第10章 その7 もう一度出会うため
その7 もう一度出会うため
洞窟の地面には、うっすらとした白銀の魔法陣が再び浮かび上がります。
「クラリス・・・あなたが悲しむことなんかないんだから。」
レンが不満そうな顔をしています。
「え?」
レンが何を言っているのかわたしにはよくわかりませんでした。
いえ、ずっと別なことを・・・別な人のことを考えていたからです。
「だから・・・ホントは、レンとミライのルートだったんだから。あなたを連れてきたら半分以上ヒロインとられちゃった。」
はてな、です。
それは、まるで叔父様やあの人が言いそうなことです。
ですが、洞窟に入ってからのレンは、いつもの内気で大人しい彼女とは違うのです。
「いい?もう戻るけど・・・戻ったら・・・ここでのことは誰にも言っちゃだめよ。」
え?でも・・・アントの正体は知りたいのです。
叔父様の隠し子・・・その可能性も。
「口外禁止!相手は覚えていないの。というより、思い出の片隅に埋もれて消えているはずなの。だからそれを掘り起こしたら、歴史が変わっちゃうかもしれないの!」
大きなはてな、です。
叔父様のお話よりもわからないことがこの世にある、ということをわたしは初めて知りました。
「本当は14年前にって思っていたのに、あなたとあの人のつながりって・・・もう、何なの!次は絶対あなたのいない時に挑戦するから。」
「レン・・・さっきから不思議なことばかり言って・・・」
「いいから!・・・でも・・・アントにもう会えない、そういう訳じゃないの。ちょっと変わったことになっただけ。まったく・・・あんなところにまで押しかけちゃって・・・4年も早いの。こんなの歴史にしちゃいけないの。」
レンの話す内容の後半はまったくわたしの耳に入ってきませんでした。
会えない訳じゃない、そこでわたしの頭は止まっていたのです。
本当に、またアントに会える!?って。
目が覚めます。ここは・・・同じ洞窟。
淡く青い光に照らされた一画です。
「・・・クラリス・・・大丈夫?」
ちょっと大人しい、でもわたしには少し甘えてるような声。
「あなたはいつものレンですね。」
「・・・うん。クラリス班長。」
わざわざ班長なんてつけなくてもわかります。
さっきまでの蒼い目ではありませんし。
(ゴメンなさい、二人とも。・・・怖い思いをさせてしまいました。)
「ミライですね。状況を教えていただけますか?」
ミライの声は以前よりも大きくわたしの頭に響きます。
(状況ですか・・・あなたのおかげで随分難しくなってしまいましたが・・・)
また!わたしのせいで何がどうなったんですか!?あ、すみません。
(?・・・ああ。今はいいのです。少しくらい強い感情なら受け止めることができます。以前とは違うのです・・・アンティノウスに洞窟の最も奥に運んでもらいましたから。)
鉱物脳の脳幹部ですか?
(あなたも知ってしまったのですね。わたしもさっきまでは知らなかった、我が種族の秘密の一部を・・・。)
頭の中で考えたことが、すぐに察知されます。
以前よりこれも早いような気がします。
この洞窟の鉱物脳の力をミライも利用しているということなのでしょう。
「これも口外禁止ですか?」
(・・・人族とトロウル族が戦っている今です。他の女王種を倒すためには必要なのでしょうけれど・・・アンティノウスの判断に任せます。彼が広めるならば、諦めます。)
本当に信頼されています、叔父様・・・そう言えば叔父様は!?
叔父様に会いたい。
これほど強く思うのはなぜでしょうか?
それはアントのことを知らないか、問い正したいからでしょうか?
それとも・・・たった今失った何かを埋めてくれると思うからでしょうか?
(アンティノウスはまだ眠っています。起きるまで少し待って。)
「どこ?どこにいるのですか!?」
(・・・脳幹部。わたしとともにいます。)
「いやあああああああ!」
「ガマンして、レン。大丈夫だから。」
わたしはレンを抱きかかえ、つい先ほどアントと降りた脳幹部までの最短ルートを進みます・・・いえ、ひたすら落ちます。
「・・・クラリス・・・死んじゃうよぉ~!」
「大丈夫です。わたしが生きてます。」
「・・・意味わかんない!」
もう何度降下して、滑落して、落下したでしょうか。
レンはぐったりして、再びわたしに背負われています。
「ごめんなさい。でもあなたがどうしてもついて来るっていったのですよ。」
「・・・それはクラリスが下に「降りる」っていうから・・・「落ちる」って言われたらレンだって考えたよ!」
まあ、わたしだって散々アントに文句を言った手前、反論は控えますけど。
そして、わたしたちは最奥部に到達したのです。
「ミライ。入ります。」
(・・・怒ったあなたはアンティノウスみたいです。見境いがなくなって。)
余計なお話です!
ただわたしは叔父様に会いたいだけなのです。
さっきアントと別れたばかりの場所。
そこにいるはずの叔父様・・・。
部屋の中心には青い姿がありました。
(他の女王種を見たあなたたちなら・・・そんなにも怖くないでしょうけど。)
青いトロウルは、確かに輪郭こそあの赤い女王種に似てはいましたが、全体に細く、そしてはるかに小さく・・・か弱い、という印象すら受けました。
そしてなにより、その四つの目は・・・蒼い目。
さっきまでのレンと同じ色に見えます。
(レン。直接会うのは初めてね・・・怖くない?)
「・・・うん。平気。だって、さっきまで一緒だったんだから。」
その間にわたしは叔父様を見つけました。
ミライのすぐ側にいました。仰向けに横たわって。
眼鏡はつけておらず、いつもの黒い上下に、最近見慣れ始めた教官魔術士のマント、白いネクタイ・・・。
「・・・叔父様?」
(自然な眠りではありません。ですからムリに起こさないで・・・ああっ、そんな襟首なんかつかんではいけません!)
ミライの思念波は優しく、それは叔父様に向けられたものです。
一方、激しくわたしをたしなめる強さは以前とやはり違います。
少し頭痛がするくらい。
「すぐにでも問いただしたいことがあるのです・・・叔父様の隠し子について!」
(アンティノウスの隠し子?)
「えっ、フェルノウル教官に子どもいるの!・・・ウソ!」
わたしは一度持ち上げた叔父様の体を再び横たえ・・・その頭を座ったわたしの膝にそっと乗せるのです。
さすがにいつまでもむき出しの岩の上ではかわいそうですし。
まだ起きない叔父様。
ですが・・・叔父様は泣きそうに見えます。
眉を顰め、かすかに口を引き締め・・・悲しそうな・・・切なそうな。
閉じた瞳から涙が流れないのが不思議なほどです。
なぜこんなに悲しそうなんでしょう?
「叔父様・・・泣かないでください・・・わたしなら、ここにいますから。」
その声が届いたかどうかはわかりません。ですが。
「・・・あ。叔父様?」
叔父様の表情が緩みました。
少しずつ・・・穏やかに、そして、ちょっと微笑んでいるような・・・いつかの朝に見た、あの幸せそうな、子どもみたいなお顔に変わっていきます。
それを見ると、さっきまでわたしの胸中にあったモヤモヤした何かが消えていくのです。
でも・・・それでも、まだわたしの中にある大きなスキマが完全に埋まりはしないのです。
「・・・アント。」
ふとその名がわたしの口からもれ出します。なぜでしょう?
「・・・クラリス・・・さん?」
「え?」
思わず周りを見回します。アント!?
いえ、その声は確かに目の前の叔父様の口から出た、叔父様の声なのです。
「叔父様?」
叔父様はまだ目を開きません。
眠っているときの幼い寝顔は相変わらず。昔からです。
子どもの頃、時々叔父様と一緒に寝た時も、先に目覚めると叔父様はこんな顔で寝たままでした。でも・・・
今、改めてその顔を見ると・・・もうひとりの顔を思い出すのです。
「・・・アント?」
「・・・クラリス?今アントって呼んだ?」
「はい。叔父様の寝顔があまりにアントにそっくりで・・・やはりアントは叔父様の隠し子なのでしょうか?」
なぜでしょう。
レンとミライが顔を見合わせて、困惑しているのがわかりましたけど、何が問題なのでしょう?
(いいえ!問題はないのです。ええ。今なくなりました。)
「・・・そうそう。問題はないの。もうなくなったの。」
変な二人です。そう思っているとふいに叔父様が身動きします。そろそろお目覚めでしょう。
動いた手・・・左手に目が吸い寄せられます。
叔父様の手は、きれいな指をしています。
いろいろなものをつくる器用な手なのです。
短めのゆったりしたシャツが肘までめくれています。
もちろん傷一つなくきれいな肌です。
アントの大やけどをしたかのような左腕とは違うのです・・・わたしは今、何を期待していたのでしょうか?
わたしはシャツの袖に叔父様の左腕をきちんとしまいなおして・・・その手を握ります。
不思議です。手の大きさも指の長さも、もちろん同じはずがないのに・・・なのに。
「おはよう、クラリス・・・?」
やっとお目覚めの叔父様です。ですが、なにがおはようですか!
さっきまであれほど会いたかったのに、あれほど目覚めてほしかったのに・・・今は急に腹ただしくなります。
「叔父様は・・・お一人でのんびりお昼寝しておられたのですね・・・うらやましいです。」
「・・・ご機嫌斜めだね・・・やれやれ。でも・・・昼寝じゃないよ。もう夜だし。」
「こんな洞窟で昼か夜かなんてわかるもんですか、しかも起きてすぐ!」
「自律神経を鍛えれば、だいたいの時間くらいわかるんだよ。」
・・・どこかで聞いたような理屈です。最初におはようって言ったくせに。
叔父様は怒っているわたしをなだめようとしたのか、左手をわたしに向けようとし
「・・・あれ、どうしたんだい?」
わたしに左手を握られたままなのに気づきました。
膝枕にも。珍しく顔を赤くしてます。
「・・・クラリスに膝枕してもらうなんて初めてだな。うれしくて泣きそうなんだけど。」
そう言って体を起こします。
わたしは自然に叔父様を抱き起そうとするのですが
「そのままで・・・。クラリス。僕は、本当にキミがなついてくれるのがうれしい。だけど・・・さっきも言ったけど・・・いい加減叔父離れしないと・・・こういうのは好きな男の子を見つけてだね・・・。」
パシッ!
わたしはしたり顔の叔父様を思いっきりひっぱたきました。
「人の気も知らないで!あなたがそんなことを言わないで!」
もう一度、ひっぱたきます。
叔父様は唖然としたままで、よけようともせず、わたしに頬を打たれます。
「なんでそんなことを言うんですか!なんであなたは・・・」
なんで?
この後わたしは何て言えばいいんでしょう?
言葉を失ったわたしです。そして・・・
「クラリス?何かあったんだね?・・・かわいそうに。ゴメン。僕はいつも無神経でキミを困らせてばかりで、傷ついたキミの様子にも気づかなくて、ダメなヤツだ。」
わたしに叩かれたのに、二度も叩かれたのに、叔父様は、動きを止めたわたしを、いつものように優しく抱きしめるのです。
その優しい動きに、抗う気はまったく起きないのです。
「ゴメンよ・・・ダメな僕だけど、キミが何より大切なことにウソはないから・・・何があっても僕は味方だから・・・何かあったんなら、僕が力になるから・・・。」
わたしは叔父様に抱かれ、その胸元で声を押し殺します。
目から流れでる涙も、そのまま叔父様の胸にしみこんでいきます。
しばらく、そのままの時間が続いて・・・。
「殴ったね、しかも二度も・・・父さんにもぶたれたことないのに・・・さすがに言うタイミングを見失ったよ・・・やれやれ。」
ポツリ、とつぶやくような叔父様の声が頭の上から聞こえます。
わたしは顔を上げ、叔父様をにらみつけました。
わたしの視界のぼやけた叔父様は、さすがにバツが悪そうです。
「ゴメン・・・不謹慎だったよ。悪かった。」
「もう・・・あなたは・・・本当に・・・もう!」
わたしは叔父様に抱きついて、後はずっと考えるのを止めることにしました。
だって、こういう人なんです。
でも、嫌いになれないんです。
そして、あの人を失ったわたしが、今、抱きしめられるのは・・・抱きしめたいのは叔父様だけなんです。
「・・・探しに行く?」
散々叔父様になだめていただいて、ようやく泣き止んだわたしを、レンとミライが気まずそうに見つめ・・・女王種のトロウルってあんなに表情豊かなんでしょうか?
・・・そして、今、レンがわたしを脳幹部から連れ出しました。
ミライは叔父様にお話があるとか・・・妙にか弱い思念でしたし、叔父様は不服そうでしたけど。
「だって、レン。また会えない訳じゃない。そうあなたも言ったでしょう?」
レンはマジマジをわたしを見つめます。
そして大きなため息をつくのです。
「・・・アントに会うためなら、クラリスはどんなことでもするの?」
「どんなことでもなんて大げさな。わたしは叔父様ではありません。・・・ですが、決心しました。多少の迷惑は覚悟の上です。」
「・・・クラリスのためならフェルノウル教官は何でもするし、そうなったら世界だってどうなるかわかんないんだよ?」
「・・・それは大げさではありませんか?いくら叔父様が関わるからと言って、そう簡単に・・・。」
「・・・・・・。」
本来とても内気なレンが、ここまでわたしに困った視線を向けるのです。
どうやら冗談事ではないのでしょう。
しばらく見つめ合い、レンは今日、何度目かのため息をもらします。
「・・・ホントにクラリスって頑固で、何をしでかすかわからないよね・・・・教官そっくり。」
それは褒められていませんよ、レン!
「・・・半分は褒めてるの。これでも。」
諦めたレンは、もう一度わたしに口外禁止、特に叔父様には絶対秘密、と言うことで、今日この洞窟で一体何があったのかをわたしに話してくれたのです・・・。
「なぜっかっていうと、フェルノウル教官があの事を思い出すようなことがあったら、世界の歴史が再編集されて、大きく変わっちゃうかもしれないんだから!」
どうやら真剣に世界の危機?らしいのです。でも・・・
「叔父様が思いだす?」
「正確には、実際には体験しなかったことなんだけど、もしも教官が、この鉱物脳の中で再現された過去の中であった出来事を、本物って認識しちゃったら、本来の歴史と入れ替わっちゃうことがあるの。」
「・・・さっきから、今日のレンの話は、全然わからないんです。」
「・・・わたしとクラリスが体験したのは、ミライが鉱物脳を支配して、鉱物脳にある先代女王種の記憶を一部再現しようとして起きたことなの!」
・・・記憶の再現・・・叔父様の「回想」を大げさにしたようなものでしょうか。
そう思うとなんとなくわかります。
それなら時間魔法の概念にもあった気がします。
「・・・ただ・・・本当は15年前の記憶を再現するはずだったのに、教官が19年前にもここに来ていて、それを見たあなたが魔法円を飛び出しちゃったから・・・」
「待って!」
今・・・レンは何て言ったのでしょう?
「・・・だから・・・クラリスもうすうすは気づいているはずなの・・・どこかで認めたくないだけで・・・」
「だから・・・それはどういうことですか!」
「・・・もう・・・いい!だから、アントは、19年前のフェルノウル教官なの!」
レンの言うことが、いきなりはっきりとわたしの中に入ってきました。
アント・・・アンティノウス!でも・・・左腕の火傷跡が・・・
「・・・クラリスとリトだって火傷はちゃんと治ったでしょう。魔術の治療で!」
そうでした!でも・・・でも・・・何が「でも」?
わたしは認めたいのでしょうか?
それとも認めたくないのでしょうか?
「だから、また16歳のアントに会いに行かれでもしたら、大変なの!史実より4年も前に人族が鉱物脳にやってきちゃうの!だから行かせられないの・・・でも・・・35歳になったアントなら・・・わたしたちの前にいるの。」
頭の中にいろいろなモノが飛び交います。
ですが、わたしの体は自然に動き出すのです。
脳幹部に走り出して、そしてあの人の前に立って・・・
「どうしたんだい、クラリス?・・・レンネルさんとの話は・・・?」
目の前の人は、わたしより背が高いのです。
今は外していますが眼鏡をしています。
手には手袋はなくて、長くてきれいな指で、もう35歳で・・・。
わたしの目の前にはその人の胸が、白いネクタイが見えます。
お顔を見るには、もう少し見上げなくてはならないのです。
「・・・こんなに大きくなって。」
「うへっ?それはなんの冗談だい?」
思いっきり調子はずれな声。
もうあの声変わり中の声ではありません。
「ごめんなさい・・・あなたを20年近くも一人ぼっちにして・・・。」
「あの・・・クラリス?」
顔を上げると、その人がわたしを困った表情で見返します。
その瞳は・・・あの、夜の色の瞳です。
「わたしはこんなに早くあなたに会えたのに・・・あなたは20年も・・・」
わたしの心は決まりました。
このことで悩んだり、迷ったりすることはありません。
だから次に出てきた言葉が、わたしの決意なのです。
「もうあなたを一人にはしません・・・わたしはあなたと共に生きていきます。」
その首に両腕を回し、抱きついたわたしは、もう二度と退かないのです。
「あの・・・本当にどうしたの?クラリス・・・ちょっと変だよ!?」
この人は、あの時のことは覚えていない。
それを思い出させてもいけない。
ですが、わたしが覚えています。
そして、わたしと出会ったあの日だけが「リア充」とか言っていたこの困った人を・・・
「そう、あなたを、これからずっと幸せにしてあげたいのです。」
「・・・僕は君に会った15年前からずっと幸せなつもりだけど・・・」
わたしは一度顔を上げてにらみつけます。
叔父様は口を開けたり閉じたり・・・ようやく静かになりました。
そしてわたしは両の腕にぎゅうっとさらに力を込めます。
ちゃんと聞いてくださいっていう気持ちを込めて・・・
「ですから・・・あなたがわたしを幸せにしてください・・・わたしのアンティノウス。」
わたしの気持ちはもう決まってるのです。
後はこの人が何を言おうと・・・きっと・・・。
ミライとレンは、さっきから何も言わずに遠くからわたしたちを見ています。
安心したような、少し残念そうな。
叔父様は・・・アンティノウスは・・・相変わらず察しが悪く、まだ延々とつぶやいていますが、あきらめてもらいます。
それは無駄な抵抗なのです。
だって、叔父様はいつだってわたしが本当に望むことは認めてくださるのですから!




