。あれも初級クラスの基本式ですから実習ずみです。」
わたしは叔父様の指示に従って、叔父様の答案を探しました。
先ほどの叔父様の見事な、いえ、美しすぎるあの詠唱を聞いてしまっては、とても恥ずかしかったのですが。
「クラリスの発音は正確だ。しかもきれいだし。」
そう言われると、お世辞でもうれしいものです。
ちなみにわたしが行ったのは、通常詠唱と言って、そのまま術式を詠唱することです。
才能のある人は、術名だけの簡易詠唱や無音無動作の無詠唱ができるそうです。
魔法兵を目指すわたしたち魔法学園の生徒は、当然そんな実戦的な詠唱が望ましいのです。
おそらくわたしはそこまでの才能はないと思います。
ですが、術式の最小限の部分だけを唱えればいい略式詠唱であれば、訓練次第で身につけられるでしょう。
ワンドやスタッフとの相性にもよりますが。
しかし、あの叔父様の古式詠唱を聞いてしまっては、それらの「今風」で「実戦的な」詠唱が、何やら味気ないものに感じてしまいます。
しかも・・・あの威力は、なんなんでしょうか?
なにより、詠唱しているときの叔父様は、まるでいつもと別人・・・。
「クラリス?」
「はひっ!?・・・いいえ。ええと、向こうです。」
わたしたちは探知呪文の指し示す方向に向かいます。
睡眠中の人たち・・・これでもう6人くらい・・・を踏まないように進みます。
「誰も魔法に抵抗していませんね。」
「まあ、そうだろう。」
随分自信があるようです。意志の弱いひきこもりのくせに。
呪文の示す指標は奥の部屋を指していましたが、カギがかかっています。
「クラリス・・・『解錠』の呪文を使えたりは・・・」
「しません。」
魔法学園では、そんな犯罪性の高い呪文は教えません!冒険や探索は専門外です。
「しかたない。」
叔父様がまたスクロールを出して・・・と期待したのですが、さすがに面倒だったのか。
どかあん!
叔父様はドアをけり破りました・・・どこが非暴力主義?
わたしの目が非難めいていたのでしょう。何も言わなかったのに、叔父様は
「非常事態だよ。見たところ普通の扉だし。」
そんな言い訳をします。
それよりもわたしは大きな物音を立てて、眠っている人が起きないかが心配でしたが。
さほど大きくない部屋には、書庫と金庫。
いえ、なによりも眠ったままの男性がソファに・・・でも、まる眼鏡で少し意地悪そうに見えるその人は!
「知ってる人かい?クラリス。」
「イスオルン教授です・・・わたしの学園の。」
ワグナス教授よりも上位の主任教授。そしてその足もとに、例の答案が落ちていました。
叔父様は、さっきまでわたしをしばっていた縄でイスオルン教授を縛りながら、
「ちぇっ。こんなヤツにクラリスに使ってた縄を使うなんてもったいない」
なんて言ってましたが、さすがに身内びいきも過ぎると言うべきか・・・赤面します。
「あ?しまった。」
どうやら、先ほどわたしが閉じ込められた部屋に、寝ている人たちを全員閉じ込めておこうとしていたのを忘れたようです。
「でも、とりあえずこいつだけでも確保しておけばいいかな・・・でも物足りないな。」
「叔父様、ムリに暴力を振るわなくてもいいのですよ?わたしを案じてくれたのはわかりますけれども。」
「・・・キミは優しいな、全く。でも無事だったからそんなことが言えるのかもしれないよ。それに、こういう輩は面子にこだわるから中途半端で終ると、またちょっかい出しに来るかもしれない。」
そう言いながらも、叔父様も積極的に暴力を振るいたいわけではない人なので・・・だからこそのひきこもりなのですが・・・やはり面倒でもあり教授以外は放置になったようです。
叔父様は、非力なのでよろめきながら眠ったままのイスオルン教授を運びます。
起こそうという気にはならなかったようです。
部屋を出て、そのまま出口を見つけて・・・ここはセムズ川の近くの倉庫街です。
わたしたちがいたのは、その倉庫の一つで、2階部分の事務所と1階の倉庫が共用になっていました。
まだ外は明るくて・・・?
「叔父様・・・不思議に静かです。」
「そうかい・・・そう言えばまだ明るいから、船着き場から荷物の搬送とかしていても・・・。」
叔父様が、何かを言いかけて、沈黙し、その後、いかにも失敗したことに気づいたようです。
まるで、いたずらが先生に見つかった子どものような顔をしています。
「叔父様!また、なにかやりましたね!?」
その顔を見る度に、何度も逃げ出したり一緒に謝りに行ったりしたものです。
「ちょっとね・・・多分・・・」
「お、じ、さ、ま!」
わたしは、情けない表情を浮かべる叔父様の前に立ちふさがりました。
教授を抱えたままの叔父様は後ずさっていきます。
「落ち着いてくれ、クラリスぅ~」
「そんなかわいい声を出してもダメです。35にもなって。」
わたしは冷たく、情けない顔をする叔父様を追い詰めました・・・。
叔父様から聞き出したわたしは、即座に倉庫街を走り回りました。
どうやら叔父様の懸念した通りです。大きな通りにまで出ましたが、みんな倒れています。寝ています。
たくさん、たくさん。これではまるでゴーストタウンです。しかも、揺すっても起きません。
「きっと『眠りの雲』のスクロールの詠唱の効果が強すぎて、この区画にいた人全員寝てしまったと・・・思うけど・・・ありえないかなぁ?」
・・・ありえたようです、残念ながら。
叔父様の声を呪わしく思いだしながら、わたしはだれか起きている人がいないか、いいえ、どこまで行けば起きている人がいるのか、暗澹たる気持ちになりました。
どれだけ非常識なスクロール・・・いえ、叔父様なのでしょうか。
「どなたか、起きていらっしゃる方はいませんかぁ~?」
そんなわたしの声は、倉庫街に虚しく響くばかりです・・・。
この一件は、のちに「エクサスの怪眠事件」と呼ばれました。
エクサスの街の北東部にある倉庫・問屋街の住民が突然謎の睡魔に襲われ、みんな眠ってしまったという前代未聞の大事件です。
わたしがいくら揺すっても起きなかった人たちも、その2時間後にはみんな目を覚ましました。
そう聞いた時は安心して泣きそうでした。当の叔父様は
「どうせ少ししたらみんな起きるって。」
なんてのんびりしていましたが。
あの後、叔父様は、目を覚ましたイスオルン教授に命じて学園までわたしたちを「転送」させました。
上級呪文の「転送」ですが、さすがに主任教授です。
イスオルン教授は「転送」を終えると、そのまま学園長室に私たちを案内したのです。
今、学園代表のセレーシェル学園長が、わたしたちの前にいます。
学園長は20代後半の豊かな赤い髪の大人の女性です。
濃い紫色のスーツがお似合いで、わたしたち生徒の憧れの方です。
そのセレーシェル学園長が、あいさつも早々にひたすら謝罪です。
「本当に申し訳ありません・・・あの答案に術式を書かれた方が、その・・・」
「・・・分かります。」
わたしは気づいてしまいました。
どうも変人でひきこもりの叔父様のことを知り、疑っていたようです。
叔父様は首をかしげていて、自覚がないのが腹ただしいほどです。
つまり、管理書類の選別の時に、叔父様自らが術式を紛れ込ませた、とか、わたしに持ち込ませたとかして、あの事件を仕組んだのではないか、という疑いです。
「・・・術式の不正な実験、あるいは偶然を装った売名行為・・・そういう可能性を指摘する者がいました。なにしろ民間の、しかも無名で実績のない人物がこのような高度な術式を完成させるなど考えにくく・・・むしろ背後に何かあるのでは、と考えたほうが自然に思えたのです。しかし調査の結果は、シロでした。」
まあ、そうです。そもそも叔父様がそのような面倒なことをする人かどうか、調べればすぐにわかるでしょう。
売名行為?そんなことができるくらいなら、20年もひきこもっていません!
「ですが、ご評判が少々・・・」
・・・叔父様の評判を言われると、わたしのほうが恥ずかしくなって赤面します。
当の本人は、まったく気づいていませんが。
「ですので、実の姪であるクラリス君を通して、最終的に判断しようかと思い、任務として叔父様のところに派遣して確認することにしたのです。」
「申し訳ない。突然ご実家から飛び出したクラリス君に『眠りの雲』をかけたのはわたしの独断だ。様子がおかしかったので、あなたと会って何か事情を知り動揺したのではないか、と判断した。ただ、すぐに落ち着かせて事情を話そうとしたのだが、その前にあなたが救出にくるとは思わず・・・」
ドン。今まで大人しかった叔父様が、イスオルン教授がそう言い出すと、急にテーブルをたたきました・・・
黒檀の高級品・・・金貨5枚くらい?大丈夫かしら?弁償とか。
「いきなり人に術をかけておいて、それか!後で説明すればいいってものじゃないだろう!これだから軍の学校は非常識なんだ!あんた・・・軍出身だな。」
・・・叔父様が誰かに非常識と言うのは、新鮮です。
こんなに怒っている叔父様も。イスオルン教授も不愉快そうに叔父様を見ています。
初対面の状況から仕方ないのでしょうが、相性も良くない・・・いえ、最悪なのでしょう。
「要するに、あんたたちは、僕を勝手に疑って、そのためにクラリスを利用したっていうことだ!」
イスオルン教授は、わたしが魔法学園の生徒であり、軍人に準ずる扱いとして不当なことはしていない、という立場でしたが、学園長がそれを叱責して再び謝罪します。
その間の、叔父様の不愉快そうな態度。大人げないです。
最終的に、わたしは別に怒っていませんし、何よりも叔父様がやったことの後始末・・・あのスクロールの詠唱で眠った人たちの安否が気がかりだったのです。
そこで、エスターセル女子魔法学園が責任をとって、事件の後始末をしてくれることになりました。
「後始末?隠蔽だろ?」
なんて言ってた叔父様も、衛兵さんたちや役人の方と直接話すのは、イヤだったらしく・・・なにしろ人嫌いで面倒くさがりなので・・・結局学園に任せることにしました。
ただ、以後もわたしの安全を確実にする、という確約をとることだけは真剣に交渉し、念書までとりました。
それも学園長自らにスクロールを使った誓約をさせようとしたので、さすがにわたしはお止めしましたが・・・心配していただいたことはうれしかったのですけど。
そういう一通りの話し合いが終わった時は、すっかり暗くなっていて、わたしたちは「転送」で、エクサスの「転送門」まで送っていただきました。
転送門は各都市に置かれています。
転送門が設置された庁舎から、二人で歩いて、実家に向かいます。
星がとてもきれいで、わたしは少しワクワクした気分です。
あんなに大変な目に遭ったのに、なぜでしょう?
「こんなに働いたのは、20年ぶりだよ。」
叔父様は疲れ切っていましたけど。
でも、もう怒りを収めて、いつもの少しぼんやりした叔父様です。なので、
「20年・・・叔父様。ひょっとして叔父様は、魔法学院の受験に失敗したことがきっかけでひきこもったのですか?」
と、つい聞きにくいことを聞いてしまいましたが、叔父様は気にせず答えてくれます。
「そうだね。直接の原因は、そうなんだろうね。」
なにやら他人事のような答え方です。
「まさか、名前を書き忘れて術式走査もされずに不合格だったとはなぁ・・・。」
そう。学園長がおっしゃるには叔父様の答案には名前がなかったので、術式として有効かどうかの走査を受ける前ではねられ、ろくに採点もされなかったとか。
「それが原因で不合格になったとすれば・・・」
叔父様の20年間は、なんだったのでしょう?
もしも名前を書いていれば、きっと評価されたであろう斬新な術式。
そうしたら叔父様の人生は今と全然違っていたはず。
「いや、どうせ魔法を使えない受験生が合格するのは難しかったと思うよ。」
「そうでしょうか?」
でも、そういう叔父様は、不思議と後悔していないようです。
「それに・・・もしも魔法学院に合格していたら、もしもひきこもってなかったら・・・」
そこで、叔父様はふとわたしに顔を見て、話すのを止めます。なにか言いにくそうです。
「・・・もしも・・・そうだったら?」
それでも、わたしが重ねて聞くと
「キミと過ごしたこの時間がなかったってことだろう。だったら、別にいいかなって。」
そう恥ずかしそうに笑う叔父様・・・。それは反則です。誤解してしまいます。
わたしはうつむいてしまって、だから、その後互いの言葉が少なくなります。でも・・・。そうです。
星がとてもきれいで、わたしはワクワクした気分のままで。なぜでしょう?
しばらくして、わたしたちは実家に着きました。わたしは、今日、二度目の里帰り。
実家には叔父様がメルを通して連絡していました。
だから少し遅く帰ってもかあさん以外は特に心配していませんでしたが。
二人にはなぞの連絡手段があるようです・・・少し不愉快。
「クラリス!あなた、またこんな人と一緒に出歩いたりして!」
かあさんはわたしたちを見ると、そう叫んで引きはがしました。少し近過ぎたでしょうか?
「かあさん、こんな人はひどいです!これでも、わたしの叔父様です!」
わたしとかあさんは、しばらくそんな言い争いをしてます。まぁ、以前はよくあったことです。
「兄さん、『こんな人』と『これでも』・・・どっちがマシなんでしょう?」
「さあな。」
当の叔父様もとうさんも、それに関わらないようにしていましたが。
そこにメルがやってきて。叔父様に飛びつきました。
それを見たわたしは、まだ何か言いつのってるかあさんを放置し、二人を引きはがすことにします。
「クラリス、まだ話は終わってませんよ!」
「ご主人様、クラリス様が乱暴です。」
なんでわたしばかり、こんなに非難されているのしょう?
「そういえば、クラリス、まだ言っていないだろう。」
「なんです?とうさん。今、それどころじゃ・・・」
かあさんはしつこいし、メルはしぶといし、叔父様は早々に逃げたがってますし。
「やれやれ・・・」
やれやれ。この口癖はとうさんと叔父様、共通です。そんなところは、兄弟。
黒い髪も同じですが、とうさんは叔父様よりも少し大人びた、厳格さの漂うおじいちゃん似です。
叔父様はそう言われればおばあちゃん似でしょうか。
でも、とうさんだって見かけよりはうんと優しい人です。
「じゃ、俺から言うよ・・・お帰りなさい。クラリス。」
あ、そうでした。急にわたしは恥ずかしくなってメルから手を離します。
すると、引きはがされまいと力を入れていたメルが、反動で叔父様にぶつかって二人とも痛がってます。
いい気味です。
それを見て微笑んだわたしは、とうさんとかあさんに向かって言います。
「とうさん、かあさん・・・ただいま」
叔父様とメルには省略です。
「お帰り、クラリス。」
かあさんがそう言ったことで、この場の騒動は収まりました。
その間に、叔父様はメルを連れて二階へ上がって行きました。
いかにも日陰者のひきこもりらしく、こっそりと。
久しぶりの我が家の夕食は豪華なものでした。
かあさんの手作り、「星豆とベーコンのスープ」に「じゃがいもと玉ねぎのグラタン」、メインの「ハンバーグ」にはにんじんを添えて・・・そしてエルトアデさんの焼いたパンにイノッサル産のワイン。
みんなわたしの好きなものばかり。しかし随分豪華な・・・。
うちの家計はそれほど困ってないのかしら?
少し遅れて、おじいちゃんとおばあちゃんも加わり、フェルノウル家の団らんです。
おじいちゃんは職人肌の厳しい方ですが、わたしにはとてもやさしい方です。
おばあちゃんは、もう、幼い時からとてもかわいがってくれて、料理などの家事も教えてくれました。
そちらの成果は今一つでしたけど。
話題の中心は、わたしの学園生活です。
わたしは寮の様子や学園での出来事を話していきます。とても楽しい時間でした。
ですが、フェルノウル家の団らんは、一人足りないのが当たり前。
この事実がわたしの心から完全に消えることはなかったのです。