第2章 その4 回想
その4 思い出の景色
「メル・・・「回想」だ。僕の記憶をクラリスに見せるんだ。」
「かしこまりました。御主人様。」
叔父様の命令を、甘ったるい声で、さもうれしげに承るメル。
あの、ピンととがった犬耳が、パタパタ振られる尻尾が、なぜか癪に障ります。
が、その魔術師としての実力は、悔しいことに、魔法学校の生徒のわたしよりも上なのです。
「クラリス?どうしたんだい。さっきから黙りこくって。なんか難しい顔してるし。」
そんなわたしの心中を、ある意味まったく頓着しないはずの人が追求します。
「ご主人様。おそらくクラリス様は、メルごときが魔術を行使することがご不快なのです。」
グサ、です!・・・いえ、そうじゃありません。
そんなことを言ったらまた叔父様を悲しませます。
まだ幼かったわたしがメルを嫌悪する度に見せた、あの悲しいお顔・・・。
「そんなことはありませんよ、メル。いいのです。叔父様がお命じになったのですから。」
できる限り平静を装い、わたしはメルに魔法の行使を促します。
その時のこの娘の、勝ち誇ったかのような笑顔。
本当にこの娘はわたしに対してだけ、非礼で不愉快です。
「術式は通常でいい。メルならそれで、充分だろう。」
「はい。ご主人様。」
叔父様とメルの、二人のやりとり・・・。イライラします。早く始めればいいのに。
いえ、もう終わってもいいです。そんな気がします。
ですが、始まりました・・・「回想」?叔父様の記憶をわたしに見せる?
今さらですが、叔父様の不可思議な言葉の内容が気になりました。
あの答案の術式を発展させた原理でつくられた魔術だそうです。
そう、わたしは魔法学園の生徒。今は、大切な任務で来ているのです。
メルの詠唱は、とても見事なものです。
透き通った声、滑らかな節、自然な抑揚、巧妙に整えられた律と韻・・・。
古代魔法語を、これ以上に見事に詠唱をできる人を、わたしはあと一人しか知りません。
「我は、人の子の一人 メルセデス。」
半分違うくせに。あ、いけません。つい・・・。
「大いなる太陽の光、
妙なる月の明かり、
美しき星の灯火よ、
世界に満ちる、あらゆる光に願わん。
思い出とともに、よみがえることを。
*その発動は術名の詠唱を待たん
後の式とともに始まりともに終わらん」
意味不明の、音節が挿入されました。
これが・・・「結合詞」とか「付帯術式」なのでしょうか?
「雄偉なる天空の轟音、
澄明なる海原の調べ、
ささやかな人界の律、
世界を満たす、すべての音に願わん。
思い出とともに、よみがえることを
‘ *その発動は術名の詠唱を待たん
前の式とともに始まりともに終わらん
我、人の子の一人 メルセデスが願う。回想!」
白銀の輝きに包まれるメル。その目の前に展開される、大きく美しい、同色の魔法円。
異なる術式で書かれた2つの魔法円は、重なるように回転し、空間を震わせます。
これほど見事な魔法円・・・いえ、魔法の発現象は、見たことがありません。
またメルとわたしの力量の差が広がったようです・・・。
そして、わたしたちの前には、白い靄が広がり・・・靄が霧散すると、ある映像が浮かびだしたのです。
「叔父様・・・これは・・・」
「昔のキミと僕だよ。」
そう。その再現された映像では、まだ赤ん坊のわたしの耳元で、叔父様がなにかささやいています。
あんなに小さいころから叔父様はわたしを愛しんでくれていました・・・。
胸が暖かくなります。涙がでそうです・・・叔父様。
でも、叔父様は何と言っているのでしょう?そう思った時、メルが右掌を上にあげます。
音声が大きくなって再現されました。そして、叔父様の声が、同じ言葉を繰り返すのです。
「おじさまおじさまおじさまおじさまおじさまおじさまおじさまおじさま・・・」
と。くらっ、です。わたしは再びめまいをおこし倒れそうになります。
思わず額に手を当てうずくまります。
「ああ、懐かしいなぁ。」
叔父様は一人でいい顔でシミジミしています。
「叔父様・・・わたしはこうやって、洗脳されたのですね!」
確かに、これでは最初にわたしが発する言葉が「おじさま」になるのも当然です。
かあさんが叔父様をゴキブリの如く忌み嫌うのも必然でしょう。
かあさんと一緒に叔父様を撲殺したい衝動に駆られます。
「ご主人様。先を見越した緻密な計画とその大胆な実行は、さすがです。」
なにがさすがなものですか、この使い魔メイド!
「叔父様。メル。・・・これをわたしの前で再現するのは、少々問題がありませんか?」
これでも平静さを保とうとしていますが、頭が怒りでパンクしそうです。
「クラリス様。ご主人様は、ご自分の目的に忠実過ぎるのです。」
遠くで、メルの声が聞こえます。
メルですら叔父様を擁護し得ない、そんなこともあるのですね。新鮮です。
別にうれしくもありませんけど。
「え?なんで?メルも何を言ってるの?」
・・・このあたりが、人の気持ちを理解し得ない、ひきこもりというべきか、コミュ障と言うべきか、対人スキルがなさすぎるというべきか・・・一言で言えば、さすがは「叔父様」というしかありません。
このような、おそらくは高度な術式を作り上げながらの、この非常識ぶり・・・。
「それで、叔父様・・・こんな術式、何にお使いになるのです?」
怒気を含むわたしの声が冷たく室内に響きます。
そんなわたしの声の温度に全く気付かないこの人は、楽し気に続けます。
「それはもちろん、元の世界のあにめの再現だよ!特にキミにあげた絵本のもとになるお話は、セリフにカット、音楽に効果音まで全部僕は覚えている。だからそれを再現してみんなに見せるんだ。あれはこの世界に、いや、全ての世界に広げるべき人類の遺産だよ!多次元世界文化遺産とでも言うべき、まさに文化の極みだね・・・あれ?どうしたのクラリス?」
「こんな、魔法の無駄遣い・・・術式の浪費・・・なにが世界遺産ですか!叔父様!!」
完全に自制心が蒸発したわたしは、かなり乙女らしからざる振る舞いで、叔父様のお部屋で暴れることになりました。
ですけど、決してわたしが悪いわけではない・・・ですよね?
なぜかケガをした叔父様を「治癒」呪文で癒すメルですら、わたしに苦情を言わなかったくらいなのですから。
騒動の後、いささか気まずい様子で叔父様が、メルを見ています。
なにが悪かったのか聞きたい様子です・・・それなら直接わたしに聞けばいいのに。
そう思って叔父様を見つめると、お顔を背けました。
年甲斐もなくすねたような叔父様を、椅子の隣に立つメルがそっと胸元に抱き締めます。
ムカ、です。
「ご主人様・・・お気を付けください。クラリス様は、ご主人様に対して複雑すぎる感情をお持ちなのです。」
「胸の奥底に潜む大いなる暗闇を勝手に白日にさらさないで!」
「・・・そういう中二病的な言葉を使うこと自身、クラリス様はご主人様の薫陶をお受けになっている証拠なのです。」
グサ、です。
「それなのに、素直に感謝もできない、かわいそうな心境なのです。」
「誰が感謝なんてするものですか!」
この娘は、本当にわたしの鏡のよう・・・。いえ、違います。
「クラリス様の教養も魔法も、ほとんどがご主人様から教えられたものなのです。多少、不要なものが混じっていたとしても、その知識とお力は年齢にふさわしくないほどのものです。それなのに、感謝をなさっていないのですか?」
その「多少の不要のもの」のおかげで、どれだけわたしが魔法学園で肩身が小さくなるか、知らないのでしょう。
わたしの口にする例えがクラスメイトに理解されず、魔法言語の発音が正確過ぎて古臭いと言われていたことも。
「わたしは叔父様の弟子でもなければ、助手でもありません。確かに幼い時から学ぶことはありましたが、今は魔法学園の正統な理論に基づいて、正規の教育を受けています。」
「ですが、クラリス様がエスターセル女子魔法学園に、しかも平民階級ながら特待生としてご入学できたのも、ご主人様の」
「メル。」
・・・叔父様がメルの言葉を遮りました。
すると、さっきまでとがっていた彼女の犬耳が、少し逆立っていた尻尾が、みるみるシュンとします。
叔父様がメルたしなめるのも珍しいのです。
「・・・申し訳ないのです。ご主人様。ご主人様の姪御様であるクラリス様に対し・・・」
「それも不要だ。」
そう言って叔父様は、今度はご自分からメルを抱き寄せて、頭を撫でています。
なんて優しい動作でしょう。
イラッ、ですけど。
「メルに悪気がないのはわかる。僕のために言ってくれてることも。ただ、感謝とか気持ちとかは強要するものじゃないし、そもそも僕はそんな大したことをしていない。」
それは違います。叔父様はわたしにたくさんのことを教えてくださいました。
わたしを幾度も救い、わたしの至らなさをしかり、何よりわたしをいつくしんでくださいます・・・。
ですが、そう言うことができません。
メルは叔父様に抱きしめられ、さっきとは逆に耳をピョンと、尻尾をパタパタとさせて、喜びを表現しています。
ああも素直になれれば、わたしも・・・。
でも、できません。結局メルの言う通り、わたしは叔父様に対して、素直になれないのでしょう。
「・・・叔父様。そろそろまた本題に戻ってよろしいでしょうか?」
そう冷たくつぶやく声は、わたしの声。
「メル。少し下がっておいで。」
「はい、ご主人様。」
叔父様に慰められたメルは、満足したのか、そのまま素直に退室しました。ほっ。
「昔から、キミとメルは相性が悪いというか、なぜかケンカっぽくなるというか、ねえ?」
これも、ムカッです。そもそもなんでわたしとメルが・・・なのか、叔父様はわかってないのです。
しかも。
「叔父様、ケンカとは対等な者同士のイサカイです。わたしとメルは対等なのですか!?」
「人に貴賤はない。僕の中ではそうだ。」
またこの妄言。人の世には身分があり職業があります。
それが全て対等だとすれば、どうやってこの社会を維持できるのでしょう?
「身分が、まったく必要ないとは言っていない。ただ、誰を大切に思うかは違う。僕にとってクラリスは、姪だけど、姪だからではすませられない、世界で一番大切な子だ。」
ドキッです。いえ、これは違うのです。あくまで叔父としての発言です。
「でも、メルは僕の侍女で、よく尽くしてくれる。なにより彼女の魔法がなければ・・・」
またムカッ。
「それは叔父様があの半獣人の命を救ったからです。あの奴隷が叔父様に尽くすのは当然です。」
「・・・クラリス。僕は人に感謝を強要したくないし、何かを人にしてもらってそれが当たり前だって思う人間でもない。メルが僕のために働いてくれることは、素直にうれしい。」
そうです。さっきも叔父様は言っていました。叔父様はそういう方です。
「それでは・・・叔父様にとって、姪であり、市民の娘であり、魔法学園の学生である私と、半獣人の奴隷は対等なのですね。」
本当は、こんなことを言いたいわけじゃありません。ですが、止まりません。
本題からますます遠ざかりますが、それも今はどうでもいいのです。
「対等?随分そこにこだわるね。まぁ、二人がケンカしたら、どちらにも肩入れしないし、一方的にどちらが正しい悪いとか、言わない。そういう意味では、そうかな。」
プチッ・・・何かがわたしの頭の中で切れたようです。
わたしはここで、椅子から立ち上がって、叔父様のお部屋から飛び出しました。そのまま外に出ました。
帰省してすぐ、家族にも会わずに、やってきて。
大切な使命も終わっていません。
それにも関わらず・・・。
そして、わたしは誘拐されたのです。