第11章 その3 月末ビュッフェと星明り
その3 月末ビュッフェと星明り
「めっちゃおいしい!?学生食堂の夕食ってこんなにおいしいの?」
エミルはハーブチキンにかじりついています。
大商会のお嬢様とも言える彼女が夢中です。
チキンはチヤゲル産で、歯ごたえがあって、ジューシーです。
「・・・盛り付けや様式には違和感を感じてしまいますが、カクテルパーティーみたいな立食形式と思えば、まずまず・・・おいしいと言えるかもしれません。」
伯爵令嬢のシャルノは、落ち着いた風情で、ナイフとフォークでミニハンバーグを切り分けています・・・でも、そのサイズならナイフで切らなくてもいいのでは?
今夜は10月最後の日。
学園の食堂は、月末の夕食を生徒の人気メニュー中心のビュッフェ形式にしています。
とは言え、実際に行われたのは、長期休暇や行事の都合で5月に一度あっただけ。
今日は二度目なのです。
学園の中庭で開設された臨時の会場は、飾り気はありませんが、篝火と、教官が延長して行使して下さった「光」で明るいのです。
せっかくの星明りがもったいない気もしますけど。
エミルとシャルノは自宅が学園から近い自宅生なので、普段は昼食以外は食堂を利用しないのですが、今回は評判を聞いて参加しました。
もちろんわたしたち寮生は全員参加です。
なにしろ、みんな楽しみにしていましたから。
「あ~ん、妹たちにも食べさせたいよ~!」
隣のテーブルではリルが叫んで、フライドポテトを口からこぼしています。
「レンも今日はたくさん食べるのですよ。」
デニーは意外にもリルとレンのお世話役です。
小柄で子どもっぽい二人の面倒をよく見ています・・・普段もああならいい子なのに。
「・・・うん。レン、トマトと生ハム取ってくる。」
「あたいもいくいく~。今度はポテトぐうたら食べる~!」
「・・・グラタン。」
わたしの隣ではリトがお魚のフライを食べながら、ポツリとつぶやきました。
リトは実は海産物が好きで、しかもなんと「生」のお魚や貝が好きっていう・・・さすがにそんなものを出されては誰も食べられませんけど。
彼女の故郷では成人試験にそういう肝試しでもやっているのでしょうか?
「クラリス、失敬な。新鮮な魚介は生が一番おいしい。」
・・・理解に苦しむのです。
親友のリトの言葉ですから信じたいのですが実践には蛮勇が必要です。
「ワインより、お米でつくったお酒が合う。最高。」
リトがそこまで言うなら信じたくなります。
しかしお米でお酒?これもまた、聞かないお話なのです。
リトの故郷は北東部のニューボストンの近くで、内陸部と聞いていましたが・・・随分と習俗が違うようです。
「でも今日はワインでもいいでしょう?」
「うん。この白ワイン、おいしい。」
そうです。今夜はお酒も許可されます。
と言ってもそんな強いお酒は出ませんけど。・・・叔父様は実はお酒が大好きで、しかも焼きワインとかの強いお酒も平気でした・・・いけません。
つい叔父様のことを考えてしまいます。今夜くらいは忘れないと。
「なになに、お酒の話?クラリスもワインなんか飲むんだ、めっちゃ不良~!」
この大陸、しかも北方では成人後のワインは水と同じなのです。
もっとも基本は水で薄めますけど。
特に女性で、そのまま飲む人はそれほど多くはないのです。
エミルはお酒が弱いらしく、かなり薄めていて
「それでは色がついた水ではありませんか?」
ってシャルノにからかわれています。
「クラリスのように薄めずに飲むのも品がいいとは言えませんけど。」
グサッ、です。
近頃、自身の女子力の凋落ぶりに危機感を覚えているわたしです。しかし
「シャルノも試してはどうですか?」
イノッサルは赤ワインの名産地で、このワインは、その地ではテーブルワイン用のライトボディですが、普通のミディアムくらいは芳醇なのです。薄めてはもったいないのです。
「・・・ではせっかくですので、生のままでいただいてみましょう。」
シャルノに新しいグラスを用意して、注いであげます。
こういう時に自然に人にしてもらうのは、さすがシャルノは本物のお嬢様です。
「・・・なるほど。学生がいただくワインとしては・・・まあ、よいものだと思います。」
普段どれだけおいしいものを食べているのでしょう?ちょっとうらやましくなります。
それでも、その後もシャルノは同じイノッサル産赤ワインを飲み続けましたし、料理も興味深そうに次々と食べています。それなりに口にあったのでしょう。
「クラリス、意外に酒豪。」
酒豪は言い過ぎでしょう。
お酒に詳しくなったのはもちろん、あの人の影響ですけど。
で、ここまでは、まあ、いつものランチの時のわたしたちの延長だったのですが・・・
夕食が始まって30分ほど経ちました。
「ところでさぁ~今日のあのガクエンサイって話~めっちゃ怪しいんだけど~どうする?」
エミルはもう顔が赤いのです。
酔ってますね・・・あんなに薄めたワインでよくもまあ・・・。
「どうするも何も、生徒の身では参加するだけではありませんか?」
シャルノは平然とワインを飲みながら答えます。
ですが、視線は不自然なくらい前しか見ていないのです・・・目が座っていませんか?
「・・・でも企画したフェルノウル教官がいない。」
リトがつぶやくのは、わたしの本心でもあります。
叔父様さえいてくれれば、わたしは何の不安もなく・・・いえ、大嘘です・・・あの人の企画ですから不安だらけです。
それでも参加することに迷いはないはずです。
きっと思いは同じ・・・なのですが・・・リト、わたしに抱きついてくるのは少々・・・
「寂しい・・・クラリスも一緒?」
リトは抱きつき癖があるのでしょうか?
いえ、決して嫌ではないのですが・・・
周りの目がわたしたちを怪しく見るのです。
ホラ。あの光ったメガネとか腐ったメガネとか。
「まさか・・・班長閣下は副班長のリトと・・・その、ただならぬ関係だったのですね!?いくら夫たるフェルノウル教官殿が不在とは言え、いくら女同士の厚い友情とは言え、これは歪んでいます!班長閣下の真実は正義であってほしかったのに・・・お~いおいおい。」
・・・このメガネ星人は泣き上戸だったのですか、意外過ぎます。
妄想過多は相変わらずですが。どこをどう突っ込んだものやら、もう始末に負えません。
しかし麦酒でよくまあ、これだけ酔えますね。
「ええっ!ダメダメだよクラリス班長!確かにフェルノウル教官はヘタレで根性なしでひきこもりでオタクだけど新婚早々浮気はダメだよ!」
・・・この子はお酒も飲まずに、よくもこれだけ現状認識を間違えられるものです。
いえ、叔父様がヘタレで根性なしでひきこもりで、世に言うオタク気質であることは間違いではありませんが。
「・・・ホント、意外。デニーやリルがこんなにフェルノウル教官の不在を気にしていたなんて。」
そういうレンは、この前の洞窟騒動で随分と「アント」・・・16歳当時の叔父様に積極的でした。
ですが、この二人の反応は・・・違うのでは?
「・・・ううん。違わないの。」
レンはチーズとトマトをバゲットにはさみ、わたしと同じくイノッサル産の赤ワインをそのまま飲んでいます。
わたしにとっては最年少のこの子がお酒に強い方がよっぽど意外ですけど。
「ねえ・・・だからガクエンサイ、どうする~?めっちゃ不安~!」
「ですから、生徒の立場として参加するしかないでしょう?」
「・・・クラリスぅ~教官はどこぉ?」
「ああ!そんなただれた閣下のお姿は見たくありません!早く帰ってきて教官殿!」
「デニーデニー?「ただれた」ってどんな意味?」
「・・・レンにも教えて?」
・・・幼い二人には知らなくてもいいことがあるのです。
リルは同い年で・・・一部部分は年齢不相応に育っていますけど。
「それはですねえ・・・」
ポク。メガネの頭を軽くたたいてあげました。まったく。
「それで、ガクエンサイってめっちゃ怪しいんだけど~!」
エミル、またですか?これは「むげんるーぷ」なのでしょうか?
そんなこんなで、二度目の学生食堂の夕食ビュッフェは、2時間足らずで終りました。
調理員のおばさん方にお礼を言って閉会したのですが、撃沈したり悪酔いした者が多数で、次回は「お酒は自粛しようか?」とかって言われました。
1回目と比べてみんな自由過ぎたようです。
幸い撃沈したエミルは、商会からお迎えが来ていたのでそのままお任せしましたし、シャルノも迎えの馬車が来ていました。
そしてデニーたち悪酔いした子たちを部屋に運んで、最後にリトに水を飲ませ、部屋に連れて行きます。
・・・お部屋で、リトは寝息を立てています。
わたしはビュッフェで残ったおつまみとワインを持ち帰らせていただきました。
カナッペに生ハム、トマトにセロリ。
それらを食べて、ワインを飲んで・・・ですが、なぜか眠くならないのです。
窓からは星が見えます。
秋深い星空はとてもきれいで、それを見ながら飲んでいると、全然酔いが回りません。
寝ているリトに気遣った薄暗いお部屋で一人。
「焼きワインって、こういう夜にいただけばいいのですか?」
・・・側にいない誰かについ、問いを繰り返します。
「今、どこにいますか?」
カーテンを開き、窓を開けます。
そして窓の外を見上げます。
「なぜ、お帰りにならないのですか?」
そこには星明り。
そして南の空にエターセリュの花の星座が見えます。
それは帰らない人を待って花になってしまった乙女の姿。
「・・・わたしを放っておいて・・・なぜ一緒にいてくれないのですか?」
悲しいほどにきれいな星空。
とても透き通った夜の空。
「わたしも花になればいいのですか?・・・会いたいのです・・・。」
それはあの人の瞳の色です。
「叔父様・・・わたしのアンティノウス・・・。」
ふわっとした気配。
夜の、星空のカーテンの向こうに微かに感じる、霞よりも現実味のないにおい。
わたしはそのにおいに呼ばれた気がしたのです。
そして、部屋を出て寮の玄関を開けて。
「あ~あ・・・今度は本物の門限破りです。今期は規則違反ばかり。」
学園の中に入っていきます。
「解錠!」
すみません。心の中で寮母さんや教官方に謝ります。
できるだけ音を立てずに、しかし気配のある方に急ぎます。
「転送館?」
学園の奥まった場所の別館です。
「転送門」「遠話室」を常設している場所なのです。
ひときわ厚い扉の向こうから、微かな気配がするのです。
そこから二つの影が出てきます。まさか?わたしは物陰に身を隠しました。
「こんなところ、誰かに見られたら大変ですね。」
あの、男性にしては少し高い声で、穏やかな話し方はワグナス教官です。
平均的な身長にやや恰幅のよろしいお姿は間違いありません。
そして、やや背の低いほっそりとした人影に語り掛けています。
あれは女性でしょう。
女性としては背が高く、ほっそりとしたようで大人の体つき・・・ちゃんとメリハリのある・・・です。
「まったくです。あなたもお気をつけてください。でも今日のことは刺激的で、楽しかったわ。疲れたけどね。」
セレーシェル学園長!?あの、やや低めの落ち着いた声は間違いありません。
「はい・・・ではおやすみなさい。」
「あなたも。」
学園長はそう言ってワグナス教官に別れを告げ、こっちに向かってきます。
これは困りました。その・・・見られてはいけないという場面を見てしまった立場と言うのは、意外に気不味いものです。
しかも・・・これは、まさかお二人が逢い引きをしていらっしゃったということなのでしょうか!?
いえ、ワグナス教官は40代ですが独身ですし、セレーシェル学園長も20代・・・後半・・・の美しい方です。
別に恋愛をしてはいけないということではありませんし、「転送館」には宿直のためのベッドもあるという話で・・・ベッド!?
まさか・・・まさか大人の関係!?だってお二人とも大人ですし、ですが教官同士の恋愛がどうこう言う気はわたしには・・・でも、でも!?
「お酒の臭い・・・?」
ギク、です。
「だれ?そこに隠れているのは?」
ワタワタしているうちにちゃんと隠れそこなってしまいました。
しかもワインの飲みすぎでしょうか・・・そんなににおいます?
「あの・・・クラリス・フェルノウルです。」
もう、ごまかしきれないのです。諦めて前に出ます。
「クラリスさん!?あなた・・・よりにもよって・・・。」
「すみません。でもわたし・・・その・・・ワグナス教官のことは見てません。」
「・・・ワグナス?・・・そう。そういうこと。後は何も見ていないのね。」
見ていない、とわたしが言ったせいか、あからさまに学園長は安心した様子です。
「いえ、教官のことも見てません。何にも見てません!」
「そう。それはとてもいいことだわ。でも、あなた、寮生でしょ。門限破りも甚だしいですよ・・・ま、今日のことはお互い何もなかったってことで、終わりにしましょ。あなたもそれでいい?」
にこやかに微笑む学園長です。でも、怖い笑顔です。
もうわたしはコクコクうなづくだけなのです。
「はい!これで失礼いたします!」
わたしは大慌てで寮に戻り、鍵をかけ、自室に戻りました。はあ、です。
あの気配は・・・結局、なんだったのでしょう?
気のせい?酔ったわけでもありませんし?
リトは、まだ寝たままです。
もともと乏しかった眠気は完全に霧散し、わたしは夜空を見ながら、ワインを飲み尽くすことにします。
どうせ明日は休日です。
「星明りで、街もきれいです。あなたもこの空を見ていますか?どんな景色を見ていらっしゃいますか?」
この夜、わたしは、朝まで幾度も夜空に問い続けるのです。
もちろん答えはありませんでした。